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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年1月31日水曜日

人は、自分にしか成れない

あなたは、あなたとして生まれました。
他の誰でもありません。
そして、これはあなたの人生なのです。
あなたが、この人生を生きているのです。
しかしながら、あなたはあなたを見失っています。
それは、様々な教育によって、”余計”を身に付けたからです。
すべての人は、”余計”を身に付けなければなりません。
それは、あなたがあなたであるためです。
あなたがあなたであるためには、あなたがあなたであることを実感する必要があるのです。
あなたがあなたであることを実感するためには、あなたがあなたを思い出さなければならないのです。
あなたがあなたを思い出すために、あなたはあなたを見失わなければならないのです。
人は愚(おろ)かな存在です。
当たり前を当たり前と思い込むのです。
当たり前を当たり前と思い込んでしまえば、無意識に過ごすことになるのです。
無意識に過ごす者は、目の前の状況に対して、何の気付きも得られません。
人は、目の前の状況の中の自分に気付くのです。
自分に気付くことによって、あなたはあなたを思い出すことが出来るということを知りましょう。
無意識に過ごす者は、自分に成ることが出来ません。
すべての人の人生の目的は、自分に成るということなのです。
自分に成ることが出来ない者は、豊かさを得ることが出来ません。
自分に成ることが出来ない者は、幸福を得られないのです。
人は自分にしか成れません。
努力の先には自分が存在しているのです。
魚が鳥に成ろうとして、鰭(ひれ)を翼に真似て空を飛んだとしても、それは魚でしかないのです。
魚が水を拒絶したとしても、そこから離れることは出来ません。
魚として生まれたのであれば、魚として生きる必要があるのです。
魚が鳥に成ろうとするのは、現実逃避に他なりません。
魚が努力をすれば、それは美しい魚となるのです。
魚は魚です。
魚が鳥に成ることはないのです。
鳥が魚に成ろうとして水に潜ったとしても、鳥は鳥のままなのです。
あなたはあなたにしか成れません。
誰かの真似をしたところで、誰かに成ることは出来ません。
すべての努力は、自分に成るためのものなのです。
大切なのは、自分を知ることです。
あなたは、あなたでしかないのです。
あなたは、あなたであることが最善なのです。
他の誰かのように成ろうとしてはなりません。
あなたはあなたとして生きることを考えなければならないのです。
人は、自分にしか成れません。
そのことを覚えておく必要があるのです。
自分を拒絶したところで、苦悩が導かれるだけです。
人には、それぞれに分際が与えられているのです。
分際とは、この世界における個々の役割のことです。
あなたの分際は、あなたの大切な役割です。
それは、この世界にとっても大切なものなのです。
世界は、あなたにあなたであることを求めているのです。
すべての人は”余計”を身に付けなければなりませんが、その状態に甘んじてはなりません。
あなたは”余計”によって見失った自分を、”余計”を削り落とすことによって発見するのです。
”余計”を削り落とすためには、自力が必要なのです。
あなたは、自主的に考え、自主的に行為しなければならないのです。
自分で人生を選択することこそが、自分で生きるということです。
あなたがあなたであるためには、自分の人生に責任を持つ必要があるのです。
これは、あなたの人生です。
どうするかは自分で決めましょう。
誰も、あなたの代わりを務めることは出来ません。
人生は、あなたがあなたに成るための時間です。


あなたが誰かに成るための時間でも、誰かがあなたに成るための時間でもないということを覚えておきましょう。

2018年1月30日火曜日

最善の現実

人は、結果を覆(くつがえ)すことが出来ません。
すべての人は、結果を甘んずる必要があるのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれるのです。
誰も、因果を歪めることは出来ません。
結果は、あなたの意思に関係なく導かれるのです。
あなたは、結果を選り好みすることは許されません。
人生は常に、あなたにとっての最善を導くのです。
導かれる結果以上に、あなたにとって良いものは存在しないのです。
大切なのは、謙虚(けんきょ)であることなのです。
それが気に入らない結果であろうとも、それ以上の結果は得られません。
現状において、それ以上の結果を求めたとしても、原因が不足しているのです。
あなたは、現状において、最も良いものを受け取ります。
現状において、自分にとってそれ以上に良いものは存在しないということを理解しておきましょう。
そうでなければ、人は現実逃避を行ってしまうのです。
目の前の現実を受け入れることが出来ない者が、豊かさを得ることは出来ません。
最も良いものを受け取っておきながら、それに文句を吐く者が幸福を得ることなど出来るはずがないのです。
あなたが人生の豊かさと幸福を求めているのであれば、目の前の結果に感謝することを覚えなければならないのです。
しかしながら、目の前には到底満足することの出来ない結果が導かれているのも事実です。
そのため、あなたは現状において、より良い原因を選択し、より良い結果が導かれるようにしておく必要があるのです。
”今”の過ごし方こそが、後の”今”の過ごし方を決めます。
そのため、あなたは自分がどうするのか?を考えなければなりません。
心の中、頭の中では、葛藤(かっとう)が生じているはずです。
あなたは常に選択を迫られ、常に何かを選ばなければならないからです。
その時に、より良い方を選ぶ必要があるのです。
あなたが人生の豊かさや幸福を求めているのであれば、より良い方を選ぶ必要がありますが、多くの人はそれを選ぶことが出来ません。
多くの人は、乏しさや不幸な結果を導く原因を選ぶのです。
それは、人が弱い存在であるからです。
すべての人が未熟です。
すべての人が無知によって歪んでいるのです。
そのため、導かれる最善を理解することが出来ません。
すべての出来事には、大切な意味があることを理解することが出来ないのです。
あなたは、現実を変える必要はありません。
どのような現実も、それがあなたに相応しいのです。
一瞬でも、過ぎれば過去です。
あなたには、過去を改めることは出来ないし、改める必要もありません。
過去は過去のままで良いのです。
過去にどのようなことがあろうとも、それに悔やまず、そこから最善の道を探して歩み出せば良いのです。
樹木が、風雨によって折れた枝を嘆(なげ)くでしょうか?
樹木は、折れた枝のことを受け入れます。
そして、折れた状態から、新たに枝を伸ばすのです。
導かれた現実を嘆き悲しみ、手を拱(こまね)いていたとしても、幸福を得ることは出来ません。
どのような現実が導かれようとも、無気力であってはならないのです。
折れた枝は、樹木に権威(けんい)を与えるでしょう。
折れた枝によって、樹木は美しく育つことが出来るのです。
同じように、不利な状況は人を育てるのです。
あなたが気に入らない現実は、あなたに知恵を導くでしょう。
それは、気に入らない現実を受け入れ、より良い現実を導くためには、どうしても知恵が必要であるからです。
現実逃避を繰り返している者には知恵が育ちません。
あなたは現実を受け入れましょう。
それは、知恵を受け入れるのと同じことだからです。
人は、結果を覆すことは出来ません。
しかしながら、そもそも結果を覆す必要がないのです。
そのことを理解し、現実を学びましょう。


そうすれば、あなたは必ず、知恵の導きによって豊かさと幸福を得ることが出来るでしょう。

2018年1月29日月曜日

許し

すべての人は未熟です。
すべての人は未熟を抱えて生まれます。
すべての人は無知であり、歪んでいるのです。
すべての人は不足し、過剰です。
この世界には、正しい人は存在しません。
すべての人が間違っているのです。
そのため、自分が正しいとか、相手が正しいという議論(ぎろん)には価値がありません。
あなたは、自分が正しいと考えてはなりません。
そして、相手が正しいとも考えてはならないのです。
すべての人が無知であり、歪んでいる未熟者なのです。
そのため、未熟者であるあなたが、誰かを裁(さば)くことは出来ません。
相手の気に入らない部分を責(せ)め立てるのは愚かなことなのです。
相手を責め立てる時には、自分の愚かさを露呈(ろてい)しているということを理解しなければならないのです。
あなたは、誰かを責めます。
あなたには、相手の気に入らない部分があるのです。
口の中で相手を攻め立てたとしても、その愚行(ぐこう)によって、問題を抱え、苦悩に至るのはあなたなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果はそれぞれのものです。
あなたの行いは、あなたにしか返りません。
結果は、原因に付き従うのです。
あなたが誰かを責め立てたとしても、それは自分の立場(状況)を不利にするだけです。
口の中の言葉であったとしても、それは人生に反映されるからです。
あなたは何一つとして隠し通すことは出来ません。
すべては明るみに現されるのです。
あなたは、自分の因果を避けることは出来ないのです。
あなたは、自分の行為に注意しましょう。
些細(ささい)な行為も人生に反映されます。
人生が、あなたを見過ごすことはありません。
人生は、あなた自身なのです。
大切なのは、自分も相手も同じように未熟であると知ることです。
そうすれば、相手との間に優劣を持ち込むことはなくなります。
優劣は、争いに発展し、争いは未熟さを加速させます。
相手を蔑(さげす)むことによって自分を高めようとする者は、その愚行によって今よりも低められるのです。
人格を高めることによって、人は豊かさを得ることが出来ます。
人格を高めるというのは、優しくなるということです。
優しくなるというのは、相手を許すということなのです。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、相手を許さなければなりません。
許容の範囲が、人格を現しているのです。
許すことの少ない者は、人格が未成熟です。
許すことの多い者の人格は、成熟しているのです。
人格の成熟している者は争うことをしません。
そこには、協力が生まれるのです。
協力することによって、人は、独りよりも何倍もの豊かさを導くことが出来るのです。
人格の成熟している者が乏しさを得ることはありません。
この世界において乏しさを得るのは、争っている者だけだからです。
因果の仕組みを軽んじてはなりません。
あなたの現状は、あなたの姿なのです。
人生を嘆(なげ)き、誰かを恨(うら)むことは間違っています。
自分自身の愚かさを嘆き、それを恨みましょう。
人生は、あなたのせいです。
それ以外の原因はありません。
間違えてはなりません。
あなたは、自分の未熟さを責め立てられることを喜びますか?
あなたは、未熟さを哀(あわ)れんでもらうことを喜ぶでしょう。
あなたも相手に同じことをするのです。
相手の気に入らない部分を責めてはなりません。
それを哀れみ、互いに協力して人格を高めるのです。
自分の未熟さを棚に上げて、相手の未熟さを責めてはなりません。


謙虚(けんきょ)でありましょう。

2018年1月28日日曜日

価値の見直し

すべての人は人生に目的を以(もっ)て生まれます。
誰もが、自らの目的を果たすために生きているのです。
目的は、それぞれに異なります。
人は、それぞれの目的を果たそうとしているのです。
目的とは、価値です。
それは、人生の目的を果たすことこそが、人生を豊かにするために必要だからです。
人生に豊かさを求めるのであれば、人生の目的を果たすことです。
それ以外に人生を豊かにする方法はありません。
多くの人は、ただ健康で長生きすることや、気の合う誰かと暮らすことを人生の豊かさだと考えています。
やりたい仕事をして、多くの財産を貯(たくわ)え、好きなだけ欲望を満たしたとしても、人生が豊かさを得ることはありません。
それ等のことが人生の目的である場合は、豊かさを得ることが出来るでしょうが、人生の目的がそのように”簡単”であるはずがないのです。
好きな方や楽な方を選んでいくだけなら、人生は簡単なのです。
しかしながら、この世界には、嫌いな方や苦しい方向性も存在しているのです。
片方に偏ることは、偏見と誤解を生じます。
偏見と誤解によっては、真の豊かさを得ることは出来ないのです。
偏見と誤解を手放さなければ、どれが豊かさなのかを理解することは出来ないのです。
多くの人が偏見と誤解を抱えて生きています。
そのため、多くの人は豊かさを偏見と誤解によって選んでいるのです。
もちろん、本人にそのような自覚はありません。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
そのため、自分に必要な価値を見失っている状態なのです。
人生の目的は人それぞれに異なります。
価値は、それぞれに異なるのが自然なのです。
あなたにとっての必要と、他者にとっての必要は異なります。
それは、それぞれに人生の目的が異なっているからです。
あなたは自らの目的を果たさなければなりません。
他者は、自分の目的を果たす必要があるのです。
そのため、人はそれぞれに別々の価値を求めます。
あなたと他者の必要は異なります。
そして、あなたと他者の求める価値は異なっているのが自然なのです。
しかしながら、多くの人は自らの人生の目的を見失っている状態です。
そのため、多くの人が自分と他者の目的と価値を混同して考えているのです。
大切なのは、自分の人生の目的を考えることです。
そして、それに必要な価値を見極めることなのです。
多くの人は、自分にとって何が必要であり、何に価値があるのか?ということを知りません。
そのため、他者の必要や価値に惑わされ、それを自分のもののように考えるのです。
あなたが他者の必要や価値を追い求めたからといって、自分の目的を果たすことが出来る訳ではありません。
あなたが他者の必要や価値を追い求める程に、あなたは自分の目的を果たすことからは遠ざかってしまうでしょう。
あなたは、自分にとっての必要と価値を追い求めなければなりません。
他者は、他者として自分の必要と価値を述(の)べます。
あなたがそれに共感する必要はないのです。
例えば、不平不満を吐く者は、不平不満によって苦しむ必要があり、そこに導かれる乏しさにこそ価値があるのです。
そのため、その者は不平不満を吐かなければならないのです。
あなたの目的が乏しく生きることにあるのであれば、その人に倣(なら)って、同じように不平不満を吐いていましょう。
そうすれば、あなたも同じように苦しみ、同じように乏しさを得ることが出来るでしょう。
人は、自分の価値に従って生きなければなりません。
あなたが豊かに生きることが人生の目的だと考えるのであれば、乏しく生きる者を倣ってはなりません。
多くの人は、好きな方や楽な方を選びます。
好きな方や楽な方を選んでいる人は、得をしているように思えるかも知れません。
しかしながら、人生はそのように”簡単”ではないのです。
陰陽の仕組みを見失った者には、必ず乏しさが導かれるように出来ているのです。
簡単なことばかりを取れば、難しいことが後から押し寄せるでしょう。
花は、微生物や虫などの糞尿によって咲くのです。
花だけを取ることは出来ません。
花を欲するのであれば、糞尿を必要とするのです。
あなたは、価値を考えなければなりません。
未熟であるあなたは、偏見と誤解によって価値を計っていることでしょう。
価値を考え直さなければならないのです。
そうしなければ、人生の目的を果たし、豊かな人生を生きることが出来ないのです。
覚えておく必要があるでしょう。




