この世界には、正しい道というものは存在しません。
正しい道とは、模範となる道のことです。
誰であろうとも、道は自由に歩むことが許されています。
歩むことの出来る場所ならば、どこを歩んでも構わないのです。
ただし、それは責任の範囲においてです。
あなたは、自己責任によって好きな道を選ぶことが出来ます。
どのように生きるのも、自己責任の範囲によって自由です。
そのため、この世界には、模範となる正しい道というものは存在しません。
人には、それぞれに道があるのです。
そのすべてが正しい道であり、決められた正しさというものは存在しないということなのです。
人は、正義を掲げて生きています。
誰もが、自分の正しさを所有しているのです。
正義とは、立場に過ぎません。
それは、人の考えというものは、立場によって変わるからです。
人は、立場によって、その価値観を改めます。
多くの人は、自分が立場に従っていることを知らないのです。
正しさとは、立場によって決められるものです。
正義とは、立場の数だけ存在しているのです。
あなたの考える正しさは、あなたの置かれている立場に過ぎません。
そして、他者の考える正しさも、その人の置かれている立場に過ぎないのです。
子の立場を得た者は、子としての正義を貫(つらぬ)きます。
親の立場を得た者は、親としての正義を貫くのです。
子は子として行為し、親は親として行為するのです。
人は、立場に従っているのです。
人は決して、自分勝手に生きてはいません。
すべての人が、立場に縛られているのです。
人は、立場を無視することは出来ません。
あなたも、他者も、立場に従わなければならないのです。
あなたは、人の背景には立場が存在しているということを理解しなければなりません。
他者と対峙する時には、相手にも立場があり、事情があるということを忘れてはならないのです。
すべての人は立場に属します。
それは、役割であり、仕事なのです。
それは、その人の本質を現すものではありません。
人は、立場を演じているに過ぎないのです。
大切なのは、立場と自分、立場と相手を混同しないことです。
あなたは、立場ではありません。
相手も、立場ではないのです。
あなたという存在が立場を演じ、そこに存在する正しさに従っているのです。
相手にも同じことが言えるのです。
そのことを理解すれば、それぞれの立場を尊重することが出来るでしょう。
それぞれの事情に配慮(はいりょ)することが出来るのです。
子が親の、親が子の立場と事情を配慮しなければ、そこには争いが導かれます。
違いが相手の立場と事情を配慮すれば、そこには調和が導かれるのです。
それぞれの立場は異なります。
立場が異なれば、正義も異なるのが自然です。
この世界においては、それぞれの正義が存在して良いのです。
それぞれが自分にとっての正しい道を選択し、それを歩むことが許されているのです。
あなたは、正しい道を歩まなければなりません。
そして、他者の正しい道を妨げてはなりません。
人には、何が正しいのかを理解することが出来ません。
あなたの正しい道を妨げる人が現れても、それに屈(くっ)してはなりません。
そして、その人と争ってはなりません。
他者の正しい道を妨げる人に成ってはなりません。
相手の自由を奪ってはならないのです。
この世界は、自由に歩むことが出来るのです。
あなたは、どこでも歩むことが出来ます。
空中であろうとも、道にすることが出来るのです。
崖(がけ)も、地中も、水中も、すべてが道となるのです。
自己責任の範囲において、あなたは好きに自由に歩みましょう。
あなたの歩みが道となるのです。
自分の正しいと思う道を歩みましょう。
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