このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2018年1月1日月曜日

凸凹

この世界には、特別は存在しません。
この世界に存在しているのは必要だけなのです。
それは、最善ではあれ、特別ではありません。
あなたは、何かに対して特別な考えを抱いてはなりません。
何かを特別に思う時、多くの人はそれを大切に扱っていると考えているでしょう。
しかしながら、それは執着を生み出します。
大切なのは、全体性を知ることです。
何かを大切に扱うためには、繋がりを無視することは出来ません。
この世界において、繋がりを離れたものは無く、すべてが一つに繋がっているのです。
何かを大切にするためには、それに繋がったものを大切に扱う必要があるのです。
何かを大切に扱い、それと繋がっているものを軽んずるのであれば、そこには問題が導かれるということを覚えておきましょう。
何かに対する特別視は、結果的にそれを蔑(ないがし)ろにしているということを理解しなければならないのです。
あなたがそれを大切に思うのであれば、特別視という執着を離れなければなりません。
全体を大切に扱うことによって、あなたはそれを大切に扱うことが出来るのです。
多くの人は、それを大切に思う余り、それだけに注力してしまうのです。
それは、視野を狭め、可能性を奪います。
可能性を奪えば、豊かさは導かれないのです。
それを大切に思うのであれば、それを特別にしてはなりません。
凹凸(おうとつ)は均(なら)す必要があるのです。
大切な荷物を運ばなければならない人がいて、荒れた道を選ぶのであれば、躓(つまず)いて荷物を落としてしまうでしょう。
落とした荷物は壊れてしまうのです。
大切な荷物を落としてしまったのは、荷物を特別視していたからです。
荷物を特別視していたために、道の凹凸には気が付かないのです。
荷物を無事に目的地まで運ぶためには、道に気を付けなければならないのです。
平らな道を選ばなければ、大切な荷物を落としてしまうでしょう。
平らな道を選ぶためには、道に注意を払わなければなりません。
それは、荷物に対する注意を道に向けるということなのです。
荷物を運ぶのに、荷物だけを見ているのであれば、路上の凹凸に気が付かずに躓きます。
あなたが荷物を大切だと思うのであれば、寧(むし)ろ道を見ていなければならないのです。
特別視によって、人は必ず偏(かたよ)ります。
特別視とは、偏見であるのです。
偏見によって大切なものを守ることは出来ません。
偏見は、大切なものを傷付けてしまうということを覚えておきましょう。
多くの人は、大切なものを大切に思う余りに特別視という名の偏見を抱えます。
自らの子を大切に思う母親は、子の友達も同じように大切に思わなければなりません。
子の友達を軽んじているのであれば、友達は自らの子から離れてしまうでしょう。
仲間を特別視するのであれば、敵が生まれます。
世の争いは、特別視によって生み出されているのです。
しかしながら、多くの人はそのことに気が付きません。
自分が特別だと思い込んでいる人は、同時に他者を軽んじているのです。
他者を軽んじている人は、同時に自分を特別視しているということを覚えておきましょう。
この世界には、陰陽の仕組みが存在しています。
特別視にも、陰陽の仕組みが適応されます。
特別視とは、自分が優れているという思いだけではありません。
自分が劣っているとする思いも、特別視であるのです。
あなたは凹凸を均しましょう。
窪(くぼ)んだところには与え、出っ張ったところは奪いましょう。
道を平らにすることが、大切な荷物を無事に運ぶためには必要なことなのです。
敵がいれば、大切なものを守ることは出来ません。
特別視によって、あなたは大切なものを失うでしょう。
”すべては一つ”に繋がっているということを理解しましょう。
決して忘れてはなりません。
全体性を無視するのであれば、何も守ることは出来ません。
すべてが必要であり最善です。
すべてを大切に扱うという気持ちを持たなければなりません。



0 件のコメント:

コメントを投稿