人は知性を高めなければなりません。
	時間を無駄に過ごしてはなりません。
	知性の高まりに関係のないことに興味を抱き、それを楽しむことは、人生の意義を自ら手放す行為であるということを理解しなければならないのです。
	多くの人は知性の高まりを気にしません。
	多くの人は知性が低いままです。
	知性が低いために、誤解を所有します。
	誤解によって問題を生み出し、自ら苦しむのです。
	人生には目的が存在しています。
	その目的は成長です。
	成長するためには、この世界のこと(真理)を理解する必要があります。
	理解することができなければ、成長することもできません。
	しかし、知性が低いために、世界を理解しようとする行為に興味を抱きません。
	そして、その状態が苦悩を導いているということにすら気が付かないのです。
	多くの人の関心は、生活と娯楽にあります。
	娯楽を満喫する生活が幸福であると考えているのです。
	多くの人は肉体の有する欲求こそが幸福の源だと思っているのです。
	そのため、生活と娯楽に精を出すのです。
	眠ること、食べること、性を貪(むさぼ)ること、遊ぶことを喜びとしているのです。
	それは心を満たしているように思えますが、すぐに乾いてしまいます。
	生活と娯楽をどれだけ求めても、心はすぐに乾いてしまうのです。
	それ等が無駄であるということではありません。
	同じ行為に及んでも、知性の高まりを求めていなければ苦悩に到達すると言っているのです。
	大切なのは世界への理解を深めることです。
	生活と娯楽に知性を求めることがなければ、どうして世界に対する理解が深まるというのでしょう?
	ただ楽しむだけならば、あなたは成長することができないのです。
	理解を深めるためには、学習する必要があります。
	ただ眺めているだけでは、学習とはいえないのです。
	意識的に認識することがなければ、理解は深まりません。
	多くの人が意識的に生きてはいません。
	魂としての目的意識を持たずに暮らしているのです。
	人生とは何でしょうか?
	何のために生きているのですか?
	自分とは何者なのでしょうか?
	このように簡単な質問にすら答えることができません。
	それは、知性が回答に到達してはいないからです。
	何も知らずに生きていくつもりですか?
	そのまま死を迎えるのでしょうか?
	生活と娯楽を楽しむだけの人生なのでしょうか?
	虚しくはないですか?
	人生を意義のあるものとするためには、知性の高まりが必要です。
	無知な者が真実の幸福を得ることはできません。
	子どもの頃の幸福を、様々な経験を重ねた今でも同じように思えるでしょうか?
	無知な者の求める幸福と、有智(ゆうち)な者の求める幸福には隔たりがあります。
	あなたが大人である場合、子どもの娯楽を同じように楽しむことができるでしょうか?
	そのように振る舞うことはできるでしょうが、真意は違うはずです。
	無知によって見る世界に存在する幸福と、有智によって見る世界に存在する幸福とは違うものであるのです。
	そのことを理解する必要があるのです。
	なぜ、知性の高まりを求めないのでしょうか?
	同じことを何度も何度も繰り返すのでしょうか?
	一つ一つの経験への理解を深めましょう。
	それ等に対して、知性を求めなければなりません。
	自分の見方によって、世界が変わります。
	あなたの心が人生を決めるのです。
	生活や娯楽を楽しむことに満足すれば、あなたは知性の高まりを得ないでしょう。
	知らないことに興味を持ちましょう。
	すべてを成長のために存在”させ”ましょう。
	
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