あなたは、人生に満足することができていますか?
人生は、満足することに意義があります。
あなたは、自らの人生に満足しなければなりません。
満足することの無い人生には、意義を見出すことができないのです。
人生に満足することは簡単ではありません。
それは、人生に満足するのが自分であるからです。
多くの人は、自分を誤解しています。
多くの人は、自分が正しいと思い込んでいるのです。
しかしながら、自分という存在は未熟であり、歪んでいるのです。
未熟な自分が得る満足とは、必ず歪んでいるということを理解しなければなりません。
未熟な満足とは歪みなのです。
人生に満足しているという人もいます。
それは真実かも知れません。
しかしながら、その満足が真実かどうかを精査する必要があるのです。
その満足がただの自己満足であれば、真実を疑うべきでしょう。
それは、人は皆、信じたいものを信じるからです。
人は皆、信じたくないものは信じないのです。
そのため、その満足が自己満足の域を脱していない限りは、妄想が作り上げた虚構の満足である可能性が高いのです。
多くの人は、自分を知りません。
そのため、自らが虚構の世界を生きていることを理解することができません。
人は見たいものを見て、見たくないものは見ないのです。
そのことに気が付かなければならないのです。
多くの人は、自分が見ているものが正しいと思います。
多くの人は、自分が信じているものが正しいと思い込むのです。
そのため、見えないものは信じないのです。
見たいものを見て、信じたいものを信じていく内に、人は自己満足の世界に生きるようになるのです。
自己満足の世界に生き、そこで満足を覚えていたとしても、それを最良だと思うのです。
そして、それ以上の生き方を探求することはなくなるのです。
例えば、娯楽によって息抜きを楽しむことが人生の目的となってしまうのです。
娯楽によって息抜きを楽しむことによって満足している人は多いのです。
しかしながら、そこには成長が導かれません。
例えば、嫌な仕事や人間関係などを我慢してこなし、そのストレスを解消することを目的として生きるのであれば、人生に豊かさを得ることはできないのです。
それは、汚れを落とすだけで、美しさを生み出す作業ではないからです。
皿洗いを目的にしてはなりません。
見た目に美しく、美味しい料理を提供し、相手に喜んでもらうことによって自分も喜ぶということを目的とする方が豊かであるのです。
皿洗いを目的とするのであれば、料理の質を蔑(ないがし)ろにしてしまうでしょう。
そのため、息抜きを目的とするような生き方を楽しんではならないのです。
息抜きよりも、仕事を楽しむような人生を築きましょう。
それは、心によって築くことができるのです。
人生は認識によって築かれます。
あなたがどう思い、どう考えるか?によって人生は大きく変わるのです。
あなたの満足の形も、認識によって変わります。
残念ながら、現行の満足は未熟です。
それは、自分が歪んでいるからです。
あなたは自分が見たいものだけを見てはなりません。
自分が信じたいものだけを信じてはならないのです。
見たくないものも見るのです。
信じたくないものも信じましょう。
その後で、導かれる満足の形こそが、真実の満足なのです。
すべてを見た後でなければ、真実を決めることはできません。
あなたは偏見に従ってはなりません。
正義感に従うことをやめましょう。
何が善で何が悪なのか、あなたには判断することができないのです。
すべてを許容した上で、人生に満足しましょう。
それは、真実の世界なのです。
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