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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年6月30日土曜日

美しさ

あなたは美しさを求めなければなりません。
何事に対しても、あなたはでき得る限りの美しさを追求しなければならないのです。
それは、美しさこそがその場所に豊かさを導く力を持っているからです。
美しさとは力の象徴です。
力のあるものは、そのすべてが美しさを所有しているということを理解しなければなりません。
美しさを理解することがなければ、そこに力を生み出し、豊かさを得ることができないことを知らなければならないのです。
美しさを求めること無く、豊かさは有り得ないということを忘れてはなりません。
あなたが生み出すどのような表現も、そこにはより洗練された美しさを提示することが求められるのです。
豊かさを抱く場所には必ず美しさが存在し、豊かさと美しさはいつも共存しています。
豊かさと美しさが離ればなれで存在することはありません。
豊かさは美しさを放ってはおきませんし、美しさも豊かさを拒絶したりはしません。
豊かさと美しさは必ず、共に在るのです。
見た目の美しさは重要です。
見た目の美しさは世界を、そして人の心を刺激します。
それを豊かさが放ってはおかないでしょう。
見た目の美しさがあれば、豊かさを得ることができるのです。
あなたは見た目の美しさを追求しなければなりません。
自らの容姿は勿論のこと、服装、所作、言葉、仕事・・・
見える(外界に触れる)部分を美しく保つことが、豊かさを導くためには必要なことなのです。
しかしながら、それだけでは十分ではありません。
見た目だけの美しさであっては、何かを切っ掛けとして鍍金(めっき)のようにいつかは剥がれ落ちてしまうからです。
表面だけを美しく見せることでもある程度の豊かさは得られますが、それがいつまでもは続きません。
見た目だけで得ることのできる豊かさは、ほんの一部のものに過ぎないです。
見た目に加えて中身(内容)にも美しさを追求しておかなければ、本当の豊かさを得ることはできないのです。
あなたは何事においても、見た目と中身の美しさを追求しなければなりません。
何を表現するにしても、世界には美しいものを提示しなければなりません。
世界には美しさが溢れています。
それは、美しさこそが力であり、豊かさを導くものであるということを理解しているからです。
あなたが世界に豊かさを求めるのであれば、美しさを追求することを諦めてはならないのです。
どの世界でも豊かさを得ることができるのは頭一つ飛び出しているものだけです。
多くの中に埋もれてしまうものが得ることのできる豊かさは、残念ながら存在しないのです。
より美しいものが豊かさを得るのです。
あなたは自らを、仕事を、そしてその生き方をでき得る限り美しく洗練させることができるように努めなければなりません。
世界はより美しいものを求めます。
より美しくあれ。

2012年6月29日金曜日

誰もが求めるもの

あなたは心を込めなければなりません。
どのようなものにも、どのようなことに対しても、でき得る限りの心を込めることを忘れてはならないでしょう。
それは、心のこもったものは例外なく素晴らしいものであると言うことができるからです。
心がこもっているものは例外なく輝きを放ちます。
心がこもっている分、輝くのです。
輝きとは魅力です。
それは力なのです。
その輝きは世界に価値を導きます。
心のこもっているものは、その存在自体が魅力と価値を持っているのです。
心とはすべてにおける力です。
すべてのものは意識(心)から生み出されます。
心を込める量によって、そのものが持つ力と価値に違いが出てくるのです。
心が多くこもっているものの方が、大きな力と価値を持つことは言うまでもない事実です。
あなたが何かを受け取る立場である時、心のこもっているものとそうでないもの、どちらに多くの魅力と価値を感じるでしょうか?
あなたはきっと、心のこもっている方が魅力的であると答えることでしょう。
あなたにとって魅力的なのは、より多くの心がこもっているものです。
それは、あなたでなくても同じことです。
あなたから何かを受け取る人物も、より多くの心がこもったものをあなたから受け取りたいと考えているのです。
心のこもっていないものをわざわざ受け取りたいと思う者はいません。
心のこもっていないものを受け取ったとしても、心のこもっているもの以上に喜びを感じる者はいないのです。
誰もがより多くの「心」を求めています。
より多くの「心」を感じたいと思っているのです。
それは、心が力であり、価値あるものであるということを(無意識的にも)知っているからなのです。
ならば、あなたはでき得る限りの心をそこに込めなければなりません。
その言動に対して、生き方や考え方、それに仕事に対してより多くの心を込められるように努めなければなりません。
あなたが心を込めようと努める時、そこには邪(よこしま)な考えが入り込む隙はありません。
心を込める程に、あなたは利益優先な考え方や、自分中心な行動から離れていくことでしょう。
そこには純粋な仕事と成果が導き出されることでしょう。
相手がそこに心がこもっていないことに気が付かないのであれば、それでも利益を得ることはできるかもしれません。
しかしながら、相手がそこに心がこもっていないと気が付いた時、あなたから離れてしまうのは必至なのです。
心のこもらないものに魅力を感じることはありません。
人は誰でもその中に存在している「心」を求めているのです。
心を込めなければなりません。
心を込める程に仕事は丁寧さを増すことでしょう。
そうなれば、その仕事からは大きな価値が生み出されることでしょう。
心のこもる丁寧な仕事には大きな価値が存在します。
丁寧な仕事ができるように、何事に対してもでき得る限りの心を込めるということを習慣化しなければならないでしょう。

2012年6月28日木曜日

善意と偽善

人が人生を豊かに生きるためには、心が建設的な感情で満たされる必要があります。
思いやりや愛情や感謝などの善意が心により多く広がることが心を満たし、結果として状況や人生を豊かなものにするのです。
心に善意が広がりをみせる人は、人生を豊かなものとして捉えることができるでしょう。
しかしながら、心の中に善意が広がりをみせることがない人は、人生を豊かなものとして捉えることが難しく、不満や心配などを抱えて、そこに苦しみを見出してしまうことでしょう。
心が満たされるためには善意が必要です。
どのような人物も、心に思いやりや愛情や感謝などの善意が乏しければ、心が満たされることはないのです。
人の心は皆、善意を豊かさの糧とすることを忘れてはならないでしょう。
あなたが人生を豊かなものにするためには、心により多くの善意が必要です。
あなたが心に善意を導くためには、善意を生み出すことのできる環境や心境を整える必要があります。
善意はその本質が思いやりや愛情や感謝などの建設的な感情によって構成されています。
善意はその中身までもが善意なのです。
しかしながら、多くの人はこの善意と偽善を混同しています。
上辺をどれだけ善意に見せ掛けても、偽善が善意になることはありません。
あなたが善意を演じることで誰かが救われたり、喜ぶことはとても良いことでしょう。
誰かを救い、喜ばせることができるのであれば本望であると考えるかもしれません。
確かに、あなたが善意を装うことで誰かが救われ、喜びを得ることができるというのであれば、それはとても素敵なことでしょう。
しかしながら、偽りの自分を演じることであなたが消耗するのであれば意味がないのです。
あなたが善意を尽くす目的はあなたが消耗することではないのです。
お互いに何らかの利益や豊かさを得ることが目的であるはずなのです。
善意とは、一方的に損をするものではありません。
善意とは、それに触れたすべての者に豊かさを与えるものなのです。
相手が豊かさを得ているにも関わらず、自らが消耗するような方法では善意は善意として長続きすることはないのです。
それが心からの善意であったとしても、自分自身が満たされないのであれば、それはやがて偽善や悪意となってしまう可能性もあるのです。
善意とは無理をして工面するものでは無いということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが無理や自分の心に嘘を吐くこと無く、思いやりや愛情や感謝を自然と与えられることが必要なのです。
無理をして、心に嘘を吐いて善意を装っても、それが互いの利益や豊かさに繋がることはないのです。
あなたは自分の心に嘘を吐く必要はありません。
あなたが与えることができる時に、与えられるものを与えたので構わないのです。
無理矢理に何かを与える必要はないのです。
あなたが何かを与えることを損と考えるのであれば、無理をして与える必要はありません。
与えたくなければ与えなくてもいいのです。
偽善によって生み出される行為が、豊かな状況など築けはしないのです。
状況(世界)は物事の本質より生み出されます。
あなたがいくら善意を装ったところで、導き出される結果は苦しみを伴う状況であるのです。
善意と偽善を混同してはなりません。
心の底から与えられる時に与えるようにすれば良いでしょう。
多くの偽善よりも、一つの善意の方が状況を豊かなものとして築くでしょう。
無理をする必要はありません。

2012年6月27日水曜日

感動体験

人生を生きるのはあなたの心です。
あなたの心(意識)があなたの本質であり、心が生きるということがあなたが人生を生きるということなのです。
心が動くことが重要なのです。
命を所有していたとしても、心が動いていないというのであれば生きているとは言えません。
心が動いていなければ、やがては命を自らの手で放棄してしまうこともあるのです。
心が動き、心に活気が溢れて生き生きとしていなければ、人が人生を生きているとは言えないでしょう。
心が動かなければ、人は人生に意義を見出すことはできません。
何のために人生を生きているのか?
自分にはどのような役割が存在し、人生にはどのような意味があるのか?
心が動かず、活力を失ってしまっている状態では、あなたは人生の意義に気が付くことはできないのです。
目の前の状況の価値にさえ気が付かずにいることになるのです。
心が動き、そこに活力があれば、目の前の状況に価値や意味を見出し、やがては人生の意義も見出すことができるでしょう。
あなたは人生を意義のあるものにしなければなりません。
心に活力もなく、ただ命を保つためだけに人生を使ってはなりません。
あなたは心を動かすように努めなければならないのです。
心が動けば人生は自ずから動き始めます。
あなたの人生が動きを失っていると感じるのであれば、それは人生ではなくてあなたの心が動きを失ってしまっているということを理解しなければならないでしょう。
あなたは心を動かす訓練をしなければならないでしょう。
すべては意識より導き出されます。
あなたの意識、意思、思考、感情・・・
このような意識的なものが存在していなければ、この世界には何も生み出されはしません。
あなたがそこへ行こうと思うから辿り着くのです。
あなたがそれを欲するから選択し、決断するのです。
どのような行動も、どのような状況も、すべては意識より生み出されるのです。
あなたは自らの意識を使って人生を築いているのです。
心を動かさなければ人生は動きません。
心を動かすためには感動しなければなりません。
あなたは心で感じ、心で生きることに努めなければなりません。
心を主体として生きているのであれば、必ず心は動きます。
目の前の状況に心を触れさせなければなりません。
感動はすぐ目の前に存在しています。
それに気が付けるかどうかが重要なのです。
目の前の感動に気が付けないと、心は活力不足になり、動きを失ってしまいます。
感動の体験が多いほど、人生は多く大きく動きます。
そこには豊かさが生み出されることでしょう。
心が動けば人生が動きます。
人生が動いて展開するほどに豊かさをもたらしてくれるでしょう。
心にも人生にも、停滞は苦しみをもたらします。
小さな感動に気が付けるように、日頃から心を動かす訓練をしておかなければなりません。

