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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2017年5月20日土曜日

死すべき者

人生とは、死への旅路です。
すべての人に時間の限界が存在します。
すべての人が死を迎えるのです。
死を免れる人はいないのです。
あなたはいつか死にます。
それは、今日かも知れませんし、明日かも知れません。
どちらにしても、死を得るのです。
あなたは自分が必ず死ぬことを念頭において生きていましょう。
死を排除した人生に生は輝きません。
それは、生と死は一つの存在であるからです。
死が存在するために生が存在を許されているのです。
死が原因であり、生は結果です。
多くの人は生を原因だと思うでしょうが、それは誤解です。
死を前提として生が存在しているのです。
人は、死ぬために生きているのです。
そのことを理解しなければならないでしょう。
人生の終着点は死です。
そのため、生のために人生を進むことのできる人はいません。
すべての人生が死ぬために存在しているのです。
生のための人生であるのならば、そこには矛盾が生じてしまうでしょう。
死への旅路であるのだから、生に向かうことは矛盾を生み出すのです。
多くの人は、生きるために選択します。
しかしながら、それは時間の経過と共に可能性を失うのです。
それは、人生における生の可能性は、常に減少していくからです。
人生において増加していく可能性とは、死ぬことなのです。
死の可能性は常に増加しています。
可能性の減少するものに尽力するものではありません。
可能性の増加するものに尽力するのが自然なのです。
あなたが矛盾という不自然を手放し、自然を得るためには、死ぬために人生を選択する必要があるということなのです。
生まれた瞬間から、死へと向かいます。
生まれた瞬間から生へと向かう人はいません。
すべての人が、人生を終えるために始めたのです。
死を意識して生きなければなりません。
多くの人は、生きるために人生を選択します。
生きるためには多くのものが必要です。
生きるためには、多くの欲求が必要なのです。
そのため、生きようと強く願う者は、強欲に陥(おちい)ることになります。
それは、傲慢(ごうまん)を引き起こすのです。
傲慢な者は、利益を求めて道を真っ直ぐに進もうと企(たくら)みます。
しかしながら、人生の旅路を真っ直ぐに進むことはできません。
それは、自然界には山があり、崖があり、川があり、海があるように、人力ではどうすることもできない障害が立ちはだかるのです。
傲慢な者は、山を削り、崖を崩し、川を塞き止め、海を埋め立てるのです。
自然を歪めることによって利益を得ようと考えるのです。
しかしながら、自然を歪めることによって生じる弊害(へいがい)のことは考えていません。
自然を歪めることによって、そこには不自然が生じます。
人は不自然の中で豊かに生きることはできないのです。
不自然の中では、問題や苦悩が生じ続けるのです。
欲張って、自然を歪めるものではありません。
迂回(うかい)しなければならないのが自然です。
人生においては、欲張らない方が効率が良いということを覚えておきましょう。
あなたは自然を受け入れるべきなのです。
人生に導かれる様々な状況に抵抗してはなりません。
それは、あなたが賢(かしこ)くなるための学びです。
賢くなければ、いつまでも生きることに欲をかくでしょう。
賢くなければ、人生が死ぬためのものだと理解することができないのです。
あなたは、人生が何のためにあるのか?ということを考え続けましょう。
死すべき者が、強欲に生きるものではありません。
死すべき者が、傲慢に陥ってはなりません。

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