2018年1月27日土曜日

紆余曲折

あなたは、人生が思い通りに展開するなどと考えてはなりません。
残念ながら、人生が思い通りに展開することはありません。
なぜなら、あなたは未熟であるからです。
人生が、未熟であるあなたの思い通りに展開するということは、あなたにとっての損失をもたらす結果へと繋がるのです。
大切なのは、自分が未熟であるということを知ることです。
未熟である自分の思い通りに展開する人生には、豊かさが導かれないということを理解し、幻想を手放さなければならないのです。
多くの人は、人生が思い通りに展開することを望んでいます。
それは、自分が正しいと思い込んでいるからです。
残念ながら、あなたは正しくありません。
大抵の場合、あなたが間違っているのです。
人は、無知による偏見(へんけん)を所有しています。
偏見は誤解を生じさせるのです。
人は、大抵のことに対して無知を所有しています。
どのような事柄に関しても、それを”知っている”者はいません。
誰もが、知らないのです。
どのように詳しい者であっても、知らないことは必ずあります。
人は決して、無知と偏見と誤解を手放すことは出来ないのです。
そのため、人生が思い通りに展開することは、人生に対して確実に乏しさを導くのです。
人生が、あなたの思い通りに展開してはなりません。
人生は、あなたの予想に反する展開をする方が良いのです。
それを受け入れることが出来れば、人生は豊かさへ向けて展開を始めるでしょう。
すべての人は人生に目的を持っています。
すべての人は、人生の目的地を目指しているのです。
それは、遠くに見える山の頂(いただき)のようなものです。
遠くからでは見えているものなのです。
しかしながら、実際に目的地を目指して歩むことは、予想とはかなり異なります。
遠くから眺めるのであれば、山を真っ直ぐに登って行くことが出来るようにも思えます。
遠くから眺めるのであれば、それはとても簡単なことのように思えるのです。
しかしながら、麓(ふもと)に立てば、既に頂を見失っているのです。
それに、自分勝手に山を登ることは出来ません。
登れる場所と登れない場所が存在するのです。
切り立っている崖(がけ)や谷を進むことは出来ません。
あなたの登ることが出来る道は、実際には曲がりくねっているのです。
あなたは真っ直ぐに登ることは出来ないのです。
頂に辿り着くためには、自分の進める道を探して大きく迂回(うかい)する必要があるのです。
頂までの道のりは、必ず紆余曲折(うよきょくせつ)を経る必要があるのです。
目的地へと辿り着くためには、謙虚(けんきょ)である必要があるのです。
意地を張って、切り立った崖や谷を進もうとすれば、怪我をするでしょう。
山登りにおいて、怪我は大事です。
躓(つまず)かないように歩まなければならないのです。
人生を思い通りに展開させたい人が多いのです。
しかしながら、それは未熟である自分の誤解であるということに気が付かなければなりません。
目的地に辿り着くためには、思い通りに進んではなりません。
目的地に辿り着きたければ、進むことが出来る道を探す必要があるのです。
困難を前にしても、自分に出来ることがあるはずです。
それを探し、行えば良いのです。
焦ることなく、確実に歩みを進めるのです。
遠くから眺める景色と、実際に歩み始めた道は異なります。
理想と現実は大きく異なっているのです。
どのような目的地であっても、そこに辿り着くためには、紆余曲折を経なければならないのです。
思い通りに展開することは危険です。
後にそれは、あなたにとっての苦しみとなるでしょう。
人生が思い通りに展開するなどと考えてはなりません。
人生は、あなたの成長を求めています。
成長したあなたでなければ、頂に相応しくないのです。
目的地に相応しい自分が求められているのです。
あなたは頂を目指す道のりにおいて、無知を克服し、偏見を手放し、誤解を解消するでしょう。
そのためには、思い通りにならない人生が必要なのです。
そのことを覚えておきましょう。


紆余曲折を経て、成長しましょう。

2018年1月26日金曜日

自分の在り方

人は、自分の状態を自分で決めることが出来ます。
人は、自分がどう在(あ)るかを決めることが出来るのです。
自分の在り方は、自分で決めるということを覚えておきましょう。
自分の在り方は、人生を決めます。
人生は、自分の在り方によって左右されるのです。
そのため、人生を考える時には、必然的に自分の在り方を考える必要があるのです。
自分の在り方を考えない者は、人生に翻弄(ほんろう)されてしまうでしょう。
自分の在り方を考えない者は、人生の在り方も考えることはありません。
人生の在り方を考えることの無い者には、人生は偶然でしかないのです。
自分の在り方を考えることの無い者にとって、人生における様々な状況は予測に反するものです。
自分の在り方を考えることの無い者にとって、人生は苦悩に満ちたものとなるでしょう。
それは、目の前の状況の意味と意図を理解することが出来ないからです。
目の前の状況の意味と意図を理解することが出来なければ、それは問題となるのです。
問題は悩みと苦しみを導くのです。
苦悩に満ちた人生は、乏しさを導くでしょう。
自分の在り方が定まっていない者にとって、人生は苦しみであるのです。
あなたが苦しみを感じているのであれば、それは自分の在り方が定まっていないからです。
目的や目標を持たずに、ただ流されているだけなのです。
人は弱い存在です。
人は、この世界の流れに逆らうことは出来ません。
この世界の流れとは、因果の仕組みのことなのです。
あなたは、自らの抱える原因に相応しい結果に辿り着きます。
あなたはそれを避けることは出来ません。
しかしながら、因果の流れに従いながらも、目的と目標を以(もっ)て泳げば、流されながらも”良い場所”に辿り着くことが出来るのです。
”良い場所”とは、満足のことです。
満足に辿り着く者は、豊かな人生を得るでしょう。
大切なのは、自分の在り方を考えることです。
誰かや何かによって、自分の在り方を決められてはなりません。
あなたは自分で自分の在り方を決めなければならないのです。
雪は、自分から出た水によって溶けます。
雪が水に溺れることがなければ、存続を許されるのです。
鉄は、自分から出た錆(さび)によって朽(く)ちます。
鉄が錆に覆われることがなければ、存続を許されるのです。
雪が存続を欲するのであれば、自分から出た水に溺れないような場所に降り積もらなければなりません。
鉄が存続を欲するのであれば、自分から錆が出ないように努めなければならないのです。
自分の在り方によって、受け取る結果は異なるのです。
あなたは、問題によって存続が危ぶまれます。
あなたは、問題によって苦悩に陥(おちい)らないようにしなければならないのです。
問題となる思考や習慣や人間関係や場所を手放しましょう。
そうしなければ、それ等に押し潰されてしまうでしょう。
自分の在り方を決めるのは、自分でしかありません。
勇気を以て生きる必要があるのです。
誰かや何かに流されてはなりません。
自らの因果に流されるだけではならないのです。
あなたは自らの愚かさを反省し、自分の在り方を改めなければならないのです。
あなたは、自分とその人生を破滅させる思考や習慣、人間関係や場所を所有しているはずです。
それを手放さなければなりません。
あなたを破滅させるものとは、あなたの違和感として認識することが出来ます。
咳(せき)が出て、喉(のど)の痛みを覚える時には、風邪を疑うことが出来るのです。
風邪は違和感として認識することが出来るでしょう。
風邪の違和感を放置しているのであれば、風邪の症状は悪化して苦しむことになるのです。
風邪の違和感を認識すれば、直ちに対策を講(こう)じる必要があるのです。
そうすれば、風邪に苦しむこともないのです。
雪が水を出し、鉄に錆が浮くように、あなたは問題となる思考や習慣や人間関係や場所を所有します。
それ等を得る時には、必ず苦悩に辿り着くのです。
その時には、その自分と人生の在り方を納得することが出来るのか?ということを考えましょう。
そして、納得することが出来ないのであれば、勇気を出して手放しましょう。
手放せば、他の思考や習慣、人間関係や場所を所有します。
大抵の場合、それは前よりも良いものとなっているでしょう。
目的と目標を以て手放す時、あなたはより”良い場所”に辿り着くことが出来るのです。
自分の在り方は、自分で決めなければなりません。
人生を豊かなものとするためには、自分の在り方が重要なのです。


どう在るか?をあなたは自分で決めましょう。

2018年1月25日木曜日

豊かに生きる方法

多くの人は、豊かに生きる方法を知りません。
多くの人は、豊かに生きる方法を知らずに、豊かに生きたいと願っているのです。
豊かに生きる方法を知らなければ、豊かに生きることは出来ません。
この世界には、因果の仕組みが存在し、それを無視することの出来る人は存在しないのです。
すべての結果は、それに相応しい原因によって導かれます。
原因が存在しなければ、結果は存在しないのです。
豊かに生きる方法がなければ、豊かに生きることが出来ません。
豊かに生きる方法を実践することが、人生を豊かなものにするのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、人生を豊かに生きる方法を学ばなければならないのです。
多くの人は、学ぶことを嫌います。
多くの人は、自分が怠慢(たいまん)であることを知らないのです。
それは、傲慢(ごうまん)によって築かれた無知と、無知によって導かれる誤解が、自らの怠慢を覆い隠しているからです。
多くの人は、何も知りません。
知らないことは”罪”なのです。
それは、自分や他者を傷付けるのです。
あなたは学ばなければなりません。
傲慢に陥(おちい)り、無知と誤解によって覆い隠されている怠慢を明らかにしなければならないのです。
多くの人は歪んでいます。
多くの人は、自分が何をしているのかを知らないのです。
多くの人は、幸福を願いながら不幸に成ります。
頭では幸福を求めながら、その口と手は不幸を掴むのです。
多くの人は、自らの抱える矛盾と愚かさに気が付きません。
多くの人は、現状を客観視することが出来ないために、自分が正しいと思い込んでいるのです。
多くの人は、不幸に陥る方法によって、幸福を得ようとしています。
不幸に陥る方法によって、人が幸福を得ることは出来ません。
それは、因果の仕組みが許さないのです。
不幸に陥る方法を用いているのであれば、確実に不幸を得ます。
それ以外の結果は導かれません。
この世界には、当然の結果以外は存在しないのです。
現状を正しく見れば、自分がどのような方法を用いているのかを知ることが出来るでしょう。
現状に不満や不安を抱えている者は、不幸に陥る方法を用いているのです。
豊かに生きる方法を用いているのであれば、現状に対して不満や不安を抱えることもありません。
すべてが自らを成長させるための学びとなり、そこには喜びが導かれるのです。
豊かに生きる方法を用いれば、現状は必ず豊かなものとなります。
しかしながら、不幸に陥る方法を用いるのであれば、現状は必ず乏しさを得るのです。
多くの人は不幸を生きています。
それは、多くの人が不幸に陥る方法を知っているからです。
この世界には、陰陽の仕組みも存在しています。
不幸の相対には、幸福が存在しているのです。
そのため、あなたが豊かに生きる方法を知りたいと考えるのであれば、普段とは異なる思考と行為を選択すれば良いのです。
不幸な者の相対には、幸福な者が存在しているのです。
そのことを理解すれば、自分の選択を改める必要があることを理解することが出来るでしょう。
多くの人は、何の根拠もなく、自分が正しいと思い込んでいます。
無知な者ほど頑(かたくな)に自分を信じているのです。
言っておきますが、あなたは正しくはありません。
言っておきますが、あなたは無知で未熟です。
言っておきますが、あなたは愚かな存在なのです。
この言葉に憤慨(ふんがい)するようであれば、不幸に陥ることになるでしょう。
人が豊かに生きるためには、現状を正しく把握する必要があるのです。
自分が間違っていること、無知で未熟であること、愚かな存在であることを受け入れることが出来る者だけが、知恵に行き着くのです。
人生を豊かに生きるためには、学び、成長する以外に方法はありません。
多くの人は不幸を生きています。
そのような人たちの方法を真似ているのであれば、不幸に陥るのは当然のことなのです。
あなたは、その人の現状を正しく見ましょう。
その人が豊かに生きていると見るのであれば、その方法を真似ましょう。


しかし、その人が乏しく生きていると見るのであれば、その方法を真似てはなりません。

2018年1月24日水曜日

反対者

すべての人が、人生に目的を以(もっ)て生れます。
誰もが、目的を果たさなければならないのです。
人生の目的を無視することの出来る人はいません。
誰もが、意識的、無意識的にかかわらず、人生の目的と向き合いながら生きているのです。
あなたは、自らの人生の目的と向き合わなければなりません。
そして、それを果たすように導かれているのです。
しかしながら、誰にとっても、人生の目的を果たすことは簡単なことではありません。
それは、誰もが自らの人生の目的を忘れているからです。
誰もが雑事(ざつじ)に追われています。
人生の目的は単純な形をしていますが、雑事に追われることによって、それを複雑な形にしているのです。
それは、原石のようなものです。
磨けば美しく光る宝石も、岩石に覆われて輝きを失っているのです。
雑事によって、人は多くの”荷物”を抱え、その大きさと重さに苦悩しているのです。
持ち歩くべき”荷物”は、原石から岩石を取り除いた宝石だけで良いのです。
それは、とても小さく、軽いけれども美しく価値のある”荷物”なのです。
人生の目的とは、そのようなものなのです。
あなたが果たすべきことは、小さく軽いけれども、美しく価値のあることなのです。
それは、あなたにとって美しく輝く宝石のようなものです。
しかしながら、他者にとっては、それが価値のあるものとは限りません。
都市部においては価値のある美しい宝石も、海上においては価値を持ちません。
海上においては、美しい宝石よりも、真水の方が価値を持つのです。
場所によっても、人によっても、価値が異なるということを理解しなければなりません。
そのため、あなたの見出す価値であっても、他者には理解されないということもあるのです。
あなたの人生の目的は、他者にとってはどうでも良いものなのです。
そのため、あなたが人生の目的を果たそうとする時には、必ず反対者が現れます。
あなたの人生の目的や価値を否定する人が必ず現れるのです。
しかも、それは親しい人の中から現れるのです。
あなたが道を進もうとする時には、必ず反対者が現れ、反対されます。
その道に進むことを否定されるのです。
残念ながら、人生が円滑(えんかつ)に進むことはありません。
必ず抵抗が生じるのです。
それは、誰にでも起こります。
それは、それが自然のことだからです。
あなたが何をしようとも、必ず反対者が現れます。
それは避けられないことなのです。
親しい人の反対によって、あなたの決意は揺らぎます。
親しい人の反対によって、あなたは道を進むことを躊躇(ちゅうちょ)してしまうでしょう。
しかしながら、あなたは諦めてはなりません。
抵抗があるからこそ、地に足をつけて歩むことが出来るのです。
抵抗がなければ、雪道のように進むことが出来ないのです。
あなたの決意が試されているのです。
覚悟の無い者が、道を進むことは出来ません。
覚悟の無い者が、人生の目的を果たすことなど、初めから出来ないことなのです。
人生は、あなたが人生の目的を果たすことが出来るように、最善の助力をするのです。
それが、反対者を導くということなのです。
言っておきますが、反対者が悪いということではありません。
反対者があなたの道を妨げているということでもないのです。
言っておきますが、反対者とはあなた自身なのです。
あなたが道に対して覚悟が無いために、反対者は反対者として存在することが許されるのです。
反対者を反対者としているのは、自分自身であるということを理解する必要があるのです。
あなたは、自分の目的と価値に反対しているのが、自分自身であるということを理解しましょう。
そして、自分自身を納得させる必要があるのです。
決意を新たにして、覚悟を決めましょう。
”それでもやるのか?”と自分に問い続けましょう。


