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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年8月31日金曜日

小さな錆

人生を豊かなものにするのは、すべての人の義務です。
人は、自らの人生を豊かなものにしなければならないのです。
残念ながら、人生は、放置しておくと乏しさを得ます。
それは、人が未熟であり、歪んでいるからです。
それは、刃物に浮き出る錆(さび)のように、手入れをしなければ、やがては全体を覆(おお)ってしまうのです。
錆に覆われた刃物は、その切れ味を落とします。
錆によって、刃物は価値を失うのです。
錆は、刃物から生じます。
錆が刃物に取り付くのではないのです。
刃物は、自らが錆るのです。
人も、未熟と歪みを所有しています。
自らを磨くことを怠(おこた)れば、乏しさはすぐに生じてしまうのです。
小さな乏しさを気にする人は多くありません。
多くの人は、小さな錆を気にしないのです。
それは、すべての人が未熟であり、歪んでいるからです。
未熟であり、歪んでいるからこそ、小さな錆を気にすることなく放置するのです。
多くの人は、刃物に生じた小さな錆を放置します。
気にすることがあっても、錆を落とすことはしません。
多くの人は、小さな乏しさの発生に気が付いてはいても、それを改善するために自分自身を磨くことをしないのです。
刃物にとって、小さな錆は大敵です。
人にとっては、小さな乏しさは大きな損失なのです。
錆が刃物全体を覆うまでは、とても素早いということを覚えておかなければなりません。
それは、手入れを怠っているために、乏しさの臨界(りんかい)へと限りなく近付いているからなのです。
崖を落下する時には、急に落ちるのです。
残念ながら、豊かさと乏しさの境界は、緩やかなものではありません。
小さな乏しさを放置するのであれば、乏しさを食い止めることは出来ません。
豊かな人生のためには、自分自身を磨くことを怠ってはならないのです。
自分の未熟と歪みに打ち克(か)つことの出来ない者は、傲慢(ごうまん)や怠慢(たいまん)へと堕落してしまいます。
傲慢や怠慢へと堕落した者には、豊かな人生を実現することは出来ないのです。
崖を落下するのは簡単ですが、それを這(は)い登るのは難しいのです。
あなたは、自分の弱さに打ち克たなければなりません。
傲慢や怠慢へと堕落しないように、自分自身の手入れを欠かさないように努めなければならないのです。
そのためには、知性と教養が必要なのです。
人は、知性と教養によって、自らを磨くことが出来るのです。
知性と教養に欠けるのであれば、人は自らを曇らせてしまいます。
曇りは、やがて汚れとなるのです。
刃物が光を反射して美しく輝くように、人も理(ことわり)の光を反射して美しく輝きます。
しかしながら、錆に覆われた刃物は、光を反射して輝くことが出来ません。
光を反射しない刃物には、価値がないのです。
使えない道具に価値を見出すことは出来ないのです。
知性と教養に欠ける人は、理を受けて輝くことが出来ません。
理に従わない人物には、価値を生み出すことが出来ないのです。
それは、理に従わなければ、人は貢献することが出来ないからです。
それでは、価値がないのです。
あなたは、貢献しなければならないのです。
残念ながら、貢献しなければ価値がありません。
どのような形でも構いません。
何等かの形で貢献しなければ、豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、自らが未熟と歪みを抱えているということを知りましょう。
決して、自分が正しいなどと思い込んではなりません。
人は、簡単に傲慢や怠慢へと堕落してしまうということを忘れてはならないのです。
あなたは、知性と教養によって、自らを磨きましょう。
気高く生きなければなりません。
どれだけの地位や財産を得ても、知性と教養に乏しければ、人生は問題を生じさせ、苦悩を導くでしょう。
あなたは、人生を豊かなものにしなければなりません。
堕落してはなりません。
自らを律(りっ)し、理と共に生きましょう。

2018年8月30日木曜日

傲慢を諦める

この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべては、因果の仕組みに従わなければなりません。
それは、因果の仕組みが理(ことわり)であるからです。
この世界において、因果の仕組みに逆らうことの出来る人は存在しません。
すべての人は、因果の仕組みに従い、その中で人生を築くのです。
因果の仕組みとは、原因に相応しい結果が実現するということです。
どのような結果も、それに相応しい原因によって実現するのです。
どのような原因も、それに相応しい結果を実現するのです。
それは、避けることの出来ないことです。
あなたの人生における原因とは、自分自身です。
あなたの人生の原因は、あなたなのです。
結果とは、現状です。
あなたは、現状に相応しい自分であるということなのです。
人生は、あなたに相応しく展開します。
人生が、あなたに不相応な展開を示すことはありません。
あなたは、因果の仕組みに従わなければならないのです。
多くの人は、問題を抱えます。
問題という結果を導き出したのは、それに相応しい原因です。
問題を引き起こしているのは、あなた自身なのです。
誰かや何かが、人生に問題を引き起こすのではありません。
人生の原因は、自分自身なのです。
目の前に問題が導かれるのであれば、自分自身がその問題に相応しいということなのです。
問題を解決するためには、原因を改めなければなりません。
問題を解決しようとして、問題を改めようとしてはならないのです。
因果の仕組みの支配するこの世界においては、原因を改めない限りは、結果が改まることはないのです。
自分自身に原因を見出すことが出来ず、問題を改めようとしているのであれば、更なる問題を抱えることになるのです。
あなたは、問題を解決しなければなりません。
問題を大きく、複雑なものにしてはならないのです。
大切なのは、問題を前にしても慌てないことです。
冷静に判断することがなければ、問題の原因が自分自身にあることを見失ってしまいます。
歪んだ方法は、歪んだ状況を導いてしまうのです。
慌てても結果は変わりません。
慌てても、問題は解決しないのです。
あなたは、冷静であることに努めなければならないのです。
原因を超える結果が導かれることはありません。
原因に不相応な結果は実現しないのです。
結果を改めるためには、原因を改める必要があります。
より良い結果を必要とするのであれば、より良い原因を選択することです。
それ以外に方法はありません。
原因によって、既に結果は決まっています。
目の前の問題に対して心配したところで、問題が解決することはないのです。
起きてしまったことは仕方がないのです。
起きてしまったことは、どうすることも出来ないのです。
あなたに出来る最善の方法は、起きてしまったことを、仕方のないこととして受け入れることです。
思い悩んでいても埒(らち)が明きません。
人生を変えるのは、あなた自身なのです。
あなたが人生に豊かさを必要としているのであれば、目の前の問題を受け入れましょう。
否定からは、豊かさを生み出すことは出来ません。
現状を受け入れた時に初めて、あなたは原因を改めることが出来るのです。
現状を受け入れることがなければ、あなたは自分が正しいと思い込んでしまいます。
自分が正しいと思い込んでいる者が、原因を改めることなどないのです。
自分が正しいと思い込んでいる者は、傲慢(ごうまん)によって結果を改めようとするのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
あなたは、因果の仕組みに逆らうことは出来ません。
自分が正しいと強がっても、結果が変わることはありません。
慌てても結果は同じです。
傲慢を諦めましょう。
あなたの選択が間違っているからこそ、目の前に問題が導かれているのです。
そのことを真摯(しんし)に受け止めなければなりません。

2018年8月29日水曜日

動機

すべての人は、人生に目的地を持ちます。
人生は、目的地へと辿り着くための道程です。
人は、目的地へと向かって歩まなければなりません。
人生は、宛(あ)ても無く彷徨(さまよ)い歩くようなものではないのです。
あなたは、目的地に辿り着くように歩を進める必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは、目的を以(もっ)て生まれたのです。
目的は、生まれる前に定められたのです。
人は、一生という時間を使い、その目的を果たさなければならないのです。
目的を果たすということは、目的地へと辿り着くことです。
目的地へと辿り着くことによって、あなたは人生に豊かさを実現するのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、目的地へと向かって歩まなければなりません。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分の辿り着くべき目的地を知らないのです。
それで、仕方なく、目の前の欲望や快楽や苦悩を貪(むさぼ)り、立ち止まることになるのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪っていても、あなたが目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたが目的地へと辿り着くためには、純粋な動機を思い出す必要があるのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪るのは、不純な動機からです。
人は、不純な動機によって、道を見失ってしまうのです。
大切なのは、純粋な動機です。
あなたが目的地へと辿り着くためには、純粋な動機が必要なのです。
あなたが人生を始めたのは、純粋な動機があったからです。
幼子は、純粋な動機のために歩み始めます。
それは、生まれて間もないからです。
残念ながら、人の世は汚れています。
人は、世の汚れに触れることによって、純粋を不純へと歪めてしまうのです。
人は、徐々に不純な動機に従って歩むようになります。
それは、人が徐々に乏しさや不幸を得るようになるということなのです。
多くの人は、人生に乏しさや不幸を感じています。
人生に豊かさや幸福を感じている人は少ないのです。
それは、不純に従って歩んでいるからです。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
あなたは、自らの歩んだ場所に辿り着くのです。
それは、当然のことですが、多くの人はそのことを理解しません。
悪事を働けば、悪事の報いを受けなければならないのです。
善事を働けば、善事の報いを受けるのです。
例外はありません。
あなたは、自分の歩みに責任を持たなければならないのです。
純粋な動機を見失ってはなりません。
あなたは、初めには、純粋な動機によって事を始めたはずです。
しかしながら、欲望や快楽や苦悩が見え始めると、途端(とたん)に動機を不純なものにしてしまうのです。
人は、欲深いのです。
より多くを求めるのです。
それでは、真っ直ぐに歩むことは出来ません。
あなたが目的地に対して真っ直ぐに歩み続けるためには、純粋な動機に従わなければならないのです。
人は、いつの間にかに違う動機に従ってしまいます。
動機は、いつの間にかにすり替わるものなのです。
それは、人が弱い存在だからです。
確認を忘れるのであれば、人は道を踏み外してしまうのです。
例えば、あなたが好きなことを仕事にすれば、楽しみを動機として歩むことが出来るでしょう。
しかしながら、途中から欲が出てしまいます。
例えば、他者からの賞賛(しょうさん)や評価、具体的な報酬(ほうしゅう)などに動機がすり替わってしまうのです。
しかも、より大きな刺激を必要とするようになるのです。
本来の動機は、楽しむことです。
好きなことを仕事にするのは、楽しいことなのです。
仕事がどのように展開しようとも、純粋な動機である楽しみを見失うことがなければ、目的地へと向かって歩みを進めることが出来るのです。
しかしながら、仕事が展開すると共に、他者からの賞賛や評価、具体的な報酬のために歩み始めることになるのです。
残念ながら、その方法には限界が訪れるのです。
他者からの賞賛や評価、具体的な報酬のために仕事をしているのであれば、いつか楽しめなくなるのです。
それでは、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を見失ってはなりません。
小さなことに気を取られて、大きなことを見失ってはなりません。
あなたは、何のために生まれたのですか?
そのことを考えなければならないのです。
”それ”を始めた時の、純粋な動機を見失ってはなりません。
不純な動機に従ってはなりません。
あなたは、純粋な動機に従って、目的地に辿り着かなければならないのです。

