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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2014年3月31日月曜日

楽しいことをする

人は人生において学んでいます。
それは成長するためです。
それは幸福を得るためなのです。
すべての人が成長と幸福のために人生を生きているのです。
あなたは自分自身が成長と幸福のために生きているのだということを理解しなければなりません。
あなたは成長と幸福を実現しなければならないのです。
あなたが成長し、幸福を得るためにはやらなければならないことがあります。
それは、「楽しいことをする」ということです。
ただそれだけで良いのです。
しかしながら、多くの人にとってはこの「楽しいことをする」ということでさえ難しいと感じるでしょう。
好きなことが分からない人は、どうしてもやってしまうことが自分にとっての楽しみであるということを理解しましょう。
あなたが嫌嫌やっていることでも、感情が楽しいとは捉えていないだけで、魂(潜在的な意識)はそのように捉えているのです。
やめられないことは、楽しいことであるのです。
あなたは自分のやっていることをそれが飽きるまでやり続ければ良いのです。
これはあなたの人生です。
あなたにとって重要なのは、あなたが楽しいかどうか?ということなのです。
人によって楽しみの対象は違います。
あなたが他人の楽しみを手に入れても意味がありません。
他人の楽しみを得たところで、あなたは苦しいだけでしょう。
あなたは自分自身が楽しいと感じることや、どうしてもやってしまうことをやりましょう。
飽きるまで続けなければなりません。
他人は違う楽しみを持っているため、あなたのやっていることを罵(ののし)るでしょう。
しかしながら、あなたはそれを学ばなければならないのです。
あなたが楽しいと感じることや、やってしまうことは、あなたの成長と幸福にとっては重要なものであるのです。
学びとは、あなたに楽しみとして現れるのです。
あなたは学ばなければなりませんが、学ぶということは楽しまなければならないということなのです。
あなたは楽しめば良いのです。
人生は苦行ではありません。
人生は楽しい場所であるのです。
楽しく学び、成長と幸福を得ることができるようになっているのに、現状に不満を並べ立てていてはならないのです。
あなたが意欲的にやっていることや、どうしてもやってしうことはすべて、それが楽しい学びであるということを知りましょう。
やっていることであっても、やってしまうことであっても、それによって苦しんでも構いません。
苦しんでいても学んでいるのです。
苦しみ抜くと、苦しむことに飽きるでしょう。
人は飽きたらやめるものです。
あなたが苦しむことをやめることが、成長であり、幸福であるのです。
苦しまなければどこで何をしても幸せであるのです。
あなたは成長と幸福を得るために生きています。
あなたは自分が楽しいと思うことは、他人がどのように反対しようとも貫きましょう。
周囲の人はあなたが心配であるために、あなたの学びを横から口を出して食い止めようとします。
しかしながら、あなたは学ばなければならないのです。
学ぶことによって成長し、幸福を得なければならないのです。
それが自分自身や他人や社会に役に立たなくても構いません。
そこからの経験によって成長し、幸福を得た後にそれらがすべて必要であったと理解するでしょう。
あなたには理解できないこともあるのです。
考えても解決しないこともあります。
楽しくてやっていること、どうしてもやってしまうことはあなたの学びなのです。
あなたは学びから逃れることはできないのです。
なぜならそれが人生の目的であるからです。
あなたは飽きるまで続けましょう。
あなたがそれを堪能(たんのう)した時に、その学びは終わりです。
あなたが満足することがなければ、その目的は続くのです。
苦しみの因果を断ち切るためには、それについて苦しまないようでなければならないのです。
飽きることは学びの終わりを意味しているのです。
あなたは楽しいことをやりましょう。
人生は学びの場所です。
これはあなたの人生です。
あなたの楽しみが他人に理解されなくても良いのです。
飽きるまで楽しみましょう。

2014年3月30日日曜日

時を見る

どれだけ待っても、条件が整うことはありません。
あなたがどれだけ辛抱しても、それだけではチャンスは巡っては来ないのです。
人生はあなたの意思によって築かれます。
あなたの選択と行動によってのみ、人生は動いているのです。
どれだけ辛抱強く待っても、条件が整うことはありません。
どれだけ辛抱強く待っても、チャンスは訪れないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
あなたの選択と行動がなければ、人生は変わらないのです。
あなたの意思が原因です。
あなたがそれを実現しようと決意した時に、初めてそれが実現に向けて動き始めるのです。
覚悟がなければなりません。
条件が整うまで待っていようというのは、自らの弱さを言い訳によって隠す行為です。
条件が整わなければ始められないのであれば、それは自らの力不足を認めているのと同じなのです。
残念ながら、条件が整うことはありません。
理想通りに事が進むということは有り得ないのです。
この世界は、あなたが独りで生きているのではありません。
あなた以外の存在と共に生きているのです。
それぞれには、それぞれの考えがあり、それぞれの理想があります。
それぞれの存在は自らの欲するものを実現するために努めるのです。
それは悪気もなく、あなたの理想とは対極に位置しているということがあるのです。
一つの理想を実現するのにも、様々な材料を必要とします。
違う理想を実現するのにも、同じ材料が必要であったりするのです。
そこには競争が存在するのです。
人生は理想通りには進まないものです。
あなたは必ず問題や壁に向き合わなければならないのです。
条件が整うことがない状態が、条件が整った状態です。
あなたはそれを覚えておかなければなりません。
待っていても始まりません。
辛抱していても変わりません。
条件とは、理想とは違うものであるのです。
あなたは時を見ましょう。
条件が整うことを基準に始めようとするのであれば、あなたはいつまで経っても始められないのです。
時(タイミング)を基準にして始めるのであれば、あなたはいつでも始められるのです。
条件というものは、始めた後に整えていくものです。
条件が整ったと思って始めても、必ず不足が生じます。
理想が実現することはないのです。
理想は常に高みに存在するものです。
理想を追っても、そこに辿り着く時には、更なる理想が生じているのです。
理想の条件が整うのを待っている人は、失敗することを恐れているのです。
失敗したくないから理想の条件が整う、「自分の中の完璧」を求めているのです。
しかし、人が失敗しないでいられるでしょうか?
人は未熟です。
人は弱いものです。
どのように努めても完璧では有り得ないのです。
あなたはどのように条件を整えても、そこで必ず失敗します。
失敗すれば、その経験を糧(かて)にして成功することができるのです。
失敗(経験)の数が重要であるのです。
あなたは時が来れば始めましょう。
待っていてはなりません。
条件が整うのを待っているなら、あなたは何も実現することができないままで老い、そのまま死によってすべてを奪われるでしょう。
人生はあなた自身が築くものです。
待っていてはなりません。
とにかく行動しましょう。
あなたが良いと思うこと、良くなると思うことは後先を考えずに行動しましょう。
良いことのための行動はできるだけ多い方が良いのです。
良いことが多い方が良いということは理解することができるでしょう。
あなたは行動しなければなりません。
条件は整いません。
理想の条件が整ったと思った時、あなたはその他の条件の不足を知るでしょう。

