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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年8月31日月曜日

理解

人間は、肉体的な存在ではありません。
多くの人は人間を肉体的な存在だと思っています。
そのため、自分という存在を、生理的な生命体であると考えているのです。
そして、肉体を中心とした選択を重要視します。
肉体の(健康や欲求の)維持を最優先とし、人生を選択するのです。
多くの人が肉体を主人だと考えています。
そのため、肉体の持つ本能的な欲求に従うのです。
それが幸福であると信じています。
満腹になること、十分に眠ること、性行為に勤(いそ)しむこと、運動すること、知識を集めること・・・
肉体の持つ本能的な欲求を満たすことができれば、それが人生の幸福を実現するのだと考えています。
しかし、それ等を満たし続けても、あなたが幸福を実現することはできないでしょう。
それは、あなたが肉体的な存在ではないからです。
あなたは肉体を持った精神的な存在です。
あなたの本質は魂であるのです。
魂とは”光”です。
それは、すべての根源なのです。
魂の光から心が生じます。
それは、精神的な心(意識、知性)と肉体的な心(本能)を生み出します。
精神的な心から感情と思考が生まれます。
そして、肉体的な心から欲求が生まれるのです。
これ等二つの働きが合わさって、人はこの世界において成長に必要な学びを得ることができるのです。
感情と思考だけでは必要な学びを得ることはできません。
それは、机上の空論として虚しい状況を導きます。
欲求だけでは必要な学びを得ることはできません。
それは、愚行を引き起こすからです。
精神的な心と、肉体的な心が協力する時に初めて、人は必要な学びを得ることができるのです。
二つの心が協力する必要がありますが、その比率には違いがあります。
肉体的な心よりも、精神的な心の方が主となります。
それは、肉体は精神の道具であるからです。
肉体は精神が必要な学びを得るための助手です。
あくまでも主体は精神であるのです。
しかし、この地球では肉体の物質的な力の方が強力です。
地球においては、精神の力よりも肉体の力の方が分かりやすいのです。
そのため、何かしらの不足は、肉体の持つ欲求を満たすことによって解決すると考えるのです。
しかし、実際はどれだけ肉体の持つ欲求を満たしたとしても、不足が解決することはありません。
それは、肉体が不足しているのではないからです。
不足しているのは精神の方なのです。
多くの人が自分を肉体的な存在だと思い込んでいるために、この事実に気が付きません。
あなたが本当に満たさなければならないのは、精神であるのです。
精神を満たすためにはどうすれば良いのでしょうか?
難しいことではありません。
それは、”理解”を得るだけです。
ただそれだけで良いのです。
自分自身の本意を理解し、それを他人に理解してもらうだけなのです。
自分自身を理解し、他人に理解されるだけで、人の精神は満たされます。
それだけで、歪んだ選択から解放されるのです。
あなたは自分自身に対しても、他人に対しても、その本意を理解するように努めましょう。
表面的な情報(容姿や言動など)を見て判断してはなりません。
表に現れている情報は、その人の本意ではないのです。
それ等は、理解を得ようとして誇張(こちょう)されているのです。
本意を理解することが重要なのです。
すべての問題はそれで解決します。
嘘のように思えるでしょうが、人間の引き起こすすべての問題は本意が理解されないことにあるのです。
本意が理解され、精神が満たされるのであれば、選択が変わるのです。
選択が変われば、因果の仕組みによって状況は変わります。
そこに問題など存在しないのです。
まずは、人間が肉体的な存在ではないということを理解するように努めましょう。

2015年8月30日日曜日

物質主義の束縛

人生における根本的な目的は、成長を実現させることです。
すべての存在は成長を目指して行為します。
すべての行為は成長のために行われ、行為の成果として成長を受け取るのです。
すべての存在が成長を目指しているのだから、人間であるあなたも同じです。
あなたのすべての行為は成長のために存在し、あなたは成長を受け取ることになります。
この世界において、成長に関係しないものは存在しません。
すべての環境、状況、状態が、成長の原因となるのです。
あなたが望もうが望むまいが、成長は実現します。
努力によって引き起こされる影響とは、成長の速度と範囲に関するものです。
努力は成長の加速を助けますが、(極論を用いれば)努力しなくても成長を実現することはできるのです。
すべての人が成長を実現することができます。
それは毎日行われ、すべての瞬間に行われているのです。
すべての瞬間が成長のために費やされています。
人は、成長という人生の目的から離れることができないのです。
しかし、努力を軽んじても良いという話ではありません。
すべてが因果の仕組みによって支配されています。
そのため、自らの行為が生み出す結果は受ける必要があるのです。
その結果として苦悩が導かれますが、その大きさをコントロールするのが努力の役割であるのです。
そのため、努力を軽んじることはできません。
努力だけによって成長が実現するということはありませんが、苦悩を減らすことによって成長を助けることはできるのです。
人が成長するということは、その人格が高まるということです。
人格とは精神、意識のことであり、心の状態を指します。
心が豊かであることが成長であるでしょう。
心が豊かに育まれることによって、人は成長を実現することができるのです。
そのため、多くの知識や財産を抱えただけでは、人が成長を実現したとは言えないのです。
あなたは意識を高め、心を豊かに育まなければなりません。
心は目には映りません。
あなたには、それを具体的に理解することもできないでしょう。
どこに存在しているのかも分かりません。
そのような状態にもかかわらず、それを育まなければならないのです。
唯物的な努力だけでは、心の成長は実現しないのです。
どれだけの財産と、それに関する知識を集めても、人生の目的を果たすことはできないのです。
そのことを理解しなければなりません。
多くの人は小さな認識(世界)の中に生きています。
自分の知っていること以外は知らずに生きているのです。
自分の知っていることを判断材料にして、判断を下します。
選択は行為を生み出し、行為が状況を導きます。
自分の知っていることがどれだけあるでしょうか?
あなたは何を知っているというのですか?
あなたが知らないことの方がこの世界には多いのです。
人類さえ知らない仕組みが自然界には存在しています。
そのため、人類は毎日多くの発見をしているのです。
新発見によって、新たな知性が生じます。
新たな知性は新たな技術や環境を構築するのです。
そうして、文明は展開してきたのです。
知らないことがあるので、展開しているのです。
この事実を理解する必要があるでしょう。
あなたは生涯成長し続けることができます。
それは、知らないことが多いからです。
心の成長は人生の目的でありますが、心がどこにどのような形で存在しているかすら知らないのです。
多くの人が人生の目的を理解していないのはそのためです。
多くの人は唯物的な財産と知識に対して集中しています。
それは、物質主義という束縛(そくばく)を生むことになり、不自由という苦悩を受けることになるでしょう。
人生における根本的な目的は、成長を実現させることです。
それは、意識の高まりと共に実現するということを理解しましょう。

2015年8月29日土曜日

”素”

真実とは、本質を指します。
この世界に存在している存在の本質は”素”にあるのです。
本質とは、最も根源的な状態です。
より単純な状態であり、それよりも分解することができないものが本質なのです。
そのため、より単純な状態こそが真実であるのです。
多くの人はそのことを知りません。
単純である方が本質に近いために優れています。
しかし、複雑な状態のものの方が優れていると考えているのです。
それは、複雑な状態のものの方が高度であると思い込んでいるからです。
それは、過去に学んだものの方が、現在に学んでいるものよりも簡単であるためです。
人は成長していく存在です。
簡単な部分から入り、難しい状態へ至ります。
より難しいことを理解していくことが成長であるのです。
ここである誤解が生じます。
それは、難しいことと複雑なこととを混同してしまうということです。
複雑であるから難しいのではありません。
難易度と複雑さは関係しないのです。
物体は、複雑な形で存在しています。
それは小さな部位が集合した大きな存在です。
大きいために、物体として認識されるのです。
集合した物体は、分解していくことができます。
分解すれば、やがて”素”に辿り着くのです。
それこそが、その物体の本質であり、真実であるのです。
本質と真実を理解するのは容易なことではありません。
難易度で言えば、複雑にしていくよりも単純にしていく方が高いのです。
肉体は様々な臓器の集合体です。
臓器は細胞の集合体です。
細胞は原子の集合体です。
原子は素粒子の集合体です。
あなたが肉体であるとするなら、その本質は物質の最小単位に位置するものなのでしょうか?
それは、肉体を証明しているに過ぎません。
人は肉体だけでは存在しません。
思考や感情はどこにあるのでしょうか?
それ等の”素”とは何でしょうか?
複雑な状態を拘(こだわ)っているのであれば本質を理解することはできません。
それ以上分解することができない”素”の状態にまで追求しなければなりません。
より単純な状態を目指すのです。
真実を述べている者の答弁は簡潔(かんけつ)です。
しかし、悪事を図っている者の答弁は冗長(じょうちょう)であるのです。
真実を述べているために、複雑に飾る必要がないのです。
謀(はかりごと)を企(たくら)む愚か者は、その虚言を隠すために答弁が複雑になるのです。
嘘を正当化するために、更なる嘘を重ねなければならないからです。
本質に向かうほど、真実に近付きます。
そこには単純な状態(単純な美しさ)が存在しているのです。
あなたは見極めなければなりません。
単純な状態こそが本質、真実に近いのです。
わざわざ複雑にすることで権威(けんい)を振りかざすような真似はやめましょう。
そのような愚行は、あなたの質を下げてしまうからです。
より単純に、より簡単にすることができることこそが実力なのです。
悪事を企むのをやめましょう。
あなたはすべての対象に”素”を求めましょう。
単純さこそが重要です。
本質、真実を理解し、豊かな人生を送りましょう。

2015年8月28日金曜日

未知への冒険

人生は未知の世界です。
それは、人が無知であるからです。
この世界は広大であり、あなたには知り得ません。
あなたがどれだけ幅広く世界を観察したとしても、そのすべてを理解することは不可能です。
それは、この世界がすべての人のそれぞれの人生のために存在し、あなたは他人の人生を含めて生きることができないからです。
あなたはあなたの人生の学びを得ることで精一杯です。
それを超える情報を得ることはできません。
あなたがこの世界に存在しているすべての人を知らないように、この世界に存在している情報のすべてを得ることはできないのです。
そのため、あなたには無知という状態が継続され、人生は未知によって溢れるのです。
どれだけの情報を集めようとも、知らないことが溢れてきます。
あなたがすべてを知ることはないのです。
しかし、これは情報を集めること、一つでも多くのことを理解しようと努めることが無駄になるというのではありません。
あなたはできる限りの情報を集め、一つでも多くのことを理解する必要があるのです。
それでも、無知と未知は存在し続けるのです。
そこには大切な訳があります。
それは、人生が楽しいものになるためです。
最も簡単に表現するのであれば、人生は楽しむためのものです。
すべての経験を楽しむことができれば良いのです。
成長とは、興味関心を以て経験することによって得られる建設的な気付きによって実現します。
経験に対して建設的でなければ、成長を実現させる気付きを得ることができません。
破滅的な気付きも重要です。
苦しみや悩みも重要です。
それを否定しているのではありません。
最終的には、建設的な気付きを得ることによってのみ、成長が実現するというのです。
建設的な気付きこそが、成長への扉を開く鍵になるのです。
そのため、紆余曲折(うよきょくせつ)しながらも、楽しむという建設的な気付きに辿り着いて欲しいと願うのです。
そのためには、どうすれば楽しむという状態が実現するのか?ということを考察しなければなりません。
既知(きち)の情報や体験を再び得ることは楽しみに繋がるでしょうか?
あなたがそれを過去に体験しているのであれば、それを楽しむことは厳密にはできません。
既に結末を理解しているために、安心して眺めることができるのです。
安心して眺めることを良いことと考える後進的な考えの人は多くいますが、その人たちがその体験を本当の意味で楽しんでいるといえるのでしょうか?
楽しみとは、できる限り多くの感情を得ることによって生じます。
楽しみとは、脳が感知するのではありません。
それは、心の働きによって得られる心的な副産物なのです。
心が大きく揺れ動くほどに、多くの感情を得ることができます。
様々な感情の方向に引っ張られることによって、心はそれを認識するのです。
同じ感情をどれだけ経験しても、心は退屈を得ることになります。
何事においても、それを繰り返しているのであれば、楽しみは失せるのです。
それは、繰り返すことによって難易度が下がるからです。
簡単なことから生じる楽しみは、とても少ないのです。
そのため、人は繰り返しを嫌うのです。
多くの人は安定を求めていますが、それでも退屈は拒絶します。
安定が続くことによって退屈が生じるのは明らかであるにもかかわらず、それを嫌うのです。
それは、無意識下における本心は様々な感情を欲しており、常に自らを大きく揺さぶることを求めているのです。
日常から離れることに楽しみを見出すのはこのためです。
しかし、この矛盾には気が付きません。
人は安定を求めていますが、同時に変化を求めているのです。
それは、未知が楽しみの材料(原因)であるということを、心は知っているからなのです。
そのため、人は変化という刺激を求めるのです。
未知を認識しなければ、人生が豊かさを得ることはありません。
自分が”知っている”などと思い上がってはなりません。
あなたは生涯を通じて無知であり、世界は未知のままであるのです。
あなたに理解することができるほど、この世界は小さなものではないのです。
知らないことが存在することが楽しいということを理解しましょう。
冒険には危険が付き物です。
それは、未知へ向かうからです。
知らないことに対して、人はうまく立ち回ることができないのです。
それを恐れる気持ちが溢れてきますが、心はそれを楽しんでいるということを知らなければなりません。
未知は楽しみの原因です。
そのこと知って、未知に冒険しましょう。