2018年8月28日火曜日

孤独と自分自身

これは、あなたの人生です。
他の誰の人生でもありません。
あなたは、自分の人生を築かなければならないのです。
誰も、あなたの代わりに、あなたの人生を築くことは出来ません。
人生がどのようなものであろうとも、それは、あなたが築いたものなのです。
人生の原因は自分自身であり、他の誰かや何かではないということを理解しなければならないのです。
どのような人生を生きるかは、あなたが自分自身で決めることが出来るのです。
多くの人は、孤独を恐れます。
多くの人は、孤独を悪いことだと考えているのです。
そのため、多くの人は、他者に依存します。
多くの人は、他者に依存することによって、孤独に対する恐れを忘れようとしているのです。
孤独というものは、忘れようとして忘れられるものではありません。
なぜなら、孤独はとても大切なものだからです。
人生において、孤独は重要な要素であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、孤独の価値を知りません。
孤独の価値を知らないために、それを恐れ、悪いことだと考えるのです。
これは、あなたの人生です。
残念ながら、あなたは独りで人生という道程(どうてい)を歩まなければならないのです。
人が孤独を感じるのは、自然のことです。
人は、孤独を感じることによって、自分自身と向き合うことが出来ます。
人は、孤独を感じることによって、内省(ないせい)することが出来るのです。
内省することの少ない者は、孤独を避けたのです。
孤独から逃れ、他者に依存します。
内省することがなければ、成長することもありません。
成長することがなければ、人生は乏しいものとなるのです。
人生を豊かなものとするためには、成長する必要があります。
成長するためには、孤独を見詰め、内省する必要があるのです。
孤独が存在しなければ、人は内省することが出来ないのです。
それでは、人生の目的を実現することも出来ないのです。
人は、成長するために生まれたのです。
あなたは、自分の人生を歩まなければなりません。
自分の人生を歩むためには、自分自身であることが求められるのです。
あなたは、孤独を大切に扱わなければなりません。
多くの人は、孤独を恐れますが、孤独によってしか、人が成長することは出来ないのです。
人は、孤独を嫌いますが、あなたは嫌ってはなりません。
孤独でなければ学ぶことの出来ないものがたくさんあるのです。
あなたは孤独を受け入れなければなりません。
孤独によって、人は内省し、より良い選択をするようになるのです。
孤独は、あなたを自分自身へと導きます。
あなたは、自分自身と生きなければならないのです。
自分自身と共に生きていない者は、孤独と共に生きなければなりません。
孤独は、内省のために導かれるのです。
内省を終え、自分自身と共に生きることが出来るようになった者は、孤独と共に生きることはなくなります。
孤独と共に生きることのない者は、孤独を恐れることがないのです。
あなたは、自分自身と共に生きなければなりません。
これは、あなたの人生です。
残念ながら、他者は存在しません。
他者に頼ることは出来ないのです。
あなたは、自分自身を頼りにしなければなりません。
自分自身と共に生きることは、人生の目的を知るために必要なことです。
自分自身と共に生きることの出来ない者には、人生の目的を知ることは出来ないのです。
孤独と共に生きている者には、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
孤独を恐れてはなりません。
孤独は、あなたを内省させるために存在するのです。
他者を見詰めることなく、自分自身を見詰めましょう。
外へ向いている目線を、内へと向けるのです。
そうすれば、人生の目的を果たし、豊かさを実現することが出来るでしょう。

2018年8月27日月曜日

遠くの目的地

人は、それぞれに目的を以(もっ)て生まれます。
すべての人の人生には、大切な目的があるのです。
無意味に生まれた人はいません。
無駄な人生などというものは存在しないのです。
あなたは目的を果たさなければなりません。
目的を果たそうともせずに、宛(あ)てもなく生きてはならないのです。
無駄な人生など存在しません。
あなたは、人生を無駄に生きてはならないのです。
人生を有意義なものにしなければなりません。
人生は、自分自身の選択によって決めることが出来ます。
人生を無駄に生きるのも、有意義なものにするのも、あなた次第であるということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、目的を見失い、宛てもなく生きています。
多くの人は、目の前の欲望や快楽や苦悩を貪(むさぼ)って生きているのです。
それでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
人生を豊かなものにするためには、人生に目的を見出すことによって、目の前の欲望や快楽や苦悩から離れなければならないのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪ることでは、人生の目的を果たすことは出来ません。
なぜなら、目の前の欲望や快楽や苦悩を貪ることは、人生に停滞していることと等しいからです。
あなたは、目の前の欲望や快楽や苦悩を離れ、先へ進まなければならないのです。
目的を果たすためには、目的地へと辿り着く必要があります。
目的地へと辿り着くためには、歩み続けなければなりません。
立ち止まっていては、決して目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪ることは、それ等に執着しているということです。
執着することによって、人は停滞しなければならないのです。
停滞している間は、人生が展開することはありません。
人生が展開しなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、目の前の欲望や快楽や苦悩への執着を手放すことです。
残念ながら、多くの人は、目の前の欲望や快楽や苦悩に執着しています。
しかしながら、自分自身ではそのことに気が付いていないことの方が多いのです。
多くの人は、目の前の欲望や快楽や苦悩に執着しながらも、人生が展開していると思い込んでいるのです。
執着を手放すことが無ければ、人生が展開することはないのです。
あなたは執着を手放さなければなりません。
執着とは、地面を踏み締めているような状態です。
地面を踏み締めている間は、歩みを進めることは出来ません。
地面から足を離さなければ、一歩を踏み出すことは出来ないのです。
執着を手放さなければ、道は開けません。
あなたが目の前の欲望や快楽や苦悩への執着を手放した時に、人生は展開するのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
人は弱い存在です。
そのため、目の前の欲望や快楽や苦悩を貪るような生き方をしてしまいます。
あなたが人生を考えるのであれば、人生というものを長い目で見なければなりません。
人生がどうなるか?は、あなたには分からないことです。
どうなるか分からないことに対して、安易に判断を下してはならないのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪るのは、安易な判断です。
それは、遠くに存在する目的地に辿り着くことを考えてはいないからです。
目的地は遠くに存在しているのです。
あなたは歩みを進めなければならないのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩に執着することによって、歩みを妨げてはならないのです。
志(こころざし)を持って生きましょう。
人生を詰まらないものにしてはなりません。
より良いものは、目的地へと近付くことで得られます。
それは、目的地が人生の本質であるからです。
本質に近付く程に、豊かさが得られるということを覚えておきましょう。
あなたが人生に乏しさや苦悩を感じているのであれば、目の前の欲望や快楽や苦悩に執着し、それ等を貪っているのが原因です。
誰かや何かによって、あなたの人生が乏しいのでも、苦悩を抱えているのでもありません。
あなたが執着を手放さないことが原因なのです。
そのことに気が付かなければなりません。
執着を手放し、先へと進みましょう。