2014年3月29日土曜日

悪の根

人は悪の根を断たなければなりません。
この世界に不要なものは存在しません。
この世界に無駄は存在しません。
この世界に無意味なことはないのです。
すべてが大切であり、意味を以て存在しているのです。
あなたはすべてを大切にしなければなりません。
しかしながら、あなたにとっては毒となるものが存在するのも事実です。
この世界には様々な命が生きています。
その環境や食物で命を繋ぐ生き物がある一方で、それが自身にとっては毒となる生き物もいるのです。
世界はすべての存在のものです。
特定の命に偏っているということはありません。
自然は人間の命も、蟻の命も等しく生かすのです。
あなたにとっては喜びであっても、他人にとっては苦しみであるということがあります。
あなたにとっては悪であっても、他人にとっては善であることもあるのです。
そのため、この世界には不要なもの、無駄なもの、無意味なことは存在しないのです。
それがあなたにとっての不要であり、無駄であり、無意味であるということはあるのです。
毒を摂れば、命が奪われます。
毒となる食物を摂ってはならないのです。
あなたはそれが腐っていたり、美味しくないと感じたのであれば吐き出すでしょう?
あなたにとっての良い食物とは、あなたが美味しいと感じるものであるのです。
毒と分かっていながら摂るのは自殺行為であるということを覚えておかなければならないでしょう。
人は神の子です。
人は光であり、愛であり、思いやりであるのです。
人は心によって生きているのです。
人の本質は心です。
その心は光であり、愛であり、思いやりです。
人の心の栄養は光であり、愛であり、思いやりであるのです。
あなたは愛と思いやりのある考え、思いや言葉や行いを得なければなりません。
それらが不足してしまうと、人は苦しむのです。
怒り、悲しみ、不安、心配、諦め、怠慢、冷酷・・・
これらは人にとっての毒です。
これらの破滅的な感情を心に与えるのであれば、心は毒によって苦しむのです。
毒を得た心は苦しみますが、多くの人はその苦しみに慣れてしまい、気が付かない振りをして誤摩化します。
毒をたっぷりと含んだ心は苦しみもがいて滅びるのです。
あなたは心を殺してはなりません。
人の心は豊かにあるべきなのです。
豊かな心とは、喜びや楽しみを感じることのできる心のことを言います。
人は幸福感を所有しておかなければならないのです。
あなたは心にとっての毒を取り除きましょう。
どのような手段を用いても構いません。
悪と決別しましょう。
ただし、あなたにとっての悪は他人にとっての悪ではないため、他人を否定したり、攻撃してはなりません。
あなたが悪や毒を摂らなければそれで良いのです。
あなたはそれが自分自身にとっては毒であるのかどうか?ということを考えましょう。
苦しいこと、怒ること、悲しいこと、辛いこと、不安になること、心配すること、諦めること、楽しくないこと。
あなたはそのような毒を手にしてはならないのです。
あなたは楽しいこと、優しくなれること、嬉しいこと、安心すること、信じられること、続けられること、胸を張れること、世のため人のためになること。
このような善を手にしなければならないのです。
栄養を摂れば成長します。
力が漲(みなぎ)り、熱意が生まれ、信念を以て生きることができるでしょう。
苦労をしてはなりません。
苦労は毒です。
苦しいことは毒なのです。
不満を抱えながら生きたところで、あなたは決して幸福にはなれないのです。
「苦しい」と心が訴えているのです。
ならば、それを手放さなければなりません。
悪(苦しみ)の根を断ちましょう。
愛と思いやりに溢れる考えや思いや言葉や行いによって、満足して生きましょう。

