人は、道を極めなければなりません。
すべての人が、自らの道を究極にまで高めなければなりません。
誰もが、道に対して手を抜いてはならないのです。
自分の道を真っ直ぐに、ひたすらに歩み、究極に到達する必要があるのです。
多くの人は、それを大それたことだと考えます。
多くの人は、それを面倒だと考えます。
多くの人は、それは無理だと考えるのです。
そして、道の究極を放棄し、寄り道を楽しむのです。
多くの人は、道を諦めます。
多くの人は、究極に到達する意味を知らないのです。
そのため、究極へと踏み出すための足を、他の目的のために踏み出すのです。
多くの人は、人生の目的を見失っています。
多くの人は、自分が何をしているのかを知らないのです。
多くの人は、自分がどこへ向かうべきなのかを知りません。
多くの人は、ただ、目の前が楽しければ良いと考えているのです。
そのため、苦労を嫌います。
そして、怠慢(たいまん)を好むようになるのです。
道の究極に到達するためには、苦労を嫌ってはなりません。
怠慢を好んではならないのです。
究極への道のりには、苦労を惜しんでは進めない場所があります。
怠慢を好んでいるような者には、乗り越えることの出来ない場所があるのです。
大切なのは、自分に打ち勝つことです。
克己(こっき)の心を持つ者でなければ、道の究極には到達することが出来ないのです。
道には、多くの障害が存在しています。
それは問題のように思えますが、大したことではありません。
最大の問題は、その障害を乗り越えられる自分が存在しないということなのです。
あなたは、どのような障害も乗り越えられるでしょう。
そのために知恵があるのです。
知恵の働きによって、すべての障害は消え去るのです。
知恵を用いれば、どのような道のりも進んで行くことが出来るのです。
知恵は克己によって導かれます。
自分に打ち勝つことの出来る者でなければ、知恵を得ることは出来ません。
苦労を嫌い、怠慢を好むようなものであっては、知恵を授かるに相応しくないのです。
学ぶ意欲の無い者に、何を教えるというのでしょう?
あなたは、聞く気の無い者に対して、説明することが出来ますか?
あなたは、聞く気の無い者に説明することに対して、虚しさを感じてしまうでしょう。
聞く気の無い者に説明しても無駄です。
それは、聞く気が無いからです。
学ぶ意欲の無い者には教えることが出来ません。
苦労を嫌い、怠慢を好む者に知恵を授けることは出来ないのです。
大切なのは、どのような態度で向き合うのか?ということです。
あなたが道の究極に到達するためには、苦労を惜しまず、怠慢に陥らずに克己する態度が求められるのです。
多くの人は、簡単を求めます。
分かり易いことには興味を示しますが、分かり難(にく)いことは拒絶します。
分かり易いことは良いことのように思うかも知れません。
しかしながら、それは、水準を下げるということなのです。
分かり易い道には奥行きがありません。
分かり易い道には深みがないのです。
分かり易いことを好む人の知恵は浅く、分かり難いことに意欲を抱く人の知恵は深いでしょう。
難しいことを拒絶してはなりません。
大切なことは大抵が難しいのです。
簡単なことばかりを求めているのであれば、知恵を得ることは出来ないでしょう。
道の究極に到達することが目的です。
あなたが道の究極を目指すことは、自分の究極を学ぶということです。
あなたは道を進むと同時に、自分を学んでいるのです。
そのことを覚えておきましょう。
自分にとっての簡単なことばかりを選んでいるのであれば、自分を深く知ることは出来ません。
自分にとっての難しいことを選んでみれば、自分を深く掘り下げることが出来るのです。
安易に分かり易い道を選んではなりません。
困難が立ちはだかろうとも、知恵によって乗り越えましょう。
知恵を授かるまでは諦めてはなりません。
苦労を惜しまず、怠慢に陥ることなく、自分に打ち勝ちましょう。
難しい道を選ぶのです。
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