2018年8月26日日曜日

人は、真(まこと)の道を歩まなければなりません。
真の道こそが人生の目的であり、幸福と豊かさへと通じています。
真の道を歩むことなく、人生の目的を果たすことは出来ません。
そして、幸福と豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、真の道を歩まなければなりません。
真の道とは、自分の道です。
自分とは、この世界に唯一の存在です。
あなたという存在は、この世界に唯一の存在なのです。
この世界に唯一の存在を真というのです。
真の道とは、あなた自身の道のことです。
あなたが自分の人生を生きることによって、真の道を歩むことが出来るのです。
すべての人は、役割を以(もっ)て生まれます。
それは、唯一の役割なのです。
人は、自分に与えられた役割を果たし、世界に貢献しなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、自分を見失っています。
多くの人は、偽りの道を歩んでいるのです。
多くの人は、誰かを真似(まね)ています。
それが、真の道だと思い込んでいるのです。
多くの人は、誰かの道を自分の道と思い込んでいるのです。
そのため、人生には空しさが募(つの)ります。
多くの人は、生きる程に空しさを覚えるのです。
それは、真似ることによって、真の道から遠ざかってしまうからです。
偽りの道を進む程に、人は、自分自身が分からなくなってしまうのです。
人生とは何ですか?
自分とは何ですか?
あなたは、これ等の問いに答えることが出来るでしょうか?
多くの人は、これ等の問いに見当すら付きません。
それは、多くの人が人生や自分について、深く考えることをしないからです。
多くの人は、自分以外の誰かと向き合っています。
それでは、人生と自分について答えることが出来ないのです。
大切なのは、真の道を歩むことです。
あなたは、唯一の道を歩まなければならないのです。
唯一の道とは、自分の人生のことなのです。
あなたが自分の人生を生きれば、それは唯一の道を歩むことになります。
唯一の道を歩むということは、真の道を歩むということなのです。
あなたは、自分自身と向き合わなければなりません。
誰かを真似たところで、真の道を歩むことは出来ないのです。
自分自身と向き合うということは、自分自身を受け入れるということです。
良しも悪しも受け入れることが、自分自身と向き合うということなのです。
あなたは未熟です。
長所があり、短所があります。
それ等は、あなたを築く大切な特徴であるのです。
それ等を受け入れなければ、自分自身を知ることは出来ません。
自分自身を知ることが出来なければ、真を知ることも出来ないのです。
多くの人は、自分を知らず、真を知りません。
そのため、空しいことを続けています。
真の道に存在しないことは、空しさを導くのです。
多くの人は、真の道を知りません。
そのため、生きる程に空しさは募るのです。
不特定多数の誰かと向き合っていても、幸福や豊かさは実現しません。
あなたは、この世界で唯一の存在である自分自身と向き合わなければならないのです。
多く溢れているものよりも、唯一のものの方が価値があります。
自分の人生とは、この世界のおいて唯一のものです。
あなたの人生には、価値があるのです。
あなたには、その価値が分からないかも知れません。
しかしながら、幸福と豊かさを得るためには、自分の人生を生きなければなりません。
あなたは、自分を大切にしましょう。
自分を知ることによって、真を知ることが出来ます。
真を生きることによって、人生に幸福と豊かさを実現することが出来るのです。
自分という大切な存在を見失ってはなりません。
真は、最も身近なところに存在しているのです。
外にそれを探してはなりません。
内に存在する真に気付きましょう。



2018年8月25日土曜日

道草

人は、人生に目的を以(もっ)て生まれました。
人は、無意味に生まれたのではありません。
目的を果たすことが求められているのです。
誰一人として、目的の無い人生を生きてはいません。
すべての人が、人生に目的があるのです。
しかしながら、それを見失っている人が多いのです。
人生には目的が存在していますが、それを見失い、空しく生きている人が多いのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
それは、辿り着くべき目的地を見失っているようなものです。
目的地を見失えば、そこへ続く道を見失うことになります。
目的地を知らなければ、道を知ることは出来ないのです。
多くの人は、目的地を見失い、道を見失うことによって、空しく生きています。
人生に目的を見出すことが出来ずに、惰性的(だせいてき)に生きているのです。
多くの人は、目の前の欲望や快楽を貪(むさぼ)ります。
それは、それ以外の生き方を知らないからです。
多くの人は、目の前の欲望や快楽を貪るような生き方が、幸福や豊かさに結び付くと思い込んでいるのです。
あなたは、人生の目的が、目の前の欲望や快楽を貪るようなことだと思いますか?
そのように安易で、幼稚なことのために生まれたと思いますか?
残念ながら、人生の目的は、目の前の欲望や快楽を貪ることではありません。
人生の目的は、そのように安易で、幼稚なものではないのです。
人生の目的地は、より本質的なものであるということを理解しなければなりません。
本質とは、とても深い場所にある理(ことわり)です。
それは、あなたからはとても遠い場所に存在しているのです。
あなたは、理へと辿り着かなければならないのです。
人生の目的は、理を得ることであり、理を生きることです。
空しく生きるために生まれたのではありません。
あなたは、価値のある存在なのです。
あなたは、自らの価値を軽んじてはなりません。
目の前の欲望や快楽を貪る生き方は、自らの価値を軽んじている生き方なのです。
人生とは、そのように空しいものではありません。
人生は、言葉では言い表すことの出来ないとても素晴らしいものなのです。
決して空しいものではないのです。
現状のあなたから見て、目的地は遠くに存在しています。
あなたは遠くに存在する目的地へと辿り着かなければならないのです。
目の前の欲望や快楽に満足していてはならないのです。
あなたが目的地へと辿り着くためには、目の前の欲望や快楽を貪ることに満足していてはならないのです。
あなたは、遠くに存在する目的地を見据(みす)えましょう。
目的地へと辿り着く必要性を見失ってはならないのです。
あなたが目の前の欲望や快楽を貪らないためには、志(こころざし)を持つ必要があります。
志を持たなければ、理を知り、目的地へと向かうことは出来ません。
志を持たなければ、人は、目の前の欲望や快楽に溺れてしまうのです。
その道草は、あなたに本来の道を忘れさせます。
道草は、あなたの道を奪うのです。
目的地は遠いのです。
目の前の欲望や快楽を貪ることなく歩みましょう。
安易に目的地へと辿り着くことが出来るなどと考えてはなりません。
そのような幼稚な発想によっては、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
人生が思い通りに展開するなどと考えてはなりません。
安易であり、幼稚なことで人生に満足を得ることは出来ません。
空しいことのために生まれたのではありません。
目の前の欲望や快楽がもたらすのは、満足ではありません。
それは、空しさなのです。
遠くの目的地を見据えて、目の前の一歩一歩の歩みを慎重に行いましょう。
簡単に、人生に満足することは出来ません。
簡単に、人生が豊かになることはありません。
簡単に、人生に幸福を覚えることはありません。
簡単に、人生を生きることは出来ないのです。
道を見失わないように注意しましょう。
志によって、欲望や快楽を退(しりぞ)けましょう。
目的地を見失わないように歩みましょう。

2018年8月24日金曜日

結実の価値

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を豊かに生きなければなりません。
誰かが、あなたの代わりに人生を生きることは出来ません。
誰も、あなたの代わりにあなたの人生に豊かさを実現することは出来ないのです。
あなたは、自分自身によって人生に豊かさを実現しなければならないのです。
人生とは、選択です。
あなたは、自らの選択によって人生を築いているのです。
人生が豊かさを実現するにしても、乏しさを実現するにしても、それはあなたの選択によって決められることなのです。
あなたは、選ばなければなりません。
人生をどのようなものにするかは、あなたが決めることなのです。
豊かさに繋がる道を選択すれば、あなたは豊かな人生に辿り着くことが出来るでしょう。
乏しさに繋がる道を選択すれば、あなたは乏しい人生に辿り着くことになるのです。
どのような選択をしても、それは、あなたの自由です。
選択に良し悪しはありません。
どのような選択にも意味があり、それは学びであるからです。
しかしながら、あなたが豊かな人生を必要としているのであれば、豊かさに繋がる道を選択する方が良いでしょう。
それは、人生には、時間が限られているからです。
あなたは、限られている時間の中で、豊かな人生を実現させなければならないのです。
しかしながら、焦る必要はありません。
焦る必要はありませんが、時間を大切に扱うことを学ばなければならないのです。
道を誤れば、それだけ目的地へと辿り着くことが遅れるのです。
あなたは、注意深く選択しなければなりません。
価値の低いものは大量に溢れています。
そして、それは容易に手に入れることが出来ます。
価値の低いものが容易に手に入れられるからといって、安易に選択していれば、道を誤ることになります。
あなたが人生に豊かさを必要としているのであれば、価値の高いものを手に入れなければならないのです。
価値の高いものこそが、あなたの人生に豊かさを実現するのです。
しかしながら、価値の高いものを手に入れることは容易ではありません。
なぜなら、価値の高いものは少量であるからです。
少量であるからこそ、価値が高いのです。
あなたの人生に対して、価値の高いものは多くはありません。
それは、あなたの人生がこの世界に一つだけのものだからです。
特別な人生には、特別な選択が必要なのです。
特別な選択とは、自分の人生に対して価値の高い選択です。
残念ながら、多くの人は、乏しさを生きています。
それは、多くの人が容易に手に入れることの出来る価値の低い選択によって”満足”しているからです。
それは、偽りの満足です。
価値の低いものでは、決して満足することは出来ません。
価値の低いもので満足しようとすれば、自分を偽らなければならないのです。
価値の低いものは、後の苦しみです。
その時は良いように思えますが、後には悪いことを知るのです。
あなたは、価値の高いものを求めなければなりません。
価値の高いものを手に入れることは難しく、それは、その時には悪いように思えますが、後には良いことを知るでしょう。
価値の高いものは、後の幸せなのです。
人生において重要なのは、結実の姿です。
美しい花を咲かせる植物も、毒を実らせるのであれば価値は低いのです。
醜い花を咲かせる植物であっても、薬を実らせるのであれば価値は高いということなのです。
花の美しさよりも、果実で判断する必要があるのです。
花は賞(め)でるだけですが、果実は腹に収めなければならないのです。
毒と薬のどちらを飲めば良いか?あなたには分かるでしょうか?
毒は価値が低く、乏しさを導きます。
薬は価値が高く、豊かさを導くのです。
深く考えて選択しなければなりません。
これは、あなたの人生です。
容易に手に入れられるもので、偽りの満足を楽しんではなりません。
手に入れることが難しくても、価値を求めましょう。
目の前の快楽よりも、後の幸福を求めなければなりません。
それが、人生を豊かにする方法なのです。

