人生とは、死への旅路です。
	すべての人に時間の限界が存在します。
	すべての人が死を迎えるのです。
	死を免れる人はいないのです。
	あなたはいつか死にます。
	それは、今日かも知れませんし、明日かも知れません。
	どちらにしても、死を得るのです。
	あなたは自分が必ず死ぬことを念頭において生きていましょう。
	死を排除した人生に生は輝きません。
	それは、生と死は一つの存在であるからです。
	死が存在するために生が存在を許されているのです。
	死が原因であり、生は結果です。
	多くの人は生を原因だと思うでしょうが、それは誤解です。
	死を前提として生が存在しているのです。
	人は、死ぬために生きているのです。
	そのことを理解しなければならないでしょう。
	人生の終着点は死です。
	そのため、生のために人生を進むことのできる人はいません。
	すべての人生が死ぬために存在しているのです。
	生のための人生であるのならば、そこには矛盾が生じてしまうでしょう。
	死への旅路であるのだから、生に向かうことは矛盾を生み出すのです。
	多くの人は、生きるために選択します。
	しかしながら、それは時間の経過と共に可能性を失うのです。
	それは、人生における生の可能性は、常に減少していくからです。
	人生において増加していく可能性とは、死ぬことなのです。
	死の可能性は常に増加しています。
	可能性の減少するものに尽力するものではありません。
	可能性の増加するものに尽力するのが自然なのです。
	あなたが矛盾という不自然を手放し、自然を得るためには、死ぬために人生を選択する必要があるということなのです。
	生まれた瞬間から、死へと向かいます。
	生まれた瞬間から生へと向かう人はいません。
	すべての人が、人生を終えるために始めたのです。
	死を意識して生きなければなりません。
	多くの人は、生きるために人生を選択します。
	生きるためには多くのものが必要です。
	生きるためには、多くの欲求が必要なのです。
	そのため、生きようと強く願う者は、強欲に陥(おちい)ることになります。
	それは、傲慢(ごうまん)を引き起こすのです。
	傲慢な者は、利益を求めて道を真っ直ぐに進もうと企(たくら)みます。
	しかしながら、人生の旅路を真っ直ぐに進むことはできません。
	それは、自然界には山があり、崖があり、川があり、海があるように、人力ではどうすることもできない障害が立ちはだかるのです。
	傲慢な者は、山を削り、崖を崩し、川を塞き止め、海を埋め立てるのです。
	自然を歪めることによって利益を得ようと考えるのです。
	しかしながら、自然を歪めることによって生じる弊害(へいがい)のことは考えていません。
	自然を歪めることによって、そこには不自然が生じます。
	人は不自然の中で豊かに生きることはできないのです。
	不自然の中では、問題や苦悩が生じ続けるのです。
	欲張って、自然を歪めるものではありません。
	迂回(うかい)しなければならないのが自然です。
	人生においては、欲張らない方が効率が良いということを覚えておきましょう。
	あなたは自然を受け入れるべきなのです。
	人生に導かれる様々な状況に抵抗してはなりません。
	それは、あなたが賢(かしこ)くなるための学びです。
	賢くなければ、いつまでも生きることに欲をかくでしょう。
	賢くなければ、人生が死ぬためのものだと理解することができないのです。
	あなたは、人生が何のためにあるのか?ということを考え続けましょう。
	死すべき者が、強欲に生きるものではありません。
	死すべき者が、傲慢に陥ってはなりません。
	
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