あなたは、何のために生きているのでしょうか?
	人が生きるには様々な理由があるでしょう。
	人ぞれぞれに立場が異なり、必要も異なります。
	そのため、生きる理由は異なるのです。
	しかしながら、生きる理由の根本は同じなのです。
	立場や必要は一時的なものでしかありません。
	様々な概念を取り除いていけば、差異(さい)はなくなるのです。
	すべての人が根本的には同じ理由によって生きていますが、立場や必要によって細分化されているために別々の理由を所有しているように思うのです。
	表面的には、人はそれぞれの生きる理由に従って生きています。
	立場や必要によって、生きる理由は異なるのです。
	しかしながら、それ等は表面的な理由に過ぎず、根本的には別の理由に従っているということを知らなければならないのです。
	あなたは、成長するために生きています。
	すべての人が成長することを生きるための根本的な理由としているのです。
	成長することが生きる理由であることを認識することができず、目の前の表面的な理由を重要視している人も多いのです。
	それが悪いということではありません。
	人は、目の前のことに対して懸命に取り組まなければなりません。
	しかしながら、視野が広い方が余裕を以て目の前のことに取り組むことができるのです。
	表面的な理由に捕らわれず、根本的な理由を視野に入れている人は、余裕を以て生きることができるのです。
	多くの人はあまりにも、目の前のことに捕らわれ過ぎています。
	懸命に取り組むことは素晴らしいことですが、力を抜くことも覚えなければなりません。
	張り詰めた綱は脆(もろ)いのです。
	何事にも余裕が必要です。
	あなたは、生きるための根本的な理由が成長することにあると知りましょう。
	そうすれば、立場や必要を俯瞰(ふかん)することもできるのです。
	すべての状況が成長のために導かれるということを知れば、目の前の状況に翻弄(ほんろう)されることもなくなるでしょう。
	視野を広げるというのは、こういうことなのです。
	多くの人が、立場や必要によって翻弄されています。
	それは、そこから導かれるものが苦しみであるからです。
	どのような状況にも苦しみは含まれています。
	あなたが苦しみを避けることはできないのです。
	人は苦しみのために生きているということを知りましょう。
	しかしながら、多くの人は喜びのために生きていると思い込んでいます。
	幸福のために生きても、得られるのは苦しみです。
	それは、苦しみにこそ価値があるということを示しているのです。
	勿論、苦しみが続くことに価値があるというのではありません。
	苦しみと喜びは、交互に訪れることが自然なのです。
	そのため、苦しみを否定するのは不自然です。
	喜びだけを求めるのも不自然です。
	苦しみと喜びの両方が必要であるのです。
	あなたは苦しみを受けます。
	苦しむことによって、自分の中に弱さを発見することができるでしょう。
	自分の中の弱さを発見することによって成長することができるのです。
	もしも、苦しみによって自分の中に弱さを発見することができなければ、それを放置することになるのです。
	弱さを放置するのであれば、成長することはできないのです。
	人は、成長することによって自由を得られます。
	自由を得ることは喜びです。
	それは、人を苦しみの鎖(くさり)である不自由から解放される喜びなのです。
	しかしながら、自由を得ることによって得られる喜びはいつまでも続くものではありません。
	なぜなら、自由を得ることによって退屈するようになるからです。
	人は、自由によって苦しむのです。
	あなたは自由でも不自由でも苦しむのです。
	そして、自由でも不自由でも喜ぶでしょう。
	どちらにしても苦しみ、どちらにしても喜びます。
	立場や必要によって得られるのは苦しみと喜びの感情です。
	苦しみと喜びを繰り返すことによって得られる(副)産物が成長なのです。
	そのため、人は成長を目的に生きているということなのです。
	それ以上の理由を知る必要はありません。
	それ以上の理由は、あなたが成長した暁(あかつき)に知ることができるでしょう。
	今は、自分が立場や必要のために生きているけれども、それは成長のためであるということを理解しておきましょう。
	
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