2015年8月27日木曜日

主観と客観

自分自身を理解することがなければ、人生の意味を理解することはできません。
自分自身がこの人生を生きているのです。
人生においての原因は自分自身にあります。
自分自身を理解することこそが、人生を理解することであるのです。
自分自身を理解するためには、自分自身を探求する必要があります。
自分自身を探求することによって、あなたは自分自身を知ることができるでしょう。
自分自身の様々な情報を集めることによって、自分自身の理解に近付くのです。
しかし、忘れてはならないことがあります。
それは、この世界に存在する一切は、独立しては成り立たないということです。
どのような存在であろうとも、必ず関係性を持ちます。
すべての存在が支え合っているのがこの世界の特徴です。
支え合わず、独立しているものなど存在しないのです。
相対性を無視するのであれば、自分自身への理解から遠ざかるのです。
あなたはすべての存在が互いに向き合っているということを理解しましょう。
あなたには様々な存在が関係しています。
あなたは自らに関係しているすべての存在を証明し、あなたに関係しているすべての存在はあなたを証明します。
どちらかが欠けたとしても、互いを証明することはできません。
そのため、自分自身という存在を理解するためには、それに関係している存在を理解する必要もあるのです。
自分自身を証明するためには、それに関係している存在を証明する必要があります。
あなたが人生の幸福を実現したいと考えるのであれば、自分自身を理解するために、自分自身に関係している存在を理解するように努めましょう。
そして、それを証明するのです。
自分自身を理解しようとする時に、多く人が主観によって自分自身だけを対象に理解を深めようと試みます。
しかし、それは主観を突き詰めるだけであって、客観は軽んじられています。
一つの対象には、様々な側面が存在しているために、ある一面だけを追求するだけでは理解に至らないのです。
自分自身が考えるあなたと、他人が考えるあなたは違います。
それは同じ対象ではありますが、違う視点から捉えているからです。
同じ対象を観察するにしても、角度が違えば見え方は異なります。
その対象を理解するためには、すべての角度から観察する必要があるのです。
あなたは自分自身を主観によって観察していますが、客観を以て観察する必要があります。
どちらか一方に偏(かたよ)るのであれば、決して理解することはできないのです。
そのため、あなたは自分自身のことだけではなく、自分自身に関係している対象をも理解する必要があるのです。
それは簡単なことではありませんが、同時に行う必要があります。
何事に関しても、広い視野を保つ必要があるのです。
視野が限定されてしまえば、理解に辿り着くことはできません。
すべてのことを知らなければ、理解したとは言えないのです。
相対関係にある存在に対する理解を疎(おろそ)かにしてはなりません。
行き詰まることがあれば、視点を変えてみるのが良いでしょう。
主観と客観をうまく使い、理解を深めましょう。
二人の人が争っている時、一方の意見を無視しているのであれば、争いが解決することはありません。
二人は全く違う主張をするでしょう。
しかし、そのどちらも真実に違いありません。
相反する主張のどちらも真実なのです。
どちらも真実を主張していますが、視点(立場)が違うために争うのです。
一方の意見を聞き入れるのであれば、判断を誤ります。
どちらも真実であるのならば、どちらも受け入れる必要があるのです。
あなたの見ているあなたは真実です。
しかし、他人の見ているあなたも同じく真実です。
そのことを忘れてはなりません。
自分自身に関する情報は、それがどのようなものであろうとも大切です。
情報を細かく拾いましょう。
内のことばかり観察していてもなりませんし、外のことばかりを観察していてもなりません。
様々な角度から観察しましょう。
あなたに関する情報は、あなたを現します。
それが内から来ようが、外から来ようが関係ありません。
内と外、主観と客観の両方を大切にしましょう。
そして、自分自身に対する理解を深めましょう。
自分自身を理解することによって、人生は有意義なものとなるでしょう。

2015年8月26日水曜日

苦しみを導く者

あなたが求めているのは幸福です。
すべての人は幸福を求めています。
しかし、幸福の形はそれぞれに違います。
それぞれが考える幸福の形は違えど、それを求めて生きているのです。
幸福の形がそれぞれに違うのは、成長の状態が違うからです。
何が幸福となるかは、その人の成長の状態に関連します。
その人が成長するのに相応しい状態が幸福となるのです。
人は成長するために生まれます。
人が人生を生きているのは成長するためです。
冷たく聞こえるかもしれませんが、それ以外の理由はありません。
どのようなことも、成長のための演出に過ぎません。
人は成長を実現する必要があるのです。
しかし、状態はそれぞれに違います。
それぞれに性格が異なっているように、学びの段階や方向性はそれぞれに異なっているのです。
成長に必要な要素がそれぞれに異なっているために、求める要素が異なるのです。
そのため、人はそれぞれの幸福の形を持つのです。
幸福の形はそれぞれに異なっていますが、それを実現する過程は同じです。
それは、成長という共通点を持つのです。
すべての幸福が成長という共通の過程によって実現します。
どのような幸福も成長することがなければ、決して実現することはありません。
そのため、すべての人が幸福を求めるのと同じように、成長をも求めなければならないのです。
成長なくして幸福はないのです。
しかし、多くの人はその事実を理解しません。
自分自身が変わる(成長する)ことがなくても、誰かや何かによって幸福が与えられると思い込んでいるのです。
自分自身が努力しなくても、相手が幸福を叶えてくれるという幻想を抱くのです。
それは、幼い意識の典型です。
幼い意識は他力本願を信じます。
誰かや何かの働きによって、自分自身が幸福を得られるという幻想を抱くのです。
残念ながら、そのように理に反することが実現することはありません。
この世界には因果の仕組みが存在しているのです。
すべての状況は自らに相応しいものです。
それ以外はありません。
それがどのような状況であろうとも、すべてが自ら(の状態)に相応しいのです。
それは、人が成長しなければならないからです。
多くの人は自らの信仰の対象が苦しみから救い出してくれると考えています。
宗教を信仰している人は、宗教(教義、聖人、儀式など)によって救われると信じています。
財産を信仰している人は、財産(金銭、雇用者、品物、資産など)によって救われると信じています。
それぞれに信仰の対象は異なりますが、皆それが自らを救ってくれると考えます。
残念ながら、信仰の対象がどのようなものであれ、あなたを苦しみから救い出すことはありません。
”神”であろうとも、あなたを苦しみから救い出すということはないのです。
それは、他力本願によって何かを得ても、それが成長に関係しないことを知っているからです。
因果の仕組みが存在すると言いました。
自力という原因がなければ、成長という結果を得ることはできないのです。
誰かや何かがあなたを苦しみから救い出したとすれば、誰かや何かが成長するのであって、あなたが成長するのではないのです。
そのため、あなたを救い出した誰かや何かは幸福を得ることができますが、救い出されたあなたに幸福が実現することはないのです。
この誤解を理解しなければなりません。
”わたし”はあなたが苦しみを受け入れることができるように働き掛けます。
決してあなたを苦しみから遠ざけるようなことをしません。
”わたし”はあなたの成長と幸福を願うからです。
あなたの不幸を望む者は、あなたを甘やかすでしょう。
それは、自分が幸福を得るためです。
自分のために、他人を甘やかすのです。
あなたの代わりに何かを行う者は、あなたの成長と幸福の機会を奪っている盗人です。
この世界を深く考察すれば、このようなことはすぐに理解することができます。
あなたを救うことができるとすれば、それは自分自身だけです。
”わたし”はあなたに苦しみを導く者です。
そのことをしっかりと理解して、この言葉を聞きましょう。
この言葉が聞きたくない者は、ここから離れましょう。
それが最善です。

2015年8月25日火曜日

最高の知性

成長とは、知性の高まりです。
知性が高まることが成長です。
どのような道を進んでも、成長が実現するためには知性が高まる必要があります。
例えば、どれだけの地位や名声や財産を手に入れたとしても、それは成長とは言えません。
それ等を手に入れた人は、自分が成長したと思い込みますが、残念ながらそれは誤解なのです。
人の本質とは心です。
それは意識であり、目には映らないものです。
どれだけの物質(に対する影響力)を集めようが、それだけでは成長とは言えないのです。
本質が成長しなければ虚しいのです。
表面をどれだけ飾っても価値はありません。
どれだけ厚い鍍金(めっき)を施そうとも、それは黄金としての価値には成り得ないのです。
地位や名声や財産をどれだけ集めても、それによって人格的な向上が望めなければ、この世界の存在として成長したことにはならないのです。
多くの人は心の重要性を理解しません。
そのため、表面的な物質主義へと向かうのです。
それは、肉体の健康を気に掛けることはしても、精神の健康には気を掛けないのと同じことです。
多くの人がこのような状態に陥っています。
肉体が健康でさえあれば、それで満足するのです。
しかし、肉体の健康だけを求めても、それが実現することはありません。
なぜなら、肉体と精神は相互関係にあるからです。
どちらか一方だけを健全に保つことはできません。
互いが影響し合う関係にあるために、片方だけに施しをするのであれば、全体のバランスが崩れてしまうのです。
多くの人は物質主義の中に存在し、地位や名声や財産を蓄積するのに必死です。
それが人生の幸福であると信じ込んでいるのです。
人格の伴わない地位や名声や財産は、やがて他人からの恨みを買い、破滅に向かいます。
人格が伴っているのであれば、どれだけの地位や名声や財産を所有していようとも、他人から大切にされるのです。
物質(に対する影響力)に価値を見出すことを否定しているのではありません。
すべてにはバランスが必要であるということを言いたいのです。
物を所有したからといって、あなたが偉い訳ではありません。
あなたが優れている訳でもありません。
物が幅を利かす状況や環境であれば、そのように思い込むこともできますが、物が役に立たない状況や環境もあるのです。
海原の真ん中で遭難しているあなたを助けるのは地位や名声や財産でしょうか?
それとも、人格でしょうか?
答えはあなた自身で想像しましょう。
他人からの恨みを買って豊かな人生が実現するのでしょうか?
心の 力(影響力)を否定するのであれば、あなたは自分自身と自分自身の人生を否定することになるのです。
あなたは心の力そのものであり、あなたの人生も心の力によって選択され、行動することによって築かれたのです。
誰も、心の力を否定することなどできないのです。
心の力量こそが、人生の状態を決めるということを理解しましょう。
知性が高まれば、より良い選択をすることができます。
より良い選択とは、より豊かさに近い選択のことです。
あなたはより良い選択をすることによって、人生に豊かさを実現することができるのです。
選択肢は幾つも存在します。
しかし、どれを選ぶかによって、結果は大きく違ってくるのです。
知性の高い人は、より美しいものを選択し、知性の低い人は、美しさとは程遠いものを選択するのです。
知性の乏しい人と、知性の豊かな人とでは、選択の対象は違うものになります。
知性の豊かな人は、より整然とした美しいものを選択するでしょう。
知性の乏しい人は、より雑然とした美しさに欠けるものを選択するのです。
知性の高まりは、より知的、合理的、道徳的、芸術的、先進的、技術的・・・
様々な分野において、洗練されるのです。
大切なのは知性を高めることです。
”物を持った野蛮人”であってはなりません。
人は知的な存在でなければならないのです。
太陽が、星々が、地球が、自然環境が、生命が美しいのは、そこに最高の知性が存在しているからです。
最高の知性が備わっているために、輝いているのです。
あなたは知性の高まりを求めましょう。
知性の高まりは、心の精錬によって実現します。