2018年8月23日木曜日

遠くのものは良く見える

人生とは、一歩一歩の積み重ねに過ぎません。
あなたの一つ一つの選択によって、人生が築かれるのです。
あなたは、人生というものが地道なものであることを理解しなければなりません。
残念ながら、多くの人は人生が地道なものであり、一歩一歩の積み重ねであることを知りません。
多くの人は、人生には思い掛けない幸運が導かれると期待しています。
人生には、"奇跡"や偶然が存在し、それが自分に訪れると思い込んでいるのです。
残念ながら、人生には、幸運も"奇跡"も偶然も存在しません。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
因果を無視して何かが起こるということは無いのです。
一歩を踏み出せば、あなたは一歩前に進むことが出来ます。
更に一歩を踏み出せば、二歩前に進むことが出来るのです。
一歩が二歩になることはありません。
二歩が十歩になることもないのです。
一歩は一歩であるということを覚えておかなければなりません。
一歩を踏み出しても、景色は変わりません。
実際には変わっているのですが、あなたには、それを認識することは難しいのです。
二歩前に進んだところで、景色の変化を感じることは難しいでしょう。
それは、十歩進んだところで同じかも知れません。
しかしながら、百歩を積み重ねれば、誰でも景色の変化に気が付くのです。
人生に一歩を踏み出すことは簡単なことではありません。
人生に一歩を踏み出すというのは、自分自身を変化、成長させるということだからです。
人が変化、成長することは難しいのです。
なぜなら、多くの人は変化を恐れているからです。
多くの人は変化することを恐れ、一歩を躊躇(ちゅうちょ)します。
それは、人生が地道な一歩一歩の積み重ねであることを知らないからです。
一歩を踏み出さなければ、人生は決して変わりません。
一歩を踏み出すことが出来るのは、あなたの意思だけなのです。
あなたが一歩を踏み出さなければ、一歩を進めることは出来ないのです。
幸運も"奇跡"も偶然も存在しません。
それ等に期待することは出来ないのです。
どのような現状であったとしても、そこから一歩を踏み出さなければならないのです。
人生を築くのは、あなたの意思です。
あなたは意思によって、どのような現状からでも人生を変えることが出来るのです。
あなたが、それを実行するのです。
遠くのものは良く見えます。
しかしながら、それも近付けば近くにあったものと同じです。
遠くの花畑も、近付けば土と虫で溢れています。
遠くの良く見えるものに思いを馳(は)せることによって、目の前の一歩を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
夢や希望、理想を生きてはなりません。
あなたが生きるべきは現実なのです。
何よりも美しく輝く夜空の星に手を伸ばすことよりも、自らの歪んだ心に触れることの方が重要なのです。
遠くの良く見えるものに手を伸ばしても、人生が豊かさを得ることはありません。
その時、あなたは立ち止まっているからです。
大切なのは、一歩を積み重ねることによって、人生を変えることなのです。
近くのものは悪く見えても、実際には良いものです。
遠くのものは良く見えても、実際には良いものだとは言えないのです。
遠くに見える雪山は良いものですが、そこに豊かさを期待することは出来ません。
あなたは一歩一歩を地道に積み重ねましょう。
人生を豊かなものにする方法は、他を探しても見付かりません。
豊かな人生を生きている人も、地道に一歩一歩を積み重ねた過去があるのです。
豊かな現状だけを切り取って考えてはならないのです。
豊かな人生を生きている人が、地道に一歩一歩を積み重ねたということを忘れてはなりません。
地道な一歩一歩の積み重ねも、方向性さえ間違っていなければ、最善の近道であるということを理解しましょう。
狡猾(こうかつ)に歩んではなりません。
それは、豊かさを遠くしてしまうからです。



2018年8月22日水曜日

ブレーキ

すべての人は、幸福を求めています。
誰もが、自分の幸福を追い求めているのです。
あなたは、幸福を実現しなければなりません。
人が人生を幸福に生きることは、生まれた義務でもあるからです。
人は、幸福に生きるために生まれたのです。
あなたは、幸福を食い止めてはなりません。
あなたは、幸福を実現しなければならないのです。
しかしながら、多くの人は、幸福を実現する方法を知りません。
多くの人は、幸福を求めながらも、それを実現する方法を知らないのです。
そのため、幸福の実現を妨げるような選択を繰り返しているのです。
幸福とは、決して自分にとって都合の良いことの集積ではありません。
自分にとって都合の良いことが積み重なれば、それは、大きな偏りを築くことになるのです。
自分に都合の良いことが積み重なれば、それは偏っているために崩壊します。
それは、大きな危険と問題を引き起こすのです。
多くの人が追い求めている幸福とは、大きな危険であり、問題であるということを覚えておかなければならないでしょう。
残念ながら、あなたが求めているのは幸福ではありません。
幸福のように見える大きな危険や問題であるのです。
そのため、幸福を求める多くの人は、苦しみを抱えているのです。
すべての人が幸福を求めているのに、幸福を実現している人は少ないのです。
あなたは、そのような状態に疑問を抱かなければならないのです。
この世界では、すべての人が幸福を実現することが出来ます。
それは、すべての人が特別な役割を与えられたからです。
この世界では、すべての人が幸福を実現することが出来るように作られているのです。
幸福を得られないというのであれば、それは、自分自身に問題があるということなのです。
誤解や偏見によって、人は幸福を見失っているのです。
幸福とは、決して偏っているものではありません。
それは、自分にとっての都合に左右されるようなものではないのです。
自分にとっての都合が良いことも、悪いことも含めて幸福なのです。
良いことだけでは幸福は得られません。
もちろん、悪いことだけでは幸福は得られないのです。
良いことと悪いことが調和した状態こそが幸福なのです。
例えば、自動車はアクセルだけで目的地へと辿り着くことは出来ません。
アクセルだけでは、必ず事故を起こしてしまうのです。
多くの人が求める、自分にとっての都合の良いものを求めるのは、アクセルだけで自動車を運転するようなものなのです。
それが、いかに危険なことか?、いかに問題を引き起こすか?の想像は付くでしょう。
自動車を安全に目的地へと辿り着かせるためには、ブレーキが必要不可欠なのです。
ブレーキが働かなければ、道を曲がることすら出来ないのです。
人生におけるブレーキとは、苦しみです。
あなたが幸福を得るためには、苦しみの働きが必要不可欠なのです。
苦しみは、ブレーキの役割を担います。
ブレーキは、減速するために必要不可欠な道具なのです。
ブレーキが無ければ、どのような自動車も、道を曲がることが出来ないのです。
どのような自動車も、減速しなければ曲がることは出来ません。
ブレーキは、自動車が目的地へと辿り着くためには、必要なものです。
苦しみとは、決して悪いものではありません。
なぜなら、人は苦しみによって改めるからです。
苦しみがなければ、人は何かを改めることはありません。
残念ながら、すべての人は未熟なのです。
人は正解を知りません。
そのため、何度も失敗を重ねる必要があるのです。
それは、ブレーキを踏むことによって減速し、曲がることが出来るようになるためです。
苦しみを都合の悪いものとして考えてはなりません。
苦しみによって、あなたは自らを改めることが出来るのです。
苦しみを悪いものとして扱ってはなりません。
光だけでは、実像を把握することは出来ません。
それは、輪郭(りんかく)が消滅してしまうからです。
光の中に影があれば、そのこに輪郭が生まれるのです。
光と影が協力することによって、幸福が輪郭を現すのです。
あなたの考えている幸福は、幸福ではありません。
苦しみを蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
苦しみがなければ、あなたは幸福を得ることが出来ません。
苦しみを嫌ってはなりません。
苦しみをも力に変えましょう。



2018年8月21日火曜日

自分の道

あなたは、道を歩まなければなりません。
人は、誰もが自分の道を以(もっ)て生まれます。
人は、自分の道を歩み、目的地へと辿り着かなければならないのです。
人生は、目的地へと辿り着くことを目的とした道のりなのです。
すべての人が目的を以て生まれます。
そして、すべての人が目的地を目指さなければならないのです。
なぜなら、目的地にこそ、幸福が存在しているからです。
すべての人が幸福を求めます。
しかしながら、多くの人は満たされません。
多くの人は、空しさを抱えながら生きているのです。
それは、目的を見出し、目的地へと向かって歩みを進めてはいないからです。
自分の道を歩むことがなければ、何を得ても空しさが襲うのです。
自分の道を歩む以外の方法によって、満足を得ることは出来ません。
自分の道を無視して、欲望に従って快楽を宛(あ)てがっても、あなたが満足することはないのです。
自分の道を歩む以外には、満足を得る方法は無いということを理解しなければならないのです。
多くの人は、自分の道を見失っています。
そのため、欲望に従って快楽を貪(むさぼ)ることしか出来ないのです。
自分の道を見失っている人は、偽りの満足によって、自分を騙し続けなければならないのです。
それは、とても辛い道なのです。
残念ながら、辛い道を歩んだとしても、満足を得ることは出来ません。
辛い道を歩むのであれば、多くの苦しみを得なければならないのです。
あなたが歩まなければならないのは、自分の道です。
それは、人生の目的に従った道なのです。
欲望に従った道ではないのです。
多くの人は、欲望に従って道を進みます。
不安や心配などの破滅的な感情も欲望です。
あなたが、自分の道を進むためには、欲望を超越しなければならないのです。
あなたは、自分が生まれた意味を考えなければなりません。
それは、欲望を超越した考えです。
人は、欲望を貪るために生まれたのではありません。
なぜなら、どれだけの欲望を貪ったとしても、決して人生を満足することは出来ないからです。
正しい道とは、満足することの出来る道です。
満足することがなければ、正しい道を進んではいないということなのです。
あなたは、辛く、厳しい道のりであっても、満足することの出来る道を進みましょう。
苦しくても満足することの出来るのが、自分の道であるのです。
多くの人は、苦しみの中に満足を見出すことが出来ません。
それは、自分の道を見失っているからです。
あなたは、道を見失っている者と共に歩もうとしてはなりません。
それは、同じように道を見失ってしまうからです。
残念ながら、自分の道は自分で見出さなければなりません。
それは、誰一人として、あなたの道を知りはしないからです。
人は、弱い存在です。
誘惑は避けられません。
人は、欲望に従い、快楽へと歩みを進めることによって道を見失います。
残念ながら、あなたには、道を見失った人を立ち直らせることは出来ません。
あなたには、他者を変えることは出来ないのです。
自分を変えられるのは、自分だけなのです。
あなたに出来ることは、自分の道に歩みを進めることだけです。
他者の道を決めることも、思い通りに操ることも出来ないのです。
あなたは、独りで歩まなければなりません。
道はそれぞれに分岐(ぶんき)しているのが自然なのです。
あなたに決められるのは、自分の歩みだけです。
あなたは、自分の道を歩まなければなりません。
道を見失っている者と、共に歩んではなりません。
道を見失っている者と共に歩めば、意見の対立によって、あなたも道を見失ってしまうのです。
人が弱い存在であることを忘れてはなりません。
道を見失っている者と共に歩むよりも、独りで歩む方が良いことを理解しなければなりません。