2014年3月28日金曜日

笑顔を生きる

人は人生を豊かに生きなければなりません。
あなたは人生に幸福を実現しなければならないのです。
人生の豊かさ、人生の幸福は、人それぞれに違うものです。
あなたは誰かの求める豊かさや幸福ではなく、自分自身の求める豊かさと幸福を求めて生きていけば良いのです。
あなたは自分自身の求める豊かさと幸福を実現させるために生きているのです。
人は人生を豊かに、人生に幸福を実現しなければなりません。
あなたは豊かな人生を生きる人、幸福を実現している人がどのような状態や態度で生きているのかを考えなければなりません。
それがどのような豊かさであっても、どのような幸福であっても、それを手に入れた人は例外なく笑っているのです。
豊かさと幸福を手に入れているのに、笑っていない人はいないのです。
豊かさと幸福を実感している人は、自然と笑顔になってしまうのです。
嬉しいことに対して、笑顔を見せるのが人というものであるのです。
どのような人も喜ぶ時には笑顔を見せるのです。
豊かさと幸福を実現した人は笑顔です。
その人が豊かさと幸福を実現する時、苦悶(くもん)の表情を浮かべていたでしょうか?
暗い顔をしたり、悲しい顔をしたり、怒った顔をしたり、冷めた顔をしている人が、豊かさと幸福に相応しいと思いますか?
この世界はその人に相応しいことだけを導きます。
その人に相応しくないものは取り上げるのです。
豊かさと幸福を実現したから笑顔になった訳ではありません。
その人が笑顔だったからこそ、豊かさと幸福に相応しかったのです。
あなたは勘違いしてはなりません。
どのような立場や状況や環境を所有していようとも、それを喜ばず、笑顔でないのならば、それは不幸なのです。
豊かさと幸福は人それぞれに違うものであるのです。
その人が喜ぶことがなく、笑顔にもならないのであれば、それが豊かさや幸福であるとは言えないのです。
それが世間的にどうであれ、その人が喜び、笑顔でいられるのであれば、それは豊かさであり幸福に違いないのです。
人生には様々なことがあります。
理想的に運ぶことはほとんどありません。
人生におけるほとんどのことがあなたにとっては苦しいと感じることでしょう。
それは、人生があなたの弱さ(魂の汚れ)を直す場所であるのだから仕方のないことなのです。
あなたは人生を苦しいと感じるのです。
苦しみとなる問題と壁を乗り越えることによって、あなたは自己を直すのです。
それが自己の成長となるのです。
あなたは問題を抱え、壁を前にして苦しみます。
しかしながら、それはあなたにとっては大切なことです。
そこには重要な意味があります。
それはあなたにとって相応しいことなのです。
あなたはどのような状況にも笑っていなければなりません。
苦しい時にも笑顔でなければならないのです。
人生のすべてのことがあなたのために存在しているのです。
それが自分自身の成長のために存在しているということを理解するのであれば、あなたはそれを喜ぶことができるでしょう。
喜ぶことができれば苦になりません。
苦にならなければ問題ではないのです。
苦しい状況に対しても笑顔でいられる人は、その苦しみを捨て去り、豊かさと幸福を手にします。
それが大したことではなくても、笑顔を忘れて苦悶の表情を浮かべているのであれば、あなたは必ず苦しみます。
人生を豊かなものに、人生に幸福を手にするためには、笑顔でなければなりません。
喜ぶことができる人が苦しむことなど有り得ないのです。
それを苦しみだとしているのはあなた自身であるのです。
あなたはどのような状況にも笑顔を忘れてはなりません。
喜びを見失ってはなりません。
不幸中の幸いというものがあるのです。
本当はすべてが幸いですが、人間にはそのようには見えません。
すべてを幸いだと捉える必要はありませんが、苦しみの中でも得られる喜びがあるはずなのです。
あなたはそれを探しましょう。
笑顔で生きることができれば、豊かさと幸福は必ず実現するということを覚えておきましょう。
笑顔を忘れてはなりません。

2014年3月27日木曜日

繰り返し

あなたは、自分が分かっていると思ってはなりません。
あなたが分かっていると思う時、あなたは分かってはいないのです。
日々は繰り返します。
毎日太陽は昇り、光が射し、風は吹き抜け、塵(ちり)は積もります。
日々は繰り返すのです。
自然がそうするように、あなたは何度も同じことを繰り返さなければなりません。
何度も何度も繰り返し、それを学ぶのです。
繰り返すことによって理解を深めるのです。
本当に理解していることは繰り返す必要がありません。
できないことは練習しますが、一度できるようになったことを練習したりはしないでしょう。
一度理解したこと、できるようになったことは繰り返さないのです。
あなたが何度も繰り返すのは、それを理解していない、それをできるようになってはいないからです。
理解していること、できることを「分かっている」と宣言する必要はありません。
理解していない、できないからこそ、人はそれを「分かっている」と言うのです。
人が分かっていると言う時、それは分かっていないのです。
理解してはいないし、できてもいないのです。
あなたが理解するまで、あなたができるようになるまで、その学びは続きます。
人は自らの魂を正すために生きています。
その態度を改め、考え方、捉え方、生き方を正し、成長するために生きているのです。
人生とは魂の学びの場所なのです。
あなたが自己を改めることが人生の目的であるのです。
人生はあなたに自己の反省と改善を求めています。
すべての状況が、あなたに自己の反省と改善を促しているのです。
あなたがそれを理解し、目の前の状況に対して自己の反省と改善を行うのであれば、あなたは繰り返すことなく先へと進むことができるのです。
自己を反省しない者、自己を改めない者は進めません。
テストを合格することがなければ、次には進めないのです。
あなたが何度も同じことを繰り返していると感じているのであれば、それは自己の反省と改善が行われていないということを理解しましょう。
人生は甘くはありません。
原因を持たない者を結果へとは導きません。
テストを合格することができる実力が無い者を先へと進ませることはないのです。
あなたは人生が魂を正すための場所であるということを知りましょう。
自己が向上することが、苦しみの繰り返しから逃れる唯一の方法なのです。
どのような方法を用いようとも、自己が変わることがなければ、すべてが無駄であるのです。
小手先の仕方によって難を逃れられるなどと考えてはなりません。
自己を反省し、改善することがなければ何も変わることはないのです。
何度も同じ目に遭うというのは、あなたが自己を反省し、改善していないということを教えているのです。
同じ失敗を繰り返していてはなりません。
あなたは益益成長し、益益豊かにならなければならないのです。
自己を反省し、改善することがなければ、何も変わらないのです。
人のせいにしてはなりません。
自己を反省することができない人には、自己を改善することもできないのです。
あなたは「分かっている」という自分自身を正当化する台詞を吐いてはなりません。
分かっていないから同じ目に遭うのです。
状況があなたに知らせているのです。
上手くいかない人は、自己を反省しておらず、自己を改善してもいないということを覚えておきましょう。
人が日々を生きているのは、一度や二度の学びでは理解することができないからです。
一生を使わなければ、自己を反省し、改善することができないからなのです。
あなたは一生涯学んでいるのです。
一生涯、魂を磨くのです。
「分かっている」という台詞は、自己が反省するべきタイミングに吐きます。
この台詞は誰かや何かに指導される時に、自己を正当化するためのネガティブなものであるのです。
本当に分かっている人は既にそれができているため、指導されることもなく「分かっている」という台詞を使う必要がないのです。
何のために繰り返しているのかを考えなければなりません。
あなたは分かってはいないのです。
あなたは自己を反省し、改善しなければならないのです。
同じ過ちを繰り返してはなりません。
苦しい目に遭う時には、それに反発することなく、自己の反省と改善に至りましょう。

