すべての人には、果たさなければならない役割があります。
	すべての人が目的を持って生まれたのです。
	すべての人は、自分自身の果たさなければならない役割のために生きているということを知らなければなりません。
	あなたにも、役割が与えられています。
	あなたはそれを人生の目的として生きなければなりません。
	あなたはただ生きるために生まれたのではありません。
	快楽を貪(むさぼ)るために生まれたのでも、無関心に生きるためでも、苦しみに絶望するためでもありません。
	あなたは持って生まれた役割を果たし、この人生に満足するために生まれたのです。
	人生の目的を見失えば、人生に満足することはできません。
	すべての人が、人生の目的を見失わないように注意していなければならないのです。
	しかしながら、多くの人は人生の目的を見失っています。
	自分が何のために生まれたのか?
	何のために生きているのか?
	何のために死ぬのか?
	ということを見失っているのです。
	多くの人は、人生という視点を見失っています。
	そのため、その視野はとても狭く、限定的にしか物事を認識し、思考することができなくなっているのです。
	それは、物事の繋がりを見失うこととなり、短絡的な判断を導くのです。
	人生という視点を見失っている者には余裕がありません。
	狭い視野の中に生きる者は、狭量(きょうりょう)を得るのです。
	それは、物事の繋がりを理解することができず、全体性を失うためです。
	人生には様々な問題が生じます。
	しかしながら、それは成長のための学びに過ぎません。
	人は問題によって苦しみますが、その過程が視野を広げ、理解を深めるための条件なのです。
	人は、問題によって苦しむことがなければ、視野を広げ、理解を深めることはできません。
	問題も生じず、苦しむことがなければ、惰性(だせい)に安心していれば良いだけです。
	それは、既存を認めることになります。
	既存を認めるということは、視野を広げる必要も、理解を深める必要もないということになるのです。
	変わる必要がないのだから、成長することはできないのです。
	しかしながら、それでは満足することができません。
	それに、あなたは自分の人生に納得することができないのです。
	満足し、納得することができない人生を生きることによって、後悔を抱くことになるのです。
	後悔とは、永続する苦しみのことです。
	誰も、後悔から逃れることはできません。
	誰も、後悔に耐えることはできないのです。
	あなたが満足し、納得する人生を生きたいと考えているのであれば、問題が生じ、それに苦しんだとしてもへこたれないことです。
	あなたが満足し、納得する人生を生きるためには、問題が生じるのは当然のことです。
	あなたが苦しむのは、当たり前のことなのです。
	当たり前のことで一々へこたれているのであれば、満足し、納得する人生を生きることはできません。
	すべての人は幸福を求めていますが、その願望と態度には矛盾があるのです。
	すべての人が幸福を求めていますが、多くの人は問題や苦しみに対して気力を失っています。
	それは、短絡的にしか考えられていないからです。
	全体性を見失わずにいれば、目の前の問題や苦しみは学びとなるのです。
	しかし、短絡的にしか考えなければ、目の前の問題や苦しみは苦悩となるのです。
	人生において導かれるすべての状況は、自分に相応しいものです。
	あなたの目の前に導かれる問題や苦しみは、あなたに相応しいのです。
	そのため、どちらにしてもそれ等と向き合わなければなりません。
	あなたは、自らの抱える問題や苦しみの原因から逃れることはできないのです。
	そのため、どこへ逃れようとも問題や苦しみは襲います。
	問題や苦しみから一時的に逃れることはできますが、それ等はやがて追い付くということを覚えておきましょう。
	そのために、問題が生じ、苦しんだとしてもへこたれてはならないのです。
	解決することは容易ではありません。
	何度も挑戦しなければなりません。
	簡単に諦めるようでは、人生の目的を果たすことはできないのです。
	人生とは、繰り返しの学びです。
	そのため、忍耐が必要なのです。
	人生は必ず豊かさへ向かいます。
	心配する必要はありません。
	安心して問題や苦しみに向き合いましょう。
	問題に苦しんだとしても、へこたれてはなりません。
	
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