すべての人は未熟です。
すべての人は未熟を抱えて生まれます。
すべての人は無知であり、歪んでいるのです。
すべての人は不足し、過剰です。
この世界には、正しい人は存在しません。
すべての人が間違っているのです。
そのため、自分が正しいとか、相手が正しいという議論(ぎろん)には価値がありません。
あなたは、自分が正しいと考えてはなりません。
そして、相手が正しいとも考えてはならないのです。
すべての人が無知であり、歪んでいる未熟者なのです。
そのため、未熟者であるあなたが、誰かを裁(さば)くことは出来ません。
相手の気に入らない部分を責(せ)め立てるのは愚かなことなのです。
相手を責め立てる時には、自分の愚かさを露呈(ろてい)しているということを理解しなければならないのです。
あなたは、誰かを責めます。
あなたには、相手の気に入らない部分があるのです。
口の中で相手を攻め立てたとしても、その愚行(ぐこう)によって、問題を抱え、苦悩に至るのはあなたなのです。
この世界には、因果の仕組みが存在しています。
因果はそれぞれのものです。
あなたの行いは、あなたにしか返りません。
結果は、原因に付き従うのです。
あなたが誰かを責め立てたとしても、それは自分の立場(状況)を不利にするだけです。
口の中の言葉であったとしても、それは人生に反映されるからです。
あなたは何一つとして隠し通すことは出来ません。
すべては明るみに現されるのです。
あなたは、自分の因果を避けることは出来ないのです。
あなたは、自分の行為に注意しましょう。
些細(ささい)な行為も人生に反映されます。
人生が、あなたを見過ごすことはありません。
人生は、あなた自身なのです。
大切なのは、自分も相手も同じように未熟であると知ることです。
そうすれば、相手との間に優劣を持ち込むことはなくなります。
優劣は、争いに発展し、争いは未熟さを加速させます。
相手を蔑(さげす)むことによって自分を高めようとする者は、その愚行によって今よりも低められるのです。
人格を高めることによって、人は豊かさを得ることが出来ます。
人格を高めるというのは、優しくなるということです。
優しくなるというのは、相手を許すということなのです。
あなたが豊かさを必要としているのであれば、相手を許さなければなりません。
許容の範囲が、人格を現しているのです。
許すことの少ない者は、人格が未成熟です。
許すことの多い者の人格は、成熟しているのです。
人格の成熟している者は争うことをしません。
そこには、協力が生まれるのです。
協力することによって、人は、独りよりも何倍もの豊かさを導くことが出来るのです。
人格の成熟している者が乏しさを得ることはありません。
この世界において乏しさを得るのは、争っている者だけだからです。
因果の仕組みを軽んじてはなりません。
あなたの現状は、あなたの姿なのです。
人生を嘆(なげ)き、誰かを恨(うら)むことは間違っています。
自分自身の愚かさを嘆き、それを恨みましょう。
人生は、あなたのせいです。
それ以外の原因はありません。
間違えてはなりません。
あなたは、自分の未熟さを責め立てられることを喜びますか?
あなたは、未熟さを哀(あわ)れんでもらうことを喜ぶでしょう。
あなたも相手に同じことをするのです。
相手の気に入らない部分を責めてはなりません。
それを哀れみ、互いに協力して人格を高めるのです。
自分の未熟さを棚に上げて、相手の未熟さを責めてはなりません。
謙虚(けんきょ)でありましょう。
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