2018年8月20日月曜日

必要は必要

人生は、必要を満たすための学びです。
すべての人は、自らの必要を満たさなければなりません。
必要を満たすことがなければ、人生が展開することは出来ないのです。
すべての人は、人生の展開を望んでいます。
すべての人は、より良い人生を求めているのです。
幸福を求めている人は、より良い幸福を求めます。
しかしながら、多くの人は、人生の展開を得られずにいるのです。
多くの人は、人生の展開を得られずに苦悩しています。
多くの人にとって、人生は苦しく、悩ましいものなのです。
苦悩を離れるためには、人生を展開する必要があります。
人生が展開することによって、人は苦悩を離れることが出来るのです。
大切なのは、人生を展開させることです。
人生を展開させなければ、現状の苦悩に停滞しなければならないからです。
人が人生に展開を求めるのは、苦悩を離れ、より良い人生を欲しているからなのです。
あなたも、苦悩を離れ、より良い人生を欲していることでしょう。
そのためには、必要を満たすことが求められるのです。
必要を満たさなければ、次の展開は実現しません。
必要とは、目の前に導かれる学びを習得することです。
それが、必要なことなのです。
多くの人は、目の前に導かれる学びを受け入れることが出来ません。
自分にとって都合の良いことを選別し、受け入れます。
しかしながら、自分にとって都合の悪いことは受け入れることをしないのです。
それでは、必要を満たすことは出来ません。
必要は、あなたの都合に左右されるようなものではないからです。
あなたにとっての必要は、自分にとって都合の良し悪しに関係のないものなのです。
目の前に導かれる学びは、それがどのようなものであったとしても、あなたにとって必要であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、学ぶ必要があるのです。
それは、未熟に生まれたからです。
必要とは、未熟さを克服するための学びなのです。
あなたは、自らの未熟さを克服するために必要を学ばなければならないのです。
あなたが必要を学べば、未熟さを克服することが出来ます。
それは、豊かな人生を得るためにどうしても必要な過程なのです。
都合の良い悪いに関わらずに必要を学べば、あなたは未熟さを克服し、成長を実現することが出来ます。
成長することこそが、人生を豊かなものにするための必要なのです。
あなたは、人生を豊かに生きる必要があります。
すべての人は、人生を豊かに生きるべきなのです。
すべてを受け入れる必要はありませんが、否定や拒絶によって必要が満たされることはありません。
不平不満を連ねていても、あなたが成長することはないのです。
人生においての必要とは、成長することです。
あなたが必要としているのは、豊かな人生なのです。
成長するための選択を必要と考えましょう。
人生が豊かなものとなる選択が必要なのです。
人は、それぞれの必要を必要としています。
必要は、都合の良し悪しには関係しません。
残念ながら、あなたは必要を食い止めることは出来ません。
雨雲が来ることを食い止めることが出来ないように、必要を食い止めることは出来ません。
雨雲は、あなたの都合に関係なく訪れ、あなたの都合に関係なく雨粒を降らせます。
あなたが雨を受けるのであれば、それが必要なことです。
雨を否定する必要はありません。
あなたは、雨に対処すれば良いのです。
雨に対処することによって、それを良い結果へと結び付ければ良いのです。
雨に打たれることを嫌っていても、雨が降らなければ乾いてしまいます。
雨は、あなたの都合に関係なく必要です。
人は、必要を必要としているのです。
安易に否定してはなりません。
都合によって良し悪しを決めてはなりません。
あなたは未熟であり、何も知らないのです。
何が良く、何が悪いかも分からないのです。
目の前の状況を学びとして考え、必要を見出しましょう。
そうすれば、あなたは成長を実現することが出来るのです。
人生は、必要を満たすための学びです。
あなたは、必要を満たさなければなりません。
必要を必要としましょう。
必要を得るまでは人生が展開することはなく、満たされないということを覚えておかなければなりません。



2018年8月19日日曜日

歩みを改める

人は、惰性(だせい)によって豊かさを実現することは出来ません。
それは、真っ直ぐに歩んでいれば、目的地へと辿り着くことが出来ると考えるようなものだからです。
この世界においては、目的へと辿り着くためには、道に従って歩まなければなりません。
道は、決して真っ直ぐには作られていません。
道は曲がり、目的地へと真っ直ぐに繋がっている訳ではないのです。
あなたが目的地へと辿り着くためには、道に従って方向を改めなければなりません。
道が右に曲がっていれば、右に歩みを改めなければならないのです。
あなたの辿り着くべき目的地には、真っ直ぐに歩んで辿り着くことは出来ません。
右に左に歩みを改めなければ、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
残念ながら、多くの人は惰性的に生きています。
多くの人は、歩みを改めることなく、真っ直ぐに歩み続けているのです。
それは、歩みを改めるのを恐れているからです。
歩みを改めることは、未知への挑戦です。
人は、歩みを改める時に、歩んだことのない未知を歩まなければなりません。
多くの人にとって、それは恐ろしいことなのです。
そのため、多くの人は、惰性によって真っ直ぐに歩もうとするのです。
しかしながら、真っ直ぐに歩んだところで、目的地へと辿り着くことは出来ません。
惰性的に生きることは、決して豊かさを実現しないのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、歩みを改めなければなりません。
いつまでも、同じ道を真っ直ぐに歩んでいてはならないのです。
それは、道を真っ直ぐに歩もうとしても叶わず、壁に行き詰まってしまうからです。
それは、停滞をもたらします。
停滞によって導かれるのは乏しさです。
血流が滞れば、細胞は死滅してしまいます。
呼吸が止まれば、命を失ってしまうのです。
残念ながら、停滞が豊かさを導くことはありません。
道を真っ直ぐに歩むことは、決して人生を豊かにはしないのです。
あなたは、道を真っ直ぐに歩んではなりません。
なぜなら、あなたが道を歩み始めた時には、より未熟であったからです。
より未熟であった自分が定めた方向性が、あなたを目的地へと辿り着かせることはありません。
歩みを改めることによって、あなたはより良い方向性を定めることが出来るのです。
次の歩みの方が、前の歩みよりも優れています。
あなたが歩みを改める程に、目的地へと辿り着く可能性は高まるのです。
惰性的に生きることは、恐れを忘れることが出来ます。
未知を無視することによって、人は恐れを忘れることが出来るのです。
恐れを忘れて生きることは、決して豊かな道ではありません。
豊かな道には、恐れも必要なのです。
陰陽のすべてを受け入れることによって、豊かさが得られます。
しかしながら、恐れを否定するのであれば、豊かさは得られないのです。
あなたは、恐れを受け入れ、歩みを改めましょう。
それは、退屈な日々からあなたを救い出すでしょう。
壁によって生じる問題や苦しみから、あなたを解放するでしょう。
歩みを改めることは、人生を豊かに生きることの基本です。
歩みを改めることがなければ、人は乏しさを生きなければならないのです。
”当たり前”が良いと思い込んではなりません。
次々に”当たり前”を覆(くつがえ)さなければならないのです。
そうすれば、あなたは未知の恐れと共に、未知の楽しみを得ることが出来るでしょう。
退屈から豊かさを得ることは不可能です。
しかしながら、未知の恐れと楽しみからは、豊かさを得ることは可能なのです。
それは、そこに可能性が存在しているからです。
人生を豊かにするためには、可能性に従わなければなりません。
惰性に従うことは、可能性を否定しているようなものなのです。
真っ直ぐに歩む者には恐れと楽しみと可能性がありません。
それは、空しい人生なのです。
実りある人生とは、恐れと楽しみと可能性の存在する人生のことです。
あなたは、恐れずに歩みを改めましょう。
そうすれば、目的地へと辿り着き、人生に豊かさを実現するでしょう。