2012年6月26日火曜日

人生を面白く

あなたは楽しいことを見付けなければなりません。
楽しみを持たなければなりません。
楽しいこと、楽しめることをしなければなりません。
楽しみこそがあなたに喜びをもたらします。
どのようなことも楽しくなければ喜びには繋がらないのです。
苦しみでさえ楽しめれば喜びへと変わるのです。
楽しめること、楽しむことが人生を豊かな場所にするのです。
人によって楽しいことには違いがあります。
あなたが楽しいと思うことと、誰かや一般的な常識が楽しいと思うことは違うかもしれません。
しかしながら、それはそれで良いのです。
あなたが楽しいと思えることがあるのであれば、それを楽しむことができる環境に身を置くことに心掛けましょう。
楽しくないことを続けることほど面白くないことはありません。
不満を以て過ごす時間ほど、非効率的な時間の使い方はありません。
不満の中で過ごす一時間が、喜びの中で過ごす一週間にも匹敵してしまうのです。
不満の中で過ごす時間ほど無駄なものはないのです。
あなたは何をしている時が楽しいですか?
どのように解釈すれば楽しめるでしょう?
どうやれば楽しめるか?
どうやれば面白いか?
物事に対して楽しむことができるということはとても大切なことなのです。
面白くない時間を過ごしてはなりません。
時間を面白くするのも詰まらなくするのも、あなた次第なのです。
あなたがどこで、何を、どのような心持ちでやっているのかによって、その時間がどのようなものになるのか?ということが決まるのです。
時間の質が、あなたにどのような結果をもたらすのかを決めます。
時間が(あなたにとって)良質であるのならば、あなたはそこに楽しみを見出すことができるでしょう。
楽しみは喜びを導き出し、状況や人生に豊かさをもたらします。
時間が(あなたにとって)悪質ならば、あなたはそこに退屈や不満を覚えてしまうでしょう。
退屈や不満が状況や人生に豊かさをもたらすでしょうか?
退屈や不満が状況や人生にもたらすのは、例外なく苦しみであるということを覚えておかなければならないでしょう。
楽しむということはとても重要なことであるということを理解しなければなりません。
同じことをするにも楽しみながらするのと、不満を漏らしながらするのと、あなたならどちらが有意義な時間を過ごすことができますか?
答えは簡単に出るはずです。
楽しい方が有意義なのです。
楽しい時間があっという間に過ぎてしまうのは、その時間があなたにとってとても有意義だったからなのです。
時間が余り、暇を持ち、だらだらと過ぎていくような時間が有意義な訳がありません。
時間の感覚が早いほど、それが有意義な時間であったということを理解しなければならないでしょう。
楽しい時間を過ごせていますか?
何が楽しいか知っていますか?
人生は楽しむために在ります。
決して苦しむためのものではありません。
自分で楽しみを見付けなければ、人生とは面白くはない場所です。
人生とは、生きることとは基本的に苦しいものなのです。
自分で楽しみを見付け出し、人生を面白くしましょう。
いつの時も人生を面白く。
忘れてはなりません。

2012年6月25日月曜日

最善な状況

大丈夫です。
心配する必要はありません。
すべては最善へと向かい進んでいます。
状況は常にベストを尽くし、そこには最悪もなければ、不幸もありません。
そこに存在しているのは最善だけであり、幸福だけであるということを覚えておかなければならないでしょう。
しかしながら、その状況は最善ではないように思えるかもしれません。
最悪な状況であったり、不幸だと感じ、それを信じ込むようなこともあるでしょう。
ある意味、それは仕方のないことかもしれません。
なぜなら、状況が最善を尽くす時、そこには苦しみや、「マイナス」や代償というものが必要となるからです。
何かを得るためには、何かを失う必要があります。
代償を支払うことなく報酬を得るということはできません。
幸福を生み出すためには、不幸に思えることに耐え、それでも進み続けなければならないのです。
状況に最善を導くためには、あなたが思う最悪を選択しなければならないこともあるということなのです。
努力することなく、最善の成果を得るということはできません。
苦しみを知ることがなければ、何が幸福なのかを理解することはできないでしょう。
どのように苦しく「マイナス」で最悪だと思える状況でも、それは最善へと向かい進んでいることを忘れてはなりません。
すべては必要で満たされています。
必要以外が存在する必要はありません。
それがどのような出来事であり、どのような状況であっても、必要が満たされているからこそ、そこに存在することができているのです。
あなたはそれを信じることができないかもしれません。
しかしながら、信じることができなければ、必要な成果を上げることはできないのです。
なぜなら、信じることでしか、あなたが最善を尽くす方法は存在していないからです。
状況が最善であるということを信じることができずに、どれ程の労力と時間、それに熱意を注ぎ込むことができるでしょうか?
それが不幸であり、「マイナス」であり、最悪だと信じている状況に対して、あなたは労力と時間と熱意を注ぎ込むことはできません。
あなたの心は、自らにとって可能性が無いものに対して力を尽くすようにはできていないのです。
状況に可能性を信じることができなければ、そこに労力と時間と熱意を注ぎ込むことはありません。
むしろ、できません。
労力と時間と熱意を注ぎ込むことができなければ、どのような豊かさも必要な成果も得ることはできないのです。
与えることができなければ、受け取ることはできません。
代償を支払う勇気がなければ、報酬を受け取る権利はないのです。
それがでのような状況であっても、あなたの目の前にあるのであれば、それが最善だと知らなければなりません。
あなたの目の前に存在している状況こそが現実なのです。
現実(今)を拒絶して、幸福な未来を築くことなどできないのです。
ベストを尽くせない者が人生の次のステージへと進むことはできないのです。
大丈夫です。
心配する必要はありません。
すべては最善へと向かっています。
それを信じて、自分にできることに努めなければなりません。

2012年6月24日日曜日

利益を脅かすもの

どのような問題も、それを放置してはなりません。
それがどのような問題であったとしても、問題であるという認識のものを放置しているのであれば、それは利益を脅かし、豊かさを崩壊させてしまう原因となることを覚えておかなければなりません。
すべての利益、すべての豊かさは、問題によって滅びます。
問題というものは、総じて利益と豊かさを「殺す」力を持っているのです。
それがどのような問題であろうと、利益と豊かさを滅ぼすことには違いありません。
あなたは問題の恐ろしさを知らなければならないでしょう。
問題に小さいも大きいも、良否(りょうひ)もありません。
問題は問題に変わりないのです。
乳児も成人も人間には変わりありません。
遅かれ早かれ力を持つことには変わりないのです。
それがどのような問題であるにしても、あなたは決して侮ってはなりません。
問題は問題であり、厳粛(げんしゅく)に対応しなければならないのです。
小さな問題を放置する者は、その問題が原因となって利益と豊かさを失うことになるということを覚えておかなければならないでしょう。
小さな癌腫(がんしゅ)がやがて命を奪い去ってしまうのです。
その問題が小さなものだという理由で放置しているならば注意が必要です。
多くの人物は問題というものを嫌います。
問題というものに対して拒否反応を示し、それをできる限り見ないようにします。
そこに問題が存在しているという事実を認識していながら、それに対して見て見ぬ振りを決め込むのです。
そして、自分に限って最悪の事態に陥ることはないという根拠のない理由を無理矢理に信じ込み、問題や自分を正当化し、ごまかすのです。
問題はそこに存在しています。
問題に蓋をしたところで、その問題が解決するということは有り得ないのです。
むしろ、悪化するということを理解しなければなりません。
あなたがいくら問題や自分を正当化したところで、何の解決にもならないということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたは、そこに存在している問題をできるだけ素早く解決に導かなければなりません。
問題というのは、問題に成り得る原因を抱えています。
原因(問題)を解決しない限りは当然のことながら、その問題は成長を続けます。
成長した問題は手に負えなくなるということを理解しなければなりません。
負債の額が大きくなる程に、返済することが難しくなるのと同じです。
問題が大きくなる程、大きな利益や豊かさが損なわれてしまいます。
利益と豊かさには、問題に対抗する力はありません。
どのような利益も豊かさも、問題の前では無力であるということを知らなければならないでしょう。
それが問題であるという認識が生まれたのであれば、できる限り素早くそれを解決に導くために対応しなければなりません。
どのような問題も放置してはなりません。
危機感を持たなければならないでしょう。