2014年3月26日水曜日

魂の旅路

人生は魂の旅路です。
あなたの魂は地を生き、天へと向かいます。
あなたは魂が地を生きることができるようにと努めなければならないのです。
それは、地を生きることができなければ、天へと向かうことができないからです。
魂が生きるためには、喜びが必要です。
喜びこそが命です。
すべての魂は喜びを必要としているのです。
あなたは人生に喜びを見出さなければならないのです。
あなたは自らにとっての喜びとは何であるのかを知りましょう。
あなたにとっての喜びが、あなたの魂を生かすのです。
あなたは喜びを得なければなりません。
喜びを得るためには、喜びを得るように行動する必要があるのです。
あなたは考え方を喜びに対して向けなければなりません。
考え方を変えるのも行動です。
あなたは捉え方(感情の在り方)を喜びに対して向けなければなりません。
捉え方を変えるのも行動です。
あなたは行いを喜びに対して向けなければなりません。
行いを変えるもの行動です。
行動しなければ何も変わりません。
しかし、行動するれば何かは必ず変わります。
あなたは魂が喜びを得るように行動しなければならないのです。
この世界には様々な魂が存在し、それぞれが生きているのです。
それぞれには学びの段階があり、それに対して喜びの種類が存在しているのです。
あなたにとっての喜びは、他人にとっての喜びだとは限りません。
他人にとっての喜びが、あなたにとっての喜びだとも限らないのです。
あなただけが生きている訳ではないのです。
そのため、あなたにとっては苦痛なこともあるでしょう。
しかしながら、それはあなた以外の魂にとっては喜びであるのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
あなたには苦しみであっても、他人には喜びであるのです。
あなたは自分が苦しいからと言って、他人の喜びを取り上げてはならないのです。
魂は学びを欲し、すべての瞬間に学んでいるのです。
あなたが学んでいるように、他人も学んでいるのです。
他人を攻撃してはなりません。
他人を否定してはなりません。
他人を拒絶してはなりません。
他人を嫌ってはなりません。
喜びは魂によって違うものです。
あなたが苦しいと感じることは、あなたが苦しいだけなのです。
自己と他人を一緒くたに考えてはなりません。
魂は独立しているものです。
魂が依存することはないのです。
それぞれが独立した唯一の存在なのです。
あなたは自らの喜びに励(はげ)みましょう。
そして、他人の喜びを応援しましょう。
その人がそれで良いと言うのであれば、それで良いのです。
あなたは否定された時に怒るでしょう?
そこに喜びはないのです。
それでは魂は向上しないのです。
怒ることなく考えましょう。
怒ることなく捉えましょう。
怒ることなく行いましょう。
怒ることなく生きましょう。
あなたは魂の成長のために人生を歩んでいるということを忘れてはなりません。
他人のためにも世界は存在しているのです。
あなたのためだけに世界が存在しているのではありません。
そのことを理解し、許しによって怒りを断ちましょう。
魂の旅路を喜んで生きましょう。