2018年8月18日土曜日

歪な球

人生とは、考え方の証明です。
人は、自らの考え方を人生として体験しなければなりません。
それは、あなたが自分自身の考え方を理解するためです。
あなたは、自らの考え方を理解する必要があるのです。
それは、人生の目的が成長することであるからです。
人が成長するということは、その考え方が洗練されるということです。
考え方が、本質へと近付くことによって、人は成長することが出来るのです。
考え方が本質的でなければ、それに比例して成長も乏しいということなのです。
成長に応じて、人生には課題が生じます。
人生は、その人に相応しい学びを導くのです。
あなたの目の前の状況は、あなたが学ぶべき課題です。
それは、多くの場合、問題として導かれるのです。
残念ながら、人生は気楽なものではありません。
人生とは、厳しく、苦しいものなのです。
あなたは、人生において、厳しさと苦しみを避けることは出来ません。
あなたは、厳しく苦しい道を歩まなければならないのです。
それは、あなたが未熟であるためです。
残念ながら、優しく諭(さと)されても、あなたが自らの考え方を理解することは出来ません。
人生は、初めに優しく諭しますが、それが理解されないために、厳しく苦しい教えを導かなければならないのです。
優しく諭した時に、あなたが理解するのであれば、それ以上のことはしません。
しかしながら、理解されることがなければ、より強く伝える必要があるのです。
そのために、人生は、厳しく苦しいものになってしまうのです。
あなたは未熟です。
そのため、人生が気楽なものでないことを覚悟しましょう。
覚悟があれば、厳しく苦しい学びを受け入れることも出来るのです。
残念ながら、幸福は容易ではありません。
それは、あなたの考え方が本質的でなく、大きく歪んでいるからです。
幸福を実現するためには、考え方を本質へと近付ける必要があります。
本質とは、理(ことわり)のことです。
あなたの考え方が、理に近付くことが重要なのです。
残念ながら、人は不自然な存在です。
理とは、自然のことなのです。
人の考え方は歪んでいて不自然です。
残念ながら、それが普通なのです。
そのため、人の考え方は多くの問題を引き起こしてしまいます。
それが、あなたの抱える現状なのです。
考え方が不自然に歪んでいれば、円滑(えんかつ)に事は運びません。
それは、歪な球のようなものだからです。
歪な球は、思うようには転がって行きません。
それは、思いも寄らない動きをして、思いも寄らない場所で止まるのです。
それでは、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
多くの人の人生が、歪な球と同じように動いています。
多くの人は、人生の目的を知らず、目的地とはかけ離れた場所を生きているのです。
それは、乏しい人生なのです。
人は、豊かな人生を生きるために生まれました。
あなたは、豊かな人生を生きなければならないのです。
豊かな人生を生きるためには、考え方を理へと近付ける必要があるということを覚えておきましょう。
未熟な考え方に止めてはなりません。
あなたは、常に考え方を見直さなければならないのです。
そのために、人生があるのです。
人生は、あなたの考え方を証明します。
あなたの考え方に無関係な事柄が、導かれることはありません。
あなたは現状から、自らの考え方を理解しましょう。
そして、それを改めましょう。
偶然や”奇跡”を待っても、そのようなものは起こりません。
考え方を変えることによって、選択肢を変えましょう。
選択肢を変えることによって、行為を変えましょう。
行為を変えることによって、現状を変えるのです。
人生を変えるのは、あなたの考え方です。
考え方を改めることなく、人生の展開はありません。
人生に展開を求めるのであれば、考え方を改めることに努めましょう。
人生が変わること、状況や環境や他者が変わることを望んではなりません。
そのような願いは決して実現しないからです。
自らの考え方を改めることによって、人生を改めましょう。

2018年8月17日金曜日

空しい道

すべての人の人生には、重要な目的が存在しています。
目的の無い人生は存在しません。
どのような人生にも、目的が存在しているということを理解しなければなりません。
しかしながら、人生の目的は隠されているのが自然です。
誰も、人生の目的を知らないのです。
すべての人は、人生の目的を見出さなければなりません。
目的が何であるかを知らなければ、目的を果たすことは出来ないのです。
目的を見出すためには、目的を探さなければなりません。
探さない者には見出すことは出来ません。
目的を探さない者には、進むべき道が見えないのです。
進むべき道が見えない者は、目の前の快楽や苦悩に従う以外に選択肢はありません。
残念ながら、多くの人は、目の前の快楽や苦悩に従っているのです。
快楽や苦悩に時間や労力を費やしても、得られるのは空しさです。
なぜなら、快楽や苦悩は自分勝手な行為に過ぎないからです。
快楽や苦悩に従ったところで、人が貢献することは出来ません。
貢献することが出来なければ、空しいのです。
目的を見出すことのない人は、空しい道を歩まなければなりません。
それは、決して満足の得られない道です。
どれだけ歩んでも満たされることはないのです。
快楽や苦悩に終わりはありません。
快楽や苦悩を満足することは出来ないのです。
あなたは、そのことを覚えておかなければなりません。
大切なのは、人生の目的を見出すことです。
あなたが豊かな人生を必要としているのであれば、人生の目的を探さなければなりません。
人生の目的を果たさない限りは、人生の豊かさを得ることは出来ません。
目的を見失ったまま生きてはなりません。
そのような状態を生きても、決して満たされることはないのです。
人生の目的とは、あなたが一心に打ち込むことの出来ることです。
一心に打ち込んで成長し、貢献することの出来るもののことなのです。
貢献することこそが、大切なことです。
あなたが一心に打ち込んで成長したことが、誰かや何かの役に立つことが求められるのです。
自分のために生きることは、人生の目的ではありません。
人は、自分のために生まれたのではないのです。
あなたは、誰かや何かのために生まれました。
誰かや何かのために貢献することが目的なのです。
あなたのことは、誰かや何かが貢献することによって助けてくれます。
自分のことを心配することなく、誰かや何かのために貢献しましょう。
この世界においては、直接的に何かが返ることはありません。
あなたが誰かに何かを施(ほどこ)したとしても、その人から直接的に何かが返るとは限りません。
しかしながら、因果は確実に実現するのです。
あなたの貢献に相応しいものが、必ず返るということを覚えておきましょう。
しかしながら、あなたには、時を選ぶことは出来ません。
それは、あなたには、最善の時が分からないからです。
最善の時は、人生が知っています。
そのため、思ったように返らないからといって、自棄(やけ)を起こしてはなりません。
返らない時には、蓄積(ちくせき)されているのです。
人生が、因果を忘れることはありません。
あなたの施しは、確実に返るということを覚えておきましょう。
一心に打ち込めることを探しましょう。
あなたには、やりたいことがあるはずです。
それをやれば良いのです。
やりたいことが見付からないというのであれば、好きなことを探しましょう。
あなたは、好きなことをやりたいはずだからです。
無意味に生まれた人はいません。
すべての人が目的を以(もっ)て生まれました。
あなたには、それを果たすことが出来るのです。
目的以外のことを果たすことは出来ませんが、目的を果たすことは出来るのです。
どれだけの時間と労力を掛けても、人生の目的を探しましょう。
人生の目的は隠されています。
そのため、容易に見付けることは出来ません。
あなたは、辛抱強く探しましょう。
快楽や苦悩に満ちた、空しい道を捨てましょう。

2018年8月16日木曜日

豊かさを招く

人生にとって重要なことは、豊かに生きることです。
豊かに生きるというのは、贅沢に暮らすことではありません。
豊かさとは、良いことも悪いことも十分であるということです。
良いことだけでは、豊かさではありません。
悪いことも十分になければ、豊かさではないのです。
大切なのは、良いことも悪いことも十分であることなのです。
すべてが満たされることこそが、豊かさであるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、豊かさを誤解しています。
多くの人は、良いものが多くあることを豊かさだと考えているのです。
贅沢に暮らすことでは、決して豊かさを得ることは出来ません。
人生に良いことしかなければ、それはやがて苦悩となってしまうのです。
日照りを喜ぶ人はいません。
それは、命を失うことであるからです。
雨が降らなければ、大地は焼かれ、川は干上がります。
例えば、良いことを求めるというのは、晴天を求めるということです。
晴天は気持ちが良いですが、雨が降らなければ、人は晴天を恨むようになるのです。
良いことだけを求めても、人生に豊かさが実現することはありません。
あなたは、悪いことも受け入れる必要があるのです。
心は、喜怒哀楽の感情が十分である時に安定します。
過剰や不足によっては、豊かさは得られないのです。
多くの人は、利己的に生きています。
多くの人は、有利や利益を求めます。
そして、不利や損失を否定するのです。
大切なのは、豊かさのためには、不利や損失も必要であると知ることです。
与えることがなければ、受け取ることは出来ません。
与えるというのは、不利や損失を受け入れるということでもあるのです。
不利や損失を受け入れることがなければ、与えることは出来ないのです。
豊かに生きるためには、不利や損失の重要性を理解しなければなりません。
人生においては、良いことばかりを集めることは出来ません。
それは、人生を乏しくするからです。
あなたの目的は豊かに生きることです。
良いことばかりを集めることは、人生の目的に反しているのです。
自分にとって悪いことには価値があります。
多くの人は、良いことだけに価値を見出しますが、それが偏見であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、自分の人生に対して責任感を持たなければなりません。
あなたは、自分の人生を生きなければならないのです。
他の人生が楽しそうだからといって、自分の人生を蔑(ないがし)ろにしてはなりません。
面白くなくても、それが自分の人生であれば、懸命に生きなければなりません。
楽しいことばかりを追い求めてはなりません。
あなたは、すべてには時があるということを知りましょう。
残念ながら、楽しいことだけを得ることは出来ません。
それは、時に従ってやがて楽しいことではなくなるからです。
楽しくないことは、時に従ってやがて楽しいことに変わります。
世界は、豊かさを求めています。
どのようなことも、十分に満たされようとしているのです。
それを人が食い止めているのです。
雨を受け入れるのであれば、恵みが得られます。
しかしながら、雨を受け入れないのであれば、多くを失うことになるのです。
それが不利や損失であろうとも、安易に否定してはなりません。
それは、豊かさを実現するために必要な要素だからです。
良いことだけを追い求めてはなりません。
楽しい時だけを求めるのであれば、偏りを得て歪むのです。
そのため、楽しい時と同じように、苦しい時を受け入れましょう。
十分にあるというのは、偏りが無いということです。
必要以上に良いことを求めてはなりません。
必要以上に悪いことを否定してはならないのです。
良いことも悪いことも大切に扱いましょう。
そうすれば、豊かさを招くことが出来るでしょう。
あなたは、豊かに生きましょう。