2012年6月23日土曜日

虚偽の限界

あなたは自らに限界を作ってはなりません。
限界は、あなたが自らの力によって作り出すものであるということを知らなければならないでしょう。
限界とは、初めからそこに存在しているものではありません。
あなたが物事を諦めた時に自分でそこに用意するものなのです。
限界とは、あなたの「常識」が示す一種の「決め付け」です。
あなたの限界にこれと言った定義はありません。
あなたの常識が限界だと判断した所が限界と成り得るのです。
限界というものが決まっているということはありません。
それを決めているのは他でもないあなた自身であるということを覚えておかなければならないでしょう。
そうでなければ、あなたがやがて自らに限界を感じて諦めを選択する時になって、その原因を誰かや何かの責任にしてしまう可能性があるからです。
残念ながら、あなたの限界はあなたが自ら決めることがなければ限界とは成り得ません。
あなたが諦めることが限界であるからです。
それは、あなたが諦めなければ限界というもの自体が存在しなくなるということが言えるのです。
実際、あなたには何の限界もありません。
現状においての限界というものはあるでしょうが、それは現状であって未来のものではありません。
現状においてできないことが、未来においてできないとは限らないのです。
あなたが自らに限界を作らず、自らの常識に捉われることがなければ、現状の限界を未来のあなたが乗り越えている可能性は十分にあるのです。
あなたは自らを諦めてはならないでしょう。
あなたが自らの可能性を模索する時、この短い人生の時間だけではそれを知り尽くすことはできません。
あなたの可能性をすべて知るには、人生という時間はあまりにも短過ぎるのです。
そのため、あなたがいくら自分自身の可能性を追い求めようとも、そこに限界というものは存在してはいないのです。
限界というものは自分自身がその可能性を諦めた時に生み出されます。
それは、虚偽の限界なのです。
あなたは自らの見識の浅さによって騙されてはなりません。
あなたが定める限界というものは、自らの可能性を潰していくということを覚えておかなければならないでしょう。
豊かさを得るためには、周りよりも、ライバルよりも秀でる必要があります。
周りと同じ、ライバルと同じであるのであれば、あなたは必要な利益を得るということはできないでしょう。
必要な利益を得るためには、抜きん出なければなりません。
同じであると、利益を得ることが難しいのです。
自らに限界を作り、決め付けの常識の中に生きている者は周りから抜きん出ることはできません。
自分の可能性を諦めた者が輝ける場所は存在しないのです。
あなたは自らの個性、魅力、能力、才能を輝かせなければならないのです。
そして、何かや誰かに貢献しなければなりません。
あなたには秀でる力が存在しています。
それを探すこと、そして輝かせることを諦めてはなりません。
限界を作ってしまえばそこで終わりです。
人生には上手くいかないこともたくさんあるでしょうが、諦めなければ先へと進めることもあります。
諦めによって築く虚偽の限界ではなく、やれるところまでやって到達する限界を見ましょう。
その先には新たな可能性が存在しているはずです。

2012年6月22日金曜日

得意を生かす

人生における時間というものには限りが存在しています。
あなたの命が永遠では無いように、すべての時間には区切りがあり、限りが存在しているのです。
あなたには時間の「限り」を食い止めることはできません。
限りは容赦なく訪れ、既にその時間が限界に到達してしまったことをあなたに知らせます。
時が限界に達するとき、あなたはそれを受け入れなければなりません。
あなたには時の限界を否定する力はないのです。
「潮時」という言葉があります。
それは機会です。
限界というものは、その時間における最高の潮時なのです。
限界はあなたに終わりを伝えるでしょう。
その時になってそれに抵抗したところで何の利益にも繋がりません。
限界が来てしまったのであれば、終わりなのです。
時間には例外無く限りというもが存在し、終わりによって状況を分け隔てます。
あなたは限られた時間の中に必要な成果を上げなければなりません。
限られた時間の中に必要な成果を上げるということは、決して簡単なことではありません。
時間と自分自身の管理が行き届いていなければ、それを実現させることはできないからです。
どのような時間と自分自身の使い方をするのかによって、どのような成果を上げることができるのかということが変わってきます。
時間というものは、目標などの目的意識を持っている者には短いものです。
逆に、目的意識を持たない者には同じ時間でも長く感じられるでしょう。
必要な成果を上げることを目的としたあなたにとって、時間はとても短いものです。
目的意識を持ったあなたが使うことのできる時間というものは、とても少ないということを理解しておかなければならないでしょう。
時間が少ないということを理解していなければ、効率を考えることも無く、限りがあなたの肩を叩くということにもなり兼ねません。
あなたは、自らが使える時間はとても少ないということを念頭に置いておかなければならないのです。
少ない時間の中で必要もしくは必要以上の成果を上げるためには、自らの持つ時間と労力を何に対して費やすのか?ということが求められます。
時間と労力の無駄を省き、能率を上げることこそが、必要もしくは必要以上の成果を上げるためには必要なことなのです。
あなたには一長一短があります。
完璧な人間など存在してはいません。
美点もあれば欠点もある、それが人間というものです。
当然のことながら、あなたには得意な分野と不得意な分野が存在しています。
時間と労力を最大限に生かし、限られた時間の中に必要な成果を上げるためには、自らの強みを生かさなければなりません。
不得意なことに時間と労力を費やしたところで、能率など上がりようもありません。
あなたが時間と労力を費やさなければならないのは、自らの強みである得意分野に対してなのです。
あなたはより得意な分野に対して時間と労力を費やすように心掛けましょう。
不得意なことを伸ばすことは大切なことではありますが、時間に限りが存在している以上、そこに費やすことのできる時間と労力には限界があるのです。
それよりは、不得意なことを無視して多少の損失を生み出すにしても、得意なことを最大限に伸ばすことでより多くの利益を生み出す方が懸命なのです。
成果とは、利益と損失の差額です。
損失を気にするあまり、利益を疎かにするのであれば、必要な成果を上げることはできません。
あなたは自らが得意なことに対して時間と労力を費やすように心掛けましょう。
不得意なことはそれが得意な者に任せておけば良いのです。
限られた時間の中に必要もしくは必要以上の成果を上げたいと考えているのであれば、自らの美点を生かすことのできる判断をしなければならないでしょう。

2012年6月21日木曜日

害となるもの

人生を築くためには意思決定が必要です。
何を選択するのか?
その決定によって状況は変化します。
あなたの意思決定に従って、状況は自在に変化を遂げるのです。
状況を築くのはあなたの意思決定であるということを忘れてはならないでしょう。
あなたの意思決定というものは、経験を基本とした選択肢の中から導き出されます。
あなたの意思決定は経験に由来するのです。
意思とは経験の産物であるということを忘れてはならないでしょう。
経験の量に意思決定の質は比例します。
経験が豊富な程にその意思決定は洗練されます。
豊富な経験によって導き出された意思決定ほど、状況を豊かな方向へと導く力を持っています。
乏しい経験によって導き出された意思決定ほど、状況に対して豊かな方向性を示す力には欠けてしまいます。
あなたがより豊かな状況を築くためには、より洗練された意思決定が必要となるのです。
豊かな状況を手にするためには、より豊富な経験によって導き出される意思決定が必要なのです。
豊富な経験によって裏打ちされた意思決定でなければ、状況を豊かなものとして築くことは難しいのです。
あなたはより多くの経験を積む必要があります。
あなたが求める豊かさを導き出すに必要な経験が必要なのです。
あなたが求める豊かさとはどのようなものでしょうか?
その道で成果を上げたいと考えているのであれば、その道における経験というものが必要です。
経験も無く成果を上げることはできません。
それがどのような小さな経験であれ、積み上げれば大きな経験です。
あなたがその道に豊かさを求めるのであれば、その道に何度も出向き、その道をより深く理解することを心掛けなければならないでしょう。
経験こそが法則をもたらします。
それはその道で成果を上げるために必要な規則です。
どのような道にも成果を上げるための法則が存在しています。
それを理解しているのとしていないのでは、大きな違いが出てくるのです。
法則は経験から学ばなければなりません。
誰かから伝え聞いただけでは理解することはできません。
自らが経験することでしか、成果を上げるための法則を理解することはできないのです。
実際に経験した者にしか辿り着けない領域が存在します。
実際に携わっていない者には理解することができないことがあるのです。
その穴を埋めるのは経験則から導き出される意思決定に他ならないのです。
経験こそが正義です。
知識だけでは埋められない穴というものがそこには存在しているのです。
何事も経験することを心掛けましょう。
より多くの経験を元に、より洗練された意思決定を導き出しましょう。
経験値がものを言います。
経験不足は害です。
経験不足に陥らないために、より多くの経験を求めましょう。
でき得る限り洗練された意思決定によって、自らの状況を築きましょう。

2012年6月20日水曜日

豊かさの種

人生とは現実の中に存在しています。
人生とはそのすべてが現実です。
あなたが人生を豊かなものにするためには人生という現実に向き合わなければならないのです。
現実に目を背けて直視しようとしない者、目の前の現実から逃げ出そうとする者に人生の豊かさを得ることはできません。
人生とは、あなたのすぐ目の前に存在している現実です。
目の前に存在している現実に向き合うことをしなければ、人生というものは豊かには成り得ないのです。
どのような豊かさも、現実と向き合うことから生まれてくるものです。
現実の中から引き出す以外に、豊かさはどこからも調達することはできないのです。
人生における豊かさというものが、突拍子もない場所から湧き出てくるということはありません。
奇跡というものがあなたに豊かさをもたらしてくれるということもありません。
人生においては、原因と結果以外には存在しません。
すべての豊かさは、その原因となるものがそこに存在していなければ導き出されるということはないのです。
原因とは現実の中に存在している「豊かさの種」です。
現実的に豊かさを生み出す原因が存在していないのであれば、結果としてそこに豊かさが導き出されるということはないのです。
現実は無情です。
結果というものは、それに関する原因を持たない者にはどのような手も差し伸べることはありません。
原因を持たない者には結果は得られないのです。
あなたが人生を豊かにするためには、「豊かさの種」を所有しなければなりません。
人それぞれに豊かさの基準は違います。
それを豊かさだと捉える者もいれば、それを豊かさだとは捉えない者もいます。
あなたは、自らの豊かさに則した原因を所有するように努めれば良いでしょう。
しかしながら、それがどのような豊かさであったとしても、目の前の現実から逃れた先にそれは存在してはいません。
どのような豊かさも現実の中にこそ存在しているのです。
目の前の現実と向き合うことは容易なことではありません。
それは誰にとっても、目の前の現実というものが苦しいものだからです。
それは自らの現状と向き合わなければならなくなるからです。
現状は誰にも問題を投げ掛けています。
現実に目を向けるということは、解決しなければならない課題と向き合うということになるのです。
現状のすべてが満たされているということはありません。
どこかには不足が存在しているのが人の心というものです。
現実には常に苦しみが存在しています。
しかしながら、それと向き合うことでしか「豊かさの種」を所有することはできません。
現実的にどのような問題を抱えていようとも、あなたはそれに目を背けてはなりません。
でき得る限りそれに向き合わなければならないのです。
そうすることで「豊かさの種」はもたらされます。
人生を築くのはあなたの仕事です。
人生に豊かさを得るためには、目の前の現実に「豊かさの種」を蒔き、豊かさの実りという結果を収穫しなければなりません。
どのような原因を蒔くのかはあなた次第です。
目の前の現実と向き合い、その中に存在している「豊かさの種」を探しましょう。

