人生に打算は不要です。
	損得を考えたところで、あなたが豊かさを得るようにはなりません。
	打算は乏しさを導きます。
	それは、打算は不自然な方法であるからです。
	損得を考えるということは、いつも傾いているということです。
	人が打算している時、損か得のどちらかを期待し、どちらかを否定しているのです。
	この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
	陰も陽も、大切な要素です。
	どちらか一方が重要であり、どちらか一方が軽んじられて良いものではないのです。
	影と光の協力によって、物質が認識されます。
	影と光が協力することがなく、どちらか一方を求めるのであれば、影によっても光によっても物質を認識することができなくなるのです。
	陰陽の仕組みを蔑(ないがし)ろにし、打算によって貪(むさぼ)ろうとする者には、その品性に相応しく乏しさが導かれるのです。
	人は、自分に相応しい結果を受けるのです。
	誰も、因果の仕組みを否定することはできません。
	あなたが受け取るどのような結果も、あなたという原因によって導かれるのです。
	多くの人は、打算によって人生を豊かさへと導こうとしています。
	自分にとっての損を切り捨て、得を取れば、人生が豊かなものになると思い込んでいるのです。
	しかしながら、人生はそのように簡単なものでも、甘いものでもないのです。
	陰と陽の二つを大切に扱うのであれば、豊かさを得ることができます。
	しかしながら、打算によって陰と陽を切り離すのであれば、豊かさを得ることができないのです。
	多くの人は、自分に都合の良い結果を求めています。
	それは、理想の為せる業(わざ)です。
	自分に都合の良い結果ばかりを求めていれば、石垣の石の中から好きなものを選んで引き抜いたことになるのです。
	都合良く、石垣の中から石を引き抜いたとすれば、石が引き抜かれた場所の歪みを解消するように、残された石が崩れ落ちるでしょう。
	そうやって、この世界は均衡を保っているのです。
	都合良く一部を取り除けば、他を代用してバランスを取るのです。
	この世界は不自然を嫌います。
	すべてを自然な姿に導くのです。
	そのため、自らの勝手な理由で都合良く行った作為は、都合の悪い状況によって相殺(そうさい)されるのです。
	あなたは、皺寄(しわよ)せがくるということを覚えておきましょう。
	自らの都合の良いように事は運びません。
	この世界では、不自然は許容(きょよう)されないのです。
	あなたは未熟であり、不自然です。
	そのため、自らの都合によって判断してはなりません。
	例え、都合が悪くても、そこから学ぶことはできるのです。
	都合が悪いからといって、それを否定しているというのであれば、学ぶことは制限されるでしょう。
	学ぶことが制限されるのであれば、未熟であり、不自然は解消されないままなのです。
	この世界は陰陽の仕組みによって成り立っています。
	あなたはそれを認めなければなりません。
	偏(かたよ)った食事を続けているのであれば、その皺寄せは思わぬ形で訪れます。
	偏った人間関係でも同じです。
	自分にとって都合の良いものが最善であると考えてはなりません。
	自分にとっての都合など、何の価値も無いということを理解しなければなりません。
	それは、人が未熟であり、不自然を拭い去ることができないからです。
	未熟であり、不自然な者の都合とは、未熟であり、不自然であるのです。
	そのようなものに価値はないのです。
	そのため、人生には打算は必要無いのです。
	心の赴(おもむ)くままに生きるべきです。
	そして、そこで導かれる状況に文句を吐かないことです。
	どのような状況が導かれようとも、自分の都合を振りかざしてはなりません。
	水を掬(すく)えば、忽(たちま)ち水面は元の姿に戻るでしょう。
	しかしながら、それは豊かさを得た訳ではありません。
	水を掬った分、全体の水の量は減っているのです。
	自然は均衡を保つために、水面の”皺”を伸ばしたのです。
	見た目に騙(だま)されてはなりません。
	自分勝手に、都合の良いように解釈するものではありません。
	
0 件のコメント:
コメントを投稿