人生は、無駄に時間を過ごすために存在するのではありません。
あなたは、ただ生き長らえるために生まれたのではないのです。
欲望を貪(むさぼ)るために生まれたのでもありません。
誰かに、気に入られるために生まれたのでもないのです。
あなたが生まれたのは、目的を果たすためです。
あなたは、目的を果たすために人生を生きているのです。
人生の目的は、人それぞれに異なります。
あなたには、あなただけの目的が存在しています。
それを果たさなければならないのです。
人生の目的には、小さなものから大きなものまであります。
そして、それは無数に存在しているのです。
しかしながら、あなたには、人生の目的を認識することが出来ません。
なぜなら、あなたの考える人生の目的とは、欲求の実現に過ぎないからです。
”これ”は、あなたの欲求を実現するための人生ではありません。
あなたの考える欲求よりも深く、大きな目的が存在しているのです。
その詳細を知ることは出来ませんが、そのようなものがあるということは知っておかなければならないのです。
残念ながら、多くの人は人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分の考える欲求に従って生きるばかりなのです。
残念ながら、すべての人は未熟です。
未熟であるが故(ゆえ)に、自分の考える欲求が最善であると思い込むのです。
自分の考える欲求に従って生きることは、決して悪いことではありません。
なぜなら、自分の考える欲求を満たしていくことによって、それが人生の目的ではないことに気が付くからです。
残念ながら、自分の考える欲求を満たしていくことによって得られるのは空しさです。
それは、独りの食事が味気(あじけ)ないのと同じです。
自分のための贈り物は空しさに行き着きます。
しかしながら、誰かのための贈り物であれば、喜びは尽きないのです。
人生の目的は、自分自身の成長です。
それは、自分のための目的なのです。
しかしながら、人生の目的は、誰かのために働き掛けることによって果たすことが出来るのです。
自分のための目的ではありますが、それは誰かのためのものであるのです。
誰かの役に立つことによって、人生の目的は果たされます。
しかしながら、自分のためだけの働き掛けによって、自分の役にしか立とうとしないのであれば、人生の目的は果たされないのです。
自分の欲求を満たすだけでは、人生は乏しくなります。
独りで食事を済ませてはなりません。
その食事は、誰かと分け合うようにしなければならないのです。
あなたの知っている良いことは、誰かの役に立つかも知れません。
役に立つかは分かりませんが、それを分け合わなければならないのです。
そうすれば、それを聞いた人が更に分け合う誰かの役に立つこともあるかも知れないのです。
あなたが成長するためには、誰かの役に立つ必要があります。
例えば、どのように料理の腕を磨いても、誰かに振る舞わなければ成長したことにはならないのです。
自分の欲求を満たすことには価値がありません。
あなたは、誰かの役に立つように努めなければならないのです。
感覚は麻痺(まひ)してきます。
人は、自分の考える欲求を満たすことに幸せを感じるようになるのです。
それが味気ないということが分からなくなってしまうのです。
独りで得られる喜びは、誰かと得られる喜びよりも小さなものなのです。
誰かと得られる喜びは、独りで得られる喜びよりも大きいということを覚えておかなければなりません。
慣れは、人を盲目(もうもく)にさせてしまいます。
多くの人は、自分の欲求を満たすことが空しいということを忘れているのです。
自分の欲求を満たすことよりも、誰かの役に立つことの方が喜びは大きいのです。
人生を豊かなものにするためには、誰かの役に立とうとしなければなりません。
誰かの役に立とうと努めていれば、いつの間にかに人生の目的を果たしているものなのです。
あなたには、人生の目的を認識することが出来ません。
しかしながら、それを果たすことは出来るのです。
誰かの役に立つことによって、人生の目的を果たすことが出来ます。
それ以外の方法によっては、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
麻痺した感覚を放置して、盲目的に生きてはなりません。
無駄に時間を過ごしてはなりません。
誰かの役に立つための準備を始めましょう。
0 件のコメント:
コメントを投稿