2014年3月25日火曜日

楽しいのが一番

あなたは心の矛盾に気を付けなければなりません。
心に矛盾を抱えてはなりません。
あなたは自らの心に対して正直に生きなければならないのです。
苦しみと喜びは共存することができません。
苦しみは苦しみであり、喜びは喜びであるのです。
苦しいけれども喜ばしい、喜ばしいけれども苦しいということはないのです。
苦しいから苦しい、喜ばしいから喜ばしいというのです。
矛盾が存在するのであれば、それは自らを正当化し、慰(なぐさ)めて誤摩化しているということがいえるでしょう。
苦しいことを喜びにするためには、自らを正当化し、慰めて誤摩化す以外に方法はありません。
喜びを苦しみにするにも同じ方法が必要です。
多くの人は惨めな自分自身を正当化し、慰めて誤摩化すことによって、事実(目の前の問題)から目を背けているのです。
事実は事実です。
それが苦しみであるのならば、それを苦しいと認める勇気が必要なのです。
それが苦しいと認めることができず、いつまでも心を誤摩化しているのであれば、あなたが幸福を得ることはできないのです。
そのような人は、生涯苦しみながら死んでいくでしょう。
自分自身を救うのは自分自身だけです。
自分以外の何かや誰かがあなたを救うことなどないのです。
あなたは自分自身を自分自身の力によって救わなければならないのです。
誰もあなたの代わりにやってはくれないのです。
あなたは自分自身の心を、その矛盾から救い出さなければなりません。
苦しいことは苦しく、喜ばしいことは喜ばしいのです。
あなたは正直に生きましょう。
苦しいことを抱えて幸福を得る人はいません。
矛盾しているということは、結果には結び付かないのです。
目的地を見失い、右往左往しているのであれば、目的地に到達することはないのです。
どのような状況であっても目的地を見失うことがなく、そこに到達することを目指しているのであれば必ず辿り着くことができるのです。
多くの人は自らの心の矛盾に気が付いていません。
自らそれを正当化し、慰めて誤摩化しているために、自分自身でも分からなくなっているのです。
あなたには無理をして喜ぼうとしていることはありませんか?
進みたくもないのに進んでいる道はありませんか?
そのような矛盾を抱えた状態で、どうやって幸福を得るというのでしょうか?
あなたは自分自身が楽しいと思うことをすれば良いのです。
誰が何と言おうとも関係ないのです。
人はそれぞれに価値観や好みというものがあるのです。
苦しいことが好きな人は、勝手に苦しんでいれば良いのです。
あなたは他人の言うことに耳を傾けてはなりません。
苦労したい人には、勝手に苦労させておきましょう。
不満を抱えたい人には、勝手に不満を抱えさせておきましょう。
悲しみたい人には、勝手に悲しませておきましょう。
否定したい人には、勝手に否定させておきましょう。
他人のことは他人事です。
他人のことを、あなたにはどうすることもできません。
それと同じように、他人があなたのことをどうすることもできないのです。
あなたが他人の意見を受け入れて、自ら従っているだけなのです。
あなたがやらなければそのようにはならないのです。
多数決が正しいなどと考えてはなりません。
多くの人は間違えているのです。
そこに気が付かなければなりません。
人生の豊かさは愚かな者には隠されているのです。
賢者だけがそれを見るのです。
周囲の人は、あなたに苦しみ(の考え方)を押し付けてくるでしょう。
周囲の人は、自らの劣等感をあなたに押し付けるのです。
そのような意見を聞き入れていてはなりません。
あなたを励(はげ)まし、あなたを誉(ほ)め称(たた)え、あなたを勇気づけ、あなたを安心させる。
そのような人の意見を受け入れましょう。
劣等感によって、恐怖、苦しみ、怒り、悲しみ、などの矛盾を押し付けてくる人の意見を受け入れてはなりません。
心が矛盾を抱えないように注意しましょう。
あなたは自分自身が楽しいと思うことをすれば良いのです。
それが人と違っていても構いません。
あなたが楽しいのが一番なのです。

2014年3月24日月曜日

親切な感情

人生を豊かな場所にするためには行動しなければなりません。
行動することがなければ何も始まらず、何も変わることはないのです。
行動することがなければ、惰性的に生きなければならず、そこには退屈と苦しみが待っているということを理解しなければならないのです。
人は行動することによってのみ、退屈と苦しみを手放すことができます。
あなたは行動しなければなりません。
行動することによって、新たな可能性を得るのです。
退屈を得てはなりません。
あなたは充実した素晴らしい日々を過ごすのです。
毎日が退屈のない素敵な日々であるのならば、あなたは豊かな人生を得るでしょう。
行動する時、何かを始める時、状況に変化を与えようとする時、あなたを恐怖が襲います。
未知に対して、人は大小の差はあれど恐怖を覚えるのです。
恐怖を知らない人はいないでしょう。
恐怖の対象とその大きさは違うでしょうが、人は恐怖を覚えるのです。
恐怖があなたの足を止めます。
恐怖があなたを退屈に縛り付け、苦しみに引き渡すのです。
恐怖を抱えている人は退屈しています。
恐怖を抱えている人は苦しんでいるのです。
人が恐怖を覚えないということはありませんが、恐怖に縛られてはならないのです。
あなたは恐怖を克服しなければなりません。
恐怖の感情を乗り越えなければ、退屈と苦しみを乗り越えて行くことはできないのです。
あなたは恐怖というものが、あなたにとっての重要なことを教えていると知りましょう。
恐怖はあなたに退屈と苦しみを与えるものではありません。
退屈と苦しみを与えているのは自分自身なのです。
恐怖はあなたに、「そこに壁があるぞ」と教えているのです。
恐怖があなたを苦しめるのではありません。
寧(むし)ろ、恐怖はあなたを助けているのです。
人は人生において成長するという目的を持っています。
成長するためには、自らの弱さを克服する必要があります。
弱さと向き合うことは簡単なことではありません。
弱さと向き合うことは誰にとっても難しいことなのです。
人は弱い存在であるために、難しいことよりも簡単なことを目指します。
恐怖はそれがあなたにとっては重要なことであると、強く印象付けているのです。
そのために、恐怖という感情は人にとってとても強いものであるのです。
心の中に存在する強い感情は、それがどのような性質のものであるにしても重要です。
取るに足らないことを大切にしていてはなりません。
強いものほど重要であるのです。
それが恐怖の感情であっても、あなたにとっては重要であるということを忘れてはなりません。
恐怖から逃れても構いませんが、あなたはいつかそれと向き合わなければならないのです。
あなたは恐怖の感情を毛嫌いしてはなりません。
恐怖も重要なメッセージであるということを理解し、恐怖に感じることでさえ大切にしてみましょう。
恐怖に対してもリラックスし、それがいつか安心に変わるように努めましょう。
恐怖に感じることに対して安心感を得ることができれば、あなたはより成長した自己と、素敵な日々と、豊かな人生を得ることができるでしょう。
恐怖に感じることに対して逃げているだけで何も行動することがなければ、あなたはより衰退した自己と、退屈で苦しい日々と、乏しい人生を得ることになるでしょう。
無理に恐怖として感じることに対して向き合う必要はありません。
しかしながら、恐怖に感じることに対しての嫌悪感を取り除かなければならないのです。
嫌悪感を持ったまま豊かな人生を生きる人はいません。
気分が悪いのに幸福を得ることはできないのです。
恐怖が少ない方が幸福であり豊かです。
あなたは恐怖に対して好感を持ちましょう。
恐怖はあなたにいつかは乗り越えるべき壁、いつかは解決すべき問題を教えてくれている親切な感情であるのです。
あなたがやるべきことは心が教えてくれます。
心の声に耳を傾けましょう。
心が恐怖を叫んだからといって無視を決め込んではなりません。
誰かが助けを叫べば、あなたは助けに向かうでしょう?
それと同じです。
心が恐怖を叫んだら、あなたは自らの心を助けるために恐怖に向き合いましょう。

