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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2012年6月19日火曜日

宝物

忠告を無視するような人間になってはなりません。
あなたは人から忠告を受けることになるでしょう。
忠告とは、あなたの欠点や失敗の可能性を相手が客観的に指摘するものです。
あなたの欠点や失敗の可能性に対する指摘というものに対して、あなたはそれを不愉快だと感じてしまうでしょう。
できることならば、忠告を受けずに済ませたいと思うのが人間の心理というものです。
それは、できる限り有利な立場に立ちたい。
同じく、不利な立場には立ちたくない。
自らの未熟さや至らなさなどの弱さを突かれたくはない。
そのような保身の心こそが、人を忠告から遠ざけているのです。
誰しも、自分の弱さを指摘して欲しいとは思いません。
そこには触れずにいて欲しいと、できる限り穏便に処置して欲しいという思惑が存在しているのです。
しかしながら、この人生というものの意味を考えた時に、忠告を遠ざけ、拒絶するという方法が正しいのか?と言えば決してそうではないでしょう。
忠告に対してどのような方法で対応するのかはあなたの自由です。
それをとやかく言う権利を持つ者はいません。
裏を返せば、責任は自分自身にしか負えないということなのです。
忠告にどのような方法で対応するのも、あなた次第であり、そこからどのような結果を受け取ることになろうとも、それもあなた次第であるということなのです。
残念ながら、あなたの人生の責任はあなたにしか負えません。
それがどのような結果であれ、最終的にはそれに対応したあなたの責任に他ならないのです。
人生の意味は「成長」にあります。
それは人生の意義でもあります。
人生に求められるのはいつの時でも「成長」であるということを覚えておかなければなりません。
その事実を忘れてしまった時、あなたは人生の豊かさを得ることができなくなってしまうことを約束しましょう。
人はいつの時でも成長することを求められているのです。
忠告の意味は、相手の欠点や失敗の可能性を客観的に指摘するということです。
あなたに対する忠告は、あなたの欠点や失敗の可能性に注意するようにと諭す教えであるのです。
自らに対する教えを聞けない者が成長することができると思いますか?
人の話を聞けない者が成長することはできないでしょう。
それがどのように耳に痛い忠告であったとしても、あなたはそれを拒絶してはなりません。
忠告とは宝物であるということを理解しなければなりません。
他人からの忠告ほど、自らの成長に適した道はないと心掛けなければなりません。
人からの忠告を粗末に扱ってはなりません。
それはあなたが最も大切にすべきものだからです。
成長が停滞していると感じたのであれば、目の前の忠告に従って進んでみましょう。
その道は険しく厳しいものに違いありませんが、その道こそがあなたにとっては最善なものであるということを「後に」理解することができるでしょう。
成長は苦しみの中にしか存在していません。
楽な道ばかりを進む者は成長することはできないでしょう。
自分が正しいと思い込んでいるあなたには、人からの忠告を受け入れるということは簡単なことではありません。
しかしながら、そのような頑(かたくな)な頭と心では、どのような経過をたどっても先の成長など見込めないのです。
忠告を無視するような人間になってはなりません。
人からの忠告を受け入れ、それを今後に活用していけるように努めなければなりません。

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