2012年6月19日火曜日

宝物

忠告を無視するような人間になってはなりません。
あなたは人から忠告を受けることになるでしょう。
忠告とは、あなたの欠点や失敗の可能性を相手が客観的に指摘するものです。
あなたの欠点や失敗の可能性に対する指摘というものに対して、あなたはそれを不愉快だと感じてしまうでしょう。
できることならば、忠告を受けずに済ませたいと思うのが人間の心理というものです。
それは、できる限り有利な立場に立ちたい。
同じく、不利な立場には立ちたくない。
自らの未熟さや至らなさなどの弱さを突かれたくはない。
そのような保身の心こそが、人を忠告から遠ざけているのです。
誰しも、自分の弱さを指摘して欲しいとは思いません。
そこには触れずにいて欲しいと、できる限り穏便に処置して欲しいという思惑が存在しているのです。
しかしながら、この人生というものの意味を考えた時に、忠告を遠ざけ、拒絶するという方法が正しいのか?と言えば決してそうではないでしょう。
忠告に対してどのような方法で対応するのかはあなたの自由です。
それをとやかく言う権利を持つ者はいません。
裏を返せば、責任は自分自身にしか負えないということなのです。
忠告にどのような方法で対応するのも、あなた次第であり、そこからどのような結果を受け取ることになろうとも、それもあなた次第であるということなのです。
残念ながら、あなたの人生の責任はあなたにしか負えません。
それがどのような結果であれ、最終的にはそれに対応したあなたの責任に他ならないのです。
人生の意味は「成長」にあります。
それは人生の意義でもあります。
人生に求められるのはいつの時でも「成長」であるということを覚えておかなければなりません。
その事実を忘れてしまった時、あなたは人生の豊かさを得ることができなくなってしまうことを約束しましょう。
人はいつの時でも成長することを求められているのです。
忠告の意味は、相手の欠点や失敗の可能性を客観的に指摘するということです。
あなたに対する忠告は、あなたの欠点や失敗の可能性に注意するようにと諭す教えであるのです。
自らに対する教えを聞けない者が成長することができると思いますか?
人の話を聞けない者が成長することはできないでしょう。
それがどのように耳に痛い忠告であったとしても、あなたはそれを拒絶してはなりません。
忠告とは宝物であるということを理解しなければなりません。
他人からの忠告ほど、自らの成長に適した道はないと心掛けなければなりません。
人からの忠告を粗末に扱ってはなりません。
それはあなたが最も大切にすべきものだからです。
成長が停滞していると感じたのであれば、目の前の忠告に従って進んでみましょう。
その道は険しく厳しいものに違いありませんが、その道こそがあなたにとっては最善なものであるということを「後に」理解することができるでしょう。
成長は苦しみの中にしか存在していません。
楽な道ばかりを進む者は成長することはできないでしょう。
自分が正しいと思い込んでいるあなたには、人からの忠告を受け入れるということは簡単なことではありません。
しかしながら、そのような頑(かたくな)な頭と心では、どのような経過をたどっても先の成長など見込めないのです。
忠告を無視するような人間になってはなりません。
人からの忠告を受け入れ、それを今後に活用していけるように努めなければなりません。

2012年6月18日月曜日

大事なこと


人生を豊かなものにするために必要なことがあります。
それは「夢」を持つということです。
人生を豊かなものにするために必要なことが「夢」を持つということだと言うと、それを綺麗事だと批判する人がいるでしょう。
「夢」が人生を豊かにするということを批判する人はそれでも構いません。
人にはそれぞれの価値観があり、それぞれの信じるものがあるからです。
しかしながら、「夢」が持つ力がどのようなものであるのかを自分自身で確かめることもしないのに、誰かの意見を鵜呑みにして信じ込んでしまい、「夢」を持つことのできない人間になってはなりません。
「夢」を批判する人は豊かさを殺します。
「夢」の存在しない場所には残念ながら豊かさは存在することはできないのです。
あなたは今までに「夢」を批判する者、人の「夢」を笑う者が豊かであると感じたことがありましたか?
「夢」を批判し、笑う者になりたいと思ったことがあるでしょうか?
あなたはきっとこう思ったはずです。

「夢を叶えるような人間になりたい」

と。
誰にとっても「夢」は理想です。
誰もが「夢」を掴み、実現させたいと思っているのです。
「夢」を批判する者は「夢」に敗れた者や、それを諦めてしまった者たちでしょう。
諦めを選択する者にはどのような豊かさも訪れることはありません。
豊かさを手にすることができるのは、何があろうとも諦めなかった者だけなのです。
誰しも必ず「夢(理想)」を持っています。
しかしながら、様々な経験を重ねる中でその気持ちを忘れてしまうのです。
あなたにも実現させたい「夢」があるはずです。
もしくは、それがあったはずです。
あなたはどのようなことがあろうとも、「夢」を批判するような人間になってはなりません。
「夢」こそが人に豊かさを見せる唯一のものなのです。
どれだけのお金を持ったところで、それだけでは人の心は満たされません。
お金などはただの手段であり、ただの物に他ならないからです。
ある日突然、億万長者になったからといってあなたは幸福でしょうか?
確かに、しばらくは幸せを感じることができるかもしれません。
しかしながら、お金だけがそこにあったとしてもその喜びはやがて消え去ってしまうのです。
最終的にあなたの心を満たし、人生に豊かさをもたらすのは「夢」という綺麗事でしかないのです。
資本が基盤である現代社会においては、お金が無ければ幸福にはなれません。
しかしながら、お金だけあっても決して幸せにはなれないのです。
「夢」を持つこと、「夢」を持てることこそが幸福であるのです。
あなたは「夢」によって人生の道を描かなければなりません。
そして、それによって人生の道を築かなければなりません。
「夢」を持たない者は決して幸福にはなれません。
綺麗事を信じることができない者に幸福が訪れることはないのです。
「夢」を持つことの大切さを理解し、それを実現させるために懸命に生きなければなりません。
「夢」を持つことを恐れ、何の希望もなく日々を生きてはなりません。
その日をただ消化するような時間の使い方をしてはなりません。
人間、何を残せたか?
何を残したか?
ということが大事なのです。

2012年6月17日日曜日

次の手

始まりがあれば終わりがあります。
始まりと終わりは一対の存在です。
それらは決して別々のものではありません。
すべての始まりはすべての終わりへと向かって進んでいるのです。
始まりが永遠であるということはありません。
終わりが永遠であるということもありません。
始まりは終わりへと向かって進み、終わりは始まりへと向かって進むのです。
その繰り返しが世界を築いているのです。
あなたはすべての始まりが終わりに向かっているということを理解しなければなりません。
そして、すべての終わりが始まりへと向かっているということも理解しておかなければならないのです。
今現在あなたが所有している世界はいつか必ず終わりを迎えることになります。
変化を豊かさだと位置付けるこの世界において、永遠などは存在してはいないのです。
永遠というものがあるとするなら、それは変化に置き去りにされた貧しさであるということができるでしょう。
豊かさとは変化の中にこそ存在しているのです。
始まりが終わりを迎えるということは豊かさであるのです。
世界は豊かさを求めています。
もちろん、あなたも豊かさを求めていることでしょう。
豊かさを求めるのであれば、変化を否定することはできません。
変化を受け入れなければならないのです。
すべての始まりは終わりへと向かって進みます。
すべての終わりは始まりへと向かって進みます。
豊かさを求めるには必要なことなのです。
それを否定することなどできないのです。
あなたは終わりを受け入れなければなりません。
始まりを受け入れなければなりません。
変化を受け入れることができなければ、豊かさを手にすることはできません。
永遠を望む者は貧しさや苦しみの中に止まらなければならないということを覚えておかなければなりません。
すべての変化は必要なことなのです。
しかしながら、変化に対してただそれを受け入れることをしているだけでは豊かさを手にすることはできません。
あなたはその変化に対応し、乗りこなさなければならないのです。
変化に対して何の対策もしなければ、それに流されてしまうだけで豊かさを得ることはできません。
変化の流れを利用し、必要な場所へと自らの力で辿り着かなければならないのです。
人生において必要なことは、「次の手をどう打つか?」ということなのです。
次の手とは、これからどう生きるか?この状況をどのように乗り切るのか?この変化を豊かさへと繋げるためにはどうするべきか?など、どのような道筋を築くのか?ということなのです。
変化に対応するためには、「次の手」を考えなければなりません。
現状にしがみついているだけでは、いつかは迎える終わりに対して対応することはできないのです。
残念ながら、必ず終わりはやって来ます。
それは避けられないことです。
終わりを始まりに繋げることができるように、次の手を打つことに気を抜いてはなりません。
次々に目標を持ちましょう。

2012年6月16日土曜日

夢中を行く

あなたは夢中になれるものを探さなければなりません。
夢中になれること。
夢中になれる時間。
夢中になれる人。
それが何であれ、夢中になれるものに巡り会うということはとても素晴らしいことなのです。
あなたが夢中になれることは、あなたに喜びをもたらしてくれます。
夢中になれるということは、そこに情熱が注ぎ込まれ、時間や力も注ぎ込まれます。
情熱と時間と力が注ぎ込まれて築かれたものが素晴らしくない訳がありません。
あなたが夢中になって取り組んだものは、ただそれだけで価値があり、ただそれだけでとても素晴らしいものなのです。
あなたが情熱と時間と力を注ぎ込んで築いたものが誰かに評価されるとは限りません。
誰かに評価されることは大切ではありますが、それを目的としてはなりません。
物事の目的は、それに夢中になることであり、そこから喜びを得ることなのです。
人からの評価は二の次です。
大切なのはあなたがそれを楽しむことができたか?
ということなのです。
どのようなものでも、あなたが夢中になって楽しみ、そこに喜びを得ることができているのであれば、必ず誰かに評価される時が来るのです。
それをやっている本人が楽しんでもいない、夢中になることもできないものに、他の誰かが評価することはないでしょう。
本人が夢中になり、楽しそうだから他の人がそれに興味を示すのです。
見るからに本人が楽しんでいないものを、どうやって他人が楽しめるというのでしょうか?
本人が楽しんでいなければ、それが楽しいものだという印象は決して与えられないのです。
あなたが豊かさを得るためには、多くの人からの支えが必要です。
多くの人からの支えを得るためには、より多くの人に魅力を理解してもらわなければなりません。
それは、魅力的でないものが評価され、支持されることは有り得ないからです。
大切なのはそれに対してあなた本人が夢中になれるかどうか?
ということなのです。
すべての情熱は人に伝わります。
あなたの熱意を人は感じ取っているのです。
それがあなた本人からでも、あなたが残した仕事からでもです。
人は常にあなたの熱意と仕事を見ています。
人を欺(あざむ)くことはできないということを理解しておかなければなりません。
情熱が注ぎ込まれていない、時間も掛けていない、力がこもっていない・・・
そのようなやる気の無い人物と仕事が評価されることはありません。
あなたは夢中になれることを探しましょう。
あなたの夢中が世界を豊かなものとします。
夢中になれることが無いというのであれば、人生が本当の意味で豊かさを得ることはないということを覚えておかなければならないでしょう。
夢中、それは夢を追っている時間です。
夢を追うことこそが、人に至福の時を与えるのです。