あなたは、自らの心が知っている、最も小さく軽いけれども、美しく価値のある欲求に従いましょう。

2018年1月23日火曜日

真を尽くす

人は誰もが、人生という道を歩んでいます。
人は誰もが、人生の目的地へと歩を進めているのです。
すべての人が人生に目的を持って生まれます。
その目的を果たすことが、人生の目的地へと辿り着くことなのです。
あなたは、人生の目的を果たさなければなりません。
そのために、懸命に生きていなければならないのです。
人生に手を抜く者が、目的を果たすことは出来ません。
自分や他者を偽る者が、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
歩みとは、成長のことです。
あなたが成長することが、人生の歩みとなるのです。
あなたが目的を果たし、目的地へと辿り着くためには、成長する必要があるということなのです。
成長するためには、懸命に生きなければなりません。
人生に手を抜き、自分や他者を偽る者が成長することは出来ないのです。
誠実によって、人は成長することが出来るのです。
誠実によって、人は歩を進めることが出来るのです。
人が不誠実を選択した時には、歩みを失います。
人生に手を抜き、自分や他者を偽る者は、その場に立ち尽くさなければならないのです。
すべての人は未熟です。
すべての人が、弱い心を抱いているのです。
そのため、多くの人は頻繁(ひんぱん)に手を抜き、自分や他者を偽るのです。
その度に、人は立ち止まらなければなりません。
どのような人物であろうとも、人生を思い通りに進むことは出来ません。
それは、すべての人が未熟であるからです。
誰もが立ち止まり、その場で待たなければならない時が来るのです。
その時、多くの人は嘆(なげ)きます。
多くの人は、何もせずに立ち尽くすのです。
すべての人は待たなければなりませんが、それは立ち尽くすことではありません。
待つことにも重要な意味があり、そこには大切な価値があるのです。
人生において歩みを失い、その場で待たなければならない時が来たとしても、あなたはただ立ち尽くしてはなりません。
待つことを有効活用する必要があるのです。
待つとは、準備をすることです。
あなたは待たなければならない時に、ただ待っていてはなりません。
次の機会を得た時に、すぐに力強く歩み出さなければならないのです。
待つことによって、あなたはより冷静に自分を見詰め直すことが出来るのです。
人は不誠実を働くことによって歩みを失います。
人は、不誠実によって待たなければならないのです。
あなたが待たなければならない時には、自己を反省し、誠実を尽くすように準備しておかなければならないのです。
あなたが待たなければならない時には、自分を磨きましょう。
これ以上歩めない時には、方法を改めなければならないのです。
道の状況は常に変化し続けています。
同じ方法では歩み続けることは出来ないのです。
道に合った歩み方をしなければなりません。
道は進む程に険(けわ)しくなります。
道を進む程に、誠実さを求められるのです。
不誠実な者が目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
不誠実な者には、すぐに道は閉ざされてしまうでしょう。
人生の目的を果たすことが出来るのは、人生を懸命に生きている者だけです。
自分や他者に真(まこと)を尽くす者だけなのです。
あなたは懸命に生きなければなりません。
例え歩みを失い、待たなければならない時が来たとしても、誠実さを思い出し、それを守らなければならないのです。
偽りを行う者は、その業(わざ)によって待つという苦しみを得るのです。
何もせずに立ち尽くすことは、最も強力な苦しみなのです。
あなたは、自分が不利になったとしても、誠実を選択しなければなりません。
欲に溺れて、不誠実を選択してはなりません。
それは、不誠実によってその時には利益を得たとしても、後にそれよりも多くの損失を得ることになるからです。
誠実を選択すれば、その時には損失を得たとしても、後にそれよりも多くの利益を得ることになるでしょう。
あなたは何も心配しなくて良いのです。
誠実に生きている者が目的を果たせないということはありません。
誠実に生きられる者こそが、目的を果たし、目的地へと辿り着くことが出来るのです。


如何(いか)なる時にも真を尽くしましょう。

2018年1月22日月曜日

自分を尋ねる

すべての人は未熟です。
すべての人は無知です。
すべての人は歪んでいます。
すべての人は不足しています。
すべての人は多くを持ち過ぎているのです。
この世界には、満たされている人は存在しません。
すべての人が不満を生きているのです。
多くの人は、不満を生きていることを知っています。
しかしながら、不満を感じている自分という存在を知る者はいないのです。
人は、自分を知りません。
多くの人は、自らが自分を一番知っていると思い込んでいますが、誰も自分を知りはしないのです。
あなたは自分を知りません。
自分を知らないために、問題に苦悩しているのです。
自分を知っていれば、問題に苦悩することはありません。
自分を知っていれば、問題が生じることもないのです。
問題とは、傲慢(ごうまん)による教育への抵抗です。
人生は、あなたの未熟さを改善しようとして問題を引き起こします。
自分が未熟であることを知っており、人生が自分の未熟さを改善するために問題を引き起こしていることを知っているのであれば、謙虚(けんきょ)に学べば良いのです。
しかしながら、多くの人は知らないために抵抗します。
そこに軋轢(あつれき)が生じ、それが苦悩を導くのです。
自分を知っている者は、問題と争う必要がありません。
問題を謙虚に学び、自らを改め、成長を実現させる時、そこに苦悩が導かれることはないのです。
問題を否定し、自らを正当化し、強情に陥(おちい)った時、そこに苦悩が導かれるのです。
多くの人は、無知の中に生きています。
自分を知らず、目の前の問題の意味を知らないのです。
そのため、多くの人にとって、人生は苦しいものなのです。
大切なのは、自分を知ることです。
自分を知ることによって、人生には喜びが導かれるでしょう。
あなたは、自分を知らなければなりません。
あなたは、自分を探しましょう。
多くの人は、自分を知っているのは自分自身だと考えます。
自分と最も長く向き合っているのは自分自身なのです。
そのため、自分に対して、自分を教えてもらおうとします。
しかしながら、自分を知っているのは自分自身ではありません。
先述したように、あなたは未熟です。
未熟な自分自身に対して自分を尋(たず)ねたとしても、正しい答えが返ってくることはないのです。
あなたが知っている自分というものは、決して自分ではないということを理解しましょう。
次にあなたは、他者に自分を尋ねるかも知れません。
他者であれば、客観によって自分を知っているはずだと考えるのです。
しかしながら、あなたが他者を知らないように、他者もあなたを知らないのです。
他者もあなたに自分を教えることは出来ないのです。
あなたは自分自身に対しても、他者に対しても、自分を教えてもらうことは出来ません。
あなたが自分を知るためには、自分自身や他者を頼りにしてはならないのです。
あなたに自分を教えることが出来るのは、後の自分自身だけであることを知りましょう。
後の自分自身とは、成長した自分自身のことです。
人は未熟さ故(ゆえ)に偏見を抱えています。
すべての人は、偏見を抱えて生きているのです。
偏見は誤解を生み出します。
そのような人が、自分を知ることはないのです。
人は、成長することで偏見や誤解を手放すことが出来ます。
偏見や誤解を手放すことが出来れば、自分を知ることが出来るのです。
あなたは、成長することによって自分を知るでしょう。
成長するためには、経験を積む以外に方法はありません。
経験を積み重ねなければ、偏見や誤解を手放すことは出来ないのです。
あなたが苦悩の無い人生を生きるためには、経験を積み重ねる以外に方法はありません。
自分を知ることによって、人は豊かな人生を生きることが出来ます。
自分を知らなければ、人生の選択を間違ってばかりなのです。
それでは乏しい人生を生きることになるでしょう。
自分のことは、後の自分に尋ねましょう。
自分自身や他者に尋ねてはなりません。
経験によって、現状の自分自身を磨きましょう。
そして、豊かな人生を生きましょう。



2018年1月21日日曜日

優先順位

人は、それぞれに立場を所有しています。
人は、それぞれの立場を学んでいるのです。
それは、人の状態がそれぞれに異なるからです。
人は、それぞれに不足と過剰を抱えています。
人は、それぞれに不足を補(おぎな)い、過剰を手放さなければならないのです。
人が所有している立場とは、不足を補い、過剰を手放すための最善の状況なのです。
人は、それぞれの立場を学ばなければなりません。
立場を無視することは出来ないのです。
それは、人生の目的が成長することにあるからです。
不足を補い、過剰を手放すことによって、人は成長することが出来ます。
不足を補い、過剰を手放すことがなければ、成長することは出来ないのです。
そのため、人は立場に従わなければならないのです。
多くの人は、自分の立場と、他者の立場を混同して考えます。
多くの人は、人が理解し合えると思っているのです。
残念ながら、立場の異なる人同士が理解し合うことは出来ません。
人は、それぞれに立場に束縛(そくばく)されるのです。
立場とは、大河を流れる枯れ葉のように、同じ流れの中に有りながらも、交わることはないものなのです。
そのため、あなたは立場の異なる他者と理解し合うことは出来ません。
立場の異なる他者と理解し合おうとしたところで、その努力は徒労(とろう)となるのです。
立場の異なる他者を説得することは出来ません。
人は、立場に従わなければならないのです。
他者は他者であり、自分は自分なのです。
あなたは、自分と他者を区別する必要があるのです。
あなたは自分であり、他者はあなたではありません。
他者があなたを理解することはありません。
あなたが他者を理解することもないのです。
立場は、それぞれに異なっていて良いのです。
寧(むし)ろ、それは異なっていなければならないのです。
立場が異なることによって、多様性が導かれます。
皆が同じ立場を得れば、変化の乏しい世界となってしまうのです。
それは、画一的で面白みの無い世界なのです。
多様性の失われた世界では、人が成長することは出来ません。
人は、それぞれに生まれる動機が異なっているのです。
同じ目的のために生まれた人はいません。
それぞれが、それぞれの目的のために生まれたのです。
他者と自分を区別しなければなりません。
人は、それぞれの立場を学ぶべきなのです。
人は、それぞれの思想を生きて良いのです。
それが自然の姿です。
人は、それぞれの立場を学びます。
それぞれの立場は、それぞれの優先順位を定めます。
人は、立場によって優先順位を得るのです。
立場が異なれば、優先順位も異なります。
そのため、人には、それぞれに優先順位が与えられているのです。
人は、与えられた優先順位に従わなければなりません。
あなたの優先順位と、他者の優先順位は異なります。
それを混同して考えてはなりません。
自分と他者との優先順位を混同して考えるのであれば、そこに軋轢(あつれき)が生じてしまうのです。
争いによって得られる豊かさはありません。
争いによっては、乏しさが導かれるのです。
大切なのは、それぞれの立場と優先順位を理解することです。
他者があなたのようにすることは出来ないのです。
あなたが他者のようにすることも出来ないのです。
他者の優先順位と自分の優先順位が異なることを知れば、他者に対して要求することもなくなるでしょう。
他者に要求することがなくなれば、依存することもなくなるのです。
そうすれば、あなたは自分の立場を学ぶことが出来るでしょう。


それぞれの立場と、優先順位を考えましょう。

2018年1月20日土曜日

現実と真実

人は、それぞれの現実を生きています。
人には、それぞれの真実が存在しているのです。
人は誰もが、自分の現実の中で、自分の真実に向き合っています。
誰もが、自分と対峙しているのです。
世界は認識によって築かれます。
世界とは、あなたの認識なのです。
あなたの認識に従って世界が存在するのです。
あなたの認識の範囲外には、世界は存在しないということを覚えておきましょう。
あなたの世界を築くのは、あなたの認識です。
あなたの現実と真実は、あなたの認識によって築かれているのです。
人は見たいものを見ます。
そして、信じたいものを信じるのです。
人は誰もが、自分が心地好い世界を築くのです。
見たくないものは見ません。
信じたくないものは信じないのです。
すべての人が未熟を抱えています。
誰もが、歪んでいるのです。
そのため、それぞれの現実と真実は未熟であり、歪んでいるのです。
しかしながら、多くの人は自らの抱える現実と真実を信じています。
そのため、その現実と真実を否定することはありません。
多くの人は、自分の見ているものを信じているのです。
多くの人は、自分に見えないものを信じることが出来ません。
それは、見えないものは現実と真実の中に存在しないからです。
すべての人が未熟です。
未熟であるということは、より良い方法が存在するということです。
成長することによって、人はより良い方法を手にすることが出来ます。
成長することによって、より良い方法を用いることが出来るようになるのです。
人が成長するためには、未熟を手放す必要があります。
未熟を手放さなければ、成長を手にすることは出来ないのです。
未熟を手放すということは、抱えている現実と真実を手放すということです。
抱えている現実と真実に執着しているのであれば、それ以上の現実と真実を手にすることは出来ません。
大切なのは、より良い変化を実現するということなのです。
あなたは、自分が未熟であるということを覚えておきましょう。
あなたの抱えている現実と真実を信じたい気持ちは分かります。
しかしながら、その現実と真実よりも、より良い現実と真実が存在しているのです。
あなたは、無意識の内に自分の見たいものを見ています。
あなたは、無意識の内に自分の信じたいものを信じているのです。
人は誰もが、自分を正当化しているのです。
人は、自分が正しいと思い込みたいのです。
その欲求が、それぞれの現実と真実に対する信仰を強めてしまうのです。
自分が正しいと思い込んでいる者は、厚かましくも自らの抱える現実と真実を主張するでしょう。
そのような態度は、より良い現実と真実を拒絶するものなのです。
そのため、自分が正しいと思い込んでいる者は、成長しません。
そして、人生が変化することもないのです。
あなたは、自分が見たいものを見ているということを理解しましょう。
そして、自分が信じたいものを信じているということも理解するのです。
未熟なあなたが信じていることは、未熟な方法に他なりません。
そのようなものに執着してはならないのです。
あなたは自分を正しいと思いながらも、同時に疑い続けましょう。
それは、正しい部分もあれば、そうでない部分もあるからです。
あなたの見ているものは、決して正しくはありません。
あなたの信じているものは、決して正しくはないのです。
あなたは、自分が現実と真実を歪めているということを理解しましょう。
人は、それぞれの現実と真実を生きても良いのです。
しかしながら、自分の現実と真実を疑いましょう。


