すべての人が未熟です。
すべての人が未熟さを抱えています。
未熟でない人物は存在しません。
人が人で有る以上、未熟さを離れることはできないのです。
未熟さは歪みとして現れます。
歪みは誤解であり、偏見を導きます。
そのため、すべての人が誤解を抱え、偏見を所有しているのです。
この世界において、偏見を所有していない人はいません。
あなたも、多くの偏見を所有しているのです。
人生の目的は、その偏見を取り除くことです。
誤解を手放し、未熟さを薄めることにあるのです。
人生の目的は成長することです。
それは、偏見を取り除くことであるのです。
あなたは自らの抱える偏見を取り除かなければなりません。
そのためには、自らの抱える偏見を認識する必要があるのです。
自らの抱える偏見を認識することがなければ、それを改善しようとは思えません。
知らなければ、存在しないのです。
あなたが自らの抱える偏見を認識した時に、それは形を成すのです。
人はすべてのことに偏見を抱えています。
人が何かを理解しているということはありません。
人は何も知らないのです。
理解していると思い込むことはできますが、理解することはありません。
人の理解とは、常に発展の途上にあるのです。
そのため、人は多くの可能性を抱えているということを覚えておきましょう。
あなたには、知らないことが多過ぎます。
それは、あなたが多くの偏見を所有しているということを意味しているのです。
あなたは多くの誤解を抱え、歪んでいるのです。
そのことに気付き、改善に努めましょう。
偏見は、金属に浮き出る錆(さび)のようなものです。
錆が浮き出るのであれば、歪みます。
錆が浮き出るのであれば、穴が空きます。
錆が浮き出るのであれば、金属は破滅するのです。
偏見を抱える人は歪みます。
その思考には死角が生じます。
そして、苦悩を得ることになるのです。
金属にとって、錆は厄介(やっかい)な存在です。
それは、破滅を意味しているからです。
金属を役立たせるためには、錆を落とさなければなりません。
錆に覆われていれば、役に立つものも立たないのです。
人は未熟です。
人は錆に覆われているようなものなのです。
錆は金属から生じます。
金属は自ら錆びるのです。
あなたの偏見は、自らの生み出した結果です。
誰かや何かによって偏見を抱えたのではありません。
すべては、身から出た錆であるということを覚えておきましょう。
あなたは錆びた刃物を研ぐように、自らの所有する偏見を取り除かなければなりません。
刃物を砥石(といし)に擦(す)るのです。
あなたの偏見を研ぐのは知識と経験です。
あなたは知識と経験という砥石によって、自らを研ぎ澄ませましょう。
しかしながら、錆は簡単には落ちません。
何度も、何往復も研がなければなりません。
それは、何度も、何往復も学ばなければならないということなのです。
金属が錆を避けることはできません。
あなたが存在している以上、偏見は生じるのです。
学びが終わるなどと考えてはなりません。
自分が役に立っているなどと過信してはなりません。
生涯を通じて、学びに励(はげ)みましょう。
身から出た錆を落とし続けましょう。
苦悩(偏見)を簡単に取り除くことはできませんが、それでも学び続けなければなりません。
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