2015年8月24日月曜日

迷い道

それはあなたの問題です。
あなたが責任を以て解決する必要があるのです。
これはあなたの人生です。
あなたは人生において成長を目指しています。
あなたがどのような考えを持っていようとも、人生はあなたに成長を促(うなが)します。
あなたは成長するための経験を体験しなければなりません。
それは強制であって、義務ではないのです。
それは、あなたの責任であるからです。
この世界に存在するすべてのものは、成長を求められます。
これはあなたの選択です。
人生を始めたのは強制ではありません。
しかし、自分で決めたことは強制的に責任が出現します。
それは、自分で決めたからです。
当たり前のことです。
自分で決めたことには責任があるのです。
自分で決めたことを他人のせいにすることはできません。
そのような矛盾は通用しないのです。
この世界には因果の仕組みという理(ことわり)が存在しています。
すべては原因と結果によって結び付いているのです。
原因に相応しい結果が導かれ、その結果によって学ぶのです。
どのような原因を選択すれば、どような結果が実現するのか?
それを学ぶ必要があるのです。
なぜなら、導かれる結果というものが、あなたの現状を如実(にょじつ)に現しているからです。
人は自分自身の現状を知る必要があるのです。
現状を知らずに成長することはできません。
自分がどこにいるのかも分からずに、目的地を目指すことはできないのです。
どのように精巧な地図を渡されたとしても、現在地が分からないのであれば、何の役にも立たないのです。
当たり前のことではありますが、多くの人がそのことに気が付いてはいないのです。
既に現在地を見失っていることにすら気が付かないのです。
そして、そのことに危機感を覚えることもなく、誰かや何かのせいにしているのです。
あなたが道に迷っているのであれば、それは、あなたの責任です。
あなたには既に精巧な地図が渡されています。
どうするべきなのか?は、あなたの心が知っているのです。
しかし、多くの人はそれが自分の問題であるということを認めません。
多くの人が自分には非が無く、責任は誰かや何かにあると思い込んでいるのです。
そのような状態であっては、現在地を理解することなどできないのです。
周囲の景色を正しく見ることができないのに、どうやって現在地を割り出すというのでしょうか?
誰かや何かのせいにしているようであれば、自分がどこにいるのか分からなくなるのです。
現在地を割り出すためには、周囲の景色を正しく理解し、自分を探さなければならないのです。
自己責任であるという事実を見失ってはならなのです。
それはあなたの問題です。
これはあなたの人生なのです。
どのような状況に陥ろうとも、それはあなたの責任なのです。
あなたがそのように選択したので、当然の結果を受け取っているだけなのです。
責任は誰にあるのでしょうか?
他人はあなたの抱えている問題を抱えてはいません。
それは、あなたが抱えているのです。
また、同じ状況を歓喜する人がいるのです。
なぜでしょうか?
大切なのは学ぶことです。
気付きや成長を得るまでは問題は決して解決しません。
誰かや何かがあなたの代わりを引き受けることはありません。
あなた自身が経験する必要があるのです。
そのことを忘れてはなりません。
どのような状況に陥ろうとも、それを受け入れて学ぶ姿勢を忘れてはなりません。
この世界に意味のないことなどないのです。
すべては成長のために存在している大切な学びであるのです。
この事実を忘れるのであれば、あなたは道に迷うでしょう。

2015年8月23日日曜日

詰まらない毎日

柔軟な発想から可能性が導かれます。
人は柔軟な発想を目指さなければなりません。
柔軟な発想は、自由な心から導かれます。
既成概念に縛られない心こそが、可能性を導くのです。
多くの人は既成概念に縛られています。
従来の方法に固執するあまり、心が硬くなっているのです。
従来の方法に固執するのであれば、それ以外の方法が思い付くはずがありません。
新しい発想がなければ、新しい可能性は得られないのです。
新たな可能性を得ることがなければ、人は成長することができません。
古い方法に固執するのであれば、それよりも発展することはないのです。
この世界は成長を求めています。
あなたは成長しなければなりません。
あなたの行為も成長する必要があるのです。
それが人生の目的です。
いつまでも同じことを続けているのであれば、あなたは人生の意味を理解することはできません。
新たな可能性を得なければ、あなたが新たに”知る”ことはないのです。
新たな視点を得なければ、新たな発見はないのです。
新たな発見がなければ、成長することはないのです。
あなたはより多くのことを知る必要があるのです。
知ることがなければ、成長することもないのです。
一つでも多くのことを知るためには、従来の古い方法に固執していてはなりません。
新たな方法は新たな結果を導き、新たな結果は新たな発見に繋がるのです。
成長を実現するためには、より多くの経験が必要です。
その経験が似通っているのであれば、成長は実現しません。
同じことを続けていても成長しないのです。
少しでも違う角度の経験が必要であるのです。
経験に角度を付けるためには、あなた自らが動かなければなりません。
経験が変化するということはありません。
変化するのはあなたの心の方なのです。
違う状況を得ても、同じ感情を得ることができます。
あなたが大きな苦悩や深い悲しみの中にいる時には、どのような状況を得たとしても同じことです。
心が苦悩や悲しみに縛られている時には、心が晴れることはないのです。
自らが動かなければ、決して発見はありません。
柔軟な心を育むことが大切です。
あなたはいつでも心が反応(移動)できるようにしておきましょう。
心が一箇所(同じ感情)にとどまっていてはならないのです。
それは古い方法なのです。
何事に関しても、決め付けるものではありません。
常に可能性を求めるのです。
心が既成概念を離れるのであれば、過去の経験を元に新たな発想に至ります。
新たな発想が導かれないのは、心が既成概念を離れないからです。
新たな発想が導かれないのであれば、人生は変わらないのです。
状況は変わりますが、そこから得られる感想は変わりません。
新たな発見の無い詰まらない毎日を繰り返すのです。
詰まらない毎日の先に何があるのでしょうか?
そのような状態で、人生の意味が理解できるのでしょうか?
何のために生まれたのでしょうか?
何のために生きているのでしょうか?
現在のあなたに分からないのであれば、新たな発想を導いていく以外に方法はありません。
あなたは様々な疑問を抱えているはずです。
それを諦めてはなりません。
既成概念に縛られる心を解放するのです。
心が自由を得た時、疑問に対する答えに辿り着くことができるでしょう。
常識を疑いましょう。
古い方法を捨てましょう。
あなたは新たに始めるのです。

2015年8月22日土曜日

純粋な選択肢

人生は選択の連続です。
人は次の瞬間には選択を迫られます。
選択を放棄することはできません。
人生において、人は選択し続けなければならないのです。
言葉一つにしても、選択が迫られます。
言葉の選択肢は多くありますが、何を選択するかによって次の状況に影響を与えます。
言葉一つで人生というものは大きく変わるものです。
選択を軽んじてはならないのです。
あなたは未来を選択することができます。
あなたは未来を現在に導くことができるのです。
結果を想像した時、それに必要な原因を選択します。
未来の原因は現在にあります。
そのため、現在の選択によって未来を変えることができるのです。
人生を豊かなものにするためには、選択の質が重要です。
何を選択するか?によって、未来は大きく変貌(へんぼう)するのです。
豊かな人生を求めているのであれば、豊かな人生の原因となる選択をする必要があります。
あなたは豊かな人生の築き方を知っていますか?
数ある選択肢の中から何を選択すれば良いのでしょうか?
すべての人は未熟です。
どうすれば豊かな人生を築くことができるのか?ということを知っている人はいません。
すべての人が暗中を模索(もさく)し、豊かな人生を築くための選択肢を探し続けているのです。
幸福を求めない人はいません。
誰もが、自分の好む幸福を求めているのです。
幸福の形は人それぞれに違います。
そのため、誰かの選択肢を真似ることをしても、あなたの好む幸福を実現することはできないのです。
あなたは、自分だけの選択肢を探し出し、それを実践することによって自分の好む幸福を実現する必要があるのです。
他人の好む幸福が、あなたに適合することはありません。
人はそれぞれに学びの段階が違うために、同じ状況を得たとしても、必要な学びが得られないのです。
そのため、他人の好む幸福を手に入れたとしても、あなたの人生が豊かさを得ることはないのです。
自分の好む幸福を実現するためには、自力によってその選択肢を探し出さなければならないのです。
誰もあなたに教えることはできません。
これはあなたの人生なのです。
他人が決めるものではありません。
他人が知っているものでもないのです。
未熟な自分自身は最善の選択肢を知りません。
他人もそれを知りません。
しかし、心の深くに存在する魂であれば、それを知っているのです。
あなたの本質は魂です。
肉体も自我意識も最善の選択肢を知りません。
最も深く、最も純粋であり、最も単純な本質こそが、人生を豊かなものにする最善の選択肢を知っているのです。
そのため、あなたが最善の選択肢を求めるのであれば、心の奥深くに存在している魂に対して耳を傾けなければならないのです。
あなたが”自分”だと思っているものは、あなたではありません。
あなたの奥深くには、本物のあなたが存在しているのです。
心の汚れや歪みによって、あなたは自分を見失っています。
水が濁(にご)っていれば、そこに反射しているはずの自分の像は見えません。
水面が波打っていれば、自分の像は歪んでいるのです。
どちらの状態も、自分を正確に捉えることはできないのです。
慌ただしい感情や思考を放棄し、心を静めましょう。
そうすれば、心は澄んだ水のように深くを映すでしょう。
そこにはより純粋な選択肢が書かれています。
それを読み解くことによって、あなたは豊かな人生を築くことができるのです。
人生は選択の連続です。
次の瞬間には選ばなければなりませんが、それでも、瞬間の内の瞬間に選択しなければならないのです。
乱れた心で選ぶならば、あなたは豊かな人生を実現することはできません。
心を静め、より純粋な選択肢を探しましょう。
肉体や自我意識によって決めるのであれば、未熟な選択肢によって豊かな人生は実現しないでしょう。
心を静めることによって、より深い場所にあるより純粋な選択肢を得ましょう。

2015年8月21日金曜日

正確な時刻

何度も繰り返さなければなりませんが、人生の目的は成長にあります。
成長とは、より詳細に理解するということです。
すべての分野において、現状よりも知恵を増すことが成長なのです。
知恵とは、知識の量ではありません。
ただ知っているだけでは成長とは言えません。
知恵とは知性です。
知識が体系化されたものが知性なのです。
知識は世界を変えることをしませんが、知性は世界を変えます。
知性(知恵)によって、人は新たな可能性を得ることができるのです。
すべての分野において、知恵が可能性を導くのです。
そのため、人は知恵を求めて生きなければなりません。
知恵を得るためには、多くの知識を必要とします。
知識を体系化しなければ知性とはなりません。
一つの知性が生まれるためには、多くの知識を必要とするのです。
しかも、同じ形の知識を幾ら集めても知性とは成り得ません。
時計の部品はそれぞれに違うからこそ正確な時刻を示すように、違う形の知識を集めなければ、知性は生み出されないのです。
人は偏見によって、自分の好みに向かいます。
意識的、無意識的に選(え)り好みをしているのです。
好きなものばかりを集めるのであれば、知識は体系化を実現することはできません。
人生を理解するためには、物理、文化、歴史、社会、心理、生体・・・
様々な知識を集める必要があります。
そして、この世界には陰(ネガティブ)と陽(ポジティブ)の二つの性質が存在しています。
どのような分野のものであっても、必ず陰陽二つの側面を抱えているのです。
多くの分野の知識を得なければなりませんが、それが持つ二つの側面の知識をも得なければならないのです。
そのため、知らなければならないことは多々あります。
選り好みによって知った気になってはなりません。
多くの人は自分が好きなことに関しての知識は求めますが、嫌いなことに関しての知識を求めるということはありません。
例えば、苦しみに対しての知識を求めようとはしません。
苦しみに対しては、目を背け、そこから逃れようとしているのです。
苦しみは存在しています。
しかし、苦しみの対象は存在しません。
なぜなら、苦しみとは心の感想であるからです。
世界に存在するものは、すべては必要性を持ち、完全な形をしています。
性質の違いによって働きが違うだけであって、好き嫌いで判断することができるものなど存在しないのです。
苦しみから目を背け、そこから逃れようとするのであれば、苦しみから得られる知識を損ないます。
それは、知性の完成を妨げます。
知性の完成が実現しなければ、人生は正しい姿を見せることもないのです。
正しい姿を見ることができないのであれば、誤った時刻を示す時計に促(うなが)されるように、あなたは間違いを犯し続けるのです。
時刻に誤りがあれば、あなたの所有する計画のすべてが破綻(はたん)してしまうのです。
人生が正しい姿を見せないのであれば、人生の豊かさや幸福は実現しないのです。
そのため、人は様々な分野、性質の知識を集めなければならないのです。
偏(かたよ)りは歪みを生み出します。
様々な形が必要なのです。
時計が正確な時刻を示すためには、様々な知識を必要とするのです。
時刻を知るためには、天体を観測しなければなりません。
次に時計を設計しなければなりません。
そして、金属を加工しなければなりません。
それから、部品を正確に組み立てなければなりません。
最後に、時刻を正確に示すように管理しなければなりません。
それ等の知識をすべて得ることがなければ、時計が時刻を正確に示すことはないのです。
時刻を正確に示すという簡単そうな状態を実現するためにも、最低でこれだけの知識と知性を必要としているのです。
何か一つでも知識が足りなければ、時刻を正確に示すことはできません。
人生に偏見を持ち込むものではありません。
様々な知識を集め、知性を得ましょう。
そうでなければ、人生の目的である成長を実現することはできないのです。
無意味なこと、無駄なものはありません。

