理解を深めなければ、辿り着くことはできません。
無知を克服しなければ、先へ進むことはできないのです。
人は知らなければなりません。
知恵の高まりがなければ、自由を生きることはできないのです。
人生の目的を達することもできません。
多くの人が不自由の中に生きています。
多くの人が、人生の目的を果たすことなく死んでいくのです。
あなたは自由に生きていますか?
人生の目的を果たせると思いますか?
理解の浅い者、無知な者には不可能です。
知らないのに、どうして自由が得られるでしょう?
知らないのに、どうして人生の目的を果たすことができるでしょう?
自由を得るためには知る必要があります。
人生の目的を果たすためには、知る必要があるのです。
この世界には、あなたの知らないことがあります。
あなたが知っていることよりも、知らないことの方が多いのです。
あなたは何も知りません。
自分が賢者であるなどと思い込んではなりません。
あなたが”知っている”ということはないのです。
あなたは知りません。
必ず無知を抱えています。
それを忘れてはなりません。
多くの人は五感を頼りに生きています。
五感によって得られる情報をすべてだと考え、それ以外の情報を否定します。
自分が認識することができないものは、存在しないと考えるのです。
これほど傲慢(ごうまん)な考え方があるでしょうか?
無知な者は傲慢に至るのです。
自分が無知であるということすら知らないために、自分が優れていると勘違いするのです。
そして、謙虚さを失います。
視覚で捉えることができるのは、可視光線という狭い範囲の光です。
不可視光線の領域の方が広いのです。
可視光線の範囲をすべてだと思い込んでいるのであれば、それは”知らない”ということになるのです。
しかし、五感に頼る人は、それをすべてだと思い込んでいます。
見えないのだから存在しないということになるのです。
それがどれだけ安易な結論であるのか?あなたには理解することができるでしょう。
聴覚も同じです。
あなたの聴力では認識することのできない振動(音)が存在するのです。
あなたの五感が認識することのできる範囲が狭いということを理解しなければなりません。
五感は、肉体の持つ力です。
肉体の能力には限りがあります。
あなたが五感で認識することのできる以上の範囲を認識するためには、五感以上の能力を扱う必要があります。
それは、意識の力です。
肉体がすべてではありません。
あなたの本質は心(思考、感情、魂)なのです。
心が肉体を帯びているのです。
そのため、心と五感を共通させなければならないのです。
五感を通して得られる情報と、心を通して得られる情報の統一こそが、あなたに世界の真実を知らせるのです。
心と五感を通して観察する世界こそが、真実なのです。
認識することができないからといって、それを否定してはなりません。
認識することができなくても存在し、実際に影響を与えているものは多々あるのです。
あなたには電波を見ることはできませんが、それを扱うことはできるのです。
扱っているのであれば、存在するのです。
認識することができなくても、存在するものがあるのです。
あなたはその未知に対して、挑戦し続けなければなりません。
認識することができないもの、理解することができないことを否定してはなりません。
小さな世界にとどまっていてはならないのです。
理解を求めましょう。
無知を手放しましょう。
知らないことの方が圧倒的に多いということを忘れてはなりません。
五感に溺れてはなりません。
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