2014年3月23日日曜日

自分にできること

あなたは自分自身にできることをしなければなりません。
人はどのような状況であっても、そこで自分自身にできることはやらなければならないのです。
あなたが自分自身にできると思うことが、あなたが今やらなければならないことなのです。
あなたは自分自身にできることをしましょう。
何ができるのかを考え続けましょう。
自分自身が「やらなければならないこと」ではありません。
自分自身にできることをするのです。
どのような立場の人にも、必ずできることはあるのです。
あなたは自分にはできることがあるということを信じておきましょう。
自分にはできることがないと自己憐憫(じこれんびん)によって苦しんではなりません。
あなたには必ずできることがあるのです。
すべての人は、自分自身の力を使って誰かや何かの役に立たなければなりません。
人は誰かや何かの役に立つことによって自らの価値を見出します。
人は他人に感謝されることによって、自分自身の価値を理解することができるということを知りましょう。
人は自分以外の存在から自分自身を知るのです。
あなたは自分自身という存在が、誰かや何かの役に立つということを目指さなければなりません。
あなたが誰かや何かの役に立とうと考えた時、その考えや行動は良いものとなります。
誰かや何かの役に立とうと考えることがなければ、その考えや行動は消極的なものや破滅的なものになるということを覚えておかなければならないでしょう。
自分自身のことは容易いものです。
人が自分自身の満足だけを考えるのならば、あなたは力と時間と喜びを持て余してしまうでしょう。
余力を残しては、そこに満足は得られないのです。
人は一生懸命に力を使った時に満足を得ることができる、ということを覚えておかなければなりません。
一生懸命に力を使うことは楽なことではありません。
一生懸命に力を使うと疲労を覚えます。
しかしながら、疲労を覚えることがなければ満足を得ることができないのです。
胃の中に食物が溜まっているのであれば、人は新たに食べる食物を美味しいと感じることはないでしょう。
お腹が空いて、空腹を覚えるから美味しいと感じるのです。
喉が渇いていなければ、水を飲むことでさえ苦しいと感じるでしょう。
力も同じことです。
力を使うことなく出し惜しんでいるのならば、あなたが満足を得ることはないのです。
力を使うことなく出し惜しんでいるのならば、あなたが喜びを得ることはないのです。
持っている力はすべて必要なものなのです。
必要なものは使わなければならないのです。
あなたは自分自身ができることをすれば良いのです。
難しいことはありません。
なぜなら、それは自分自身ができることだからです。
できないことをやれと言うのではありません。
できるから、それをやれと言うのです。
できることをしないのは怠慢です。
怠慢な者には豊かな結果は得られないのです。
自分自身にできることをしないのは罪であるということを理解しましょう。
助けることができるのに助けなければ、相手はあなたに怒りを覚えるでしょう。
怒りを覚えた相手は敵となり、あなたの豊かさを攻撃し、崩壊させるでしょう。
自分自身にできることをしていれば、それが無様であれ、相手があなたを非難することはないのです。
寧ろ、あなたの行為に感謝するでしょう。
自分のために一生懸命に努める人を敵とする人はいないのです。
今の自分ができることをしなければ、あなたがやらなければならないことなどできる訳がないのです。
できることをしなければ、本当にやりたいことなどできないのです。
あなたは自分に何ができるのかを考えましょう。
できないことはできなくても良いのです。
しかしながら、できることを隠してはなりません。
持っているのに出さなければ、あなたは信頼を失うでしょう。
あなたは自分自身にできることを探しましょう。
何かは必ずあるのです。
それが取るに足らない小さなことでも、できることならばやりましょう。