2015年8月20日木曜日

心の汚れ

すべての人は、生まれながらに汚れを所有しています。
どのような人物であっても、生まれ落ちるには理由があるのです。
この世に生を受けるということは、成長する必要があり、成長させる必要があるということなのです。
それは、汚れを取り除くことであるのです。
自分自身に対しても、他人に対しても、その汚れを取り除かなければならないのです。
汚れを所有したままであっては、成長することはできません。
それは、心にこびり付いて離れず、やがて歪みを生じさせます。
心に汚れを有したままでは、成長することはできないのです。
汚れは心の発育を妨げます。
曇り空が続けば、植物は発育することができないのです。
植物が成長するためには光が必要です。
心が成長するためにも、光の力が必要になるのです。
光の力とは、真理の導く光です。
心は真理によって照らされるのです。
その光が届かなければ、心が成長することはできません。
真理が輝いているのに、それに気が付くことがなければ、人は心を育むことができないのです。
そのため、汚れを取り除かなければなりません。
真理の光が心に届くようにしなければならないのです。
人生を生きる理由は、成長にあります。
成長するためには、汚れを取り除かなければなりません。
そのため、人は常に自らの心を見詰め、そこに存在、潜在している汚れを自力によって取り除きましょう。
汚れは、自我、我欲という形を以て現れます。
自己を中心とした考え方こそが心の汚れです。
多くの人は自己を中心とする考え方を所有しています。
誰もが自分が可愛いのです。
優先するのは自分自身のことなのです。
自分自身を大切にするのは当たり前のことです。
しかし、他人を大切にすることも当たり前なのです。
多くの人は自分自身を大切にするあまり、他人と争うのです。
他人との間に争いが生じるのは、自己を中心とする考え方を選択した結果に他なりません。
互いが相手を思いやっているのであれば、そこに争いが生じるということはないのです。
争いが生じるのは、心に汚れがあり、その汚れによって歪んでしまっているからです。
他人と協力しなければ、何事も好転することはないのです。
何等かの形にしても、協力することができないというのであれば、それは汚れによる結果であるのです。
自己を中心とする考え方を所有している人が、他人と協力することができるでしょうか?
協力することはあっても、それは自己の利益のために他人を利用しているに過ぎません。
それは、協力に見えても、決して協力ではないのです。
大切なのは汚れを取り除くことです。
心を美しく磨き上げなければなりません。
自我、我欲が先行することを認め、それを解消する必要があるのです。
多くの人は心の汚れを軽んじています。
人生が心によって作り出されているということを知らないのです。
そして、自分自身がすでに汚れを所有していることも知りません。
経験を重ねる中で、自我、我欲を退けましょう。
多くの人は”普通”に生きていく中で、汚れを増します。
自我、我欲を貪り、それを楽しんでいるのです。
自己を中心とした考え方を生きて、何が楽しいのでしょうか?
それは、仕事(責任)を楽しまず、遊び(無責任)を楽しむようなものです。
仕事(責任)を楽しまなければ人生に豊かさは訪れません。
遊びを楽しんでいる人は、苦悩の中に生きることになるのです。
あなたは心を大切にしましょう。
この世に生まれ落ちた理由を忘れてはなりません。
すでに心は汚れているのです。
それを改善することが目的です。
美しい心と共に、豊かな人生を生きましょう。
自我、我欲を退けることによって、汚れを取り除きましょう。

2015年8月19日水曜日

違う世界

すべての本質は隠されます。
この世界において、本質が露(あらわ)になっているものはありません。
すべての本質は外からは見えないように隠されているのが普通なのです。
そのため、表面的な解釈に満足しているのであれば、真実に辿り着くことはできません。
真実を得たいと考えているのであれば、本質的な解釈を求めなければならないのです。
本質的な解釈とは、深層(真相)を探る思考法です。
深くに向かわなければ、本質を得ることはできません。
隠されている本質は、その内部に存在しているのです。
そのため、玉葱(たまねぎ)を剥(む)いていくように、物事の深層(真相)へと向かう必要があるのです。
”有りのまま”とは、あなたの心の状態を映し出しています。
あなたの見ている世界は、心の状態を有りのままに映し出しているのです。
素直に見ることは大切ですが、表面的な解釈で満足することは危険です。
素直に見るということは、決して”何も考えない”ということではないからです。
素直に見るということは、素直に考えることであり、その状態によって人は深層(真相)へと向かうことができるのです。
素直に考えるということは、精査、探求するということです。
素直に疑いを抱き、素直に問うのです。
疑問を持つことは素直な証拠です。
素直な状態でなければ、この世の矛盾に気付くことはできません。
素直な心ほど、人の世の歪みに気が付くことができるのです。
それは、人の世には恐怖を根底とする思想が存在しているからです。
この世に存在しているほとんどの事柄が、恐怖を原因として生み出されています。
保護とは、大切な対象が傷付くことを恐れた結果です。
それは恐怖からなる行為であるのです。
人の基本的な動機は恐怖です。
恐怖に従わない人は少ないのです。
そのため、世の中は恐怖に根差した仕組みを築いているのです。
その本質に気が付かなければ、恐怖に怯える思想を当たり前のものとして抱えてしまうのです。
恐怖に根差した思想が導き出す行為は、不調和や分裂を引き起こします。
それは破滅的な行為に他ならないのです。
破滅的な行為が原因となって導く結果とは、苦悩に満ちたものとなります。
それは、人生の目的である成長とは掛け離れており、幸福や豊かさを得ることもできないのです。
すべての存在は成長を求めています。
幸福や豊かさを求めているのです。
そのためには、恐怖に根差した行為を選択してはならないのです。
本質が恐怖であるのならば、それは苦い玉葱となるでしょう。
本質が喜びであるのならば、それは甘い玉葱となるのです。
あなたの心が恐怖に満ちているのであれば、そこから出る言動は苦悩を導くのです。
心が喜びに満ちているのであれば、その言動は幸福を導きます。
世の中をしっかりと見なければなりません。
その本質は必ず隠されています。
表面的に解釈してはなりません。
できる限りその深層(真相)に向かい、本質を掴みましょう。
他人の言動に対して素直に疑いを抱き、素直に問わなければなりません。
常識が正しいのでしょうか?
教えられたことを暗記するだけでは、人生の意義を得ることはできないのです。
教えられたことを暗記するだけの表面的な解釈では、成長することはできないのです。
常識に疑問を抱きましょう。
隠されている本質を見極めるのです。
それは、すべての分野に向けられなければなりません。
自分自身に対しても向けましょう。
そうすれば、あなたは今までとは違う世界を生きることになるでしょう。
知らないことを知るということは良いことです。
何も知らないままに生きてはなりません。
出来る限り深く進み、これまでとは違う世界を生きましょう。

2015年8月18日火曜日

心の栄養

食物を取り入れれば、肉体は太ります。
肉体を太らせるためには、食物を取り入れることです。
人の本質は心です。
肉体は人生を手助けする大切な仲間です。
それはあなたであり、あなたではありません。
そのため、肉体を太らせるだけでは不足しているのです。
人は肉体と同じように、心を太らせる必要があります。
心の成長がなければ、人生の豊かさは有り得ないのです。
心を太らせるためには、食物ではなりません。
どれだけの食物を取り入れても、心が太ることはないのです。
心を太らせるためには、知識を取り入れることです。
心は知識を食べ物としているのです。
知識を取り入れなければ、心は痩せて衰えます。
多くの人は肉体の状態ばかりに気を取られています。
肉体が痩せ衰えないようには気を使いますが、心が痩せ衰えることを気にすることはないのです。
人は肉体と心の双方が充実していなければなりません。
肉体だけでもなりませんし、心だけでもなりません。
あなたは肉体と心の双方の充実を目指しましょう。
しかし、食物を押し込むだけでは腹を下します。
無理に詰め込むだけでは、腹痛を引き起こすのです。
大切なのは消化することです。
肉体が消化し、栄養を吸収することができる量の食物に制限しなければ、体調を崩してしまうのです。
心もこれと同じことが起こります。
知識を詰め込むだけではなりません。
知識は知性として消化(昇華)させれます。
知識という食物の中にある栄養(気付き)を取り入れることによって、知性が高まるのです。
知性の高まりと共に、心は成長を遂げるのです。
知識を詰め込み過ぎれば、それを昇華することができずに下してしまいます。
それでは、どれだけの知識を求めても、豊かさを得ることはできないのです。
あなたは知識を詰め込むだけで満足してはなりません。
多くの人が知識を得ただけで満足しています。
しかし、それは腹に食物を詰め込むだけで満足しているのと同じなのです。
肉体の場合は、内臓はあなたの意思に関係なく(肉体の心によって)働いてくれます。
しかし、心の場合はそのようにはいきません。
心は自らの力で働かせ、知識を昇華しなければならないのです。
知識を昇華するためには、それを体験によって実感する必要があります。
体験によって実感することによって、知識は知性に変わるのです。
机上の空論では心を育むことはできません。
どのような知識にも、その証拠が必要であるのです。
それが、どのように優れた知識に思えようとも、真実でなければ栄養にはならないのです。
薬品を飲んで肉体を維持するようなものです。
偽物の栄養であれば、肉体は痩せ衰えてしまうのです。
その知識が世界に対して有効であるのか?
それは真理であるのか?
ということを確かめなければなりません。
どれだけの時間を過ごしても、気付きを得なければ身になりません。
あなたはただ知識だけを追求してはなりません。
その知識がどのような味であり、どのような栄養素を持っているのか?ということを確かめなければならないのです。
知識を得ただけで満足してはなりません。
暗記するだけでは、成長は実現しないのです。
知識に従って実際に行えなければなりません。
知識は忘れますが、知性は忘れないのです。
知識を昇華して心を育みましょう。
多くの知識は必要ではありません。
昇華することができる範囲の知識を嗜(たしな)みましょう。

2015年8月17日月曜日

魂の目的意識

人は知性を高めなければなりません。
時間を無駄に過ごしてはなりません。
知性の高まりに関係のないことに興味を抱き、それを楽しむことは、人生の意義を自ら手放す行為であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は知性の高まりを気にしません。
多くの人は知性が低いままです。
知性が低いために、誤解を所有します。
誤解によって問題を生み出し、自ら苦しむのです。
人生には目的が存在しています。
その目的は成長です。
成長するためには、この世界のこと(真理)を理解する必要があります。
理解することができなければ、成長することもできません。
しかし、知性が低いために、世界を理解しようとする行為に興味を抱きません。
そして、その状態が苦悩を導いているということにすら気が付かないのです。
多くの人の関心は、生活と娯楽にあります。
娯楽を満喫する生活が幸福であると考えているのです。
多くの人は肉体の有する欲求こそが幸福の源だと思っているのです。
そのため、生活と娯楽に精を出すのです。
眠ること、食べること、性を貪(むさぼ)ること、遊ぶことを喜びとしているのです。
それは心を満たしているように思えますが、すぐに乾いてしまいます。
生活と娯楽をどれだけ求めても、心はすぐに乾いてしまうのです。
それ等が無駄であるということではありません。
同じ行為に及んでも、知性の高まりを求めていなければ苦悩に到達すると言っているのです。
大切なのは世界への理解を深めることです。
生活と娯楽に知性を求めることがなければ、どうして世界に対する理解が深まるというのでしょう?
ただ楽しむだけならば、あなたは成長することができないのです。
理解を深めるためには、学習する必要があります。
ただ眺めているだけでは、学習とはいえないのです。
意識的に認識することがなければ、理解は深まりません。
多くの人が意識的に生きてはいません。
魂としての目的意識を持たずに暮らしているのです。
人生とは何でしょうか?
何のために生きているのですか?
自分とは何者なのでしょうか?
このように簡単な質問にすら答えることができません。
それは、知性が回答に到達してはいないからです。
何も知らずに生きていくつもりですか?
そのまま死を迎えるのでしょうか?
生活と娯楽を楽しむだけの人生なのでしょうか?
虚しくはないですか?
人生を意義のあるものとするためには、知性の高まりが必要です。
無知な者が真実の幸福を得ることはできません。
子どもの頃の幸福を、様々な経験を重ねた今でも同じように思えるでしょうか?
無知な者の求める幸福と、有智(ゆうち)な者の求める幸福には隔たりがあります。
あなたが大人である場合、子どもの娯楽を同じように楽しむことができるでしょうか?
そのように振る舞うことはできるでしょうが、真意は違うはずです。
無知によって見る世界に存在する幸福と、有智によって見る世界に存在する幸福とは違うものであるのです。
そのことを理解する必要があるのです。
なぜ、知性の高まりを求めないのでしょうか?
同じことを何度も何度も繰り返すのでしょうか?
一つ一つの経験への理解を深めましょう。
それ等に対して、知性を求めなければなりません。
自分の見方によって、世界が変わります。
あなたの心が人生を決めるのです。
生活や娯楽を楽しむことに満足すれば、あなたは知性の高まりを得ないでしょう。
知らないことに興味を持ちましょう。
すべてを成長のために存在”させ”ましょう。