2012年6月15日金曜日

才能が生きる道

あなたは、自分自身を最大限に生かすことのできる選択をしなければなりません。
自分自身という存在が最も輝けるであろう選択を求めなければならないのです。
あなたに求められるのは、あなたの持つ魅力を十二分に発揮し、その才能を世の中に貢献させることです。
あなたが存在しているのは、自分にしかできない仕事を全うするためなのです。
全体の中の貴重な一つの歯車であるあなたは、その能力を遺憾無く発揮して全体を支える核とならなければならないのです。
あなたには与えれられた使命というものがあります。
使命というと誇大(こだい)に聞こえるかもしれませんが、誰もが生まれた意味を、そして、今ここに存在する意味を持っているのです。
その意味を追求し、世の中の役に立つことはあなたの使命ということができるのです。
あなたが自分自身を最大限に生かすことのできる状況や環境を築くことこそが、あなたに課せられた使命なのです。
あなたは自分の魅力を知っていますか?
自分の才能を理解しているでしょうか?
どのような環境で、どのような状況を得ることができれば輝くことができるでしょうか?
それらを理解することがあなたの才能を世界に貢献させることに繋がります。
そして、それは良い仕事へと繋がっています。
あなたは良い仕事をしなければなりません。
良い仕事とは、あなたの能力を生かして世の中に、そして誰かに貢献することのできる仕事のことです。
あなた以外の誰かにでもできる仕事というのは、あなたにとってあまり重要ではありません。
あなたにとって重要なのは、あなたにしかできない仕事なのです。
あなたは自分自身を最大限に生かすことのできる環境の中で、より良い仕事をしなければなりません。
そして、今抱えている仕事を自分自身にしかできない素晴らしいものとしなければならないのです。
自分自身を最大限に生かす選択をしようとしない者は、良い仕事に辿り着くことはできません。
そのような意思を持たない者は、自分の能力を最大限に生かすことのできる仕事を見付けることもできなければ、それを生み出すこともできないのです。
大切なのは、自分自身を最大限に生かすことのできる選択は何であるか?
そして、それは目の前の選択肢の中のどれであるのか?
ということなのです。
自分自身を最大限に生かすことのできる選択を意識的に選ぶということは、自らをより高みへと導くということです。
あなたにしかできない仕事は、常にあなたより高みに存在しています。
自分自身を最大限に生かすことのできる選択をしようとしない者には、それを掴むことはできません。
あなたが生きる世界において重要なのは、その能力をどれだけ発揮することができるのか?ということなのです。
自らの能力を十分に発揮することができなければ、そこには不満が生まれてしまいます。
それは能力を発揮することが幸福の原因となり得るからです。
能力を発揮することのできる場所こそが、あなたの生き甲斐となることはあなた自身が一番理解していることでしょう?
能力を発揮することができれば単純に楽しいのです。
自分らしく生きることこそが最大の幸福なのです。
自分らしく生きられない、能力を発揮することができない、我慢を強いられている・・・
このような状態で幸福を得ることなどできないのです。
あなたが幸福を得るためには自分自身を最大限に生かすことのできる選択をしなければなりません。
どのような選択が自らを生かすのか?
自らを成長へと繋げるのかを考えなければならないでしょう。

2012年6月14日木曜日

相手の利益

あなたの人生を幸福なものにするのはあなた独りの仕事ではありません。
あなたは幸福を導くために十分な準備をしなければなりませんが、そもそもあなたが自分独りの力で人生に幸福を導くことはできないのです。
あなたの人生に幸福を導くのは、あなたの努力に加えて、周囲の人々の支えというものが必要なのです。
自らの努力がなければ幸福を手にすることはできないことは前提ですが、周囲の人々の支えや協力無くして幸福を築くことはできません。
幸福を得るためには、自分自身の努力と周囲の人々からの協力がなければならないことを決して忘れてはならないでしょう。
人生の幸福は、周囲の人々の協力無くしては成り立ちません。
どのような幸福もあなた独りの力によっては決して実現しないのです。
そこには必ず、自分以外の誰かの協力が必要なのです。
あなたが幸福を得るためには、自分以外の誰かの協力が必要不可欠です。
あなたは協力者を得なければなりません。
協力者を得るためには、協力者になってもらう者には協力的になってもらわなければなりません。
相手が協力的でなければ、協力してもらうことなど不可能なのです。
相手に協力してもらうためには、相手に対して心地の好い状況を提示する必要があります。
相手が協力しても良い、協力したい、と思ってもらわなければならないのです。
力によって強制的にやらせたところで、決して協力的にはなってくれません。
そのような関係はいつか破綻し、争いの原因にもなりかねません。
相手が自発的に協力してくれる関係を築こうと努めなければならないのです。
相手に自発的に協力してもらうためには、その関係の中に相手にとって何らかの利益が存在しなければなりません。
それが、どのような形の利益であれ、自らにとって有益であると判断することができなければ、どのような人物も協力的にはならないのです。
協力とは、同じ目的意識を持つ者同士の間に生まれる利益を追求する絆です。
そこに何らかの利益があると確信することができるからこそ、人は協力するのです。
自らにとって何の利益も無いと確信することに対して協力する者はいません。
協力という関係性の中には、必ず何らかの利益が存在しているということを忘れてはならないでしょう。
大切なのは自らの利益ではありません。
自らの利益を追求する利己的な人間に誰が賛同するでしょうか?
大切なのは相手の利益なのです。
自分のことをより強く思ってくれる人に程、あなたは賛同し、協力したくなるでしょう。
自分に何らかの利益を分け与えてくれる人でなければ、あなたは協力したいとは思わないでしょう。
自らの利益のためだけに人と付き合うのはやめなさい。
相手のために、相手と付き合いなさい。
幸福は独りでは決して築くことはできません。
あなたがどれだけの利益を生み出し、どれだけの力を持っていようとも、独りであっては幸福を支えることはできないのです。
幸福とはとても儚(はかな)いものです。
独りで抱え込もうとしては倒れて壊れてしまいます。
多くの人々の「愛情」によって支えてもらう必要があるのです。
自らの利益のためだけに人と付き合ってはなりません。
相手に利益を与えるために付き合うことを心掛けましょう。
そうすれば、あなたの利益は相手が与えてくれるでしょう。

2012年6月13日水曜日

新たな価値

あなたはそこに新たな価値を求めなければなりません。
新たな価値を生み出すことのできる自分を求めなければなりません。
世界が求めているものは新たな価値です。
それは新鮮さです。
世界は新鮮さや斬新さなどの新たな価値を好み、陳腐(ちんぷ)や堕落などを嫌います。
世界に存在することができるのはその状況や環境に価値を見出し、何らかの形で貢献することのできる「価値あるもの」だけなのです。
状況や環境に価値を見出すことができず、貢献することができないものは存在することはできません。
どのような存在もそこに新たな価値を見出すことができず、更には貢献する要素がなければ、結果的には滅びざるを得ないのです。
その状況や環境に存在するためには、そこに必要性がなければならないのです。
必要性の無いものがそこに存在する必要はありません。
あなたがどのような気持ちを所有していようとも、その状況や環境に新たな価値を見出し、何らかの形によって貢献することができなければ、その場にはいられないのです。
あなたがその状況や環境を大切に思い、そこに存在したいと願うのであれば、そこに新たな価値を生み出し、貢献することを実現させなければならないのです。
新たな価値を生み出すことのできない者、何らかの形によって貢献することができない者は、残念ながらその場には必要ありません。
あなたは大切なものを守るために、自らを高めるということを実現させ続けなければならないのです。
あなたは自分がどのようにすれば成長することができるのかを考えなければなりません。
どのようにすればより理想の自分に近付くことができるのかを考えなければなりません。
しかしながら、考えるだけでは新たな価値を生み出していくことはできません。
どのような方法を用いれば自らを成長させることができるのかを考え、それを実行しなければならないのです。
なぜなら、あなたが自らを成長させようとする行為こそが、場に新たな価値を生み出す切っ掛けになるからです。
新たな価値というものは、あなたが自ら生み出す以外に方法はありません。
あなたが停滞している状態では、そこに新たな価値を生み出すことはできないのです。
それは、価値を見出すことができなければ、価値を生み出すことはできないからです。
すべての価値は、あなたの心(意識)より導き出されます。
あなたの心には視野が存在し、あなたの心の状態によって見通すことのできる範囲に違いが生まれます。
あなたが成長の過程に存在している時、その心は多くのものを見通すことができます。
しかしながら、あなたが停滞、もしくは堕落している時には、何も見通すことができないのです。
成長を求めて努力している者程、新たな価値を生み出すことができます。
成長を求めていなければ、新たな価値を生み出すことはできないのです。
あなたが新たな価値を求めるということは、自らの成長を求めるということに等しいのです。
あなたはどのようにすれば自らがより一層成長し、高みを目指すことができるのかを考え、それをとにかく実行しなければなりません。
豊かさを得られるのはそれを実行した者だけです。
指をくわえて見ているだけの傍観者は部外者なのです。
あなたは新たな価値に参加しなければなりません。
新たな価値を追い求め、それを生み出すことのできる自分を求めなければなりません。
価値を見出そうと努めているのなら、必ず新たな価値を生み出すことができます。
新たな価値を見出そうとすることを諦めた者には、それを生み出すことができないということを覚えておかなければならないでしょう。
成長を諦めてはなりません。
努力を諦めてはなりません。

