これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を歩まなければなりません。
あなたは、自分の人生を生きなければならないのです。
しかしながら、あなたは人生を自由に選択することが出来ます。
あなたは自由に歩むことが許されているのです。
道の無いところにも、その歩みによって道を作ることが出来ます。
あなたの選択が人生を築くのです。
しかしながら、人は未熟に生まれます。
残念ながら、人は自分という存在を知らないのです。
そのため、人は自由に人生を築きますが、それが自分の人生であるとは限らないのです。
自分の人生を生きるということは、自分を生きるということです。
あなたには、目的が与えられているのです。
残念ながら、自分勝手に生まれた人はいません。
すべての人は、役割を担(にな)って生まれたのです。
そのため、自分の人生というものは、自分に与えられた役割を果たす生き方のことなのです。
自由に生きることと、自分に与えられた役割を果たすために生きることは異なります。
多くの人は、自由に生きることが良いと考えています。
それは、楽だからです。
好きなことだけを選択する生き方というものには気兼ねがなく、それはとても気楽なことなのです。
与えられた役割を果たすためには、責任感が必要です。
無責任な者には、与えられた役割を果たすことは出来ないのです。
自由に生きることが良いと考え、楽を選択することに慣れた者には、与えられた役割を果たすという責任感がありません。
嫌になれば投げ出すというのであれば、与えられた役割を果たすことなど出来るはずがないのです。
残念ながら、人生は簡単なものではありません。
誰にとっても、自分の人生を生きることは難しいのです。
なぜなら、自分の人生を生きるためには、与えられた役割に対する責任を果たす必要が求められるからです。
楽を求めるのは簡単です。
しかしながら、それでは人生は深まりません。
人生は、螺旋階段(らせんかいだん)のように、一段一段(一歩一歩)を深くしていかなければならないのです。
楽を選ぶというのは、平地を移動しているようなものです。
それは、とても楽なのです。
しかしながら、階段を下りるのは容易ではありません。
深く進む程に、足腰は悲鳴を上げるのです。
自分の人生を生きることには、苦しみが寄り添(そ)います。
自分の人生を生きるというのは、良いことも悪いことも受け入れなければならないということなのです。
幸福と不幸が同時に存在する状態こそが、自分の人生を生きるということなのです。
幸福だけを選ぼうとするのは、道を見失っている状態です。
不幸に陥っている状態も、道を見失っているということなのです。
あなたが責任を果たそうとする時には、幸福であり、不幸でもあるという状態が導かれます。
豊かな人生とは、幸福と不幸が同時に存在するものなのです。
昼間だけが続く日々を豊かな人生だと思いますか?
夜間だけが続く日々を豊かな人生だと思うでしょうか?
昼間と夜間が連続(同時に存在)しているからこそ、日々は豊かなものとなるのです。
幸福ばかりが続けば、それは乏しさです。
不幸ばかりが続いても同じことです。
与えられた役割を果たすためには、自由と不自由を必要とします。
役割を果たそうとする時には、不自由も必要となるのです。
持ち場を離れて、役割を果たすことが出来るでしょうか?
豊かさを履き違え、自由という名の楽を選択し続けるのであれば、自分の人生を生きることは出来ないのです。
不自由を選択する必要もあると理解しましょう。
利益の追求に没頭してはなりません。
損失を選択する必要もあるということを覚えておきましょう。
役割を果たすためには、制約が必要なのです。
車輪が与えられた役割を果たすことが嫌になったからといって、車から外れたらどうなるでしょう?
車は走行することが出来ません。
それがもしも、走行中の出来事であれば、車は大破してしまうでしょう。
車輪が役割を果たすことによって、車は役割を果たし、目的地へと辿り着くことが出来ます。
車が目的地へと辿り着くことこそが、車輪の役割であり、それを果たすことが、車輪にとっての豊かな人生なのです。
あなたには、あなたの役割が与えられています。
それを果たすために生きましょう。
好きなことや、楽なことや、利益ばかりを追い求めてはなりません。
それと同時に、嫌いなことや、苦しいことや、損失を受け入れるようにも努めましょう。
偏(かたよ)ることに価値はありません。
浅いことにも価値はないのです。
大切なのは、満遍(まんべん)なく深いことなのです。
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