2015年8月16日日曜日

小さな認識

理解を深めなければ、辿り着くことはできません。
無知を克服しなければ、先へ進むことはできないのです。
人は知らなければなりません。
知恵の高まりがなければ、自由を生きることはできないのです。
人生の目的を達することもできません。
多くの人が不自由の中に生きています。
多くの人が、人生の目的を果たすことなく死んでいくのです。
あなたは自由に生きていますか?
人生の目的を果たせると思いますか?
理解の浅い者、無知な者には不可能です。
知らないのに、どうして自由が得られるでしょう?
知らないのに、どうして人生の目的を果たすことができるでしょう?
自由を得るためには知る必要があります。
人生の目的を果たすためには、知る必要があるのです。
この世界には、あなたの知らないことがあります。
あなたが知っていることよりも、知らないことの方が多いのです。
あなたは何も知りません。
自分が賢者であるなどと思い込んではなりません。
あなたが”知っている”ということはないのです。
あなたは知りません。
必ず無知を抱えています。
それを忘れてはなりません。
多くの人は五感を頼りに生きています。
五感によって得られる情報をすべてだと考え、それ以外の情報を否定します。
自分が認識することができないものは、存在しないと考えるのです。
これほど傲慢(ごうまん)な考え方があるでしょうか?
無知な者は傲慢に至るのです。
自分が無知であるということすら知らないために、自分が優れていると勘違いするのです。
そして、謙虚さを失います。
視覚で捉えることができるのは、可視光線という狭い範囲の光です。
不可視光線の領域の方が広いのです。
可視光線の範囲をすべてだと思い込んでいるのであれば、それは”知らない”ということになるのです。
しかし、五感に頼る人は、それをすべてだと思い込んでいます。
見えないのだから存在しないということになるのです。
それがどれだけ安易な結論であるのか?あなたには理解することができるでしょう。
聴覚も同じです。
あなたの聴力では認識することのできない振動(音)が存在するのです。
あなたの五感が認識することのできる範囲が狭いということを理解しなければなりません。
五感は、肉体の持つ力です。
肉体の能力には限りがあります。
あなたが五感で認識することのできる以上の範囲を認識するためには、五感以上の能力を扱う必要があります。
それは、意識の力です。
肉体がすべてではありません。
あなたの本質は心(思考、感情、魂)なのです。
心が肉体を帯びているのです。
そのため、心と五感を共通させなければならないのです。
五感を通して得られる情報と、心を通して得られる情報の統一こそが、あなたに世界の真実を知らせるのです。
心と五感を通して観察する世界こそが、真実なのです。
認識することができないからといって、それを否定してはなりません。
認識することができなくても存在し、実際に影響を与えているものは多々あるのです。
あなたには電波を見ることはできませんが、それを扱うことはできるのです。
扱っているのであれば、存在するのです。
認識することができなくても、存在するものがあるのです。
あなたはその未知に対して、挑戦し続けなければなりません。
認識することができないもの、理解することができないことを否定してはなりません。
小さな世界にとどまっていてはならないのです。
理解を求めましょう。
無知を手放しましょう。
知らないことの方が圧倒的に多いということを忘れてはなりません。
五感に溺れてはなりません。

2015年8月15日土曜日

小舟

我欲を投じるのであれば、世界は混乱によって満たされます。
必要なのは秩序を保つことです。
混乱の中にあっては、人は人生の目的地に辿り着くことはできません。
嵐の中にあっても、小舟は目的地へと辿り着かなければならないのです。
人生の旅路は簡単なものではありません。
それは、自分自身によって穏やかな水面に岩を投げ込むからです。
投げ込まれた岩によって、水面は乱れ、小舟は大きく揺れ動きます。
この小舟はあなたです。
あなたは荒波に揉まれることによって、目的地への針路(進路)を見失うのです。
人生には混乱が付き物です。
それは、あなたが無知を所有しているためです。
無知な者は事を荒立てます。
穏やかな水面に大きな岩を投げ込むのです。
乱れた思考、感情によって、乱れた心が導かれます。
あなたは思考や感情を丁寧に沈めなければなりません。
大きな岩ですから、静かに沈めても波が起きます。
穏やかな波に乗って進めば良いのです。
穏やかな波風によって小舟は十分に進むことができます。
しかし、嵐によっては沈没する可能性を得るのです。
心の乱れた者が目的地に辿り着くことはできません。
その場で沈没するか、目的地とは随分離れた場所に流されてしまうからです。
針路(進路)を失えば、決して辿り着くことはできないのです。
そのため、人は心を静める必要があるのです。
我欲は心に混乱を導きます。
我欲とは自己中心的な欲求です。
それは、破滅的な意思であり、場に混乱を導くのです。
自分の思い通りに進めようとすれば、強引に行わなければなりません。
それでは心が乱れるのです。
反対を押し切るのであれば、そこには怒りの感情が必要です。
争うことがなければ、自分の思い通りに進めることはできないのです。
誰かは必ず反対の意見を所有しています。
状況は必ず、あなたに抵抗します。
あなたの思い通りには進まないようになっているのです。
それは、未熟なあなたの思い通り事が運べば、人生の目的を果たすことはできないからです。
あなたの目的は我欲を押し通すことではありません。
人生の目的である、成長や(全体に対する)貢献が求められているのです。
成長や貢献に比べ、それ以外のことは装飾に過ぎません。
浮力に勝る重量の荷物によって、小舟は沈没してしまうのです。
我欲によって成長や貢献以外を求めるのであれば、小舟はすぐに沈没してしまうということを覚えておきましょう。
我欲によって見栄を重視してはなりません。
そのようなものに価値はないのです。
大切なのは針路(進路)を見失わずに進むことです。
人生とは何ですか?
あなたは何のために生きているのでしょう?
豪華な小舟で嵐の中で沈没するためですか?
素朴な小舟であっても、良く走る舟でありましょう。
目的地へ辿り着かない小舟に価値があるでしょうか?
豪華な小舟ほど、沈没した時の落胆は大きいでしょう。
我欲を投じて世界に混乱を導いてはなりません。
乱れた心で生きてはなりません。
冷静さを失った時、あなたは自らの目的を見失うでしょう。
穏やかな水面であれば、遠くまで見渡すことができます。
荒れた水面であれば、近くさえ満足に見ることができないでしょう。
航海の達成を決めるのは天候です。
人生の達成を決めるのは心なのです。
そのことを覚えておきましょう。

2015年8月14日金曜日

小さな手掛かり

この世界に無駄は存在しません。
すべては必要に満ちています。
すべての存在が大切な役割を担って存在しているのです。
しかし、あなたには無駄に思える存在が多数あります。
それは、直接的にあなたには関係していないからです。
直接的に関係を持たないものには、その必要性を理解することは難しいのです。
あなたの認識は、自らの近くに限定されます。
それは、想像力に乏しいからです。
自らに直接的に関係しないものに対する必要性を理解するには、大きな想像力を必要とするのです。
それは、目には映らない繋がりを理解することであり、簡単なことではありません。
目には映らない繋がりを理解するためには、小さな手掛かりを拾い集め、推測から到達する必要があるからです。
推測から始めなければ、事実に辿り着くことはできません。
事実とは、(あなたにとっては)奇妙な状態であるのです。
この世界には無駄が存在しないのが事実です。
しかし、あなたにはそれが奇妙に映るでしょう。
あなたには無駄に思えることが多々あるはずです。
それは、自分自身に対する関係性を想像し、その事実に気が付くことができないからです。
深く観察することがなければ、決して事実に到達することはできません。
無関係に思える小さな手掛かりを拾い集め、そこから事実への推測を導き出さなければなりません。
無関係に思えるものが、あなたには関係しています。
「すべては一つ」に繋がっているのです。
無意味なものは存在しないのです。
宇宙を眺めた時に、この広大な世界が何のために存在しているのか?を考えたことはありませんか?
地球という小さな惑星に住む、あなたの小さな認識のためだけに、広大な宇宙空間が存在しているのでしょうか?
宇宙空間に存在するすべての星が、何の意味もなく、無駄に存在しているというのでしょうか?
その意味を推測し、事実を求めなければならないのです。
想像力を諦めてはなりません。
推測を放棄してはなりません。
事実を恐れてはなりません。
あなたには知らなければならないことがあるのです。
無知を生きるのであれば、この人生が意義を見出すことはありません。
人生は知恵の高まりによって、意義を見出すのです。
そのため、世界に無駄を見出している者には、意義のある人生を生きることはできないのです。
必要のないものは存在しません。
存在するすべてのものは、必要な意思によって生み出されるのです。
あなたの行為が無駄に終わったことがあったでしょうか?
それは、人生に何かしらの影響をもたらしたはずです。
あなたの理想とは違う形であることが、無駄に終わるということではありません。
あなたがその事実に気が付かないだけであって、必要は満たされているのです。
その事実は次の展開をもたらし、必要な経験をあなたに導くのです。
それが苦悩に満ちた経験であったとしても、無駄になることなど有り得ません。
すべては必要性に従って導かれるのです。
過去を振り返ってみれば理解することができます。
どのような過去も、あなたには必要な学びであったのです。
その経験がなければ、あなたは成長することができてはいないのです。
人が何かしらの経験を得て、成長しないということはありません。
どのような経験からも、成長を実現することができるのです。
過去を得た者が成長を実現しないということは有り得ません。
この世界に無駄は存在しないのだから、成長が実現しないということもないのです。
無意味に思えるもの、無駄に思えることが、あなたを確実に成長させます。
想像力を働かせましょう。
小さな認識の中に埋没してはなりません。
世界は広大であるのです。
必要性を探しましょう。

2015年8月13日木曜日

拘りへの執着

くよくよと思い悩んでいる時間はありません。
人生には次々と学びが導かれているのです。
大切なのは学びを得て成長することです。
成長することが人生の目的であることを忘れてはならないのです。
人生には様々な状況が導かれます。
それは、様々な経験によってあなたの心を大きく揺さぶるためです。
大きく揺さぶられる刺激によって、心は深く観察することを仕方なくされます。
深く観察することによって、目の前の問題の解決方法を見付け出し、問題を解決することによって成長を実現するのです。
深く観察することがなければ、人は心を働かせることはありません。
心を働かせることがなければ、理解は及びません。
理解することができなければ、成長することはできないのです。
成長とは理解によって導かれます。
理解が深いほど、成長に近付くのです。
そのため、人はより深く理解する必要が求められます。
深く理解するためには、一つの事柄に拘(こだわ)っていてはなりません。
一つの事柄に拘ることは、理解を深める作業のように思うかも知れません。
しかし、一つの事柄に拘っている間は、その観察の視点は一箇所にとどまる傾向にあるのです。
大切なのは、柔軟な視点を保持することです。
同じ対象を観察するにしても、拘っては理解を深めることはできません。
一つの対象に対して、多面的なアプローチを試みなければ、深くに進むことはできないのです。
拘りは、その視点を一面的なものへと執着させてしまうのです。
それでは、成長を実現させることはできないのです。
深く進むためには多面的な視点を持ち、理解を深める必要があります。
サイコロの一つの目をどれだけ観察しても、それがサイコロであると理解することはできません。
一つの目を観察して、それ以上理解を深めることができなければ、次の目を探すのです。
次の目を見付け出したなら、それを観察します。
二つの目を観察したのであれば、それは理解を深めたことになります。
そこで、答えが出るかも知れませんし、ヒントを得ることになったかも知れません。
拘ることは近道に見えても、ただ我武者らに突き進むだけでは結果的に遠回りになってしまうのです。
地面を掘り進める時に、岩盤に到達すれば別の場所を掘り進めるようにすれば良いのです。
そうすれば、岩を砕く必要も無く、その岩の全貌(ぜんぼう)を捉えて、それを掘り出すこともできるのです。
思い悩むということは、その視点が一箇所に凝り固まっているということです。
思い悩む状態を保ってはなりません。
人生は常にあなたに学びを投げ掛けています。
未来から次々に状況が導かれるのです。
あなたはそれを受け取らなければなりません。
その情報を頼りに、理解を深め、成長を実現する必要があるのです。
次々に導かれる情報を処理するためには、拘りに執着していてはならないのです。
人生はあなたにヒントを与え続けています。
それ等に気付くためには、自らの姿勢を顧みる必要があるのです。
くよくよと拘っていては気付くことはできません。
柔軟にいなければならないのです。
大切なのは自分自身の在り方です。
いつまでも同じことを繰り返していてはなりません。
その方法で気付きを得ることができなければ、他の方法を探るのです。
そして、いくつかの角度を以て理解を深めるのです。
人生は次々に学びを導きます。
あなたはそれを大切にしなければなりません。
くよくよと思い悩んでいる時間はありません。
立ち止まらずに進みましょう。
拘りによって凝り固まってはなりません。
別の方法をとっても、それは一つの対象への理解に結び付くのです。
サイコロを理解するためには、一から六までのどの面から観察しても構わないのです。
あなたに向いている面を観察し、その他のすべての面があなたに向くまで、サイコロを振り続けましょう。
一つの視点に拘り過ぎるあまり、柔軟性を失うことに注意しましょう。
先へ進みましょう。