2012年6月12日火曜日

大きな理想

小さな価値観に捉われてはなりません。
小さな価値観を主観として世界を捉えてはなりません。
より大きな気持ちや視野によって導き出される価値観や見識を元に、次の決断を下さなければならないのです。
人の視野というものはそれが届く範囲、目の前の狭い空間に収まりがちです。
放っておけば、どのような価値観も見識も小さなものになってしまうのです。
すべての価値観、すべての見識は萎縮(いしゅく)します。
それを広げる努力をしなければ、自然と萎縮してしまい、やがては閉ざされてしまうものなのです。
価値観や見識が萎縮してしまうのであれば、あなたは世界に自らの理想を実現させることはできません。
それは、理想とは常にあなたよりも高い場所に存在し、あなたよりも遥か前方に存在しているからです。
自らの理想を実現させることができなければ、あなたはそこに幸福感を得ることはできません。
理想の現実と幸福感は等しいのです。
小さな価値観に捉われるということは、自らの可能性を自らの手によって奪っているということを理解しなければならないでしょう。
すべての理想には手を伸ばさなければ届かないのです。
あなたはすべての価値観、すべての見識をより高みへと導き、より広域へと広げるように努めなければなりません。
それは決して簡単なことではありませんが、それをやる価値は十分にあるのです。
なぜなら、小さな価値観や狭い見識で人は、幸福を得ることはできないからです。
より大きな価値観や、より広い見識を持つことができなければ、簡単には手の届かない場所に存在している理想を手にすることはできないのです。
小さな価値観や狭い見識によって得られるものは、妥協と後悔であるということを覚えておかなければならないでしょう。
もちろん、自らに言い聞かせて自分を騙すことはできるかもしれません。
しかしながら、作られた見た目だけの幸福感で人は幸せにはなれないのです。
作られた見た目だけの幸福感など、いつかは崩れ去ってしまうのです。
理想を実現させることによって得られる本物の幸福感を求め、人生に本物の幸せを実現させなければならないのです。
妥協や諦めによって人生を決断してはなりません。
常に自らの中の本物を目指し、自分自身を、その価値観や見識を高められるように努めなければならないのです。
すべては広がる程に力が増し、バランスも取れるようになります。
一人の人だけを愛する愛情よりも、たくさんの人を愛する愛情の方が強くバランスが取れています。
一人に向けられる愛情は時としてバランスを崩し、憎しみに転ずることがあるでしょう。
それは紛れもない弱さです。
たくさんの人に向けられる愛情は、向けられる人数が多い程に重みと強さを得ることができるでしょう。
それはまさしく強さなのです。
人は小さなことにこだわり、小さな世界に固執する程に弱さを得ることになり、大きなことを目指し、大きな世界に羽ばたこうとする程に強さを得ることになるのです。
理想よりも小さな価値観や見識の者が、それよりも大きな理想を実現させられる訳がありません。
あなたが理想を実現させたいと考えているのであれば、理想よりも大きな価値観と見識を育てなければなりません。
小さなことにこだわってはなりません。
小さな世界に固執してはなりません。
より大きな向上心と共に高みを目指し、より大きな人間にならなければなりません。
夢も理想も大きい程良いでしょう。
そこにぶつける価値観や見識はそれよりも大きくなければなりません。

2012年6月11日月曜日

人生を築く者

あなたは、目の前の人を助けなければなりません。
目の前の命を支えなければなりません。
あなたの人生は紛れもなくあなた自身のものです。
それは他の何者にも揺るがすことのできない事実です。
あなたは自らの人生のために生きれば良いでしょう。
あなたは自らの人生のために生きなければなりません。
自らの人生のために生きることができなければ、あなたが人生を所有している必要性はなくなってしまうのです。
あなたが所有している人生は、あなたのためにこそ存在しているのです。
あなたは自らの人生のために生きることを躊躇(ちゅうちょ)してはならないのです。
しかしながら、あなたは自分のために生きてはなりません。
自分の人生のために生きることは良いですが、自分のために生きてはならないのです。
あなたにはこれが矛盾しているように聞こえるかもしれません。
自分の人生のためと自分のため、これのどこが違うのか?と思うかもしれません。
しかしながら、この二つには大きな違いが存在しているということを忘れてはならないのです。
自分のために生きるということは、持てる力を自分のために使うということに他なりません。
それは利己的な生き方です。
自分の人生のために生きるということは、持てる力を自分以外のために使うということに他なりません。
それは利他的な生き方です。
あなたの幸福を決めるのはあなたの人生の「クオリティー」です。
どのような人生を歩めたか?
どのような人生を築けたか?
それらによって、幸福度に違いが出てくるのです。
あなたの人生を築くのはあなたの仕事ではありません。
あなたがいくら努力したとしても、自分独りでは人生を築くことはできないのです。
あなたの人生を築くのは、あなた以外のすべての存在(人)の力であるのです。
あなたは人生の材料(原因)を生産し、手渡すことはできても、それを組み立てることはできないのです。
組み立てるのはあなた以外の存在の仕事なのです。
あなたが人生を豊かなものにするためには、自分以外の存在たちからの力添えが必要なのです。
あなたの人生はあなた以外の存在が築くのです。
あなたはその力を自分以外の存在のために使うように努めなければなりません。
自分以外の存在を助けるために使わなければなりません。
誰かに支えてもらわなければ、あなたの人生などすぐに崩壊してしまうのです。
支えられてこその人生なのです。
自分のために生きる者を誰が支えようと思うでしょうか?
自分を支えてくれる人を支えたいと思うのが人情というものなのです。
あなたの人生はあなたのものですが、あなたのその力はあなたのものではありません。
人は自分以外の存在を支えるために生きているのです。
そのことを重々理解しておかなければなりません。
目の前の人を助けなければなりません。
目の前の命を支えなければなりません。
なぜなら、あなたは既に目の前の人に助けられ、目の前の命に支えられているからです。
あなたの人生を築くのは自分ではなく、それ以外の存在であるということを覚えておかなければなりません。

2012年6月10日日曜日

偽物の人生

人生を豊かなものにするために必要なことは、立ち止まらずに進み続けることです。
人生には辛いことや苦しいことがいくらでも存在しています。
それはあなたの歩みを妨げ、進む道を閉ざしてしまうでしょう。
うまくいくことばかりが人生ではありません。
うまくいかないことこそが人生なのです。
人生とは苦しみとの対話であるということを覚えておかなければならないでしょう。
あなたが人生を気楽な場所だと感じ、そのように考えているのであれば、人生の本質が見えていないか、誰かに守られて自分自身の足で人生を歩んでいないか、既に人生を諦めているかのどれかでしょう。
自らの足で立ち、自分の力で生きていくということは、本来とても苦しいことなのです。
決して気楽だとは思えないのです。
人生が苦しい場所であるということを理解することができなければ、実際に自らの足で立ち、自分の力で生きてみなければならないでしょう。
自らの足で立ち、自分の力で生きようとしない者にこの話をしても無駄でしょう。
あなたはまず、自立しようと心掛けなければなりません。
自分の責任は自分で負う。
当たり前のことです。
できないこと、無理なことをしろということではありません。
最低限の責任は負わなければならないのです。
人生に自らの足で立とうとしない者には分かりません。
人生を自分の力で生きていこうとしない者には分かりません。
人生の意義とは、それを自分自身の力によって切り開いていこうとする者にしか理解することはできないのです。
あなたは苦しいと感じる時、どのようにしていますか?
どのようなことがあろうと先に進もうと努めていますか?
苦しみから逃げ出さずに立ち向かい、可能な限りそれを乗り越えようとしているでしょうか?
人生には苦しみが付き物です。
どこで何をしていようとも苦しみは付いて回ります。
苦しみの存在しない人生は偽物です。
本物は皆、苦しみを抱いているのです。
あなたはそのことを忘れてはなりません。
それが本物である程、道のりは険しいものです。
それが本物の師匠である程、厳しいものです。
それが本物の愛情である程、あなたを甘やかしはしないのです。
苦しいからといって立ち止まっていたり、進むことを諦めているようでは、あなたは本物の価値に巡り会うことはできないのです。
本物は皆、苦しみの先にこそ存在しているのです。
苦しい時も進み続けなければなりません。
苦しくても進み続けようとするなら、そこにはあなたを支える力が働き初めます。
それは、状況(展開)や人など、必要に応じた支えが必ず現れます。
何かに守られ、自らの足で立とうとしない者の前には現れません。
必要な支えは、守り(安心、安全)を手放した者だけに訪れるものなのです。
あなたはどのような状況に在ろうとも、自分自身の力で生きていこうと努めなければなりません。
自ら立つということを決して忘れてはならないでしょう。

2012年6月9日土曜日

時間効率

時間はすべての人に平等です。
時間が人を区別することはありません。
すべての人、すべての存在は時間の前に平等なのです。
寿命の長さを気にするかもしれませんが、誰にでも一日は同じ長さです。
一日の時間を気にしない者が一生の時間の長さを気にした所で何の意味もありません。
一日の時間が持つ価値を知らない者には、一生の価値を理解することなどできないのです。
時間は誰にでも平等です。
そのことを忘れてはならないでしょう。
一日の時間には限りがあります。
もちろん、一生という時間にも限りは存在しています。
あなたは限られた時間の中に生きているのです。
しかしながら、その限られた時間の中で必要な成果を上げなければなりません。
限られた時間の中で必要な成果を上げることができないのであれば、あなたは自らの理想、目標、目的には辿り着くことはできないのです。
残念ながら、時間には余裕がありません。
どのような時間も期限付きでそこに存在しているからです。
その決められた期限内に成果を上げることができなければ、時間はあなたの努力を破棄してしまいます。
人生とはあなたの甘えを許し、遅延を待ってはくれないのです。
時間はあなたの事情など決して汲んではくれないのです。
成果を上げるか、上げないか?時間はあなたの実績以外に興味は無いのです。
あなたが時間を味方につけ、状況に豊かさを導くためには、限られた時間の中により多くの成果を上げなければならないのです。
限られた時間の中でより多くの成果を上げるためには、仕事の順序(段取り)に気を配らなければなりません。
何から処理することが時間の短縮になるのかを知らなければ、時間を有効的に使うことなどできはしないのです。
何度も言いますが、時間には限りがあります。
あなたが二の足を踏んでいる時にも時間は減り続けているのです。
そのような状態において、残りの時間で必要な成果を上げることができるでしょうか?
ためらっているようでは必要な成果を上げることはできません。
あなたはためらわずに行動しなければなりません。
ためらわないためにルールを定めておきましょう。
それは、「重要なことから先に処理する」というものです。
大きなことから処理していかなければ効率が下がってしまうことを覚えておかなければなりません。
小さなこと、細かいこと、どうでも良いもの・・・
そんなものから処理していくのであれば、時間がいくらあっても足りはしません。
部屋の中にsる家具を運び出してから埃を取り除いた方が遥かに効率が良いはずです。
あなたは重要なこと、大きなこと、目立つことから手を付けなければなりません。
細かい仕事はその後です。
小さなことに捉われてはなりません。
限られた時間を上手に利用しましょう。