そして、より良い現実と真実を得ましょう。

2018年1月19日金曜日

決断

人生を豊かなものにするためには、決断を早める必要があります。
人生とは、選択です。
選択によって人生は築かれるのです。
選択の数は、歩数であるということを覚えておきましょう。
あなたが自発的に選択することは、人生の道を歩むということなのです。
決断することによって、人生は展開します。
決断することによって、あなたは違う場所に立ち、違う景色を見るのです。
一歩でも踏み出せば、あなたは違う場所と景色を得るのです。
違う場所と景色には、人生を豊かにするための力があるのです。
それは、それが変化であるからです。
人生を豊かなものにするためには、変化を受け入れる必要があります。
変化を受け入れることがなければ、人生に豊かさが導かれることはありません。
変化は決断によって導かれます。
決断を繰り返すことによって、変化が実現するのです。
多くの人は、決断の価値を理解しません。
変化の重要性を知らずにいるのです。
多くの人は、決断を下しません。
多くの人は、変化を否定するのです。
決断を下さず、変化を否定しているにもかかわらず、豊かさは求めているのです。
それが矛盾であるということを、あなたは知らなければなりません。
多くの人は、豊かさを求めていながらも、決断と変化を嫌うという矛盾を抱えています。
矛盾は、すべてを破滅させます。
すべては、矛盾によって滅びるのです。
大切なのは、矛盾を抱えないことです。
自らの言動に矛盾の無いように努めなければならないのです。
豊かさを求めているのであれば、決断と変化を実行しなければなりません。
乏しさを求めているのであれば、優柔と停滞が許されるのです。
決断と変化を実行する者に豊かさが導かれます。
優柔と停滞を実行する者には、乏しさが導かれるのです。
それは、この世界の理(ことわり)なのです。
誰もが、決断と変化によって豊かさを得ます。
誰もが、優柔と停滞によって乏しさを得るのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、世界の理に従わなければならないのです。
あなたは決断しなければなりません。
そして、変化しなければならないのです。
多くの人は、決めあぐねています。
それは、良いものが次々に現れるからです。
多くの人は、迷っているのです。
迷いは、優柔と停滞の状態なのです。
良いものは次々に現れます。
次々に現れる良いものを待っていたとしても、乏しさが導かれるだけなのです。
大切なのは、決断と変化を実現することです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、ある程度のところで手を打つということを覚えなければならないのです。
それは決して、妥協(だきょう)ではありません。
良いものが次々に現れることを知って、ある程度のところで手を打つというのは、豊かさを導くための秘訣(ひけつ)なのです。
豊かさは、決断と変化によってしか導くことが出来ません。
次々に現れる良いものに目が眩(くら)み、優柔と停滞に陥(おちい)ってはならないのです。
変化を実現するために、ある程度のところで手を打つのです。
後により魅力的なものが現れるのは分かり切ったことです。
後に現れる魅力的なものを待つよりも、決断によって得られる変化の方が価値があるということを覚えておきましょう。
それは、自分自身が変わることに最も価値があるからなのです。
決断と変化を実現することが出来る者こそが、豊かさを得るということを覚えておきましょう。
どのような決断と変化でも構いません。
小さな一歩も、大きな一歩も、場所と景色を変えることに変わりはないのです。


安心して決断し、変化しましょう。

2018年1月18日木曜日

唯一の道具

あなたは、自己を磨かなければなりません。
自己を磨くことは、何よりも重要なことです。
あなたの仕事は、自己を磨くこと以外にはありません。
どこで、誰と、何をしていたとしても、あなたは自己と向き合います。
あなたは、自己を無視することは出来ません。
あなたは、常に自己と向き合い続けなければならないのです。
それは、自己を磨くためです。
人生は、自己を磨くための場所です。
それ以外の目的はありません。
あなたは自己を磨き、成長するために生まれたのです。
人生の目的は、自己を磨くことなのです。
多くの人は結果を求めます。
しかしながら、良い結果を得ることは出来ません。
なぜなら、原因を求めてはいないからです。
良い結果を求めているのであれば、良い原因が必要です。
この世界には、因果の仕組みが存在しているのです。
原因に相応しい結果のみが導かれます。
そのため、良い結果を求めるのであれば、良い原因を所有する以外に方法はないのです。
何の根拠(こんきょ)もなく、欲に従ってただ良い結果を求めたとしても、それが実現することはありません。
結果は、原因に起源するのです。
人生における原因とは、あなたです。
あなたは、自分が人生の原因であるということを知りましょう。
あなたの自己の状態が、人生の状態を決めているのです。
人生を見れば、自己の状態が見えてくるのです。
あなたは、自己の状態に相応しい人生を生きるでしょう。
それ以外の人生を生きることは出来ません。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、豊かな自己が必要であるということなのです。
人は、自己を磨くことによって自分となります。
自己を磨くことがなければ、あなたは自分には成れないのです。
自分とは、この世界に唯一の道具です。
あなたが自分に成るということは、自己を確立し、世界に唯一の存在と成るということなのです。
鳥が自己を磨けば空を行くことが出来ます。
鳥が自己を磨くことをしなければ、その能力を生かすことは出来ないでしょう。
鳥は自己を磨くことによって、自分を生きることが出来るのです。
樹木は自己を磨くことによって樹木としての役割を果たします。
石は自己を磨くことによって石としての役割を果たすのです。
自分に徹(てっ)することによって、世界に唯一の道具として存在することが出来るのです。
すべての存在は、自己を磨くことによって、自分に相応しい道を行かなければなりません。
自己を磨くことをしなければ、自分に相応しい道を行くことは出来ないのです。
鳥の雛(ひな)が自己を磨かず、自分は生まれながらに鳥だという傲慢(ごうまん)に溺れたら、羽ばたきの鍛錬(たんれん)を怠るでしょう。
どのような能力も、鍛(きた)えなければ使い物になりません。
あなたがどのような才能を持っていたとしても、努力を怠(おこた)れば、役には立たないのです。
あなたは、自分に成るために、自己を磨かなければなりません。
自己を磨くことは簡単です。
それは、強い心に従うことなのです。
努力を実現するためには、強い心に従う必要があります。
弱い心に従っているのであれば、自己を磨くことは出来ないのです。
傲慢に溺れ、怠慢(たいまん)に陥った者は、自分を知りません。
そのため、自分に相応しい道を行くことは出来ません。
自己を磨くことをしない者は、自分に相応しくない道を行くことしか出来ないのです。
自分に相応しくない道を行くことは、自分に成ることの妨げとなります。
それは、あなたが世界に唯一の道具となる機会を奪うことになるのです。
合わないものは合わないと知りましょう。
毒を飲んで喜ぶ人はいません。
毒は苦しみを導くのです。
合わないものを合わせようとしてはなりません。
自分でない存在に成ろうとしてはならないのです。
自己を磨くことに集中しましょう。


あなたは自己を磨かなければなりません。

2018年1月17日水曜日

ものを知る

人生を豊かなものにするためには、問題を解決する術を会得(えとく)することです。
問題は必ず生じます。
どのような人物の人生にも、必ず問題が生じるのです。
あなたは問題と向き合わなければなりません。
それを抱えるのであれば、苦悩を得ることになるでしょう。
人生を豊かなものにするためには、問題が生じたとしても、それを素早く解決することです。
問題と長く付き合ってはなりません。
問題との付き合いが長い程に、人生は豊かさを失っていくのです。
問題の本質とは何でしょうか?
それは、認識に過ぎません。
問題とは認識なのです。
あなたの認識が問題であるということを覚えておきましょう。
多くの人は、問題を解決しようとして、誰かや何かを変えようと試みます。
自分以外の何かを変えたとしても、自分の認識が変わっていなければ、問題が解決することはありません。
人間関係や環境を変えたとしても、その先で同じ問題が生じてしまうのです。
問題は外には存在せず、それは、内に存在しているということを理解する必要があるのです。
問題の原因は自分自身であるということを理解するのです。
あなたは、自分自身を変えることに努める必要があるということを覚えておかなければならないのです。
自分自身を変えることなく、問題が解決することはありません。
人生を豊かなものにする人は、自分自身を素早く変えることが出来る人なのです。
”それ”を問題としたのはあなたです。
元来、”それ”は問題では無かったのです。
あなたの認識が”それ”を問題としたのです。
そのことを理解しなければなりません。
他の人にとって、”それ”は問題ではありません。
あなただからこそ、”それ”が問題となっているのです。
あなたと同じように”それ”を問題と見做(みな)している人もいるでしょう。
多くの人は、自分を正当化するために、他者を引き合いに出すのです。
あの人も同じ問題を抱えているのだから、わたしが問題を抱えているのは”それ”が原因であると考えるのです。
しかしながら、他の人は、自分の認識によって、”それ”を問題としたのです。
同じように、”それ”を問題とする認識があるのであって、”それ”が問題として存在している訳ではありません。
なぜなら、”それ”を問題としない他の人もいるからです。
多くの人は、自分を改めることを嫌います。
根底には、自分を正しいとする傲慢(ごうまん)があるのです。
自分が正しいと考えている人が、自分を改めることは難しいのです。
そのため、多くの人は問題と長く付き合うことになります。
自分を正しいとする傲慢を手放すまでは、問題は決して解決しないのです。
大切なのは、ものを知ることです。
ものを知らなければ、自分が傲慢であることも知りません。
ものを知らなければ、自分を改める必要があることも知りません。
ものを知らなければ、問題の原因が認識に過ぎないということも知らないままなのです。
多くの人は、傲慢を抱えています。
そのため、既知(きち)の幸福観に執着(しゅうちゃく)します。
それは、無知を喜ぶことであるのです。
ものを知らずに偽りの幸福に浸(ひた)るよりも、ものを知って真の不幸に苦しむ方が優れていると知りましょう。
ものを知らずにいる者が真の幸福に辿り着くよりも、ものを知っている者が真の幸福に辿り着く方が遥(はる)かに簡単であるのです。
幸福も不幸も思い込み(認識)でしかありません。
しかしながら、無知な者の思い込みは複雑です。
それは頑丈に絡み付き、解(ほど)くことは出来ないのです。
ものを知っていれば、思い込みは単純です。
ものを知っている者の思い込みは、簡単に解くことが出来るのです。
ものを知っている者と知らない者では、結果に雲泥(うんでい)の差が生じるということを覚えておきましょう。
ものを知っている者は、問題を問題と認識することはないでしょう。
問題は無知によって生じます。
問題を解決するためには、ものを知る必要があるということを覚えておきましょう。
多くを学びましょう。


そうすれば、”それ”が問題でないことに気が付くでしょう。

2018年1月16日火曜日

試み

人生とは、誰にとっても実験場です。
人は、無知な存在として生まれました。
それは、人が未熟であるからです。
未熟である人は、知恵を集めることによって成熟する必要があります。
それが、人生の目的でもあるのです。
人生の目的を果たすためには、知恵を集め、無知と未熟を解消する必要があるということを覚えておかなければならないのです。
知恵を集めるというのは、知識と経験を積み重ねるということです。
知恵は、知識と経験によって導かれる宝です。
知恵を得るためには、その知恵に相応しいレベルの知識と経験が必要なのです。
集めた知識と経験が、知恵に相応しいレベルに達していなければ、知恵を得ることは出来ません。
知恵を得るためには、その知恵がもたらされるまで、ひたすらに知恵と経験を集め続けなければならないのです。
どの知識と経験が、どの知恵をもたらすかを知ることは出来ません。
知識と経験は、複雑に絡み合うことによって、知恵をもたらすのです。
知恵の調合は複雑過ぎて、あなたには理解することが出来ません。
そのため、どの知識と経験をどれだけ集めれば良いということは言えないのです。
あなたが集めた知識と経験が、それに相応しい知恵をもたらすのです。
そのため、あなたが知恵を必要としているのであれば、知識と経験を無作為に集める必要があるということを覚えておかなければならないでしょう。
好きなことや、楽なことばかりを選択しているのであれば、もたらされる知恵は偏(かたよ)ります。
嫌いなことや、苦労することであっても、それを選択するのであれば、もたらされる知恵は全体的、本質的なものとなるでしょう。
満遍(まんべん)なく知識と経験を集めなければ、良い知恵がもたらされることはないのです。
どの知識と経験が、どのような知恵をもたらすかは分かりません。
そのため、あなたは試してみなければならないのです。
人生が誰にとっても実験場であるというのは、どのような結果が導かれるのかを知る者がいないからです。
結果というものは、人それぞれに異なります。
同じ知識と経験を得たからといって、同じ知恵がもたらされるということもないのです。
それは、それぞれの立場や状態が異なっているからなのです。
何事も、やってみなければ分かりません。
どのような結果がもたらされるかは、やってみなければ分かりようがないのです。
そのため、あなたは推測(すいそく)に頼ってはならないのです。
結果は、あなたの予測を大きく外れるでしょう。
なぜなら、あなたは無知であり、未熟であるからです。
あなたは自分が無知であり、未熟な存在であることを理解する必要があるのです。
自分が無知であり、未熟な存在であることを自覚しているのであれば、無意味な推測に頼ることもありません。
残念ながら、あなたの推測は外れます。
それは、あなたの考えと、この世界の考えとが一致することはないからです。
あなたは未熟であり、世界は完全です。
考えが一致することはないのです。
そのことを深く理解していなければなりません。
大切なのは、辛抱強く継続することです。
知識と経験を集め続けることなのです。
結果というものは、人それぞれに異なりますが、それは誰にでも等しく導かれます。
すべての人が、結果を得るのです。
多くの人は、結果が出ないことを嘆(なげ)きます。
そして、継続を諦めてしまうのです。
知識と経験の継続を諦めてしまった者に、それ以上の知恵がもたらされることはありません。
そのような者は、無知と未熟を抱えたままで生きていかなければならないのです。
無知と未熟を抱えたままで生きていくということは、誤解を抱えたままで生きていくということです。
誤解は、それに相応しい原因をあなたに与えます。
誤解によって与えられた原因は歪んでいます。
歪んだ原因によって、あなたは歪んだ結果を得るでしょう。
歪んだ結果とは、問題や苦悩なのです。
辛抱強く知識と経験を集め続け、知恵を諦めない者には、問題や苦悩を問題や苦悩としない知恵がもたらされるのです。
何かを分かった気でいてはなりません。
未熟なあなたは、何も分かってはいないのです。
人生は、誰にとっても実験場です。
結果は、やってみなければ分かりません。
あなたは何でも試してみましょう。
それがどのような結果を導いたとしても、知恵という宝を得ることが出来ます。
試みによって、あなたが損をすることはありません。