2015年8月12日水曜日

相関関係

世界は相関性によって成り立ちます。
すべての存在が一つに繋がっているのです。
存在同士には相関関係があります。
この世界において、独立して存在しているものはありません。
すべての存在が相関関係によって結び付いているのです。
関係の無いものは存在しません。
何をするにしても、必ず誰かや何かとの相関が成り立つのです。
独りで何かを行うことはできません。
あなたが何かを行えば、それに影響を受ける存在があるのです。
これとは反対に、誰かや何かが動けば、あなたは必ず影響を受けるのです。
様々な形によって、すべての存在が影響するのです。
この世界において、関係を持たないものは存在しません。
すべての結果、状況には、相関性を持つ二つ以上の存在が関わっています。
互いに影響力を持ち寄って導かれるのが現象としての結果であり、状況であるということなのです。
一つの存在が動けば、それに誘われて必ず他の存在が動きます。
すべてが一つに繋がっているために、一つの存在が動けばその両隣は動かざるを得ないのです。
相関する存在がどのように動くのかは、導き出される結果や状況によって変化します。
導き出される結果や状況に従って存在が動く必要があります。
作る料理に従って、必要な材料が変わるようにです。
これは、未来からの情報によって現在を決めているということなのです。
現在が変われば、過去も変わります。
未来と現在と過去とには、相関関係があるのです。
それと同じように、あなたと他人にも相関関係があります。
集団、社会、自然界、宇宙、人生・・・
これ等とも相関関係を持つのです。
あなたに関係の無いものは存在しません。
あなたはすべてと一つに繋がっています。
あなた以外の存在も、あなたに繋がっているのです。
すべてに相関関係があるということを理解しましょう。
”距離”によって強弱はあるものの、必ず影響を受けるのです。
一つの結果を導き出すためには、自分独りの力ではどうすることもできません。
また、相手独りの力であっても同じことです。
その結果に関係するすべての存在が協力し、必要な結果が導き出されるように努めなければ、それは叶わないのです。
画家が最高傑作という結果を導き出すためには、自分独りの力ではどうすることもできません。
自分独りの力では、自己満足や自己陶酔という結果に至るからです。
それは、名画とは成り得ないのです。
それを目にする人たちの前向きな評価がなければ、決して名画という結果を得ることはできないのです。
画家と観客との間には、強い相関性が存在しているのです。
このように、自分独りの力ではどうすることもできないのがこの世界の理(ことわり)です。
人は独りでは生きていくことができないのです。
必要な結果さえ、自分独りでは得ることができないのです。
自己中心的に生きているのであれば、他者との間に存在する相関性には気が付きません。
相関性に気が付くことができなければ、必要な結果を導くことはできないのです。
それでは、豊かな人生を得ることもできないのです。
あなたは常に誰かや何かに対して影響力を与えています。
あなたが求める結果のためだけに努めるのは間違いです。
他人が求める結果のために努めることを忘れてはならないのです。
あなたが自分勝手に生きるのであれば、相関性は崩れます。
互いが協力することがなければ、必要な結果や状況を導き出すことはできないのです。
視野を広く保たなければなりません。
自分独りで必要な結果を導き出すことなどできないのです。
自分のために努め、他者のために努めましょう。
人生は自分のものであり、他者のものであるということを理解しなければなりません。
世界は有って無いのです。
あなたは有って無いのです。
相関性を見失ってはなりません。
主役として、脇役として、懸命に努めましょう。

2015年8月11日火曜日

設計図

すべては知性によって決められます。
この世界における原点は知性です。
知性が原因となって、世界が生じたのです。
この世界は物質という形を尊重します。
物質は、小さなものが大きく集まったものです。
それは、意識から生じます。
あなたが家を得るためには、家を欲する衝動として感情が働き、家を建てるための計画を思考が練り、感情と思考の両方を使って行動した結果として、家という物質が得られるのです。
感情も思考もなく、家が存在することはありません。
家とは、感情と思考という目には映らない小さな意識が集まった形であるのです。
感情と思考は知性の結果です。
知性が存在しなければ、感情も思考も”結果”も存在しないのです。
すべての物質は知性によって生み出されるのです。
知性とは設計図のようなものです。
すべての存在は、知性の用いた設計図によって生み出されているのです。
あなたの顔や四肢がそのような形を得るのは、遺伝子という設計図のためです。
遺伝子という設計図が存在しなければ、肉体はそのような形を保つことはないのです。
家も肉体も同じです。
状況や環境などの物質的な形を取らない形も同じです。
どのようなものであろうとも、この世界に形を得るものは、すべてが設計図を持っているということなのです。
地球も太陽も、この世界の理(ことわり)でさえ、設計図の元に作られているのです。
設計図がなければ、そのような形には成り得ないのです。
存在するすべては、知性によって生み出されるということを理解しましょう。
あなたの人生は、あなたの知性によって決められます。
人生を左右するのは”テクニック”ではありません。
そのような小手先の方法によって、人生が左右されることはないのです。
誰かを騙(だま)した人が、豊かな自己や人生を得ることができるでしょうか?
残念ですが、そのようにはなりません。
誰かを騙すということは、知性がその行為の本質に気が付いていないということです。
誰かを騙すことによって、一時的な快楽を得ることができたとしても、それは初めから豊かさではありません。
誰かを騙して人生を成功することなどできないのです。
必ず、その報いを受けることになるのです。
優れた知性の持ち主が、目先の快楽に溺れるでしょうか?
価値のある本物の宝を知っているにも関わらず、わざわざ価値の無い偽物の屑(くず)を手にするのでしょうか?
知っているのならば、偽物を選ぶことはありません。
知っているのだから、本物を選ぶのです。
装飾品ならば、テクニックによって見分けることができます。
しかし、この世界(人生)の本物と偽物を見極めるのはテクニックではありません。
それは、知性によってのみ見極めることができるのです。
知性の高まりがなければ、決して見極めることはできません。
本物を選択するという設計図がなければ、本物を選ぶことはできないのです。
偽物を選ぶという設計図があるからこそ、偽物を選ぶのです。
簡単なことです。
原因があるために、結果があるのです。
それ以外はありません。
すべては知性の描く設計図です。
すべては計画通りに進んでいます。
知性の質が重要なのです。
知性の質は、感情と思考の質によって決まります。
それを人格と呼ぶのです。
本質を見極めるためには、その対象について多くのことを知っておく必要があります。
知っていなければ、見極めることができないのです。
人は人格を磨かなければなりません。
それは知性を磨くことです。
それは思考を磨くことです。
それは感情を磨くことです。
善悪の判断を越えましょう。
あなたの思う善と悪の両方共を大切にし、そこから学ばなければなりません。
そうでなければ知ることができません。
知性の高まりは、”知っている”という状態によって導かれるということを覚えておきましょう。
人生は知性に等しいということを理解しましょう。

2015年8月10日月曜日

理解を求めて

この世界において、あなたが他人を理解することはありません。
他人があなたを理解することもありません。
理解は深まりますが、それが達成されることはないのです。
すべての人が、相手を理解することができないままに人間関係を進めます。
どのように努めても、理解することはないのです。
それを受け入れる必要があるでしょう。
ただし、理解することができないからといって、理解する努力を諦めるということではありません。
多くの人が弱さによる恐怖を抱きます。
恐怖は不安を煽(あお)り、依存心を育てます。
その結果として、人は他人に理解を求め、自分を安心させて欲しいと考えるようになるのです。
自分が相手を理解しようとすることは稀(まれ)です。
それは弱さを克服した人でなければ選択しません。
弱さを抱えた多くの人たちは、自分を理解して欲しいとだけ願っているのです。
相手を理解しようというのではなく、自分を理解して欲しいという要望は、利己主義に他なりません。
他人の理解に努めることをせず、自分への理解を強要する人との間には、理解が深まることはないのです。
多くの人がそのような状態にある中では、理解が深まることは難しいのです。
そのため、あなたが他人を理解することも、他人があなたを理解することもできません。
すべては一つの目的のために動いていますが、個々がそれを知ることはできません。
全体の目的を知ることはなくても、個々は自らの役割を果たすことによって、それを果たすのです。
繋がりの見えない者が他人を理解しようとは努めません。
機械の部品は様々な形をしていますが、一つの目的のために働いています。
部品が他の部品の働きを理解することができるでしょうか?
隣にあり、直接的な関係を持つ部品の必要性を理解することはできるでしょうが、遠くにあり、間接的な関係を持つ部品の必要性を理解することはできないのです。
すべてが同じ機械の部品であるにもかかわらず、そのことを理解することができないのです。
全体を見なければ理解することができません。
しかし、全体を見渡すほどに強く、余裕のある人物は少ないのです。
そのため、多くの人は狭い視野によって、自分に直接的な関係を持たない人やものに対する理解を得ることができないのです。
他人に理解を求めるのは難しいのです。
難しいことを強行する必要はありません。
できることを確実に推し進めていくことの方が有益です。
高い壁をいきなり飛び越えることはできません。
一段一段、階段を積み上げていくのであれば、高い壁をも簡単に乗り越えることができるのです。
できること、簡単なことを確実に行う必要があります。
奇跡など起きはしません。
できないことができることなどありません。
一つ一つの積み重ねという実績がなければ、できないことができることなどないのです。
あなたが他人を理解することはありません。
他人があなたを理解することもありません。
それなのに、自分のことを他人に理解して欲しいと願うのは、虚しいことなのです。
自分のことを他人に理解して欲しいと願っても、それが実現することはありません。
そこには何も実りません。
理解を求める必要はありません。
奇跡を待つのは滑稽(こっけい)です。
あなたを理解する人がいないことは問題ではありません。
あなたが他人に依存することが問題なのです。
誰からも理解されなくて良いのです。
あなたは自分を信じていましょう。
理解されることがなくても、自分を信じていれば、目的を達することができるのです。
あなたは人間(とは未熟であり、歪んでいる存在)からの評価されるために存在しているのではないのです。
多くの人から理解されても、自分の目的を果たすことがなければ、それは人生の”失敗”を意味しているということを覚えておきましょう。
多くの人から理解されることが重要なのではありません。
現在の常識となっている知識が発見された時に、それを理解すること、受け入れることができた人がどれだけいるでしょうか?
現在では当たり前であることを理解できた人、受け入れることができた人は少ないのです。
そのため、他人からの理解など、大して価値がないということを理解する必要があるのです。
しかし、多くの人はそのことに気が付きません。
それは、弱さによって他人に依存しているからです。
他人に理解されることを求める必要はありません。
本当に価値のあるものが何であるのか?ということを問い続けましょう。

2015年8月9日日曜日

知性の管理

すべては知性の産物です。
すべての存在は知性によって導かれました。
存在するすべてには知性が存在し、導いています。
存在するものが知性から離れることはありません。
知性がそれを見捨てるということはないのです。
すべては知性の管理下において、完全な姿を保つのです。
すべてが知性によって働きます。
そこに無駄は存在しません。
すべては必要に応じて、必要を満たすために働くのです。
必要に反するものはありません。
それがあなたにどのように映ろうとも、知性によって導かれる働きに無駄は存在しないのです。
それを無駄であると考えるのであれば、それはあなた自身の問題であって、知性(目の前の状況)の問題ではありません。
長く観察を続けるのであれば、知性の働きに気が付くことができます。
表面的な認識によって、その必要性を理解することなどできないのです。
あなたが考えているよりも、この世界は複雑です。
あなたの体内が超高度な仕組みで動いているように、この世界は高度な働きをしているのです。
一つ一つは単純な構造でありますが、それが連携した時には、超高度な仕組みを作り上げるのです。
そのため、あなたには理解することができません。
知性の意思を理解しようとすれば、長く観察する以外に方法はありません。
これは、あなたの認識力の問題であるのです。
あなたは自らが未熟であるということを理解しましょう。
この世界は常に完全な姿を保ちます。
不完全であるのはあなたの認識なのです。
その事実を見失ってはなりません。
自惚(うぬぼ)れは、あなたを苦悩へと導くことになるのです。
人が苦悩を得るのは、因果の仕組みによる当然の結果です。
多くの人はそれを否定しますが、この世界が知性によって完全な姿を保つことすら理解していない状態では、苦悩を得る必要性があるということに気が付かなければならないのです。
すべては成長のために働きます。
知性は成長を求めています。
あなたは自らが管理している仕事の発展を願うでしょう?
あなた自身とすべての事柄に関して、その成長を求めているはずです。
それと同じように、あなたよりも高度な知性は、あなたの成長とこの世界の成長を求めているのです。
知性は、この世界であなたと同じことをより高度な次元において行っているのです。
上には上がある(いる)ということを覚えておきましょう。
その事実が存在するために、自惚れてはならないのです。
それは、本質を見失うことであるからです。
あなたは複雑に考える必要はありません。
知性が求めているのは成長です。
どのような手段において成長するのか?ということは気にしなくても良いのです。
どの道を選んでも、成長への道のりは同じです。
どの山にしても、山頂を目指すためには登らなければならないのと同じなのです。
山頂を目指すのに下ることはできません。
成長とは、誰にとっても、どこであっても、同じ方法によって実現するのです。
それは、自らを整えることです。
心に愛を育むことなのです。
人格の高まりこそが成長です。
それ以外はありません。
どれだけの地位や名誉や金銭を得ようとも、人格の高まりが実現しない間は、成長していないのです。
細かいことは気にせず、あなたは山頂を目指してただひたすらに登れば良いのです。
すべての道が山頂に続いています。
どこから向かっても、登るのであればそれで良いのです。
登れば到着するのです。
あなたは自らを知性に委(ゆだ)ねましょう。
存在するすべてに知性が存在し、それを管理しています。
すべてが必要に満たされ、完全な姿を保ちます。
不安や恐怖を抱く必要はありません。
どのような結果も、あなたの成長に欠かせない要素なのです。
成長を実現するために、心に愛を育てましょう。

