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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年8月26日水曜日

苦しみを導く者

あなたが求めているのは幸福です。
すべての人は幸福を求めています。
しかし、幸福の形はそれぞれに違います。
それぞれが考える幸福の形は違えど、それを求めて生きているのです。
幸福の形がそれぞれに違うのは、成長の状態が違うからです。
何が幸福となるかは、その人の成長の状態に関連します。
その人が成長するのに相応しい状態が幸福となるのです。
人は成長するために生まれます。
人が人生を生きているのは成長するためです。
冷たく聞こえるかもしれませんが、それ以外の理由はありません。
どのようなことも、成長のための演出に過ぎません。
人は成長を実現する必要があるのです。
しかし、状態はそれぞれに違います。
それぞれに性格が異なっているように、学びの段階や方向性はそれぞれに異なっているのです。
成長に必要な要素がそれぞれに異なっているために、求める要素が異なるのです。
そのため、人はそれぞれの幸福の形を持つのです。
幸福の形はそれぞれに異なっていますが、それを実現する過程は同じです。
それは、成長という共通点を持つのです。
すべての幸福が成長という共通の過程によって実現します。
どのような幸福も成長することがなければ、決して実現することはありません。
そのため、すべての人が幸福を求めるのと同じように、成長をも求めなければならないのです。
成長なくして幸福はないのです。
しかし、多くの人はその事実を理解しません。
自分自身が変わる(成長する)ことがなくても、誰かや何かによって幸福が与えられると思い込んでいるのです。
自分自身が努力しなくても、相手が幸福を叶えてくれるという幻想を抱くのです。
それは、幼い意識の典型です。
幼い意識は他力本願を信じます。
誰かや何かの働きによって、自分自身が幸福を得られるという幻想を抱くのです。
残念ながら、そのように理に反することが実現することはありません。
この世界には因果の仕組みが存在しているのです。
すべての状況は自らに相応しいものです。
それ以外はありません。
それがどのような状況であろうとも、すべてが自ら(の状態)に相応しいのです。
それは、人が成長しなければならないからです。
多くの人は自らの信仰の対象が苦しみから救い出してくれると考えています。
宗教を信仰している人は、宗教(教義、聖人、儀式など)によって救われると信じています。
財産を信仰している人は、財産(金銭、雇用者、品物、資産など)によって救われると信じています。
それぞれに信仰の対象は異なりますが、皆それが自らを救ってくれると考えます。
残念ながら、信仰の対象がどのようなものであれ、あなたを苦しみから救い出すことはありません。
”神”であろうとも、あなたを苦しみから救い出すということはないのです。
それは、他力本願によって何かを得ても、それが成長に関係しないことを知っているからです。
因果の仕組みが存在すると言いました。
自力という原因がなければ、成長という結果を得ることはできないのです。
誰かや何かがあなたを苦しみから救い出したとすれば、誰かや何かが成長するのであって、あなたが成長するのではないのです。
そのため、あなたを救い出した誰かや何かは幸福を得ることができますが、救い出されたあなたに幸福が実現することはないのです。
この誤解を理解しなければなりません。
”わたし”はあなたが苦しみを受け入れることができるように働き掛けます。
決してあなたを苦しみから遠ざけるようなことをしません。
”わたし”はあなたの成長と幸福を願うからです。
あなたの不幸を望む者は、あなたを甘やかすでしょう。
それは、自分が幸福を得るためです。
自分のために、他人を甘やかすのです。
あなたの代わりに何かを行う者は、あなたの成長と幸福の機会を奪っている盗人です。
この世界を深く考察すれば、このようなことはすぐに理解することができます。
あなたを救うことができるとすれば、それは自分自身だけです。
”わたし”はあなたに苦しみを導く者です。
そのことをしっかりと理解して、この言葉を聞きましょう。
この言葉が聞きたくない者は、ここから離れましょう。
それが最善です。

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