試みによってあなたが得るのは、利益だけであるということを覚えておきましょう。

2018年1月15日月曜日

難しい道

人は、道を極めなければなりません。
すべての人が、自らの道を究極にまで高めなければなりません。
誰もが、道に対して手を抜いてはならないのです。
自分の道を真っ直ぐに、ひたすらに歩み、究極に到達する必要があるのです。
多くの人は、それを大それたことだと考えます。
多くの人は、それを面倒だと考えます。
多くの人は、それは無理だと考えるのです。
そして、道の究極を放棄し、寄り道を楽しむのです。
多くの人は、道を諦めます。
多くの人は、究極に到達する意味を知らないのです。
そのため、究極へと踏み出すための足を、他の目的のために踏み出すのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分が何をしているのかを知らないのです。
多くの人は、自分がどこへ向かうべきなのかを知りません。
多くの人は、ただ、目の前が楽しければ良いと考えているのです。
そのため、苦労を嫌います。
そして、怠慢(たいまん)を好むようになるのです。
道の究極に到達するためには、苦労を嫌ってはなりません。
怠慢を好んではならないのです。
究極への道のりには、苦労を惜しんでは進めない場所があります。
怠慢を好んでいるような者には、乗り越えることの出来ない場所があるのです。
大切なのは、自分に打ち勝つことです。
克己(こっき)の心を持つ者でなければ、道の究極には到達することが出来ないのです。
道には、多くの障害が存在しています。
それは問題のように思えますが、大したことではありません。
最大の問題は、その障害を乗り越えられる自分が存在しないということなのです。
あなたは、どのような障害も乗り越えられるでしょう。
そのために知恵があるのです。
知恵の働きによって、すべての障害は消え去るのです。
知恵を用いれば、どのような道のりも進んで行くことが出来るのです。
知恵は克己によって導かれます。
自分に打ち勝つことの出来る者でなければ、知恵を得ることは出来ません。
苦労を嫌い、怠慢を好むようなものであっては、知恵を授かるに相応しくないのです。
学ぶ意欲の無い者に、何を教えるというのでしょう?
あなたは、聞く気の無い者に対して、説明することが出来ますか?
あなたは、聞く気の無い者に説明することに対して、虚しさを感じてしまうでしょう。
聞く気の無い者に説明しても無駄です。
それは、聞く気が無いからです。
学ぶ意欲の無い者には教えることが出来ません。
苦労を嫌い、怠慢を好む者に知恵を授けることは出来ないのです。
大切なのは、どのような態度で向き合うのか?ということです。
あなたが道の究極に到達するためには、苦労を惜しまず、怠慢に陥らずに克己する態度が求められるのです。
多くの人は、簡単を求めます。
分かり易いことには興味を示しますが、分かり難(にく)いことは拒絶します。
分かり易いことは良いことのように思うかも知れません。
しかしながら、それは、水準を下げるということなのです。
分かり易い道には奥行きがありません。
分かり易い道には深みがないのです。
分かり易いことを好む人の知恵は浅く、分かり難いことに意欲を抱く人の知恵は深いでしょう。
難しいことを拒絶してはなりません。
大切なことは大抵が難しいのです。
簡単なことばかりを求めているのであれば、知恵を得ることは出来ないでしょう。
道の究極に到達することが目的です。
あなたが道の究極を目指すことは、自分の究極を学ぶということです。
あなたは道を進むと同時に、自分を学んでいるのです。
そのことを覚えておきましょう。
自分にとっての簡単なことばかりを選んでいるのであれば、自分を深く知ることは出来ません。
自分にとっての難しいことを選んでみれば、自分を深く掘り下げることが出来るのです。
安易に分かり易い道を選んではなりません。
困難が立ちはだかろうとも、知恵によって乗り越えましょう。
知恵を授かるまでは諦めてはなりません。
苦労を惜しまず、怠慢に陥ることなく、自分に打ち勝ちましょう。


難しい道を選ぶのです。

2018年1月14日日曜日

僕の働き

人生を豊かなものにするためには、思考の働きが必要不可欠です。
人は、自らの道を選択しなければなりません。
どの道を選択するのかは、あなたが決めることなのです。
あなたは常に選択を迫られています。
大きな選択から小さな選択に至るまで、すべての選択はあなたに委(ゆだ)ねられているのです。
あなたは選ばなければなりません。
それは、これがあなたの人生であるからです。
あなたは、自分で選択するために生まれたのです。
それは、自分という存在を知るためです。
あなたは選択によって道を得ますが、そこで自分を知るのです。
人生は自分の選択に依存します。
あなたの人生が、あなたの選択に逆らうことはありません。
あなたは、自らの選択の結果を受け取るのです。
選択した結果は受け取りますが、選択していない結果を受け取ることはありません。
誰かや何かに選択を頼ることは出来ません。
なぜなら、誰かや何かに選択を頼るという選択も、自らの選択に過ぎないからです。
あなたが自分の選択を手放すことは出来ません。
すべて、あなたが選択したのです。
多くの人は不運を嘆(なげ)いています。
そして、多くの人は敵と争っているのです。
残念ながら、この世界には不運や敵は存在しません。
あなたの選択が”それ”を不運や敵に変えたのです。
人生を豊かなものにする選択もあれば、人生を乏しくする選択もあります。
あなたは好きな道を選ぶことが出来ます。
しかしながら、本来ならば好きな道を選ぶことが出来ても、実際には好きな道を選ぶことが出来ません。
それは、すべての人が未熟であるからです。
実際には、人の選択は制限されます。
実際には、人は未熟さ故(ゆえ)に好きな道を選ぶことが出来ないのです。
それは、人が選択する時には、思考の働きが必要であるからです。
思考の働きが鋭(するど)いのであれば、選択肢の幅も広がります。
それは、思考の働きが鋭いことによって、想像力が豊かさを得るからです。
思考の働きが鈍(にぶ)いのであれば、選択肢の幅は狭まります。
それは、思考の働きが鈍いことによって、想像力が乏しさを得るからです。
選択肢は、その人の思考の働きと想像力によって決まるのです。
思考の働きが鋭く、想像力も豊かであるのならば、自らの選択が導く結果をある程度予測することが出来ます。
思考の働きが鋭く、想像力も豊かであるのならば、その予測の確率も高まるのです。
思考の働きが鈍く、想像力に乏しければ、その選択が導く結果を予測することは叶いません。
思考の働きが鈍く、想像力に乏しければ、自分の選択が人生にどのような影響を与えるかを思案することもないのです。
想像力を働かせる者は、豊かな人生を生きるでしょう。
しかしながら、想像力を休ませる者は、乏しい人生を生きるのです。
あなたが豊かな人生を望んでいるのであれば、思考と想像力を働かさなければなりません。
主人の在り方は、僕(しもべ)の働きによって異なるのです。
主人であるあなたは、思考や想像力という僕を働かせる必要があります。
それも、無理に働かせるというのではありません。
より良く働いてもらう必要があるのです。
思考や想像力により良く働いてもらうためには、知識と経験、そして、熱意が必要なのです。
思考や想像力は、知識と経験と熱意を喜びます。
主人であるあなたは、僕である思考や想像力のために、知識と経験と熱意を集めなければならないのです。
主人が僕のために働けば、僕は主人のために働くでしょう。
主人が僕の喜ぶことを行えば、僕は主人の喜ぶことを行うのです。
あなたは、人生が学びであると理解しましょう。
すべてが勉強であるということを忘れてはならないのです。
思考と想像力をより良く働かせましょう。
それ等が喜ぶように生きるのです。
怠慢(たいまん)に時を過ごしてはなりません。
あなたが思考と想像力のために働けば、思考と想像力はあなたのために働くでしょう。
選択は、あなたに任されています。
どのように生きるのもあなたの自由です。
どのような結果を得ても、それはあなたの責任です。
誰も悪くありません。
何も悪くありません。
すべてがあなたの選択であり、あなたのせいなのです。


そのことを覚えておきましょう。

2018年1月13日土曜日

人は、人生において、幸福を追求する権利を持ちます。
人は、誰もが幸福を手にすることが出来るのです。
すべての人が幸福を求めています。
それが自然です。
あなたは、幸福を追求しましょう。
それが、人生の目的でもあるのです。
しかしながら、人が幸福を実現するのは簡単なことではありません。
それは、人の心が弱いからです。
あなたは未熟です。
無知であり、弱い心に従います。
それが”普通”です。
そのため、多くの人は認識を歪めているのです。
あなたの考える幸福が、真(まこと)の幸福であるとは限りません。
なぜなら、この世界には、あなたの知らない幸福の形が存在しているからです。
多くの人は、知っている幸福の形を真の幸福だと思い込んでいます。
知っている幸福の形を追い求めることに専念しているのです。
残念ながら、あなたの知っている幸福の形が、あなたの求める真の幸福であるはずがありません。
なぜなら、人生は最後まで分からないからです。
真は、人生の最後まで分からないものなのです。
真は、人生の最後になって、その本質を現すのです。
そのため、現時点におけるあなたの追い求める幸福の形が、真の幸福であるとは限らないのです。
人は未熟です。
そのため、あなたは真を知りません。
真を知るために生きているということを忘れてはならないのです。
真を知るためには、疑う必要があります。
素直に従うことは良いことのように思えますが、それでは真を知ることは出来ません。
素直に従っている人は、与えられた幸福の形や、知っている幸福の形を追求することに専念するからです。
あなたは、疑うことによって真に近付くでしょう。
疑うことによって、より多くの視点を得ることが出来るのです。
従順な者が、真を知ることは出来ません。
疑うことの無い者が、幸福を得ることは出来ないのです。
疑うことは大切です。
それは、あなたを真に導きます。
すべての人が幸福を追求しています。
すべての人は、それが自分の幸福だと思ってその道を歩むのです。
あなたが幸せを感じるのであれば、それで良いでしょう。
幸せを感じることは重要なことなのです。
幸せを感じることの無い道を歩むものではありません。
幸福を実現するためには、幸せを感じる道であることが必要であるからです。
しかしながら、あなたは、幸せを感じる心を疑わなければなりません。
ただ、幸せを感じるままに歩めば良いということではないのです。
幸福を追い求める余り、自由と利己主義を履き違えてはならないのです。
自由とは、責任を果たすことによって導かれる資産です。
利己主義とは、責任を放棄することによって導かれる負債です。
あなたが幸せを感じているのは、自由のためか?、利己主義のためなのか?を考える必要があるのです。
その幸せは、責任を果たすことによって導かれているものか?、責任を放棄することによって導かれているものなのか?を考えなければならないのです。
中には、自由と利己主義を履き違えている人もいます。
そのような人にとっての幸福とは、責任を果たすことによって導かれるものではなく、責任を放棄することによって導かれるものとなっているのです。
自分のために利益を追求することによっては、真の幸福が導かれることはありません。
それは幸福に見えはしますが、中身は負債なのです。
盗みをして多くの財産を得るようなものなのです。
盗人(ぬすびと)は多くの財産を得ます。
しかしながら、それはこの世界に対しての責任を放棄した結果として得た負債なのです。
因果の仕組みを無視することの出来る人は存在しません。
そのため、盗人は、盗みによって蓄えた財産よりも、後に多くの負債を支払わなければならなくなるのです。
盗人は盗みによって増えていく盗品に幸せを感じます。
しかしながら、盗品の数が増えることによって、罪の重さも増えるのです。
そして、罪の重さによって、罰の重さが決まるのです。
あなたは盗人の幸福が真の幸福だと思うでしょうか?
あなたは、その盗人が知らない幸福の形が存在していることを知っているでしょう。
あなたは、自分を客観視することによって、この盗人のことを思い出しましょう。
真の幸福とは、自由の中に導かれるのです。
自由は、責任を果たすことによって導かれるのです。