2015年8月8日土曜日

歴史

あなたの生きる世界には、過去と現在と未来が存在しています。
あなたは過去と現在と未来に生きることができ、生きているのです。
あなたは過去と現在と未来を同時に所有しています。
それ等を別々のものとして考えてはなりません。
過去と現在と未来を合わせたものがこの世界であり、人生であるのです。
過去と現在と未来は同時に進行しています。
過去が失われることはありません。
現在も未来も同じです。
そのすべてが歴史としてあなたに導かれるということを覚えておきましょう。
人の本質を見極めるためには、過去と現在と未来のすべてを見極める必要があります。
多くの人が過去か現在に捉われています。
その人の過去や現在を見て判断します。
過去だけを参考にしても理解することはできません。
現在だけを参考にしても同じです。
未来も含めて、すべての時空を見極めなければ、その人の本質を知ることはできないのです。
あなたは過去と現在と未来を同時に見詰めましょう。
自分自身に対しても、他人に対しても、その姿勢を忘れてはならないのです。
過去と現在と未来を知ることは簡単ではありません。
あなたがそれを知るためには、徹底的に調べなければならないのです。
柔軟に多面的に見なければなりません。
一辺倒に見るのであれば、理解することはできないのです。
すべての人はなん等かの立場に拘(こだわ)りますが、その態度を捨てなければならないのです。
過去と現在と未来の繋がりの総合が、その人の人となりをあなたに教えるのです。
総合的に判断することによって、本質を見極める確率が高まるということを理解しましょう。
人の歴史を簡単に理解することができると考えてはなりません。
長い期間をかけて、辛抱強く観察しなければなりません。
今のあなたには理解することができないことであっても、未来のあなたには理解することができることもあるのです。
辛抱強く観察しなければ、決して理解することはできません。
多くの人は安易に結論に至ります。
見極められていないにもかかわらず、安易に結論を導き出しているのです。
簡単に人を決めることはできません。
なぜなら、人の所有する過去と現在と未来という歴史は、常に変化し続けているからです。
今あなたが見ている現在jは、次の瞬間には違うものとなっています。
過去も変わり、未来も変わるのです。
何一つとして不変のものはありません。
”気持ち一つ”で簡単に変わるものなのです。
あなたが次の瞬間に改心すれば、過去と現在と未来は全くの別物となるのです。
他人が心を改めても同じことなのです。
そのため、観察し続ける必要があるのです。
世界は次の瞬間には別物に変わります。
この世界では、継続するものはないのです。
すべては一瞬の積み重ねであるからです。
自分自身を、いつまでも同じ存在だと考えてはなりません。
もちろん、他人にもそのようにしましょう。
過去と現在と未来のあなたは、全くの別人です。
次の瞬間には、あなたは滅びます。
そして、次の瞬間には、あなたは生じているのです。
生と死とは常に背中合わせであり、それは瞬間の内に実現します。
過去が死に、現在が生まれます。
現在が死に、未来が生まれます。
未来が死に、過去が生まれます。
過去が死に、現在が生まれるのです。
それが歴史です。
人を簡単に判断してはなりません。
”好き嫌い”という個人的な感情で判断することができるような浅はかなものではありません。
深く長く観察しましょう。
そうすれば、人の本質を見極めることができるでしょう。

2015年8月7日金曜日

プロ意識

すべての人が役割を担っています。
すべての存在は必要な役割を担い、それを果たすことによって世界を維持しているのです。
個が役割を果たすことがなければ、全体は崩壊します。
役割はそれぞれに違うものではありますが、その役割が全体のためであることには変わりないのです。
すべての存在が自らの意思に関係なく役割を担います。
それを避けることはできません。
あなたは全体のことなど気にしてはいないかも知れませんが、全体を無視することは許されないのです。
あなたがどれだけ個人的な選択をしようとも、全体のために貢献するように引き戻されるということを覚えておかなければなりません。
すべての存在が、与えられた役割を果たす義務を持つのです。
自らの役割を放棄することはできません。
自らの役割から逃れることもできません。
あらゆる手段を使って、役割を果たすように強制されるのです。
全体を無視することは、無駄な足掻きであるということを理解しなければならないのです。
あなたの思い通りに進むほど、人生は甘くはないのです。
自らが役割を担っているということを忘れてはなりません。
あなたはいつも自分の役割について考えていましょう。
それは、希望通りではありません。
自分が願ったからといって、その役割が与えられるというものではないのです。
あなたにとって、世界にとって本当に必要な役割が与えられるのです。
それは、因果の仕組みによって導かれます。
そして、あなたの学びと性質を理解した上で導かれるのです。
あなたが担う役割は、あなたにとって最善です。
しかし、あなたがそれを気に入るかどうか?ということは考慮されてはいないのです。
気に入らなくても、あなたには必要な役割が与えられるのです。
現状を見なさい。
あなたは何かしらの役割を与えられているはずです。
すべてが自らが望んだものではないでしょうが、所有しているのであれば、それは今のあなたにとって必要であり、最善であるのです。
因果の仕組みと学びと性質がそれを証明するのです。
個人的な感情論によって判断してはなりません。
私情を挟めば、役割を果たすことができません。
すべての苦悩は役割を果たさないことにあります。
多くの人が、自らの役割を知りません。
もしくは、それを受け入れようとはしません。
役割を果たさないのであれば、それは義務を果たさないということです。
民が法を害すればどのような結果を得るでしょうか?
それは苦悩の始まりなのです。
すべての人に役割が与えられています。
それは、全体である世界を維持するためです。
役割とは、この世界の法です。
自らの役割を害すれば、人生に苦悩が導かれるのです。
あなたは自らに与えられた役割を知りましょう。
そして、役割に沿った生き方を心掛けなければならないのです。
生き方と役割が不揃(ふぞろ)いであれば、それを果たすことはできないのです。
役割を果たすためには、それに相応しい生き方を実現する必要があるのです。
与えられた役割に相応しく生きなければなりません。
自らの役割を放棄してはなりません。
自我が勝るようであれば、その人はいつまでも苦しむことになるでしょう。
個は全体のために存在しているのです。
全体があって、個が存在するのです。
そのことを忘れてはなりません。
地球があるからこそ、あなたがここで生きているのです。
個への執着を捨て、全体への貢献を目指しましょう。
それぞれの違った役割を一つにまとめるのです。
それぞれの役割や個性が違っていて良いのですが、全体は一つです。
そのことを忘れてはなりません。
すべての人が役割を担っています。
役割に相応しい生き方を目指しましょう。

2015年8月6日木曜日

解毒剤

苦しみが役に立たないと誰が決めたのですか?
苦しみが存在するのは何のためでしょうか?
あなたに嫌悪感を与えるためでしょうか?
あなたを不幸にするためでしょうか?
この世界は成長という目的のために存在しています。
すべての現象が成長のために起きているのです。
そのため、苦しみであろうとも、それは成長に関係しているということを理解する必要があるのです。
しかし、多くの人はすべてが成長のためにあることを知りません。
それが苦しみであろうとも、成長のために存在しているということを理解しないのです。
苦しみは苦しみであり、喜びとは違うものとして考えています。
喜びが成長のためだけに働くのでしょうか?
喜びを追い求めるだけで成長が実現するほど、それは簡単ではないのです。
喜びを追い求めるだけの人は、利己主義に陥ります。
感情は自分だけのものです。
苦しみであろうが喜びであろうが、それは個人的な見解に過ぎないのです。
そのため、喜びは自分の喜びであり、それだけを追求するのであれば、やがて利己主義に陥ることになるのです。
大切なのは、偏らないことです。
栄養が偏れば、肉体は健康を維持することはできません。
それと同じように、感情が偏れば、心の状態は健全を保てないのです。
人生は心の反映です。
人生は心が築くのです。
そのため、人生を豊かなものとするためには、心の状態が重要であるのです。
苦しみを否定し、喜びを歓迎することが正しいのでしょうか?
今のあなたにはそれは苦しみであり、喜びであるかも知れませんが、未来のあなたにとっては、それが同じ形を保つことはないのです。
人生は”気の迷い”でしかなく、すべては流転していくのです。
感情も、次々に変わるのです。
それをとどめておくことはできません。
苦しみを否定するのであれば、苦しみが持つ学びを得ることができないということです。
今は苦しい状態であろうとも、次の瞬間にはそうではないものとなるのです。
口には苦くとも、腹の中では分からないのです。
味は入口である舌によって感知しますが、それに任せているのであれば、栄養が偏ってしまうのです。
物事を表面的に捉えてはなりません。
浅はかに考えてはならないのです。
苦しみは、あなたの誤解を解消するために必要な解毒剤です。
苦しむことがなければ、人は自らを改めることをしないのです。
人生は自らの心によって決まります。
誰かや何かが決めているのではないのです。
心の状態が決めているのです。
それを苦しいと決めて否定しているのは他人ではないのです。
それはあなた自身なのです。
人生が自分次第であるということを理解しましょう。
あなたが行うべきは、自らを顧(かえり)みて、それを改善することだけなのです。
苦しみはあなたの汚れを取り除くために必要なものです。
それを理解しないようでは、苦しみによる苦悩はいつまでも続くでしょう。
理解するための苦しみなのです。
すべてが、あなたの成長のための経験です。
このことを理解していなければなりません。
この世界に悪いものなど存在しないのです。
深く観察すれば、このことを理解することができるでしょう。
しかし、深く観察することがなければ、理解することはできないのです。
浅はかな愚か者は、苦しみを継続する手段を取るのです。
それも、自分次第なのです。
人生が”気の迷い”でしかないことを理解しましょう。
気持ち一つで大きく変わるのです。
いつまでも心を固定していてはなりません。
苦しいことを苦しいと決めてはなりません。
喜びを喜びと決めてはならないのです。
昼と夜のどちらも大切であるように、様々な感情を大切にしましょう。
すべてが学びであり、成長のために存在しているということを忘れてはなりません。

2015年8月5日水曜日

三日月と満月

人生は様々な可能性に満ちています。
あなたは人生の可能性を知る必要があるでしょう。
可能性を知ることによって、あなたは可能性を掴む機会を得ることができるからです。
可能性を掴むためには、可能性を知る必要があります。
どこにどのような形で可能性が存在しているのかを知ることがない限り、それを掴むことはできないのです。
大切なのは見ることです。
観察することによって知る機会を得るのです。
知ることによって、具体策を得ることができるでしょう。
多くの人は目を逸(そ)らしています。
可能性とは、すべての状況や現象のことです。
この世界に存在しているすべての状況や現象が、可能性であるのです。
偏見によって、選(え)り好みによって見るのであれば、可能性は欠けていくのです。
存在していることを知らずにいるのであれば、可能性が減っていくということなのです。
三日月は月の一部なのです。
存在している状況や現象を一つでも多く見て、知ることによって、あなたは可能性を得ることができるのです。
しかし、人の心の根底にあるものは恐怖の感情です。
恐怖は人を嫌悪から逃がします。
恐怖は人を守ろうとするのです。
しかし、恐怖の守り方は、否定という方法です。
それはあなたを守る方法の一つではありますが、その方法は一時凌(しの)ぎに過ぎないのです。
逃げることはあなたを生かすでしょう。
しかし、成長させることはないのです。
目を逸らせば、大切な可能性を見失うことになります。
無知であることは、あなたを苦しめるのです。
それがどのような状況や現象であろうとも、それを知っておかなければなりません。
多くのことを知ることが無駄になることはありません。
余計なことと思うかも知れませんが、この世界において余計なことなど存在しません。
すべてが必要であり、すべてが一つに繋がっているのです。
それは、答えを得るためです。
答えを得るためには、より多くの情報を求める必要があるのです。
少ない情報であっては、答えに辿り着くことはできません。
月を観察し続けるのであれば、三日月が本当の姿ではないことを知ることができるのです。
無知な者が問題を解決することができるでしょうか?
多くの事柄を知っている者には、豊かな発想があるのです。
一つ一つの情報(知識)を繋ぎ合わせるのであれば、豊富な選択肢を導き出すことができるのです。
材料が少なければ、選択肢は限られるのです。
豊富な食材があれば、料理の選択肢は広がります。
そして、同じ料理を作るにしても、材料とアイディア次第で似て非なるものとなるのです。
可能性とは、結果を変えるものです。
可能性の”量”によって、未来は変わるのです。
知らない者が豊かに生きられるでしょうか?
何も知らずに楽しく生きることは、豊かに生きることとは言えません。
多くを知り、真実を踏まえた上で楽しく生きることこそが、豊かに生きるということなのです。
無知な者が豊かに生きることは有り得ないのです。
無知な者が真実を知った時には、これまでの幸福が一瞬で崩れ去ってしまうでしょう。
真実の上に成り立つものこそが真の幸福なのです。
あなたは知りません。
残念ながらあなたは無知なのです。
何年生きても知らないことには変わりありません。
あなたは自分が一生無知を引き摺(ず)るということを覚えておきましょう。
自らが”知っている”などと考えてはなりません。
多くの情報や知識に触れるほど、あなたは自分が無知であり、愚かな存在であるということに気が付くでしょう。
何も知らずに笑っていられることは幸せではないのです。
多くの人がこれを勘違いしているのです。
苦しいこと、怖いこと、理解が難しいこと、知らないこと・・・
これ等を無視した状態で幸せを得られると勘違いしているのです。
小さな世界で生きることが幸せなのでしょうか?
何も知らずに生きることが、本当に豊かな人生なのでしょうか?
無知を埋める必要があります。
良く見ることです。
人生は様々な可能性に満ちています。
あなたは人生の可能性を知る必要があるでしょう。

