すべての人は、無知に捕らわれています。
無知とは、不自然な姿です。
すべての人は不自然な姿をしています。
それは苦しみなのです。
人生において、苦しみと共に生きない者はいません。
すべての人が苦しみを抱いて生きているのです。
それは、不自然な姿であり、無知を抱えているからです。
無知は足枷(あしかせ)です。
すべての人にとって、無知は重荷となるのです。
無知こそが人の自由を奪うのです。
その他に自由を奪うものは存在しません。
誰かや何かがあなたの自由を奪っているのではないのです。
あなたの抱える無知こそが、あなたの自由を奪っているということに気が付きましょう。
すべての人が不自由の中に生きています。
それは、すべての人が無知であり、不自然であるからです。
無知を手放すことは、重荷を手放すことに等しく、それは、人にとっての喜びなのです。
無知を所有して喜ぶ人はいません。
人は、自由を得る時に喜ぶのです。
あなたは無知を克服しなければなりません。
何か一つでも悟り得なければならないのです。
そのための人生であるのです。
誰かや何かを言い訳にしてはなりません。
誰かや何かはあなたの苦しみには関係のないことなのです。
あなたが不自由を生きて、苦しんでいるのは、あなたの無知による結果なのです。
そのことを覚えておきましょう。
無知を克服するためには学ばなければなりません。
どのようなことでも構いません。
ただ、ひたすらに学びましょう。
どのような学びも、一つに繋がっています。
すべての知識と経験は、唯一あなたの人生を示すのです。
あなたは自らの人生を知るために学ぶのです。
それ以外を学んではいないのです。
あなたが自らの人生について学べば、人生が不自由の中にあるはずがないのです。
あなたが自らの人生について学べば、人生は自由を得るということを覚えておきましょう。
人生とは、認識の産物でしかないのです。
そのことを理解しなければ、誰かや何かに翻弄(ほんろう)されてしまうでしょう。
あなたは誰かや何かのために生まれたのではありません。
あなたは自分の人生を生きるために生まれたのです。
誰かや何かのために貢献することが許されるのは、あなたが自分の人生を生きることができた後のことなのです。
自分の人生を生きることすらできない者が、誰かや何かに貢献することなどできないのです。
無知によって重荷を抱え、不自由を生きている者には、誰かや何かに貢献することなどできないのです。
あなたは学びましょう。
何でも良いのです。
自らの興味のあるものを学ぶのです。
一つでも多くの無知を手放すことが求められます。
そうすることで、現実を受け入れることができるようになるでしょう。
理想を追い求め、現実を否定するのは無知の業(わざ)です。
無知には現実の価値を理解することができないのです。
思い通りに展開させることになど価値はありません。
学ぶことにこそ価値があるのです。
その程度のことは理解する必要があるでしょう。
理想を追い求め、現実を否定するのであれば、人生を足止めすることになるでしょう。
やはり無知は、あなたの足枷となるのです。
あなたは自分が無知に捕らわれているということを理解しましょう。
そして、学ぶ気持ちを見失ってはなりません。
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