真の幸福を追求するということは、責任を果たすことだと理解しなければなりません。

2018年1月12日金曜日

道を決める

あなたが人生の目的を果たすためには、目的を果たすに相応しい選択をしなければなりません。
あなたの選択によって、人生は大きく変化します。
あなたの選択の積み重ねによって、人生の目的に対するあなたの位置が決まるのです。
人が人生の目的を果たすためには、人生の目的地へと向かう道を選択しなければなりません。
目的地へと向かうことのない道を選択するのであれば、目的地へと辿り着くことは出来ないのです。
あなたは、選択しなければなりません。
誰も、あなたの代わりに選択してはくれません。
例え、あなたが誰かに選択を委(ゆだ)ねたとしても、誰かがあなたの目的地を示すことはないのです。
あなた以外には、あなたの人生の目的地を知る者は存在しないのです。
そのため、あなたは自分で選択しなければなりません。
どこで、誰と、何をするのか?という選択が求められているのです。
あなたはそれを、自分で決めなければならないのです。
人生の目的を果たすためには、自分の道は自分で決めるという勇気が必要です。
自分の道を誰かに委ねているようであれば、人生の目的を果たすことは出来ないのです。
あなたは、どこへ行きますか?
どこに止まりますか?
誰と共にいますか?
そこで何をしますか?
それ等の選択があなたの位置を決めるのです。
自分がどこで、誰と、何をするのか?という選択を曖昧(あいまい)なものにするのであれば、あなたの位置も曖昧なものとなってしまうでしょう。
あなたは目的地へと辿り着かなければならないのです。
目的地へと辿り着きたいと思うのであれば、自分の位置を把握しておかなければならないのです。
あなたはその場所で、人生の目的を果たすことが出来るでしょうか?
あなたはその人(達)と、人生の目的を果たすことが出来るでしょうか?
あなたはその方法で、人生の目的を果たすことが出来るでしょうか?
深く考えなければなりません。
しかしながら、それは利己的な考えに従うということではありません。
自らの選択が自らの人生の目的に即(そく)しているのか?ということを、客観的に考える必要があるのです。
その場所で人生の目的を果たすことが出来ると考えるのであれば、その場所で学びましょう。
その人(達)と人生の目的を果たすことが出来ると考えるのであれば、その人(達)と学びましょう。
その方法によって人生の目的を果たすことが出来ると考えるのであれば、その方法によって学ぶのです。
しかしながら、本質を見極める必要があるということを覚えておかなければなりません。
あなたが本質を見極めることが出来なければ、どこで、誰と、何をするのか?という選択は歪みます。
あなたが本質を見極めることが出来なければ、目的地へ向かう道を選択することは出来ないのです。
あなたは、本質を見極める術を身に付けましょう。
例えば、あなたはその人の本質を見極めなければなりません。
対象の本質を見極めるためには、直接的にその人を見てはなりません。
その人に関わる人を見るのです。
すべては、直接的に価値を現しません。
すべては、間接的に価値を現すのです。
その人の本質を見極めるためには、その人ではなく、その人に関わる人の状態を見れば良いのです。
その人が幸せそうに見えたとしても、その人に関わる人が笑っていなければ、その人の本質は賢人ではないということなのです。
多くの人は、本人を見て、その人の本質を理解します。
しかしながら、本人を見たとしても、その本質は覆い隠されているものなのです。
しかしながら、その人に関わる人の状態を覆い隠すことは出来ません。
その人は、その周囲に価値を現すのです。
人は、都合の良いことを並べ立てます。
多くの人は、都合の良い話を”疑いながらも”、最終的には信じるのです。
そこに、愚かさが存在するのです。
その場所の本質を見極めるためには、その場所に関わる事象を見ることです。
その方法の本質を見極めるためには、その方法に関わる事象を見ることなのです。
あなたは、直接的に考えてはなりません。
詐欺師を見極めるためには、詐欺師に関わる人を見れば良いのです。
決して、詐欺師を見ないことです。
そこには偽りが存在します。
しかしながら、詐欺師に関わる人には偽りがありません。


そのように本質を見極め、自分がどこで、誰と、何をするのか?ということを決めましょう。

2018年1月11日木曜日

心の態度

人生を豊かなものにするために重要なのは、その人の心の態度です。
心の態度が人生を築くのです。
心の態度が所作(しょさ)を決定し、所作が状況を導くのです。
そのため、人生に豊かさを求めている者は、心の態度に注意しなければならないのです。
すべての人が人生に豊かさを求めています。
すべての人が、人生を豊かなものにしたいと願っているのです。
しかしながら、態度を改める人は少ないのです。
多くの人は、豊かさを願いながら、これまでと同じ態度を続けるのです。
多くの人は、人生の展開を望んでいますが、心の態度を改めない限りは、人生が展開することはありません。
人生は、心の態度に起源するのです。
あなたが人生に豊かさを望むのであれば、自らの心と向き合い、その態度を改めなければなりません。
多くの人は楽を求めます。
多くの人は、苦労を嫌うのです。
そのため、多くの人の心の態度は怠慢(たいまん)です。
多くの人が、怠(おこた)ることを選択するのです。
あなたは、懸命に生きていますか?
損得勘定に従わず、苦労を恐れずに努め励(はげ)むことが出来ていますか?
この質問に対して後ろ暗いところがなければ、あなたは豊かさを得ることが出来るでしょう。
そのままの態度で努めましょう。
しかしながら、後ろ暗いところがあると知れば、態度を改める必要があるということを理解し、それを今すぐに行いましょう。
怠慢は傲慢(ごうまん)であるということを知らなければなりません。
怠慢に陥(おちい)っている者は、傲慢に陥っているのです。
怠慢に陥っている者は、人生に対して反逆しているのです。
人生は、学び成長するための時間です。
そのような目的を無視して、学び成長することを拒否しているということは、傲慢な態度であるということなのです。
楽を求め、苦労を嫌う態度では、決して人生に豊かさを導くことが出来ないということを覚えておきましょう。
多くの人は、自分が何をしているのかを知りません。
多くの人は、楽を求め、苦労を嫌うことによって、怠慢と傲慢に陥っているにもかかわらず、それでも豊かさを求めています。
そのような方法によって豊かさが導かれないことは分かり切っていることであるにもかかわらず、それでも豊かさを求めるのです。
それは、自分が何をしているのか分からないということを証明しているのです。
自分が何をしているのか分からなければ、豊かさを得ることは出来ません。
自分がどこにいるのか分からなければ、どこへ向かうべきなのかも分かりません。
現在地が分からない者には、目的地も分かりません。
目的地が分からない者には、現在地も分からないのです。
大切なのは、自らの現状を理解することなのです。
あなたは、自分の心の態度を認識しなければなりません。
自分が何をしているのかを理解するように努めなければならないのです。
豊かさが怠慢を許すはずがありません。
怠慢によって豊かさを得た人はいないのです。
それは、怠慢によって成長した人がいないからです。
成長した人は、必ずしも楽を求めはしません。
自らの目的を果たすためには、苦労を厭(いと)わないのです。
成長した人は、楽が楽でないことを知っているのです。
愚(おろ)かな者は、楽を楽だと思い込んでいます。
楽を楽としか考えられないのです。
物事の本質を見極められなければ、豊かさを得ることは出来ません。
物事の本質を見極めるためには、健全な心の態度が必要なのです。
怠慢や傲慢に陥っている者が本質を見極めることは出来ません。
楽を求め、苦労を嫌う者が豊かさを得る方法など、どこを探しても存在しないのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
誰も、それに逆らうことは出来ません。
しかしながら、人の世には、”上手い話”というものが存在しています。
これは、因果の仕組みを無視する信用ならないものなのです。
多くの人は、”上手い話”を求めます。
それは、楽を求め、苦労を嫌う自分にとって都合が良いからです。
自らの心の態度を見詰めていれば、選択を誤ることはありません。
自分が何をしているのか分からない者が選択を誤るのです。


心の態度を見詰めましょう。

2018年1月10日水曜日

順風と逆風

どのような人物の人生も、決して順風満帆(じゅんぷうまんぱん)とはいきません。
すべての人のすべての人生に波瀾(はらん)が導かれるのです。
あなたの人生には、順風もあれば、逆風もあるのです。
誰の人生も、決して思い通りにはいきません。
すべての人は、何かしらの問題を抱え、苦悩を得なければならないのです。
思い通りにいく人生は危険です。
それは、あなたが未熟であるからです。
未熟な者の思い通りとは、必ず歪んでいるものなのです。
それは、初めは良いもののように思えます。
しかしながら、終わりには悪いものとなるのです。
人生が順風満帆であるのならば、それは良いことのように思えます。
多くの人がそのような人生を願っているのです。
”船”が早く進むことは良いことのように思うでしょう?
しかしながら、その道のりには学びが少ないのです。
人生が順風満帆であるのならば、思い描く目的地には素早く辿り着くことが出来るでしょうが、辿り着いたあなたは幼いままなのです。
逆風が吹き荒れ、波瀾が巻き起こることによって、あなたは学びを得ることが出来るのです。
人生における逆風や波瀾とは、問題や苦悩のことです。
それは変化であり、あなたにとって重要なものです。
人生において、問題や苦悩を得ない人はいません。
すべての人が、問題と苦悩を得るのです。
問題と苦悩を得ない人は存在しません。
しかしながら、それを抱えない人は存在します。
そのような人は、問題と苦悩をいつまでも同じ状態に留めてはおかないのです。
多くの人は、問題と苦悩を前にして立ち止まります。
多くの人は、問題と苦悩を前にして意気消沈(いきしょうちん)するのです。
それは、問題と苦悩を恐れているからです。
あなたが目的地に辿り着くためには、問題と苦悩は当然のこととしなければなりません。
それ等は、あって然(しか)るべきなのです。
人生には、問題と苦悩が必要不可欠なのです。
それは、あなたの旅の目的が成長することであるからです。
ただ、目的地に辿り着くだけなら、人生に問題と苦悩は必要ではありません。
ただ、幸福を得るだけなら、既に赤子の時に叶っているのです。
しかしながら、人は赤子のままではいられません。
人は自らの足で立って、問題と苦悩を得なければならないのです。
あなたは問題と苦悩を乗り越え、成長した姿で目的地に辿り着かなければならないということを理解しなければなりません。
人生が順風満帆な時には、何も考える必要がありません。
何の工夫も努力も辛抱(しんぼう)も必要ではないのです。
ただ、流れに身を任せ、進んで行けば良いのです。
人生に逆風が吹き荒れ、波瀾が巻き起これば、深く考える必要があります。
そこでは、工夫や努力や辛抱がどうしても必要となるのです。
それは、工夫や努力や辛抱をしなければ、そのような危機的状況を脱することが出来ないからです。
人は弱い存在です。
人生が順風満帆な時には、わざわざ工夫や努力や辛抱を行いません。
人は弱い存在です。
甘えることを好むのです。
多くの人が、人生に問題や苦悩は必要ないと考えています。
それは、工夫や努力や辛抱を嫌い、甘えることを好むからです。
そのような心構えの人間が、どうやって豊かさを得るのでしょうか?
そのような人間は、死という目的地に辿り着いたとしても、暗闇に落ち込んでしまうのです。
順風満帆の時には、人は愚(おろ)かさを育むでしょう。
逆風や波瀾の中では、人は知恵を育むのです。
もちろん、逆風や波瀾ばかりでも知恵は導かれません。
知恵を導き、それを育むためには、緊張と緩和(かんわ)が必要不可欠なのです。
人生には、順風満帆な時も、逆風や波瀾も必要です。
穏やかな日々も必要ですが、問題や苦悩の日々も必要なのです。
あなたは、人生に単調だけを求めてはなりません。
波瀾(はらん)も同時に求めましょう。


そうすれば、成長した姿によって、目的地に辿り着くことが出来るでしょう。

2018年1月9日火曜日

期待と要求

人は、それぞれの立場を持ちます。
人は、それぞれに異なる立場に存在するのです。
誰一人として、同じ立場を持ちません。
すべての人が、別々の立場に存在するということを覚えておかなければなりません。
争いは、同化によって生じます。
それぞれが異なるものを、同一化することによって、無理が生じているのです。
人は、それぞれの学びを必要としています。
それは、それぞれの状態が異なるからです。
人は、それぞれに必要が異なるのです。
満足しているものと、不足しているものは、人それぞれに異なっているのです。
そのため、必要は自ずと異なるのです。
必要が異なるにもかかわらず、それ等を同化しようとするのには無理があるのです。
無理を続けていれば、そこには争いが生じてしまうということなのです。
大切なのは、それぞれが異なる立場に存在するということを理解することです。
そして、それぞれの必要が異なっていることを忘れないことなのです。
それぞれの立場と必要を見失わなければ、争いが生じることもありません。
争いが生じなければ、協力によって豊かさを得ることが出来るのです。
争えば、乏しさを得ます。
豊かさは、協力によって導かれるのです。
あなたが豊かさを求めているのであれば、そのことを覚えておかなければならないのです。
多くの人は、相手に期待します。
多くの人は、相手に多くを要求するのです。
それは、自分と相手を同一化していることに由来します。
自分と相手の立場を同じものと考えているために、相手に期待し、要求するようになるのです。
あなたが誰かに期待し、何かを要求しているのであれば、それは裏切られるということを理解しなければなりません。
あなたの期待は必ず裏切られることになるのです。
それは、人が自らの立場から、自らの必要を追求するからです。
誰も、あなたの立場から、あなたの必要を追求することはありません。
誰も、あなたの期待と要求を叶えはしないのです。
あなたが誰かに対して、期待と要求を向けているのであれば、その傲慢(ごうまん)に気付きましょう。
あなたは、他者に対する期待と要求を手放さなければならないのです。
他者に対する期待と要求が叶えられることはありません。
それは、あなたに落胆(らくたん)と怒りを生じさせるのです。
あなたは落胆と怒りによって他者を攻撃することになるでしょう。
それが、争いの仕組みなのです。
これは、あなたの人生です。
他者に期待し、何かを要求するのは間違っています。
あなたは自分で自分の期待に応え、自分で自分の要求を叶えなければならないのです。
どうして、立場も必要も異なる他者が、あなたの期待に応え、要求を叶える必要があるのですか?
それは、あなたが自分で実現すべきことなのです。
他者は、あなたの人生を生きることが出来ません。
やらないのではなく、知らないのです。
やらないのではなく、気が付かないのです。
やらないのではなく、出来ないということを理解しなければなりません。
他者は、あなたの立場や必要を知りません。
他者は、あなたの立場や必要に気が付きません。
他者は、あなたの立場や必要を満たすことが出来ないのです。
他者には、あなたの期待や要求をどうすることも出来ないのです。
他者が思い通りにならないことに怒りを覚えてはなりません。
他者は決して、あなたの思い通りにはなりません。
あなたが誰かの思い通りにはなれないように、他者もあなたの思い通りにはなれないのです。
あなたは誰かの思い通りにはなりません。
同じように、誰かもあなたの思い通りにはならないのです。
それで良いのです。
あなたは、自分の立場と必要を見失ってはなりません。


