あなたは多く持ち過ぎています。
		
			これ以上、足りないと考える必要はありません。
		
			寧(むし)ろ、多く持ち過ぎているものを手放さなければなりません。
		
			人は不自然な状態です。
		
			そのため、認識は歪んでいます。
		
			あなたはすべての認識が歪んでいるということを理解しましょう。
		
			あなたの認識は間違っているのです。
		
			そして、他者の認識も間違っています。
		
			それは、多くを持ち過ぎているために歪み、正しく見ることができないためです。
		
			重荷を抱えているのであれば、正しく見ることができません。
		
			それは、重荷によって余裕を失い、感情がざわめくからです。
		
			重荷を抱えている時、あなたは冷静でいられるでしょうか?
		
			重さに耐えかねて、怒りや悲しみの気持ちが湧き起こって心を乱すでしょう。
		
			多くの人が心を乱しているのは、重荷を抱えているためなのです。
		
			重荷を抱えなければ、誰もが気楽に生きられるのです。
		
			大切なのは、認識の歪みに気が付くことです。
		
			あなたは自らの認識を疑わなければなりません。
		
			もちろん、他者の認識も疑う必要があるでしょう。
		
			すべての認識を疑い、事実を信用するのです。
		
			事実には疑いようがありません。
	
		しかし、それを認識を通して見る時には疑いが生じるのです。
	人は過去の経験や、そこから導きだされる憶測によって事実を見ています。
	人の認識は、過去の経験に起源しているのです。
		
		どのような体験に対しても、過去の経験を持ち込もうとするのです。
		
		しかしながら、過去の経験から導き出される認識は歪んでいるために、その答えも歪みます。
		
		そのために、疑う必要があるのです。
		
		この世界は、あなたに多くの豊かさを与えてくれます。
		
		あなたは、それを自分の意思によって好きなだけ受け取ることができます。
		
		もちろん、断ることもできるのです。
		
		しかしながら、多くの人の認識は足りないと考えているのです。
		
		そのため、抱えられるだけ受け取ろうとするのです。
		
		残念ながら、抱え込むほどに重たく歪みます。
		
		抱え込むほどに心は乱れるのです。
		
		大切なのは、既に多く持ち過ぎているということを忘れないことです。
		
		多く持ち過ぎていると認識していれば、断ることもできるでしょう。
		
		断れば、受け取ることはありません。
		
		受け取らなければ、与えることができるのです。
		
		自然界の理(ことわり)とは、与えることです。
		
		与え合うことによって、豊かさを実現しているのです。
		
		しかし、受け取ることばかりを考えているのであれば、肥え太った者達の醜い強欲が奪い合いに発展して乏しさを実現してしまうのです。
		
		受け取らずに与えることが、豊かさの鍵であることを忘れてはならないでしょう。
		
		あなたが与えることで、誰かや何かに貢献することができます。
		
		あなたが与えることで、荷物を減らすことができるのです。
		
		歪んだ認識は恐怖を抱え、不足を覚えます。
		
		多くを持ち過ぎていると考えるのであれば、恐怖に従う必要もないのです。
		
		あなたは恐怖に従ってはなりません。
		
		恐怖に従えば、人は傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまうのです。
		
		傲慢に陥れば、多くを集めなければならないでしょう。
		
		不足よりも、所有を数えましょう。
		
		そうすれば、余計を理解することもできるでしょう。
		
		多くを抱え込もうとしてはなりません。
		
		多くを与えようとしましょう。
		
		そうすれば、あなたは身軽になって、心は穏やかであり、豊かさを感じることができるでしょう。
		
		陽の光を独占しようとした樹木は、枝葉を密に重ね合わせます。
		
		そうすることによって、下草から陽の光と雨と命を奪うのです。
		
		そこに豊かさは導かれないということを考えましょう。
		
		
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