2014年3月22日土曜日

意欲と無欲

人生を豊かに生きるためには意欲を持たなければなりません。
欲を持つことがなければ、どのような方法を以てしても人生が豊かなものになることはないのです。
人生は自分自身が、自分自身の責任によって築きます。
すべての人が自分自身の力によって自分自身の人生を築かなければならないのです。
他人があなたの人生を築くことはできません。
他人によって築かれていると錯覚しているだけです。
他人の言成りになっていると思い込み、被害者を演じていてはなりません。
他人の意見をあなたが受け入れ、それを自分自身の責任によって行動したのです。
人生は自分自身の行動によって築かれるのです。
例外はありません。
すべては自分自身で選択し、自分自身で決定し、自分自身で行った結果であるのです。
あなたは人生が自分自身の責任によってのみ築かれているということを理解しましょう。
あなたが苦しんでいるのは、あなたの責任なのです。
あなたが喜んでいるのもあなたの責任なのです。
あなたが自分でそうしたのです。
誰のせいでもないのです。
誰かや何かのせいにしているのであれば、生涯を通じて人生が苦しいということを知りましょう。
自分自身の責任によって築かれている人生を、誰かや何かのせいにしているのであれば、それが良くなることなど有り得ないのです。
何事も間違えれば苦しいのです。
あなたは正しい方法を学ばなければならないのです。
どのような道においても、その場のルールを守ることなく喜びを得ることはできません。
あなたは正しいルールを知らなければならないのです。
人生は自分自身の行動の結果です。
あなたは先ずそのルールを理解しましょう。
あなたが行わなければ何も始まらず、何も変わらないのです。
海原に漂う船舶が動力を失えば、大海をさまようだけなのです。
目的地に辿り着くためには、そこを目指して進まなければならないのです。
間違った航路を行けば、目的地には辿り着けません。
間違った方法では人生が豊かになることはないのです。
行動の原動力は欲です。
欲によって人は行動するのです。
そして、欲には二つの選択肢があります。
あなたの思考に建設的な性質と破滅的な性質があるように、あなたの欲にも建設的な意欲と、破滅的な無欲というものがあるのです。
意欲的な人は良くも悪くも行動するのです。
無欲な人は行動しません。
行動することがなければ何も始まりません。
そして、何も変わらないのです。
行動しなければそれが正しいのか、間違っているのかも分かりません。
分からなければ始められないのです。
そして、変えられないのです。
あなたは欲を持たなければなりません。
意欲によって行動するのです。
人生の豊かさは、どれだけ行動することができたのか?によって決まるのです。
善人だからという理由だけでは、あなたが豊かな人生を生きることはできません。
悪人でも、行動するのであれば豊かな人生を生きることができるのです。
人生の豊かさは、(人間が考える)善と悪によっては決まらないのです。
行動することで、この世界のルールを理解することによって決まるのです。
ルールに従う人が苦しむことなど有り得ないのです。
ルールに従わない人が喜ぶこともありません。
あなたはより良い方法を学んでいるのです。
意欲を持たなければなりません。
「知りたい」「欲しい」「与えたい」という欲を持つのです。
無欲な者は無気力であり、その行動は消極的です。
目的地を目指して進むことなく、他力に頼っているのであれば、目的地には辿り着けないのです。
他力によっては、目的地とは違う場所に運ばれるのです。
自らがそうしたのに文句を言ってはなりません。
文句を言わなくても良いように、あなたは意欲によって自ら行動するのです。
「知りたい」「欲しい」「与えたい」という欲を以て人生を生きましょう。

2014年3月21日金曜日

神の子

人の子は素直に生きなければなりません。
人の子は懸命に生きなければなりません。
人の子は喜びに従って生きなければなりません。
人の子は感謝して生きなければなりません。
人の子は謙虚に生きなければなりません。
人の子は反省して生きなければなりません。
人の子は正しく生きなければなりません。
人の子は貢献するように生きなければなりません。
人の子は優しく生きなければなりません。
人の子は堅固に生きなければなりません。
人の子は強く生きなければなりません。
人の子は受け入れて生きなければなりません。
人の子は成長しながら生きなければなりません。
人の子は苦しみながらも生きなければなりません。
人の子は豊かに生きなければなりません。
人の子は、それでも人生を生きなければならないのです。
人は皆「神の子」です。
神とは光です。
神とは愛です。
神とは喜びです。
神とは優しさです。
神とは厳しさです。
神とは苦しみです。
神とは怒りです。
神とは悲しみです。
神とはすべてを指し示すものなのです。
あなたは人生におけるすべての状況から学びます。
すべてはあなたにとって大切であり、重要な意味を持ち、相応しいことなのです。
すべてが必要であるのです。
あなたはそれを学び、自らを正さなければならないのです。
すべてが必要であるということを理解し、すべてに対して素直に生きましょう。
素直というのは、物事を自分が感じたままに表現することではありません。
あなたの了見は狭いということを理解しましょう。
すべてがあなたにとって必要であるのだから、すべてが良いものであるのです。
その概念に対する素直さとは、すべてに感謝することができるということなのです。
すべてのことに対して感謝することができる人こそが、素直な人であるのです。
この世の事柄を苦しみや怒りなどの破滅的な思考によって捉えるというのは、捻(ひね)くれているのです。
人の子は、この世の理(ことわり)に対して素直でなければならないということを覚えておきましょう。
素直な人には喜びがあるでしょう。
素直な人には豊かさがあるのです。
それは、素直な人は学ぶことができるからです。
学ぶことによって成長するのです。
素直に受け入れる人は反省し、改良し、向上するのです。
捻くれて反発し、傲慢で怠惰な人は、衰退するのです。
この世のすべてがあなたにとって相応しいのです。
すべてがあなたにとって大切な学びであるのです。
素直な態度であれば、それを受け入れて喜びます。
苦しいことに対して苦しいという感情を持つのは捻くれているのです。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
すべては神の成す業、原因から導き出された当然の結果なのです。
そこに間違いはないのです。
すべての本質は喜びであるのです。
そのことに気が付くことができれば、あなたは不満や心配によって苦しむことはないでしょう。
人は皆「神の子」であるということを理解しましょう。
あなたは光であり、愛であり、喜びであり、優しさであり、厳しさであり、苦しみであり、怒りであり、悲しみであるのです。
この世には、あなたを害するもの(状況)はないということを理解しましょう。
すべてがあなたにとっての大切な学びです。
素直に生きましょう。