2018年8月15日水曜日

幸福に根差した選択

人は、自分の人生を生きなければなりません。
自分の人生とは、与えられた役割を果たすことです。
与えられた役割を果たすことによって、人は自分の人生を生きることが出来るのです。
与えられた役割を果たすことは重要です。
それは、与えられた役割を果たすことによって、幸福を覚えることが出来るからです。
人が幸福を得るためには、与えられた役割を果たさなければならないのです。
役割を果たすことなく、幸福を覚えることは出来ません。
責任を果たすことなく、誰も幸福を生きることは出来ないのです。
役割を果たすためには、役割を果たすための選択をしなければなりません。
役割を果たすための選択をしなければ、役割を果たすことは出来ないのです。
当たり前に生きていれば、与えられた役割を果たすことが出来るなどと考えてはなりません。
人生は、そのように都合の良いものではないのです。
残念ながら、与えられた役割を果たすことは、容易ではありません。
与えらえた役割を果たすためには、それに相応しい働きが必要なのです。
いい加減に歩んだとしても、目的地へと辿り着くことは出来ません。
目的地へと辿り着くためには、目的地へと向かって歩まなければならないのです。
残念ながら、”奇跡”は起きません。
偶然に、与えられた役割を果たすことなどないのです。
右に向かうためには、右を選ばなければなりません。
左に向かうためには、同じように左を選ばなければならないのです。
すべてが自分の選択です。
あなたは、人生を自分の足で歩まなければならないのです。
目的地へと辿り着くためには、道を選ばなければなりません。
道を選ぶということは、制限や諦める必要があるということなのです。
一方を諦めなければ、一方に向かうことは出来ません。
あなたは、一つの身体で、二つの道を行くことは出来ないのです。
一つの身体であるあなたは、一つの道を行かなければなりません。
目的地へと辿り着くためには、もう一方の道は諦める他ないのです。
あなたは、何もかもを手に入れる必要はありません。
必要だけを手に入れれば良いのです。
多くの人は、恐怖に駆(か)られて多くを求めます。
多くを求めるというのは、不要をも求めるということなのです。
余計な荷物を抱えて、目的地へと辿り着くことは出来ません。
目的地へと辿り着くためには、不要を手放さなければならないのです。
必要に従うことによって、あなたは目的地へと辿り着くことが出来ます。
必要とは、恐怖に根差すことのない喜びのことです。
それは、純粋な喜びなのです。
例えば、利益を度外視した仕事です。
多くの人は、恐怖に根差すことによって、利益を得るために仕事をします。
それは、利益のための仕事です。
人は、恐怖に根差すために、利益を求めるのです。
利益を目的とした仕事は、あなたの役割を果たすためのものではありません。
それは、あなたに与えられた役割というものが、恐怖に根差したものではないからです。
あなたに与えられたのは、幸福に根差した役割です。
あなたが役割を果たすことは、人生に幸福を実現するのです。
恐怖に従って道を選択してはなりません。
未来を恐れてしまえば、人は役割を果たすための道を選ぶことが出来ないのです。
役割を果たすことによって得られるのは幸福です。
あなたは、未来を恐れてはなりません。
恐れに従うことなく、人生を選択しましょう。
喜びに従って、やりたいことをやるのです。
自分で自分の道を選ぶのです。
自分で自分の人生を決めるのです。
あなたは、恐怖に根差した選択を手放しましょう。
恐怖に打ち勝ち、幸福に根差した選択を行う者だけが、人生に豊かさを得るのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分の役割を果たさなければなりません。
目的地へと辿り着かなければなりません。

2018年8月14日火曜日

考える

この世界は、理(ことわり)に従って展開します。
この世界が、理を無視することはありません。
この世界に人生を築くあなたは、理に従わなければなりません。
誰一人として、理を無視することは出来ません。
誰も、理に反することは出来ないのです。
あなたは、自分が理に従わなければならないということを覚えておきましょう。
理は、すべての存在に対して平等です。
理は、誰に対しても平等に働くのです。
あなたは、理によって優遇されることも、冷遇されることもありません。
それは、他者も同様なのです。
理は、その仕組みに従ってすべての存在を公平に裁(さば)くのです。
あなたは、自分が理によって公平に裁かれるということを覚えておきましょう。
この世界においては、当然の結果のみが導かれます。
それは、因果の仕組みが存在しているからです。
すべての結果は、それに相応しい原因に従って導かれるのです。
残念ながら、”奇跡”というものは存在しません。
この世界においては、原因の無いところには、結果が導かれないのです。
結果が導かれるところには、それに相応しい原因が存在しているということを理解しなければならないのです。
人生の原因とは、自分自身です。
あなたという原因によって、現状が築かれていくのです。
そのため、あなたの抱えている現状は、あなたが築いた、自分自身に相応しい状況であるということなのです。
身に覚えのない状況であろうとも、それが導かれているのならば、その原因はあなたが抱えているのです。
その状況は、他の誰でもなく、あなたの目の前に導かれたのです。
この世界には、意味の無いことは存在しません。
理が、無駄を導くことはないのです。
大切なのは、それを学ぶことです。
豊かさを実現するためには、価値を創造する必要があります。
残念ながら、何もせずに豊かさを得ることなど出来ないのです。
それは、豊かさというものが選択の結果だからです。
あなたは、未熟に生まれました。
あなたは無知であり、歪んでいるのです。
そのような者は、自ずと乏しさを選択するのです。
未熟者の選択は未熟です。
そのため、未熟者が豊かさを得るためには、考えて選択しなければならないのです。
欲求に従えば、人は乏しさを選択してしまいます。
残念ながら、多くの人は、欲望や快楽に溺れてしまうのです。
あなたは、周囲の人の人生を観察してみましょう。
考えて選択しない者の人生を見なければなりません。
そうすれば、この世界には”奇跡”などという幻想が存在しないと理解することが出来るでしょう。
自らを律(りっ)することは、とても重要です。
あなたは、理を無視してはなりません。
因果の仕組みを無視する者には、それに相応しい報(むく)いが導かれるのです。
あなたは、自らの選択が、人生に対してどのような結果を導くことになるか?と考えなければなりません。
大切なのは、理解力を育むことです。
この世界においては、理解力によって受け取るものが変わります。
同じ言葉であっても、理解力によって別の意味となるのです。
同じ行為であっても、理解力によって別の意図になるのです。
人は、異なった状況を受け取ります。
そして、異なった人生を生きるのです。
同じように生きても、豊かさは大きく異なります。
兄弟は、異なる人生を生きるのです。
豊かに生きる兄もいれば、乏しく生きる兄もいるのです。
人生は、自らの選択によって展開します。
人生が決められているということはありません。
人生は、あなたに相応しく展開するのです。
あなたが変わらなければ、人生が変わることはありません。
あなたが乏しい状態であれば、導かれる状況も乏しいものであり続けるのです。
選択を改めなければ、人生が改まることはありません。
何もせずに豊かさを得ることは出来ません。
あなたは深く考えて、豊かさを導くための選択をしましょう。
学ばなければなりません。
理解力を育むのです。
少しでも、考えて生きなければなりません。

