何度も繰り返さなければなりませんが、人生の目的は成長にあります。
成長とは、より詳細に理解するということです。
すべての分野において、現状よりも知恵を増すことが成長なのです。
知恵とは、知識の量ではありません。
ただ知っているだけでは成長とは言えません。
知恵とは知性です。
知識が体系化されたものが知性なのです。
知識は世界を変えることをしませんが、知性は世界を変えます。
知性(知恵)によって、人は新たな可能性を得ることができるのです。
すべての分野において、知恵が可能性を導くのです。
そのため、人は知恵を求めて生きなければなりません。
知恵を得るためには、多くの知識を必要とします。
知識を体系化しなければ知性とはなりません。
一つの知性が生まれるためには、多くの知識を必要とするのです。
しかも、同じ形の知識を幾ら集めても知性とは成り得ません。
時計の部品はそれぞれに違うからこそ正確な時刻を示すように、違う形の知識を集めなければ、知性は生み出されないのです。
人は偏見によって、自分の好みに向かいます。
意識的、無意識的に選(え)り好みをしているのです。
好きなものばかりを集めるのであれば、知識は体系化を実現することはできません。
人生を理解するためには、物理、文化、歴史、社会、心理、生体・・・
様々な知識を集める必要があります。
そして、この世界には陰(ネガティブ)と陽(ポジティブ)の二つの性質が存在しています。
どのような分野のものであっても、必ず陰陽二つの側面を抱えているのです。
多くの分野の知識を得なければなりませんが、それが持つ二つの側面の知識をも得なければならないのです。
そのため、知らなければならないことは多々あります。
選り好みによって知った気になってはなりません。
多くの人は自分が好きなことに関しての知識は求めますが、嫌いなことに関しての知識を求めるということはありません。
例えば、苦しみに対しての知識を求めようとはしません。
苦しみに対しては、目を背け、そこから逃れようとしているのです。
苦しみは存在しています。
しかし、苦しみの対象は存在しません。
なぜなら、苦しみとは心の感想であるからです。
世界に存在するものは、すべては必要性を持ち、完全な形をしています。
性質の違いによって働きが違うだけであって、好き嫌いで判断することができるものなど存在しないのです。
苦しみから目を背け、そこから逃れようとするのであれば、苦しみから得られる知識を損ないます。
それは、知性の完成を妨げます。
知性の完成が実現しなければ、人生は正しい姿を見せることもないのです。
正しい姿を見ることができないのであれば、誤った時刻を示す時計に促(うなが)されるように、あなたは間違いを犯し続けるのです。
時刻に誤りがあれば、あなたの所有する計画のすべてが破綻(はたん)してしまうのです。
人生が正しい姿を見せないのであれば、人生の豊かさや幸福は実現しないのです。
そのため、人は様々な分野、性質の知識を集めなければならないのです。
偏(かたよ)りは歪みを生み出します。
様々な形が必要なのです。
時計が正確な時刻を示すためには、様々な知識を必要とするのです。
時刻を知るためには、天体を観測しなければなりません。
次に時計を設計しなければなりません。
そして、金属を加工しなければなりません。
それから、部品を正確に組み立てなければなりません。
最後に、時刻を正確に示すように管理しなければなりません。
それ等の知識をすべて得ることがなければ、時計が時刻を正確に示すことはないのです。
時刻を正確に示すという簡単そうな状態を実現するためにも、最低でこれだけの知識と知性を必要としているのです。
何か一つでも知識が足りなければ、時刻を正確に示すことはできません。
人生に偏見を持ち込むものではありません。
様々な知識を集め、知性を得ましょう。
そうでなければ、人生の目的である成長を実現することはできないのです。
無意味なこと、無駄なものはありません。
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