成長とは、知性の高まりです。
知性が高まることが成長です。
どのような道を進んでも、成長が実現するためには知性が高まる必要があります。
例えば、どれだけの地位や名声や財産を手に入れたとしても、それは成長とは言えません。
それ等を手に入れた人は、自分が成長したと思い込みますが、残念ながらそれは誤解なのです。
人の本質とは心です。
それは意識であり、目には映らないものです。
どれだけの物質(に対する影響力)を集めようが、それだけでは成長とは言えないのです。
本質が成長しなければ虚しいのです。
表面をどれだけ飾っても価値はありません。
どれだけ厚い鍍金(めっき)を施そうとも、それは黄金としての価値には成り得ないのです。
地位や名声や財産をどれだけ集めても、それによって人格的な向上が望めなければ、この世界の存在として成長したことにはならないのです。
多くの人は心の重要性を理解しません。
そのため、表面的な物質主義へと向かうのです。
それは、肉体の健康を気に掛けることはしても、精神の健康には気を掛けないのと同じことです。
多くの人がこのような状態に陥っています。
肉体が健康でさえあれば、それで満足するのです。
しかし、肉体の健康だけを求めても、それが実現することはありません。
なぜなら、肉体と精神は相互関係にあるからです。
どちらか一方だけを健全に保つことはできません。
互いが影響し合う関係にあるために、片方だけに施しをするのであれば、全体のバランスが崩れてしまうのです。
多くの人は物質主義の中に存在し、地位や名声や財産を蓄積するのに必死です。
それが人生の幸福であると信じ込んでいるのです。
人格の伴わない地位や名声や財産は、やがて他人からの恨みを買い、破滅に向かいます。
人格が伴っているのであれば、どれだけの地位や名声や財産を所有していようとも、他人から大切にされるのです。
物質(に対する影響力)に価値を見出すことを否定しているのではありません。
すべてにはバランスが必要であるということを言いたいのです。
物を所有したからといって、あなたが偉い訳ではありません。
あなたが優れている訳でもありません。
物が幅を利かす状況や環境であれば、そのように思い込むこともできますが、物が役に立たない状況や環境もあるのです。
海原の真ん中で遭難しているあなたを助けるのは地位や名声や財産でしょうか?
それとも、人格でしょうか?
答えはあなた自身で想像しましょう。
他人からの恨みを買って豊かな人生が実現するのでしょうか?
心の 力(影響力)を否定するのであれば、あなたは自分自身と自分自身の人生を否定することになるのです。
あなたは心の力そのものであり、あなたの人生も心の力によって選択され、行動することによって築かれたのです。
誰も、心の力を否定することなどできないのです。
心の力量こそが、人生の状態を決めるということを理解しましょう。
知性が高まれば、より良い選択をすることができます。
より良い選択とは、より豊かさに近い選択のことです。
あなたはより良い選択をすることによって、人生に豊かさを実現することができるのです。
選択肢は幾つも存在します。
しかし、どれを選ぶかによって、結果は大きく違ってくるのです。
知性の高い人は、より美しいものを選択し、知性の低い人は、美しさとは程遠いものを選択するのです。
知性の乏しい人と、知性の豊かな人とでは、選択の対象は違うものになります。
知性の豊かな人は、より整然とした美しいものを選択するでしょう。
知性の乏しい人は、より雑然とした美しさに欠けるものを選択するのです。
知性の高まりは、より知的、合理的、道徳的、芸術的、先進的、技術的・・・
様々な分野において、洗練されるのです。
大切なのは知性を高めることです。
”物を持った野蛮人”であってはなりません。
人は知的な存在でなければならないのです。
太陽が、星々が、地球が、自然環境が、生命が美しいのは、そこに最高の知性が存在しているからです。
最高の知性が備わっているために、輝いているのです。
あなたは知性の高まりを求めましょう。
知性の高まりは、心の精錬によって実現します。
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