自分の立場と必要を他者に期待し、要求してはならないということを覚えておきましょう。

2018年1月8日月曜日

大きく育てば美しい

あなたは、成長しなければなりません。
それは、豊かさのためです。
すべての存在は、豊かさに辿り着くために生まれます。
すべての存在は、豊かさを欲しているのです。
あなたはそれを否定することは出来ません。
誰もが、自分の考える豊かさを求めているのです。
自分は他者と同じ豊かさを求めていると考えるかも知れません。
しかしながら、あなたは、他者とは異なる豊かさを求めているのです。
すべての人は豊かさを求めています。
それは、人生の目的であるからです。
あなたは、豊かさに辿り着くために生まれたのです。
人生の終着は豊かさです。
人は、誰もが豊かさへ到達しなければならないのです。
それは、この世界に定められている理(ことわり)なのです。
あなたは、それに逆らえません。
あなたがどのように考えていようとも、必ず豊かさを求めているのです。
成長することによって、人は豊かさへと向かうことが出来ます。
豊かさには様々な形が存在し、そこへ向かう道も様々です。
そのため、成長にも様々な方向性が存在しているのです。
あなたは、成長や豊かさを一つのものと考えてはなりません。
多くの人は、成長や豊かさを一つのものとして考えます。
それは、狭い範囲しか見えていないからです。
多くの人は、自分の道に精一杯であり、他者の道に気を配る余裕はありません。
そのため、成長や豊かさを一つのものと思い込み、可能性を見失うのです。
大切なのは、多様性を理解することです。
この世界において、多様性は重要です。
なぜなら、多様性によって、成長の可能性が広がるからです。
多様性とは、違いのことです。
人は、それぞれに異なる成長や豊かさを目指します。
人は、それぞれに立場や学びが異なっているのです。
それぞれの立場や学びが異なることによって、それぞれの成長や豊かさを目指す道が異なります。
成長や豊かさを目指す道とは、理を照らす光です。
それは、知恵なのです。
様々な人が、様々な道を進むことによって、様々な角度から理を照らし出すことが出来ます。
それは、理への理解を導くのです。
あなたは、一筋の光となって、理を照らさなければならないのです。
あなたは他者とは異なった成長と豊かさを必要としています。
あなたは、他者と異なっていることが重要なのです。
樹木には様々な種類が存在します。
樹木には、様々な種類が存在しますが、それで困ることはありません。
寧(むし)ろ、様々な種類が存在することによって、自然は豊かさを得ているのです。
どのような樹木も、大きく育てば美しいのです。
どのような樹木も、大きく育てば役に立ちます。
どのような樹木も、大きく育てば必要とされるのです。
あなたは、自分という存在を大きく育てれば良いのです。
自分という存在を大きく育てることによって、それは必ず必要とされるようになるのです。
経過を思い悩む必要はありません。
若木の状態を嘆く必要はありません。
どのような種類の若木も、大きく育てば必ず美しくなり、役に立ち、必要とされるからです。
あなたがあなたとして成長すれば、必ず美しくなり、役に立ち、必要とされるのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
あなたは、自分の成長と豊かさを求めて進まなければなりません。
欅(けやき)は欅として大樹を目指し、一位樫(いちいがし)は一位樫として大樹を目指すべきなのです。
どのような種類であっても、どのような樹形(じゅけい)であっても、大きく育てばそれだけで美しく、役に立ち、必要とされます。
そのことを覚えておきましょう。
ただし、自分勝手に成長を目指すということではありません。
この世界においては、自分勝手に成長することは出来ません。
あなたは知恵の導きによって、あなたとして成長するのです。
そして、あなたの豊かさに辿り着くのです。
あなたはあなたで良いのです。


自分の成長と豊かさの方向性を見失ってはなりません。

2018年1月7日日曜日

成果

あなたは、物事を簡単に考えてはなりません。
一つの成果を実現するためには、多くの要因が必要となるのです。
一つの要因によって、一つの成果が実現する訳ではありません。
この世界においては、一つの成果のために、多くの要因が必要であるということを理解しなければならないのです。
多くの人は、少ない要因によって、成果を求めています。
多くの人は、楽がしたいのです。
多くの人は、何も知らずに奇跡を求めているのです。
奇跡とは、因果の存在しない成果のことです。
例えば、くじを引いて大金を手に入れたいとか、誰かに見初(みそ)められたいなどということです。
多くの人は、簡単に成果を求めています。
多くの人は、苦労を嫌います。
そのくせ、大きな成果を望んでいるのです。
多くの人には、自らの望んでいる成果が自分に相応しくないということを理解することが出来ません。
多くの人は、自分に相応しくない成果を受け取ることが出来ると思い込んでいるのです。
この世界には、因果の仕組みが存在し、それを無視することの出来る人はいません。
要因が存在することがないのに、成果が実現するようなことは有り得ないのです。
くじを引くことによって、大金が舞い込むなどという奇跡は実現しません。
例え、くじを引くことによって大金を手に入れたとしても、そのことで多くの問題と苦悩を得るでしょう。
誰かに見初められたいと願っていたとしても、そのような奇跡は実現しません。
例え、誰かに見初められたとしても、そのことで多くの問題と苦悩を得るのです。
成果に対する要因を準備することが出来ない者には、最終的に問題と苦悩が残るということを覚えておかなければならないのです。
自分に相応しくない成果を求めたとしても、それは決して残らないのです。
この世界においては、自分に相応しいものが残ります。
この世界には、奇跡は存在しないということを覚えておきましょう。
一つの成果を実現するためには、多くの要因が必要です。
要因の数は、成果によって異なります。
望む成果が大きい程に、多くの要因が必要となるのです。
例えば、果実を収穫するためには、種を蒔(ま)くだけでは足りません。
その種が果実を実らせるための世話をしなければならないのです。
種が果実を実らせるためには、多くの要因が必要なのです。
種を蒔いて終わりという訳にはいかないのです。
大金を手に入れたければ、社会に貢献する仕事を作ることです。
決して、くじを買うような簡単なことではありません。
誰かに見初められたければ、自らの人格を磨くことです。
決して、夢を見て待ち望んでいるような簡単なことではありません。
成果を実現するためには、手間を掛けなければなりません。
手間を掛けることがなければ、成果を実現することも出来ないのです。
掛けた手間に相応しい成果が実現します。
粗雑(そざつ)な要因は、粗末な成果を実現します。
綿密(めんみつ)な要因は、立派な成果を実現するのです。
正確な時を刻む時計を実現するためには、多くの手間と部品を必要とします。
手間と部品を粗雑なものとすれば、その時計は正確な時を刻むことが出来ないのです。
成果とは、手間によって実現するのです。
物事を簡単に考えている人は奇跡を信じます。
奇跡を信じ、待ち望んでいる人は、成果を軽んじているのです。
苦労を嫌い、楽を求める者に成果は実現しません。
怠慢(たいまん)な者が得られる成果は、問題と苦悩なのです。
あなたが問題と苦悩を必要としているのであれば、怠慢に時を過ごせば良いでしょう。
しかしながら、幸福を求めているのであれば、苦労を受け入れ、手間を掛けることです。
丁寧な仕事は、良い成果を導きます。
何事にも出来る限りの手間を掛けましょう。
そうすることによって、あなたは成果を実現することが出来るでしょう。
成果を焦ってはなりません。
時を誤れば、成果は実現しないということを覚えておきましょう。
成果に相応しい要因を準備するのです。



2018年1月6日土曜日

自分の幸福

すべての人は、幸福を求めています。
幸福とは、それぞれの価値観によって定められた満足です。
幸福にはそれぞれの形が存在し、それは決して同じものではありません。
幸福とは、自己満足であり、共有することの出来るようなものではないのです。
あなたにとっての幸福が、他者にとっての幸福であるとは限りません。
それは、他者の幸福が、あなたにとっての幸福とは限らないようにです。
人は、それぞれの幸福を求めているのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付きません。
自分の求める幸福と、他者の求める幸福とが同じ形をしていると思い込んでいます。
その思い込みによって、多くの人は幸福の共有を求めるのです。
多くの人は、他者に対して、自分の幸福を強要します。
自分と同じ幸福を得ることによって、他者も同じように幸福を得ると思い込んでいるのです。
多くの人にとって、自分の満足と他者の満足は同じものなのです。
しかしながら、そのようなことは有り得ません。
それは、人がそれぞれの立場を持ち、それぞれの学びを得ているからです。
幸福とは、それぞれの価値観によって定められた満足に過ぎません。
そのため、立場や学びが異なれば価値観が異なるように、それぞれの幸福の形は異なるのが自然なのです。
そのため、あなたの幸福を他者に強要することは出来ません。
他者の幸福をあなたが追い求めたとしても、幸福を得ることは出来ないのです。
幸福とは、それぞれの満足感であるということを理解しなければならないのです。
あなたが幸福を得るためには、自らに与えられた立場を知り、自らに与えられる学びを受け入れる必要があるのです。
自分を否定している人には、決して幸福は導かれないのです。
そして、他者を尊重しない人にも、決して幸福は導かれないということを覚えておきましょう。
多くの人は仲間を求めます。
人は、賛同者(さんどうしゃ)を求めているのです。
多くの人は、自分の幸福に対して自信を持ちません。
多くの人は、自分で自分の幸福を決めることが出来ないのです。
多くの人は、他者に賛同してもらうことによって、それが自分の幸福なのだと思い込みたいのです。
多くの人が、そのような態度で幸福に臨(のぞ)みます。
自分の幸福は、他者の賛同によって成り立っているのです。
残念ながら、他者の賛同によって成り立っているようなものが幸福であるはずがありません。
多くの人が追い求め、また、浸っている幸福は、真の幸福ではないのです。
他者の賛同を必要とする幸福など存在しません。
幸福とは、自分独りで完成するものだということを覚えておきましょう。
多くの人は、幸福について誤解しています。
多くの人は、間違った幸福感を自分や他者に強要するのです。
愚者(ぐしゃ)は一緒に不幸になってくれる仲間を求めます。
そして、共に幸福になってくれる仲間を求めるのです。
あなたは、どちらも愚かな行為であることを理解しなければなりません。
あなたの幸福は、他者によって実現するものではありません。
自分以外の何物によっても、あなたの幸福は実現しないのです。
あなたは、仲間を求める自分の弱さに注意しましょう。
それは、他者を不幸に誘(いざな)います。
あなたは、仲間を求める他者の弱さに注意しましょう。
それは、自分を不幸に陥(おとしい)れるのです。
幸福の本質を理解していない人は、様々な所作(しょさ)によって自分や他者を誘います。
大空を飛ぶ鳥が、籠(かご)の中の鳥の群れに引かれ、自ら籠の中に収まるようなものです。
それを幸福と思うのであれば、そうすれば良いでしょう。
幸福には様々な形があって良いのです。
しかしながら、あなたが自由を失いたくなければ、幸福が自分独りの満足の内に実現すると信じていましょう。
仲間がいるのは素晴らしいことです。
しかしながら、仲間によって実現する幸福などは存在しません。
仲間とは、それぞれの幸福を実現した人の集まりであるのです。
幸福のために仲間を必要とするのではありません。


幸福の本質を見誤ってはなりません。

2018年1月5日金曜日

あなたが人生に豊かさを求めているのであれば、この世界には”時”が存在していることを知らなければなりません。
すべてには”時”があるのです。
それは、それぞれに分け与えられています。
”時”を無視することの出来る存在はいません。
すべての存在が”時”と共に在るということを理解しましょう。
あなたにも”時”があります。
あなたは、自らの”時”を無視することが出来ないということを理解しましょう。
”時”とは、因果の報いです。
あなたは、”時”に導かれて報いを受けるのです。
しかしながら、”時”がいつ訪れるかを知ることは出来ません。
あなたには、知らされないことなのです。
あなたが、”時”を知る必要はありません。
なぜなら、”時”が導かれるのは最善のタイミングであるからです。
”時”は、あなたが成長するために最善のタイミングで導かれます。
あなたは、”時”に従って学び、成長すれば良いのです。
”時”に従うことによって、あなたは成長に導かれるでしょう。
”時”に逆らえば、あなたは成長への道のりを見失うのです。
人生を豊かなものにするためには、自らの成長が必要です。
人生は、あなたに相応しく展開します。
この世界において、あなたに相応しくない展開は有り得ないのです。
”時”に従う者は豊かさに導かれ、”時”に逆らう者は乏しさを得るでしょう。
”時”に従うということは、”果報は寝て待て”ということです。
因果の報いは最善のタイミングによって導かれます。
未熟なあなたには最善のタイミングを理解することは出来ません。
あなたが最善だと考えるタイミングは、決して最善のタイミングではありません。
因果の報いを受けるタイミングこそが最善であるということなのです。
そのため、あなたは、因果の報いを期待せずに尽力しなければなりません。
何かを与えたから何かを受け取れるなどと考えてはなりません。
あなたは、受け取れる権利を主張してはならないのです。
それぞれには”時”があって、自分の思うようには出来ないのです。
”時”に逆らって、自分の思い通りに事を運ぼうと画策(かくさく)するのであれば、その愚行(ぐこう)に相応しい報いを受け取ることになるでしょう。
椿(つばき)の花を見なさい。
それは、冬に花を咲かせます。
それは、椿の花の”時”が冬だからです。
椿が夏に花を咲かせようとすれば、自らを損なうでしょう。
無理をすれば、歪(ひず)みが生じるのです。
”時”に逆らうことによって、すべての存在は自らを損なうということを知らなければならないのです。
あなたには、あなたの”時”があります。
他者には、他者の”時”があるのです。
そのため、あなたは他者と自分を比較して考えてはなりません。
優越感や劣等感を抱えてはならないのです。
すべては”時”に従います。
”時”はそれぞれのタイミングで訪れるのです。
そのため、他者との比較によって人生を計ることは出来ないのです。
”時”は必ず、すべての存在に訪れます。
それがどのような報いであろうとも、必ず訪れるのです。
そのため、あなたは余計な心配をする必要はありません。
余計な期待も必要ではないのです。
自分に出来ることに尽力しましょう。
報いなど気にする必要はありません。
”時”は、あなたよりも優れているのです。
あなたに最善の報いを、最善のタイミングで導きます。
それ以上に、何を求めるのでしょうか?
それに何の不満があるのでしょうか?
そこに何を心配するのでしょうか?