2018年8月13日月曜日

先駆者は、群集に背を向けて歩む

これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分の人生とは、豊かな人生のことです。
あなたが自分の人生を生きる時、世界には豊かさが実現します。
豊かな人生こそが、自分の人生であるということを理解しましょう。
あなたが人生に対して、乏しさを覚えているのであれば、それは、自分の人生ではありません。
人生が乏しいというのは、人生の役割を果たしてはいないということです。
人は、それぞれに役割を与えられています。
そして、人は、それぞれの役割を果たすために生まれたのです。
人生は、役割を果たすことによって豊かさを得るということを覚えておきましょう。
大切なのは、役割を果たすことです。
役割を果たすことがなければ、人生の豊かさが実現することはないのです。
役割を果たすということは、自分の人生を生きるということです。
それは、自分の道を歩むということなのです。
役割は、それぞれが独自のものです。
役割を果たすためには、あなたは自分の道を歩まなければならないのです。
誰かと同じように歩んだとしても、役割を果たすことも、自分の人生を生きることも出来ません。
あなたは、独りで歩まなければならないのです。
人生に豊かさを必要とするのであれば、馴れ合いを捨て去り、自分の道を切り開かなければならないのです。
あなたが自分の道を切り開くためには、馴れ合いに背を向けなければなりません。
どのような道においても、豊かさを得るためには、先駆者にならなければなりません。
先駆者は、群衆に背を向けて歩みます。
群衆に背を向けて歩むために、人とは異なる結果である豊かさを得ることが出来るのです。
残念ながら、多くの人は乏しさを得ています。
多くの人は、人生を乏しいと感じているのです。
不安や不満を抱えているのは、人生が乏しいからです。
多くの人は、不安や不満によって馴れ合うのです。
それは、自分の道を捨てる選択であるということを知らなければなりません。
多くの人は、豊かさを求めながらも、乏しさを実現します。
多くの人は、矛盾を抱えているのです。
あなたが豊かさを実現したいと考えているのであれば、自分の人生の先駆者にならなければなりません。
あなたは、豊かさのために、群衆に背を向けましょう。
そして、自分の人生に向けて歩み始めましょう。
あなたは、孤独を友として、独りで歩まなければなりません。
あなたが独りで歩む時、群衆とは異なる力を得ることが出来ます。
それは、異なる視点であったり、異なる価値観であったり、異なる方法であったりするのです。
群衆と異なる選択によって、群衆と異なる結果を得るのです。
そうすれば、あなたは群衆のために貢献することが出来るようになるのです。
群衆の中にあって、同じように不安や不満を抱えているのであれば、それを解決することは出来ません。
現状における問題を解決するためには、現状から離れなければならないのです。
他者とは異なる視点や価値観や方法が必要なのです。
それ等は、自分の道に存在しています。
誰かの道に探す必要はありません。
あなたの人生、あなたの役割、あなたの豊かさは、他の誰とも同じ形ではありません。
それは、特別なものなのです。
特別なものには価値があります。
ありふれたものに価値を見出すことは困難です。
希少であるからこそ、価値が見出されるということを理解しなければならないのです。
あなたという存在は、この世界に一人しか存在しません。
それは、とても希少な存在であり、とても価値のあるものです。
自分という存在以上に希少であり、価値のある存在はありません。
あなたは、そのことを理解しなければならないのです。
自分の人生を生きることには価値があります。
しかしながら、多くの人はその価値に気が付くことが出来ません。
残念ながら、多くの人には価値を理解することが出来ないのです。
あなたは孤独を大切に扱いましょう。
人生は、孤独に生きなければなりません。
それは、他者に依存するのではなく、独立した個人として協力して生きるという態度のことなのです。
孤独に生きるとは、自分と向き合って生きるということだと理解しなければなりません。
決して、孤立して生きるということではないのです。
これは、あなたの人生です。
勇気を出して、自分の人生を歩みましょう。

2018年8月12日日曜日

住み処

あなたは、豊かな人生を生きなければなりません。
豊かさは、人それぞれに異なります。
人は、それぞれの豊かさを生きれば良いのです。
残念ながら、あなたには、あなたに相応しい豊かさの形が存在しています。
自分に相応しくない豊かさの形を無理にはめ込もうとしたところで、豊かさを得ることは出来ません。
形が当てはまらなければ、豊かさを得ることは出来ないのです。
それが、誰かにとっての豊かさであったとしても、あなたに当てはまるとは限りません。
誰かのように生きたところで、あなたが豊かさを得る可能性は低いということを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、豊かさというものが、共通していると思い込んでいます。
そのため、誰かの豊かさを真似て、豊かな人生を生きようとしているのです。
残念ながら、誰かの豊かさを真似ても、豊かな人生を生きることは出来ません。
自分の豊かさの形を見失い、不相応な豊かさの形を追い求めているのであれば、豊かな人生を生きることは出来ないのです。
魚は水中を住み処(か)とし、鳥は空中を住み処とします。
人は、自分の人生を住み処としているのです。
魚は空中を住み処としてはなりません。
鳥は水中を住み処としてはならないのです。
それは、乏しさを招くからです。
魚が空中を住み処とし、鳥が水中を住み処とすれば、命を失ってしまうでしょう。
命を失ってしまえば、豊かさを得ることは出来ないのです。
魚は水中を住み処とし、鳥は空中を住み処とすることこそが、豊かさを得る方法なのです。
それぞれには、それぞれの住み処が存在しています。
それぞれの住み処とは、それぞれの役割のことなのです。
あなたの役割とは、自分の人生です。
あなたが、自分の人生を懸命に生きることが、自分の役割を果たすということなのです。
役割を果たすことこそが、人生を豊かなものにするのです。
自分に与えられた役割を果たさない者には、豊かな人生は導かれないのです。
あなたは、役割を果たさなければなりません。
役割を果たすためには、その役割に相応しい心意気が必要です。
その役割に相応しい心意気こそが、あなたをその役割に携わらせるのです。
役割に携わることがなければ、役割を果たすことは出来ません。
あなたは、自分自身の言動や生き方が、豊かさに相応しいか?と顧(かえり)みなければなりません。
豊かさに相応しい言動や生き方を選択する者には、豊かな人生が実現するでしょう。
どれだけ、美しく飾(かざ)り立てても、役割を果たすことは出来ません。
役割を果たすというのは、その役割に相応しい働きを果たすということなのです。
働きによって成果を生まなければ、役割を果たすことは出来ません。
美しく飾り立てたところで、働きが乏しければ、役割を果たすことは出来ないのです。
大切なのは、役割を果たすことです。
成果を生み出すことこそが重要なのです。
心意気の無い者には、成果を生み出す働きがありません。
役割に対して、真情(しんじょう)の無い者には、成果を生み出すことは出来ないのです。
あなたは、自分の人生を生きなければなりません。
自分に相応しい豊かさの形を探さなければなりません。
豊かさの形が異なっているのは自然です。
もしも、豊かさの形が異なっていないのであれば、それは不自然であり、異常であるということを理解しなければならないのです。
あなたは、誰かと同じ役割を担って生まれたのではありません。
残念ながら、あなたの豊かさの形は、あなただけに与えられた特別な形をしたものなのです。
他者と比べることは出来ません。
あなたは、自分なりの貢献(こうけん)の形を探さなければならないのです。
他者と同じことをしても、あなたが世界に貢献することは出来ません。
あなたはあなたの役割を果たすことによって、世界に貢献する必要があるのです。
焦(あせ)ることはありません。
あなたは、時間をかけて、自分の役割を探せば良いのです。
貢献に遅いということはありません。
貢献することが重要なのです。
役割に相応しい心意気を育みましょう。
豊かさに相応しい心意気で生きましょう。



2018年8月11日土曜日

緊張と緩和

人生において大切なのは、目的を果たすことです。
あなたは、自らの人生の目的を果たさなければなりません。
あなたは、過程よりも結果が重要であるということを理解しなければなりません。
人生は、どのような道を選んでも良いのです。
どのような道を選ぼうとも、目的地へと辿り着くことが求められるのです。
例えば、安全な道を進もうとも、目的地へと辿り着くことが出来ないのであれば、価値がありません。
目的地へと辿り着くことの出来ない安全な道を選ぶよりも、目的地へと辿り着くために危険な道を選ぶ方が価値があるのです。
人生の価値は、目的を果たすことです。
あなたは、目的を果たさなければならないのです。
あなたは、放浪するために生まれたのではありません。
あなたは、果たすべき目的を以(もっ)て生まれたのです。
あなたは、当ても無くさまよい歩いてはならないのです。
必要なのは、目的を見出すことです。
目的を見出すことが出来なければ、目的地へと辿り着くことは叶いません。
あなたは、人生の目的を見出さなければなりません。
しかしながら、人生の目的を見出すことは容易ではありません。
それは、”深く”に隠されているのです。
それを見出すのは、困難であるということを覚えておきましょう。
真摯(しんし)に向き合わなければ、決して見出すことは出来ません。
多くの人は、人生に対して、不安や不満を抱えながら生きています。
それは、人生に対して真摯的な態度だとはいえないのです。
人生に対して真摯的に生きるというのは、不安や不満に思えることも楽しむという態度なのです。
楽しむというのは、くつろいでいる状態のことを指します。
くつろいでいるというのは、余裕を以て向き合っているということです。
不安や不満を抱えるというのは、緊張している状態です。
それは、力(りき)んでいるということなのです。
力むということは、制限するということです。
人は、力むことによって硬直し、視野を狭めてしまうのです。
人は、力むことによって頑固となるのです。
力むことは有益ではありません。
それは、可能性を手放す行為だからです。
力んで歩み続けることは出来ません。
力んで物を運び続けることも出来ないのです。
大切なのは、力を抜いてくつろぐことです。
柔軟性を蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
多くの人は、不安や不満を抱えて、柔軟性を失っています。
また、欲望に逆上(のぼ)せることによって、執着という力みも生まれてしまうのです。
筋肉を硬直させたままでは、まともに歩むことは出来ません。
緊張と緩和の繰り返しによって、人は歩むことが出来るのです。
力を抜き過ぎている人も、まともに歩むことは出来ません。
力を抜いてしまえば、人は、立ち上がることも出来ないのです。
意欲を手放してはなりません。
無欲に生きてはならないのです。
目的を果たすためには、真摯的な態度が必要です。
あなたはくつろいだ状態によって、目の前の状況と向き合いましょう。
あなたが力んでいると感じるのであれば、力を抜くことも大切であるということを理解しましょう。
そして、力みを手放し、くつろぎましょう。
そうすれば、今までに見えなかった可能性に気が付くことでしょう。
あなたが力を抜き過ぎていると思うのであれば、意欲を大切に扱いましょう。
人は誰もが目的を以て生まれます。
そして、人は誰もが目的を果たしたいという意欲を持っているのです。
あなたには、やってみたいことや、やりたいことがあるはずです。
それを理解することが出来なければ、好きなことや好きなものがあるはずなのです。
その気持ちを大切にすることによって、意欲が目覚めるのです。
緊張と緩和を繰り返しましょう。
力強く大地を踏み締め、軽(かろ)やかに一歩を踏み出しましょう。
歩むことは楽しいことです。
力んで立ち尽くしたり、力を抜き過ぎてへたり込むことのないようにしましょう。
何事も、ほどほどに行わなければなりません。
責任と自由、仕事と遊び、緊張と緩和は共存するのです。
あなたは、よく働き、よく遊びましょう。
偏(かたよ)ってはなりません。