2012年6月8日金曜日

死んだ時間

あなたは、暇を持て余すような人物になってはなりません。
時間の中に「暇」という状態を作り出してはならないのです。
「暇」とは、用事のない時間のことです。
用事が無いという状態には目的や目標は存在していません。
目的や目標が存在していないのであれば、そこに動きが存在する理由はありません。
動く理由が存在していないのであれば、そこには豊かさが生み出されることはないのです。
すべての豊かさは動きの中より生み出されます。
動きのない場所では、どのような豊かさも生み出されることはないのです。
用事のない時間、目的や目標を持たずに立ち止まっている時間が、あなたにどのような豊かさを生み出してくれるでしょうか?
暇な時間があなたに生み出すものは、後悔と苦しみだけです。
用事がない、目的や目標がない、動きがない、という状況は、あなたに苦痛のみを与えるということを覚えておかなければなりません。
間違っても、暇な時間があなたに幸福を運んでくることはありません。
あなたが幸福を得るためには、自らが幸福へと向かって歩まなければならないのです。
自らが歩むことなく、幸福は決して手に入らないのです。
暇を持て余すような人物が幸福を手にしているのを見たことがありますか?
幸福を手にしている人物は、その誰もが生き生きとしています。
それは途切れることのない動きの中にその身を置いているからに他なりません。
単純な話です。
仕事が多い方と少ない方ならば、どちらが幸福ですか?
人から頼られることが多い方と少ない方ではどうでしょうか?
予定が多く決まっている方と全くの白紙、あなたはどちらに幸福を感じますか?
暇は人を「殺し」ます。
時間を暇として潰しているのは、自らの命を潰していることに他ならないのです。
命とは時間そのものです。
寿命を説明するなら時間の量であると言えるでしょう。
時間とは命そのものなのです。
あなたは暇を持て余してはなりません。
用事もない、目的もない、目標もない「死んだ時間」を生きてはならないのです。
暇というものは、自分自身で好きなだけ作り出すことができます。
自らを生かすも殺すも自分次第なのです。
あなたがどのように時間の管理をするのか?ということが求められるのです。
暇な人物になってはなりません。
忙しい人物にならなければならないのです。
忙しくするためには即決、即行動に尽きます。
即決、即行動ができない人物が暇を生み出しているのです。
それがどのような決断であったとしても、そこに何かしらの行動が生み出されるのであればそれが正しい方向性です。
豊かさを得ることができる者は、より早く行動した者のみなのです。
あなたが豊かさを手にしたいと考えているのであれば、このことを覚えておかなければならないでしょう。

2012年6月7日木曜日

人と人


人と人との繋がりは、その目的や目標において形成されます。
同じ、もしくは似たような目的や目標を持たなければ繋がりは生まれません。
あなたが所有する繋がりは、過去に同じ目的や目標を持ち寄った証です。
繋がりにも様々な形があります。
忘れ去られる繋がり。
覚えてはいるけれど当たり障りの無い繋がり。
互いに刺激し合い、何かを生み出していく繋がり。
様々な繋がりが人と人の間には存在しているのです。
どれが正しいか?ということではありません。
どれも正しい繋がりです。
あなたはどのような人との、どのような繋がりも大切にしなければならないのです。
しかしながら、その比重には気を配らなければなりません。
どの繋がりに対して時間や労力を費やすのかを考え、それを統制することがなければ、その先に豊かさを導くことはできないのです。
すべての繋がりが大切なものです。
蔑(ないがし)ろにして良い繋がりはありませんが、その先に存在している自らの目的や目標を達成するためには、どの繋がりに時間と労力をどのくらい注ぎ込まなければならないのか?ということを無視することはできないのです。
あなたが達成したい目的や目標には、それを成し遂げるために必要な時間と労力を注ぎ込む必要があります。
そこには当然、人と人との繋がりが存在している訳であり、それを無視することはできません。
あなたが自分独りで達成することのできる目的や目標は存在しないと考える必要があるでしょう。
あなたのどのような目的も目標も、あなたと繋がりを持つ人の力が無ければ達成することは不可能なのです。
目的や目標によって繋がりは生まれます。
その相手によって達成することのできる目的や目標は違うのです。
達成したい目的や目標と違うものに対して、時間と労力を費やすこと程無駄なことはありません。
いくらその繋がりに執着したところで、求める目的や目標がそれと一致していないのであれば、時間と労力の浪費となってしまうのです。
時間と労力を浪費してしまうのであれば、次にその目的や目標を達成したいと考えた時に、そこには余力が残っていないということも考えられるのです。
あなたの達成したい目的や目標は何ですか?
それを誰とならば達成することができるでしょう?
また、その可能性が高まるでしょうか?
どのようなことや、どのようなものに時間や労力を費やすのならば、自らの目的と目標の達成を実現させることができるでしょうか?
あなたはそれを考えなければなりません。
誰と、どこで、何をし、どのような時間を過ごすのか?
それは人生においてとても大切なことです。
できるならば、お互いに高め合える関係性の中に身を置くことに努めましょう。
惰性やしがらみ(まとわり、引き留め、邪魔をするもの)に身を寄せてはなりません。
どのような繋がりも軽んじて良いものはありませんが、目的や目標を達するためには向かない繋がりもあります。
見極めることが必要です。

2012年6月6日水曜日

惨めな気持ち

惨めな思いを味わうことは、あなたにとってとても大切なことです。
人は愚かで弱い存在です。
弱いからこそ強くならなければなりません。
強くなければ理想を手にすることはできません。
理想を手にすることができなければ、豊かさを実現させることはできないのです。
誰もが初めは弱いものです。
初めから強い者など存在しません。
誰もが弱い自分からスタートするのです。
できないことは当たり前です。
失敗することは自然なことです。
初めからできるのであれば、時間も経験も必要ではないのです。
できないからこそ、人生においては時間や経験が存在しているのです。
「できる」というのは強くなるということです。
成長することこそが「できる」という達成を導きます。
成長し、強くなった者だけが成功を手にすることができるのです。
誰もが赤ん坊としてこの世に生を受けます。
生まれてくる時に成人は存在しません。
誰もが赤ん坊という立場から人生を始めなければならないのです。
赤ん坊は生きるために最低限に必要なもの以外は身に付けていません。
それは、人間という存在が時間と経験を消化する中で、様々なことを身に付けていかなければならないからです。
初めからできるようには人間はできてはいないのです。
強くなるためには、あなたが知らないことは山程あります。
分からないことなど数知れないでしょう。
強くなるということは、自らの無知に向き合うということなのです。
自らの無知と向き合う時、あなたは自分自身を惨めだと感じてしまうでしょう。
それは仕方のないことです。
誰もが自らの無知に対して向き合う時、そこでは必ず自らの惨めさに出会うのです。
そして、誰もが打ちのめされるのです。
あなたが強くなるためには惨めな気持ちに向き合うことが大切です。
惨めさを感じない者は、その時点において成長を放棄しているからです。
向上心はあなたの無知を白日の下に晒(さら)します。
向上心がなければ惨めな気持ちなど味わうことはできないのです。
あなたが惨めな気持ちを味わっているというのであれば、それはチャンスであると捉えなければならないでしょう。
惨めな気持ちをどのように導くことができるのか?
その方向性があなたを決めます。
あなたが愚かで弱い自分で良いというのであれば、惨めな気持ちから逃げ出せば良いでしょう。
あなたが強くなりたいと願うのであれば、自分自身の惨めさと闘わなければなりません。

2012年6月5日火曜日

くだらないこと


「くだらないこと」に時間を費やしてはなりません。
あなたがくだらないと思うことは、それをどのように努めてもあなたにとっての価値にはなり得ないのです。
あなたにとって価値のあるものというのは、有意義な時間に他ならないのです。
あなたがくだらないと思った時点において、その時間が既に有益ではないということを覚えておかなければならないでしょう。
無益なことに時間を費やすこと程、非生産的なことはありません。
無益なことに時間を費やすこと程、あなたに後悔をもたらし、苦しみを導くことはないのです。
あなたが選択しなければならないのは、有意義な時間を過ごすということです。
費やす時間の質を考えなければなりません。
より実りのある時間、より生産的な時間、より豊かな時間・・・
あなたが自らの意思によって何に対して時間を費やすのかを決めることがなければ、その時間は無益なものとなることは確定してしまうのです。
人が有意義な時間を生きるためには、自らの意思によってそれを選択しなければならないということを覚えておかなければならないでしょう。
人間というのは怠慢な存在です。
そして、臆病者です。
自らを奮い立たせることが無ければ、甘えに従わなければならないことになり、安心や安全の中に閉じこもってしまうのです。
何の変化も感じられないただ同じことを繰り返すような時間が有意義な時間をあなたにもたらすでしょうか?
同じことを繰り返すといことは、そこの資源を食い潰してしまうということに他ならないのです。
資源が枯渇してしまえば、後は滅びるのを待つ以外に方法はありません。
そのようなやり方が有益でしょうか?
多少の危険が伴うとしても、安心や安全の中に閉じこもっているよりは、そこを抜け出してしまった方が可能性は十分に存在しているのです。
あなたは、くだらない時間を惰性(だせい)のままにだらだらと過ごしてはいませんか?
あなたの時間の中にはくだらないと感じる時間の費やし方があるはずです。
その積み重ねがあなたの人生となるのです。
どのようにすれば有意義な時間を過ごすことができるでしょうか?
あなたの時間の使い方の中には、自らの成長にとって必要のないこともあるかもしれません。
また、それに対して足らないこともあるでしょう。
有意義な時間とは、自らを成長させてくれる可能性のある時間のことです。
あなたがくだらないと思う時間があなたを成長させることは絶対にあり得ません。
時間をどのように使うのかによって人生は決まります。
時間をどのようなことに費やすかはあなたが自らの意思によって決断しなければなりません。
時間とは命よりも貴重なものです。
それは命が時間そのものだからです。
時間を粗末に扱ってはなりません。
それは命を粗末に扱うことです。
粗末に扱うものが有益であるはずがないのです。
当たり前に流れる時間を当たり前と捉え、蔑(ないがし)ろにしてはならないでしょう。
できる限り有意義な時間を過ごせるように、くだらないと思う時間の使い方からの脱却を目指しましょう。

