すべての人は、生まれながらに汚れを所有しています。
	どのような人物であっても、生まれ落ちるには理由があるのです。
	この世に生を受けるということは、成長する必要があり、成長させる必要があるということなのです。
	それは、汚れを取り除くことであるのです。
	自分自身に対しても、他人に対しても、その汚れを取り除かなければならないのです。
	汚れを所有したままであっては、成長することはできません。
	それは、心にこびり付いて離れず、やがて歪みを生じさせます。
	心に汚れを有したままでは、成長することはできないのです。
	汚れは心の発育を妨げます。
	曇り空が続けば、植物は発育することができないのです。
	植物が成長するためには光が必要です。
	心が成長するためにも、光の力が必要になるのです。
	光の力とは、真理の導く光です。
	心は真理によって照らされるのです。
	その光が届かなければ、心が成長することはできません。
	真理が輝いているのに、それに気が付くことがなければ、人は心を育むことができないのです。
	そのため、汚れを取り除かなければなりません。
	真理の光が心に届くようにしなければならないのです。
	人生を生きる理由は、成長にあります。
	成長するためには、汚れを取り除かなければなりません。
	そのため、人は常に自らの心を見詰め、そこに存在、潜在している汚れを自力によって取り除きましょう。
	汚れは、自我、我欲という形を以て現れます。
	自己を中心とした考え方こそが心の汚れです。
	多くの人は自己を中心とする考え方を所有しています。
	誰もが自分が可愛いのです。
	優先するのは自分自身のことなのです。
	自分自身を大切にするのは当たり前のことです。
	しかし、他人を大切にすることも当たり前なのです。
	多くの人は自分自身を大切にするあまり、他人と争うのです。
	他人との間に争いが生じるのは、自己を中心とする考え方を選択した結果に他なりません。
	互いが相手を思いやっているのであれば、そこに争いが生じるということはないのです。
	争いが生じるのは、心に汚れがあり、その汚れによって歪んでしまっているからです。
	他人と協力しなければ、何事も好転することはないのです。
	何等かの形にしても、協力することができないというのであれば、それは汚れによる結果であるのです。
	自己を中心とする考え方を所有している人が、他人と協力することができるでしょうか?
	協力することはあっても、それは自己の利益のために他人を利用しているに過ぎません。
	それは、協力に見えても、決して協力ではないのです。
	大切なのは汚れを取り除くことです。
	心を美しく磨き上げなければなりません。
	自我、我欲が先行することを認め、それを解消する必要があるのです。
	多くの人は心の汚れを軽んじています。
	人生が心によって作り出されているということを知らないのです。
	そして、自分自身がすでに汚れを所有していることも知りません。
	経験を重ねる中で、自我、我欲を退けましょう。
	多くの人は”普通”に生きていく中で、汚れを増します。
	自我、我欲を貪り、それを楽しんでいるのです。
	自己を中心とした考え方を生きて、何が楽しいのでしょうか?
	それは、仕事(責任)を楽しまず、遊び(無責任)を楽しむようなものです。
	仕事(責任)を楽しまなければ人生に豊かさは訪れません。
	遊びを楽しんでいる人は、苦悩の中に生きることになるのです。
	あなたは心を大切にしましょう。
	この世に生まれ落ちた理由を忘れてはなりません。
	すでに心は汚れているのです。
	それを改善することが目的です。
	美しい心と共に、豊かな人生を生きましょう。
	自我、我欲を退けることによって、汚れを取り除きましょう。
	
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