2015年8月4日火曜日

映画

自ら向かわなければ、辿り着くことはできません。
自ら叩かなければ、扉が開くことはありません。
自ら問わなければ、答えてはくれません。
自ら踏み入る意思がなければ、主人が招き入れることはないのです。
人生において大切なのは、これが自らの意思によって築かれているということです。
人生はあなたの心根によって決まるのです。
人生が初めから決められているということはありません。
可能性は無限に存在し、その中の一つを選択しているに過ぎないのです。
原因に相応しい結果が導かれます。
因果が定められているということはないのです。
人生はあなたの心一つで決まるということを覚えておきましょう。
人生とは不安定なものです。
それは、心のように一瞬で変化するのです。
あなたの心一つで、人生は別の状況を導くのです。
人生を決めるのはあなたです。
あなたの意思によって人生が導かれるということを理解しなければなりません。
大切なのは、自らがどうあるのか?ということです。
誰かや何かがあなたに代わって人生を築くということはなのです。
どのような状況も、それはあなたが自らの意思(心の状態)によって築いたのです。
偶然などありません。
奇跡など存在しません。
すべては必要によって導かれる当然の結果であるのです。
あなたの心が求めているものは何ですか?
理想を掲げる必要があります。
心の中に理想を忠実に再現すれば、それが実現する可能性は高まります。
しかし、理想を思い描くだけでは不足しています。
心を理想に相応しい状態に整えなければならないのです。
心の状態を整えたなら、次はそのように選択し、行動する必要があるのです。
自ら目的地へと向かう必要があります。
自ら扉を叩く必要があります。
自ら問う必要があります。
自ら踏み入る必要があるのです。
そうでなければ、あなたは大切なものを得ることができないのです。
待っているだけではなりません。
誰かが代わりにやってくれることを望んではなりません。
自らが生み出した原因がなければ、求めている結果は決して得られないのです。
人生は心の反映です。
あなたは人生が心を再現しているということを理解しましょう。
状況は刻一刻と変化し続けます。
それも、あなたの心に従った形で実現するのです。
誰のせいでもありません。
人生はあなたの心に忠実なのです。
問題が発生し、苦悩を得ることになれば、それはあなたの心が薄弱であることを示しています。
人生は技術で何とかなるものではありません。
心という原因を変えることがなければ、結果は変わらないのです。
あなたが手を加える必要があるとするなら、それは自らの心根だけでしょう。
技術的なことを難しく考える必要はないのです。
心に従ってあなたは変化します。
そして、心に従って人生も変わるのです。
すべては心に従います。
すべてが心の通りになるのです。
思い通りに進まないからといって、外に原因を探し求めてはなりません。
その努力は、原因が心にあるということを教えるだけなのです。
心を観察しましょう。
そして、余計な企(たくら)みは捨てましょう。
人は心を整えることに専念すれば良いのです。
心の前では、どのような技術も虚しいのです。
技術など、人生の大切な場面には何の役にも立たないということを知るでしょう。
下らないこと(処世術)を磨かずに、あなたはただ自らの心を整えましょう。
心を整えることだけが大切なのです。
人生はまるで映画のようです。
状況は映画のスクリーンであり、心は映画フィルムのようなものです。
フィルムによって上映される映画の様子は変わります。
心によって、状況や人生が簡単に変わるということを理解しましょう。

2015年8月3日月曜日

高く、引く

人は高くなければなりません。
高みを目指し、努力し続けなければならないのです。
人生の目的は成長にあります。
高みを目指して向上することがなければ、成長は実現しないのです。
人は高みを目指さなければなりません。
しかし、人は低くなければなりません。
低みを目指し、努力し続けなければならないのです。
人生の目的は成長にあります。
低みを目指して向上することがなければ、成長は実現しないのです。
高みを目指すことと、低みを目指すことは矛盾しているように感じるかも知れません。
しかし、人は高くあり、低くなければならないのです。
これを同時に実現する必要があるということを理解しましょう。
樹木は枝葉を伸ばします。
樹木は太陽を目指して枝葉を伸ばすのです。
太陽光をより効率的に得るために、枝葉に段を設けます。
枝葉に段を設けながら、太陽を目指すのです。
高くある枝ほど新しく、それは高みを目指すために効率の良い形をしています。
新しい枝葉は鋭く尖っています。
それは、新しいために充実していないのです。
枝葉の数が少ないために、鋭く尖っているように見えるのです。
高みを目指すことは新たな挑戦です。
新しく始めることには不慣れであり、不足が付き物なのです。
そのため、高みを目指す時には、不安定な状態を得ることになります。
新芽は柔らかく、簡単に折れてしまうのです。
樹木が高みを目指していると同時に、既に設けてある下の枝は葉の数を増やして充実するようになります。
それは、長く続けているために慣れが生じ、安定を得るからです。
樹木は、下の枝葉ほど豊かに茂り、充実しているのです。
長く育った枝葉は太くなり、簡単に折れることはないのです。
下枝の充実と、上枝の充実が実現しなければ、樹木が成熟を得ることはできないのです。
成熟した樹木は、たくさんの枝を有し、多くの葉を抱えているのです。
大樹になるほど、枝葉の数は増すのです。
人の成長と、樹木の成長は似ています。
人は高くもあり、低くもなければなりません。
向上心と好奇心を以て新たな領域に意識を伸ばし、既に得ている領域の充実に努めるのです。
外に広がるほどに細くなります。
新しい領域は、あなたを不安にさせます。
しかし、その領域の理解に努めるのであれば、やがてそれは太い枝となり、多くの葉を茂らせることができるのです。
高みを目指さなければ、光を受けることができません。
他の存在も光を求めて成長しているのです。
高く向上することがなければ、光を受けることができないのです。
低みを目指さなければ、光を受けることができません。
低くにあることによって、多くの光を集めることができるでしょう。
下枝の豊かな枝葉がなければ、多くの光を集めることは難しいのです。
低く謙虚になければ、教えを受けることはできないのです。
高くあって、低くありましょう。
この世界には陰陽の仕組みが存在しています。
高みばかり(ポジティブ)を目指しているのであれば、それは細長く頼りない樹木となり簡単に折れてしまうでしょう。
低みばかり(ネガティブ)を目指しているのであれば、それは十分な光を受けることができずに枯れてしまうでしょう。
高みと低み、どちらも大切なのです。
自信を持たなければなりません。
しかし、謙虚になければなりません。
どちらか一方を優先してはなりません。
それは、身の破滅を導くからです。
人生を大きな視点によって捉えなければなりません。
偏見によって選択してはなりません。
上も下も、大切にする必要があるということを覚えておきましょう。

2015年8月2日日曜日

力の扱い

扱い方を間違えれば、どのような力もあなたに苦悩を導きます。
力は扱い方に注意しなければなりません。
扱い方次第で、力のもたらす効果は大きく変わるのです。
結果を想像した上で力を扱わなければなりません。
結果を想像するということは、未来を予測するということです。
結果は未来からやってきます。
あなたがその力をどのような未来(結果)に結び付けるのか?ということなのです。
未来を想像しましょう。
そして、その力が未来にどう影響するのか?ということを考え、その扱い方を選択するのです。
どのような力も、扱い方を誤ってしまっては、必要な結果を導くことはできません。
力に対して、良い悪いという区別はできません。
一つの結果に対しては、すべての力が必要な要素であり、無くてはならない大切なものなのです。
結果に対して必要な力はすべて扱わなければならないのです。
結果に対して必要な力の内、どれか一つでも欠けるようなことがあれば、結果は実現しないのです。
料理を作る時に、必要な材料を使わなければ、理想の味を実現することはできません。
一つの食材や調味料を使わないだけで、その料理は味気無いものとなってしまうのです。
どのうように少量の調味料でさえ、その力がなければ味は違うものとなります。
必要な力のすべてを扱わなければなりません。
この世界に陰陽の仕組みが存在するように、人の選択肢(感情)にもネガティブなものとポジティブなものがあります。
ポジティブな感情は光り輝いていて、まるで昼間のようです。
ネガティブな感情は暗闇を湛(たた)え、まるで夜間のようです。
この世界には昼間と夜間のどちら共の力が必要です。
とちらか一方だけの力では、世界には豊かさが実現しないでしょう。
昼間と夜間の大きく分けて二つの力が互いに協力するからこそ、世界は豊かに保たれるのです。
多くの人はネガティブな感情を好みます。
実際にはポジティブな感情を欲していますが、実行しているのはネガティブな感情の方であるのです。
多くの人が扱っているの力の大半はネガティブな感情です。
料理に塩を使い過ぎると辛味が増し、料理全体の味は価値を失ってしまいます。
必要な力を、必要な分量に調整する必要があるのです。
ネガティブな感情を多用すれば、状況に対する印象は苦しいものになります。
しかし、ポジティブな感情を多用するならば、冷静さと慎重さを失う結果となるのです。
辛過ぎる料理は食べられません。
甘過ぎる料理も同じです。
味はバランス良く配合されていなければならないのです。
ネガティブな感情は決して悪い力ではありません。
ネガティブな力がなければ、必要な結果を導くことはできないのです。
気球には浮力が働きます。
それは、袋の中に熱した空気を蓄えるためです。
熱した空気は浮力を得ます。
それは飛行に対してポジティブな力です。
しかし、重りがなければ目的地へと辿り着くことは叶いません。
それどころか、危険な飛行となってしまうのです。
重り(さ)はネガティブな力です。
浮力と重さの力の関係がバランスを保つことが、気球を目的地へと到着させるのです。
人はネガティブとポジティブの二つの選択肢を持ちます。
どちらかに偏ってはなりません。
どちらも大切なものなのです。
自らの心を客観して、自分がどこにいるのか?を確認しましょう。
地上から離れ過ぎてもいけません。
地上に近過ぎてもいけないのです。
心地良く進める位置を探すのです。
美味しい味を見極めるのです。
結果は、扱う力の絶妙なバランスによって実現します。
力と、その扱い方を良く学ばなければなりません。
すべてが大切な力です。
前向きに考えましょう。

2015年8月1日土曜日

偉大なる知性の意思

繰り返すことには意味があります。
それは大切な行為です。
繰り返すことがなければ、人は理解を深めることができません。
理解を深めることができなければ、成長することは叶わないのです。
理解を深めるということは、物事の本質に近付くということです。
本質に近付くということは、真理を得るということなのです。
真理を得ることによって、人は成長を実現させることができるのです。
真理とは、この世の理(ことわり)であり、偉大なる知性(神)の意思です。
より高い水準の意思を理解することが、成長であるのです。
成長することがなければ、それよりも複雑で高度な理屈を理解することはできません。
この世界には、偉大なる知性(神)の意思が働いています。
それを学び、理解に努めることによって、人は成長していくことができるのです。
どれだけ長く生きても、繰り返しの中に理解を深めることがなければ、成長は実現しません。
真理を理解することがなければ、どれだけ長生きしても価値はないのです。
人生とは、ただ生活する場所ではありません。
どれだけ長らえることができるか?という競争ではないのです。
残念ですが長生きに価値はありません。
多くの人は長生きすることが正しいと考え、それを目的として生きていますが、繰り返しから学ばないのであれば、繰り返しを繰り返すことになるのです。
そこに成長はありません。
成長しない人生をどれだけ生きても、そこには虚しさが導かれるだけであると気が付かなければならないのです。
あなたは何のために生きていますか?
現状の人生の目的を考えてみましょう。
あなたは何を目的として生きているのでしょうか?
あなたにとって、人生とは何ですか?
何のために繰り返すのでしょうか?
真理を理解する必要がなければ、繰り返す必要などないのです。
なぜ、何度も同じ目に遭うのですか?
それは理解していないからに他なりません。
あなたが真理を理解し、成長することができれば、それが繰り返されることはないのです。
あなたが理解するために、その状況が導かれているのです。
問題を解決するためには、理解を深め、成長する以外に方法はないということを理解しなければならないのです。
多くの人はそのことを知りません。
そのため、自分以外の誰かや何かが変化することによって胸を撫(な)で下ろすのです。
しかし、自分自身は変わっていないために、しばらくすれば同じ状況が再び導かれるのです。
そこでも学ぶことがなければ、再び同じ状況が導かれるのです。
繰り返しを終わらせるためには、成長する他ありません。
自分自身が変わる(成長)ことがなければ、人生(状況)が変わることはないのです。
あなたは成長のために生まれたのです。
そのことを忘れてはならないのです。
人生の根源的な目的を見失ってしまうと、何をやっても成果には結び付かないのです。
年を重ね、時代が変わり、肉体は衰え、人間関係は入れ替わり、すべてが変化している中で、いつまでも同じ学びの中にいてはならないのです。
誰もあなたを救うことはできません。
これは、あなたの成長のための人生なのです。
あなたが学び、あなたが気付き、あなたが変えていかなければならないのです。
人生は実験です。
あなたは何度も繰り返さなければなりません。
実験の結果は毎回違うものになります。
それは、繰り返すほどに本質へと近付いていくからです。
繰り返しを同じことと考えてはなりません。
変化は少ないかも知れませんが、収穫は多いのです。
季節は徐々に移り変わります。
地球は毎日(自転と公転)を繰り返しているのです。
繰り返すことによって変化しているのです。
あなたは日常を繰り返しますが、それでも一日一日変化しているということを理解しましょう。
そして、意識的にそれを実現しましょう。
偉大なる知性が何を言いたいのか?
これを気に掛けていましょう。