すべての人は、人生に目的地を持ちます。
人生は、目的地へと辿り着くための道程です。
人は、目的地へと向かって歩まなければなりません。
人生は、宛(あ)ても無く彷徨(さまよ)い歩くようなものではないのです。
あなたは、目的地に辿り着くように歩を進める必要があるということを覚えておきましょう。
あなたは、目的を以(もっ)て生まれたのです。
目的は、生まれる前に定められたのです。
人は、一生という時間を使い、その目的を果たさなければならないのです。
目的を果たすということは、目的地へと辿り着くことです。
目的地へと辿り着くことによって、あなたは人生に豊かさを実現するのです。
人生に豊かさを求めているのであれば、目的地へと向かって歩まなければなりません。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分の辿り着くべき目的地を知らないのです。
それで、仕方なく、目の前の欲望や快楽や苦悩を貪(むさぼ)り、立ち止まることになるのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪っていても、あなたが目的地へと辿り着くことは出来ません。
あなたが目的地へと辿り着くためには、純粋な動機を思い出す必要があるのです。
目の前の欲望や快楽や苦悩を貪るのは、不純な動機からです。
人は、不純な動機によって、道を見失ってしまうのです。
大切なのは、純粋な動機です。
あなたが目的地へと辿り着くためには、純粋な動機が必要なのです。
あなたが人生を始めたのは、純粋な動機があったからです。
幼子は、純粋な動機のために歩み始めます。
それは、生まれて間もないからです。
残念ながら、人の世は汚れています。
人は、世の汚れに触れることによって、純粋を不純へと歪めてしまうのです。
人は、徐々に不純な動機に従って歩むようになります。
それは、人が徐々に乏しさや不幸を得るようになるということなのです。
多くの人は、人生に乏しさや不幸を感じています。
人生に豊かさや幸福を感じている人は少ないのです。
それは、不純に従って歩んでいるからです。
原因は、それに相応しい結果を導きます。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
あなたは、自らの歩んだ場所に辿り着くのです。
それは、当然のことですが、多くの人はそのことを理解しません。
悪事を働けば、悪事の報いを受けなければならないのです。
善事を働けば、善事の報いを受けるのです。
例外はありません。
あなたは、自分の歩みに責任を持たなければならないのです。
純粋な動機を見失ってはなりません。
あなたは、初めには、純粋な動機によって事を始めたはずです。
しかしながら、欲望や快楽や苦悩が見え始めると、途端(とたん)に動機を不純なものにしてしまうのです。
人は、欲深いのです。
より多くを求めるのです。
それでは、真っ直ぐに歩むことは出来ません。
あなたが目的地に対して真っ直ぐに歩み続けるためには、純粋な動機に従わなければならないのです。
人は、いつの間にかに違う動機に従ってしまいます。
動機は、いつの間にかにすり替わるものなのです。
それは、人が弱い存在だからです。
確認を忘れるのであれば、人は道を踏み外してしまうのです。
例えば、あなたが好きなことを仕事にすれば、楽しみを動機として歩むことが出来るでしょう。
しかしながら、途中から欲が出てしまいます。
例えば、他者からの賞賛(しょうさん)や評価、具体的な報酬(ほうしゅう)などに動機がすり替わってしまうのです。
しかも、より大きな刺激を必要とするようになるのです。
本来の動機は、楽しむことです。
好きなことを仕事にするのは、楽しいことなのです。
仕事がどのように展開しようとも、純粋な動機である楽しみを見失うことがなければ、目的地へと向かって歩みを進めることが出来るのです。
しかしながら、仕事が展開すると共に、他者からの賞賛や評価、具体的な報酬のために歩み始めることになるのです。
残念ながら、その方法には限界が訪れるのです。
他者からの賞賛や評価、具体的な報酬のために仕事をしているのであれば、いつか楽しめなくなるのです。
それでは、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、人生の目的を見失ってはなりません。
小さなことに気を取られて、大きなことを見失ってはなりません。
あなたは、何のために生まれたのですか?
そのことを考えなければならないのです。
”それ”を始めた時の、純粋な動機を見失ってはなりません。
不純な動機に従ってはなりません。
あなたは、純粋な動機に従って、目的地に辿り着かなければならないのです。
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