2012年6月4日月曜日

決断すること

大切なのは状況を先へと進めることです。
状況がその場に停滞しているのであれば、それ以上の発展を望むことはできません。
発展を望むことは豊かさを望むことです。
状況が先へと進み、発展しないことには豊かさを得ることはできないのです。
あなたがどのような豊かさを得ようにも、状況の発展が欠かせません。
どのような豊かさも状況の発展なくしてはあり得ないのです。
あなたはでき得る限り状況を先へと進め、発展を実現させなければなりません。
状況を先へと進めるためには、それに対してやらなければならないことがあります。
それは「決断する」ということです。
決断の数と状況の発展の度合いは比例します。
決断の数が少なければ、それだけ発展の度合いも縮小することになります。
それは、決断こそが状況に動きを与える唯一の方法だからです。
決断とは行動です。
人は決断しなければ動くことはできません。
行動を生み出すためには決断が欠かせないのです。
決断というと大きな決定を連想するかもしれませんが、決してそうではありません。
それが小さく、たわいもない決定であったとしても、それは立派な決断なのです。
決断に大きいも小さいもありません。
あなたの行動に大きいも小さいもないはずです。
すべての行動が「行動」であるはずです。
すべての決断があなたの「決断」なのです。
行動の数が多ければ、状況の発展は大きなものになります。
一歩歩くよりも、二歩、三歩と歩く方があなたは先へと進むことができるでしょう。
それは当たり前のことです。
決断の数、行動の数が多けれ多い程、状況は先へと進むのです。
あなたが現在の状況に不満を持っているのであれば、状況を発展させなければそれは解決しません。
そのためには決断が必要です。
それも、より多くの決断が必要なのです。
考えることは大切です。
しかしながら、考える数や時間が多い程に、決断の数は減ってしまうということも覚えておかなければならないでしょう。
人は考える程に決断や行動を遠ざけてしまうのです。
考える数と決断の数のバランスを保たなければならないでしょ。
行き当たりばったりでは決断を成果へと結びつけることはできません。
決断の数が少なければ状況は発展を望めません。
より多くの決断が求められます。
より多くの一歩が必要なのです。
あなたは決断しなければなりません。
より多くの決断をした者が状況に豊かさをもたらすのです。

2012年6月3日日曜日

仕事学

仕事とは、価値を高める作業のことです。
仕事とは、あなたが携わるその事業や商品、そして、状況や自分自身に至るまでを高める作業のことを言うのです。
価値が高まることがなければ、それを仕事だということはできません。
価値が高まらないのであれば、それは単なる「遊び」に他ならないのです。
「遊び」に成果を求める人はいません。
遊びとは単なる消費です。
そこに利益や成果を求めることはできません。
「遊び」というものに価値を高める必要はないのです。
「遊び」の価値が高まれば、それは「遊び」という形ではいられなくなります。
それは、価値を高める作業というものが「遊び」を趣味として昇華し、やがて仕事へと発展させていくからです。
どのようなことも、価値を高めようとすることは仕事へと繋がるのです。
それとは逆に価値を貶(おとし)める作業というものは、仕事を「遊び」へと堕落させてしまうのです。
あなたの心掛け一つによって、それは仕事になり、「遊び」にもなり得るのです。
あなたがそこに成果を望んでいるのであれば、その価値を高める作業に努めなければなりません。
あなたが携わる事業や商品の価値が高まれば、仕事は仕事としての価値を得ることができます。
価値のあるものこそが、何かに対して貢献することができるのです。
残念ながら、価値の無いものは貢献することができないのです。
あなたは(あなたにとって)価値のあるものとそうでないもの、どちらを選ぶでしょうか?
価値の無いものが選ばれることはありません。
選ばれるのは決まって価値のあるものなのです。
価値を高めるためには、その事業や商品がどのような形を持てば、それを受け取る相手に貢献することができるのかを考えなければなりません。
価値にも2つの種類があります。
ひとつは自分自身に対する価値です。
それは、自分自身にとっての貢献です。
もうひとつは、自分以外の者にとっての価値です。
それは、自分以外の者にとっての貢献です。
本当に価値のあるものがどちらか?ということではありません。
どちらも価値は価値なのです。
大切なのはバランスです。
それは、自分自身とそれを受け取る相手、そのどちらにも貢献することが求められるからです。
偏った価値を価値とは言えません。
自分自身が喜ぶだけで相手が喜ばないのであれば、それは成果であるとは言えないのです。
その反対も同じです。
価値を高める作業というものは、自分自身に対する価値と、相手に対する価値を高める作業であるということです。
その両方を考慮しながら作業を進めていかなければならないでしょう。
あなたがどのように仕事に向き合うのかによって、その仕事が持つ価値とそこから生み出される成果が決まります。
高い価値を所有し、多くの成果を生み出すことのできる仕事は、あなたに可能性という豊かさを導きます。
仕事とは、価値を見出し、その先の可能性を見出す作業であるということを忘れてはならないでしょう。

2012年6月2日土曜日

壊れたもの

すべての状況は始まりを以て誕生します。
誕生した瞬間から存在が世界に認められ、成果を生み出すことになります。
それがどのような存在であったとしても、存在している間は何らかの成果を生み出します。
その成果は世界に貢献し、その役割を果たすのです。
建設的なものも破滅的なものも、すべては必要な成果を上げ、自らの役割を果たします。
しかしながら、始まりを以て誕生したものが永遠に存在し続けることはできません。
それがどのような存在であろうとも、成果を上げ続けることはできないのです。
どのような存在にも限界があります。
どのような可能性も無限ではありません。
すべては有限を抱えたまま、役割を果たすのです。
すべての始まりは、やがて来る終わりへと向かっています。
世界に誕生したすべての存在は、いつかは必ず滅びなければならないのです。
終わりを否定することのできる始まりは存在しません。
滅びることのない誕生は有り得ないのです。
世界は有限です。
尽きない命がないように、終わりを迎えることのない始まりは決して存在しないのです。
あなたはそれがどのような存在であっても、いつかは必ず滅びてしまうことを理解しなければならないでしょう。
それは、あなたが大切にしているものであっても例外ではありません。
あなたが携わるすべてのものが、いつかは必ず滅びます。
仕事、絆、理想、目標、安心、足場・・・
あなたが大切に思うどのようなものも必ず壊れてしまうのです。
一度壊れてしまったものは二度と同じ形として存在することはありません。
似たようなものとして修復することはできるかもしれませんが、同じものとして存在することはできないのです。
壊れ(滅び)てしまったものは決して元通りにはなりません。
一度壊れてしまったものを元の形に戻そうとするのは時間と労力の無駄に他なりません。
壊れてしまったものは、何があろうとも決して元には戻らないからです。
すべての存在は必ず終わりを迎えます。
それは避けられないことです。
それならば終わりを迎えたことを嘆き、そこに執着することは無意味です。
それよりも、その先にある可能性を見出していくことの方が余程生産的なのです。
どれだけ破片を拾い集めても、全く同じものには戻りません。
それに嘆くよりも、壊れたものを違う形として再構築し、新たな成果を生み出せるようにすることの方が有意義なのです。
壊れたもの、終わったものに価値はありません。
すべての価値は未来にこそ存在しているのです。
あなたは価値を未来へと繋げなければなりません。
そのためには、壊れてしまったものに執着することはできないのです。

2012年6月1日金曜日

変化の先へ

すべては変化の中に存在しています。
どのようなものであろうとも、変化の外に存在することはできません。
すべての存在は変化を無視することができないのです。
変化を無視することができないということは、すべての存在は常に変化を強いられ、変化し続けなければならないということです。
変化、それは強制です。
変化から外れて存在することが許されるものはありません。
変化を拒絶するのであれば、滅びていかなければならないのです。
変化を受け入れ、それを成し遂げたものだけが世界に存在を許されるのです。
あなたが世界に存在するためには、どのような時にも弛(たゆむ)むことなく繰り広げられている変化を受け入れ、それを果たさなければならないのです。
変化を受け入れることができないもの、変化を遂げることができないものは世界に存在することはできません。
それは自然の摂理であり、世界のルールなのです。
どのような存在もそれを否定することはできません。
生き残るためにはどのような時にも変化を繰り返し、変化の中に止まっておかなければならないのです。
あなたは自らを変化させなければなりません。
状況や環境の変化を許さなければなりません。
人の変化を受け入れなければなりません。
変化することこそが正しいのです。
変化が停滞する場所には正しさは存在していないのです。
変化することこが豊かさを導きます。
あなたは様々な変化に対応しなければならないでしょう。
時には受け入れ難い変化もあるかもしれません。
しかしながら、そこに変化が存在しているのであれば、それはそれで正しいのです。
どのような変化であっても受け入れなければ何も始まりはしないのです。
否定や拒絶は状況における可能性を潰す力を持っています。
変化を受け入れることができないものには可能性は開けないのです。
あなたが戸惑うのは人の心に生じる変化かもしれません。
人は変わります。
人の心は常に変化しています。
一所には止まることができません。
その価値観、興味、正義、目標、理想、外部からの影響、主義、主張・・・
様々な理由によって選択肢を変えていきます。
人と人との間には出会いと別れが付き物です。
その人はあなたと共に歩んでくれるかもしれません。
しかしながら、いつかはあなたと違う道を進むかもしれません。
それがあなたの目の前に存在している変化であるのならば、できる限りあなたはそれに従わなければなりません。
どのような場所にも頓着(とんちゃく)してはなりません。
すべては「流れ」のままに変化していくことが正しいのです。
すべてを、それが変わりたいという方向へと解き放ちましょう。
そうすることでその時は何らかの損失を被(こうむ)るかもしれませんが、その先にはそれ以上の豊かさがあなたを迎えてくれることを覚えておかなければならないでしょう。