すべての人は幸福を望みます。
すべての人は、幸福を目指さなければなりません。
あなたは、幸福を求めなければなりません。
しかしながら、多くの人は幸福の本質を知りません。
本質を知らないままに、幸福を求めているのです。
本質を知らなければ、真の幸福を手にすることは出来ません。
多くの人は、幸福の本質を知らないために、偽りの幸福を手にすることになるのです。
多くの人が手にするのは、偽りの幸福です。
もちろん、それは幸福ではありません。
幸福に似た不幸なのです。
残念ながら、幸福と不幸を見分けることは簡単ではありません。
なぜなら、幸福も不幸も、同じような形をしているからです。
それは、桑の実が黒く熟しているように見えても、強烈な酸味によって口に苦いようなものです。
同じような形をしていたとしても、少しの差によって、それは幸福にもなり、不幸にもなるのです。
幸福だと思っているものは、不幸であるかも知れません。
不幸だと思っているものも、幸福であるかも知れないのです。
口にしてみなければ、それが何なのか分からないのです。
人は、失敗や苦しみによって、成功や喜びを知ることが出来ます。
幸福や不幸というものは、比較することによって認識が生まれるのです。
比較することがなければ、認識は生まれないのです。
本質を知るためには、比較しなければならないのです。
あなたは、幸福の本質を知りません。
あなたが幸福を得るためには、比較を経験しなければならないのです。
人生が思い通りに展開するのであれば、比較を体験することは出来ません。
そのため、人生は決して思い通りにならない仕組みになっているのです。
あなたは未熟です。
未熟者の思いが叶うことによっては、不幸を得るだけなのです。
未熟者は、どの実が熟れているのかを知りません。
そのため、初めは酸っぱい実と、甘い実の両方を食べなければならないのです。
その比較によってどの実が熟れているのかを知ることが出来るのです。
人生には、苦しみと喜びが同時に訪(おとず)れます。
それは、あなたに幸福の本質を得させるためです。
どのような場所にも、必ず問題が生じます。
問題の生じない場所は存在しません。
どのように注意深く、思慮深く振る舞ったとしても、必ず問題は生じるのです。
それは、この世界には、陰陽の仕組みが存在しているからです。
あなたは、陰陽の仕組みに逆らうことは出来ません。
どのような場所にも、陰と陽の二つの性質が存在しているのです。
例えば、どのような集団にも、必ず反対者が生じます。
それを避けることは出来ないのです。
反対者はいない方が物事は円滑(えんかつ)に展開します。
反対者のいない方が、人生は思い通りに展開するのです。
しかしながら、そのような訳にはいきません。
それは、あなたが幸福を得る必要があるからです。
あなたには、必ず反対者が現れます。
それは、あなたを悩ます問題となるでしょう。
しかしながら、苦しみを知ることによって、何が喜びであるのか?を知ることが出来るのです。
反対者はいない方が理想ですが、それは偽りの幸福に過ぎません。
真の幸福を実現するためには、反対者の助力が必要不可欠なのです。
苦しみの助力によって、喜びを知ります。
幸福と不幸を簡単に見分けることは出来ません。
桑の実は、食べてみなければその味は分かりません。
それと同じように、幸福も不幸も、それを体験しなければ、その本質を理解することは出来ないのです。
すべての人は幸福を望みます。
しかしながら、幸福の本質は知りません。
そのために、あなたは様々なものを比較しなければなりません。
どの場所にも、必ず反対者が生じるということを覚えておきましょう。
そして、反対者の意見を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
それは、大切な比較だからです。
反対者によって、あなたは豊かさを得るでしょう。
安易に嫌ってはなりません。
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