果報は寝て待つのです。

2018年1月4日木曜日

正義の本質

すべての人は、豊かな人生を求めています。
誰もが幸福を求めているのです。
あなたは、豊かな人生を生きる権利を与えられています。
あなたは、幸福を手にすることが許されているのです。
あなたは人生を豊かに生きなければなりません。
人生を豊かなものにするために尽力しましょう。
しかしながら、多くの人は求めている豊かさに反する結果を受け取っています。
多くの人は、人生に豊かさを感じることが出来ません。
多くの人は、人生に乏しさを感じているのです。
それは、不満や不安を感じながら生きているということなのです。
不満や不安が蔓延(はびこ)るのは乏しさなのです。
豊かさとは、不満や不安がその役割を十分に果たしている状態のことなのです。
不満や不安は、あなたに付き従う影のようなものなのです。
それは必要な存在ではありますが、主体となることはありません。
人生においては、不満や不安は大切な要素となります。
しかしながら、それ等に対して、主体となって人生を築くという役割を与えることは間違っています。
影が人生を築くはずがありません。
影は、あなたに寄り添っているのです。
不満や不安は主体とは成り得ません。
不満や不安を主体として人生を築くことによっては、決して豊かさを導くことは出来ません。
影である不満や不安に対して、人生を預けてはならないのです。
影には、人生を築く力はありません。
影は、主体に寄り添っている時に力を発揮するのです。
あなたは、影を主体としてはなりません。
影に人生を任せてはならないのです。
すべての人は、特定の価値観を所有しています。
価値観は正義感に通じているのです。
すべての人が自分の正義を堅(かた)く信じています。
そして、多くの人が自分の正義に従うのです。
それは、多くの人が自分の正義を正しいと考えているからなのです。
しかしながら、残念なことに、多くの人は自分が正しいと考えている正義の出処(でどころ)を知りません。
それがどこから出たのかも知らずに、自分の正義が正しいと考えているのです。
大切なのは、自分が信じるものの本質を見極めることです。
自分の信じる正義の本質がどこにあるのか?ということを考える必要があるのです。
あなたは、正義の本質を知りましょう。
それは、最も古い価値観のことなのです。
正義の本質とは、最も古い価値観であるということを覚えておきましょう。
あなたの正義は、あなたの中の最も古い価値観を基準として形成されているのです。
あなたが教わる順番が早い価値観が、あなたの信じる正義となるのです。
幼い頃に善と教わったものが善であり、悪と教わったものが悪なのです。
正義とは、古いだけの情報であることを理解しなければなりません。
古いだけの情報や価値観には、信憑性(しんぴょうせい)がありません。
大切なのは、その情報や価値観に信憑性があるかどうか?ということなのです。
正義とは、刷り込みに過ぎません。
残念ながら、それは信用するのが難しいことです。
多くの人は、自らの抱える正義を信じていますが、あなたはそれを疑わなければならないのです。
あなたの抱える正義は、決して本質的ではありません。
なぜなら、あなたは何も知らないからです。
何も知らない人の信じる正義を信用することは出来ないのです。
あなたは何も知りません。
ただ、古い情報や価値観に縋(すが)っているだけなのです。
大切なのは、正義も変化を続けているということを理解することです。
あなたが新しい情報や価値観に触れることによって、正義の形は変化するのです。
言うなれば、正義とは、不安定なものなのです。
不安定な正義を信用することは出来ません。
あなたの中で、正義は変化し続けているということを覚えておきましょう。
いつまでも、古い情報や価値観に従っていてはなりません。
自らの抱える正義を信用してはなりません。


正義の本質を知り、人生の豊かさを手に入れましょう。

2018年1月3日水曜日

歩み

人生を豊かなものにするためには、変化する必要があります。
停滞することは豊かさではありません。
人生は、停滞することによって豊かさを失います。
停滞は乏しさを導くということを覚えておきましょう。
人生を豊かなものにするためには、変化を実現する必要があります。
肉体が命を保つために、生命活動を続けているようにです。
肉体は、絶えず変化し続けています。
心臓は鼓動を続け、呼吸も止まることはありません。
命は、変化の中にこそ存在するのです。
呼吸を止めれば、やがて心臓の鼓動も止まります。
それは生命活動の停滞であり、命を失うという結果を導くのです。
肉体が命を保つためには、生命活動という変化を続けなければならないのです。
この世界は豊かさに溢れています。
それは、この世界の一切が流転し続けているからです。
一切が流転し続けているために、この世界には豊かさが溢れているのです。
多くの人は、乏しさを覚えます。
しかしながら、この世界には乏しさは存在しません。
人が乏しさを覚えるのは、心が乏しいからなのです。
心の乏しさとは、心の停滞です。
心が停滞しているというのは、それが安住(あんじゅう)しているということなのです。
多くの人は、心が安住していることを豊かさだと考えています。
安心や安定を心に実現することが豊かさだと思っているのです。
しかしながら、心が安住するということは、心が停滞するということです。
それは、豊かさを導くように見えて、実際には乏しさを導くものなのです。
多くの人は心の安住を求めています。
多くの人は、安心や安定を求めているのです。
しかしながら、それでは乏しさを得るのです。
矛盾しているように思うかも知れません。
しかしながら、豊かさは停滞することが出来ないのです。
確かに、安心や安定は豊かさを導きます。
しかしながら、それを続けることは出来ません。
安心や安定も停滞すれば乏しさを導くのです。
大切なのは、一切が流転しているということを忘れないことです。
安心や安定も大切ですが、不安や不安定も重要だということなのです。
豊かさを実現するためには、安心と不安を繰り返さなければなりません。
安定と不安定を繰り返す必要があるのです。
どちらか一方に停滞すれば、乏しさが導かれるのです。
大切なのは、豊かさの原因が変化であるということです。
変化を起こさなければ、豊かさは導かれないのです。
多くの人は、停滞の中に豊かさを求めます。
それが矛盾であることに気が付かなければならないのです。
多くの人は矛盾を抱えて生きているのです。
それでは、豊かさは導かれません。
不安定を受け入れなければ変化は生じません。
あなたは、立ち止まった状態から片足で立つことです。
そうすれば、不安定な姿勢を得ることが出来ます。
不安定に耐え切れなくなれば、あなたはどこかに一歩を踏み出すでしょう。
一歩を踏み出せば、安定を得るのです。
あなたは、安定と同時に変化を得るでしょう。
安定と不安定を繰り返すことによって、歩みが生まれます。
歩み続けることによって、あなたは豊かさへと辿り着くことが出来るのです。
安定を手放し、不安定を受け入れなければ歩むことは出来ません。
歩まなければ、豊かさへ辿り着くことは出来ないのです。
変化を受け入れましょう。
それは、豊かさを受け入れることでもあるのです。


執着してはなりません。

2018年1月2日火曜日

道の分岐

人は、それぞれの道を歩みます。
人生は、道のようなものです。
あなたは、それを目的地へと向かった歩み続けなければなりません。
誰もが人生に目的を所有しています。
誰もが、意味のある人生を生きているのです。
あなたは目的を以(もっ)て人生を歩んでいるということを理解しなければなりません。
人生を無意味なものとしてはなりません。
あなたの意識の在り方によって、人生は大きく形を変えるのです。
人生を豊かなものにするのも、乏しいものとするのも、それは、あなたの意識の在り方次第であるということを覚えておかなければなりません。
これは、あなたの人生です。
あなたは、自分の人生を生きているという意識を手放してはなりません。
あなたは、自分で人生を決めなければなりません。
どう歩むのか?ということは、あなたが決めることであるのです。
あなたは、自分が目的地へと向かって歩みを進めていることを理解しましょう。
目的地へと歩みを進めるにしたがって、道は分岐(ぶんき)します。
あなたは、進む方向を決めなければなりません。
そして、その方向に歩みを進めなければならないのです。
一度、歩みを進めてしまえば、分岐に戻ることは出来ません。
あなたは、選んだ道を取り止めることは出来ないのです。
何かを得ることは、同時に何かを失うことです。
あなたは同時に二つのものを選ぶことは出来ません。
一方を重んじれば、他方を軽んじなければならないのです。
図らずしも、そのようになることを覚えておきましょう。
選んだ道に不満や不安が生じたとしても、それを選んだのであれば、他の道はありません。
次の分岐に辿り着くまで、その道を歩み続けなければならないのです。
それは、仕方のないことなのです。
如何(いか)なる後悔も先には立ちません。
後悔は、道を選んだ後に訪れるのです。
それを避けることは出来ないのです。
そのため、あなたはどのような道においても、覚悟をしなければならないのです。
後戻りは出来ません。
それは、あなたが目的地へと辿り着かなければならないからです。
人生の目的は、目的地へと辿り着くことです。
その過程において、あなたが苦しむかどうかは関係のないことなのです。
苦しもうが、楽しもうが、あなたは目的地へと向かっているのです。
人生においては、目的に沿わないものを楽しむことは出来ません。
道を選択した時、その道が目的に沿うようなことでなかったとしても、次の分岐まではそのままで歩みを続けなければなりません。
苦しめば苦しみながら道を歩まなければなりません。
楽しめば楽しみながら道を歩むのです。
そして、次の分岐に辿り着けば、人生の目的に沿う道を見極め、それを進みましょう。
あなたは、目的に沿わないものを楽しむことは出来ません。
目的に沿うものは、楽しもうとしなくても楽しいのです。
楽しくないものを無理に楽しもうとする必要はないのです。
人生の目的は、人生の目的地へと辿り着くことです。
それは、決して、楽しく生きることではありません。
無理に苦しむことでもないのです。
あなたは道を引き返すことが出来ないということを覚えておきましょう。
あなたの人生の目的は目的地へと辿り着くことです。
楽しもうが苦しもうが、目的地へと辿り着くことが目的なのです。
必ず道は分かれます。
それに嘆(なげ)いても仕方がありません。
次の分岐から楽しい方を選びたいのであれば、今歩んでいる道を懸命に生きなければなりません。
これは、あなたの人生です。
自分で選ばなければなりません。
一度選んだ道を引き返すことは出来ないということを覚えておきましょう。
人生の目的を探し、道を進みましょう。


そうすれば、あなたは道を楽しむことが出来るでしょう。

2018年1月1日月曜日

凸凹

この世界には、特別は存在しません。
この世界に存在しているのは必要だけなのです。
それは、最善ではあれ、特別ではありません。
あなたは、何かに対して特別な考えを抱いてはなりません。
何かを特別に思う時、多くの人はそれを大切に扱っていると考えているでしょう。
しかしながら、それは執着を生み出します。
大切なのは、全体性を知ることです。
何かを大切に扱うためには、繋がりを無視することは出来ません。
この世界において、繋がりを離れたものは無く、すべてが一つに繋がっているのです。
何かを大切にするためには、それに繋がったものを大切に扱う必要があるのです。
何かを大切に扱い、それと繋がっているものを軽んずるのであれば、そこには問題が導かれるということを覚えておきましょう。
何かに対する特別視は、結果的にそれを蔑(ないがし)ろにしているということを理解しなければならないのです。
あなたがそれを大切に思うのであれば、特別視という執着を離れなければなりません。
全体を大切に扱うことによって、あなたはそれを大切に扱うことが出来るのです。
多くの人は、それを大切に思う余り、それだけに注力してしまうのです。
それは、視野を狭め、可能性を奪います。
可能性を奪えば、豊かさは導かれないのです。
それを大切に思うのであれば、それを特別にしてはなりません。
凹凸(おうとつ)は均(なら)す必要があるのです。
大切な荷物を運ばなければならない人がいて、荒れた道を選ぶのであれば、躓(つまず)いて荷物を落としてしまうでしょう。
落とした荷物は壊れてしまうのです。
大切な荷物を落としてしまったのは、荷物を特別視していたからです。
荷物を特別視していたために、道の凹凸には気が付かないのです。
荷物を無事に目的地まで運ぶためには、道に気を付けなければならないのです。
平らな道を選ばなければ、大切な荷物を落としてしまうでしょう。
平らな道を選ぶためには、道に注意を払わなければなりません。
それは、荷物に対する注意を道に向けるということなのです。
荷物を運ぶのに、荷物だけを見ているのであれば、路上の凹凸に気が付かずに躓きます。
あなたが荷物を大切だと思うのであれば、寧(むし)ろ道を見ていなければならないのです。
特別視によって、人は必ず偏(かたよ)ります。
特別視とは、偏見であるのです。
偏見によって大切なものを守ることは出来ません。
偏見は、大切なものを傷付けてしまうということを覚えておきましょう。
多くの人は、大切なものを大切に思う余りに特別視という名の偏見を抱えます。
自らの子を大切に思う母親は、子の友達も同じように大切に思わなければなりません。
子の友達を軽んじているのであれば、友達は自らの子から離れてしまうでしょう。
仲間を特別視するのであれば、敵が生まれます。
世の争いは、特別視によって生み出されているのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付きません。
自分が特別だと思い込んでいる人は、同時に他者を軽んじているのです。
他者を軽んじている人は、同時に自分を特別視しているということを覚えておきましょう。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
特別視にも、陰陽の仕組みが適応されます。
特別視とは、自分が優れているという思いだけではありません。
自分が劣っているとする思いも、特別視であるのです。
あなたは凹凸を均しましょう。
窪(くぼ)んだところには与え、出っ張ったところは奪いましょう。
道を平らにすることが、大切な荷物を無事に運ぶためには必要なことなのです。
敵がいれば、大切なものを守ることは出来ません。
特別視によって、あなたは大切なものを失うでしょう。
”すべては一つ”に繋がっているということを理解しましょう。
決して忘れてはなりません。
全体性を無視するのであれば、何も守ることは出来ません。
すべてが必要であり最善です。
すべてを大切に扱うという気持ちを持たなければなりません。