2014年3月20日木曜日

美しさを損なう枝

人生を豊かなものにするためには、満足のいく状況を増やさなければなりません。
満足することがなければ、人生は豊かではないのです。
満足とは、喜びによって実現します。
喜ぶことがなければ、満足を得ることはできないのです。
あなたはその人生に喜びがあるように努めなければならないのです。
喜びとは可能性です。
あなたはそのことを理解しなければなりません。
人は可能性を見た時に喜ぶのだということを理解するのならば、あなたが道を迷うことはないのです。
あなたは何が喜びであり、何が苦しみであるのか?
何が可能性であり、何が可能性を潰すものであるのか?という判断を得なければならないのです。
その見極めが素早いほど、あなたは豊かな人生を実現する可能性が高まるのです。
利にならないことを続けても、そこに喜びはありません。
あなたはそれが自らの利益に叶う選択であるのか?ということを考えなければなりません。
あなたの選択が結果としてどのような状況を導くのか?ということを想像したり、体験から学ぶのです。
良いことを続けるのであれば、あなたは喜びを得るという結果を手にするでしょう。
悪いことを続けるのであれば、あなたは苦しみを得るという結果を手にするのです。
喜びに繋がる良いことをしなければ、喜びは得られないのです。
すべては豊かさに近付きます。
どのようなことも豊かに実るのです。
善行も悪行も豊かに実ります。
すべての事柄がプラスにもマイナスにも進むのです。
美しい樹形を築く時には、美しさを損なう枝を落とさなければなりません。
美しさを損なう枝があれば、美しさは実現しません。
美しさを損なう枝も、その他の美しい枝と同様に育ちます。
樹木が成長するほどに、美しさを損なう枝は、樹形の美しさを奪い去るのです。
それが美しさを損なう枝であると理解した時点において、それを落とさなければなりません。
美しさを損なうと理解しているにもかかわらずに育てたところで、あなたが満足を得ることはできないのです。
あなたの心が苦しいと感じることは、あなたの人生の豊かさにとっては、その豊かさを損なう行為であるということを知りましょう。
それが苦しいのであれば、間違った方法であるということを理解しなければならないのです。
あなたは貧困を苦しいと感じるでしょう。
それは、経済活動における失敗が貧困であるからです。
あなたは貧困が罪であるということを理解しなければならないのです。
あなたが苦しむのは、自らの方法が間違っているからです。
それがどのような道であっても、満足を得られないのは、自分自身に原因があるのです。
そのことを理解しなければなりません。
間違っているから苦しいのです。
自らを正当化し、言い逃れようとしても無駄なのです。
あなたは美しさを損なう選択をしてはいませんか?
悪くなる原因が存在しているのに、良くなるはずがないのです。
生活習慣が劣悪であるのならば、病気は避けられないのです。
どのような治療を受けても同じことなのです。
人は原因による結果を避けられないのです。
正しく生きているのであれば、豊かな人生は避けられないのです。
あなたはそのことを理解しておきましょう。
苦しいのは自分のせいなのです。
あなたが苦しむ原因をいつまでも大切に育てているのだから、その苦しみは成長し続けるのです。
あなたは気付かなければなりません。
定められたルールを犯し、機嫌を損ね、悪口を吐き、誰かを困らせているのであれば、あなたは苦しみを得るのです。
美しさには定義があります。
思いやりや愛情という建設的な心の状態こそが美しさであり、喜びであり、豊かさであるのです。
あなたは光り輝いていなければならないのです。
あなたの心は美しく輝いていますか?
あなたの考え、行動は胸を張って自慢することができるようなことでしょうか?
人に言えないような悪いことが、人生に豊かさを運ぶことなど有り得ないのです。
苦しいのは、それが間違った方法であるという明示(めいじ)なのです。
気が付かなければなりません。
美しくないから苦しむのです。
それを忘れてはならないのです。

2014年3月19日水曜日

強靭な意思

あなたは意思を持っていなければなりません。
意思こそがあなたの原動力であるということを理解しましょう。
意思のないことに関しては、あなたは行動することができないでしょう。
それは、自らが自発的に行動しない限りは、行動を持続することができないからです。
行動を持続することができなければ、達成はありません。
達成することが喜びであり、幸福であり、豊かさであるのです。
達成を得ない限りは、あなたは満足することができないのです。
達成を得るためには、それを達成するという意思が必要です。
意思もないのに達成することができる重要なことはないのです。
それが自分自身にとって重要であるほど、その達成は難しいということを知りましょう。
大して価値のないものは得易く、本当に価値のあるものは得難いのです。
そのため、本当に価値のあるものを得ようと考えるのであれば、それ相応の意思が必要であるのです。
樹木の種は地に落ちるだけでは発芽しません。
芽を出す種もあれば、そのまま朽ちる種もあるのです。
地に落ちて芽を出すことができる種は、芽を出すという意思を持っているということを理解しましょう。
意思とは命です。
そこに命があるから進歩上達するのです。
発芽した芽も、意思によって成長するのかを決めます。
発芽しても、成長する意思のない芽は枯れます。
発芽して、成長しようとする意思を持つ芽だけが成長し、やがて大樹となるのです。
すべてが意思の結果であるということを知りましょう。
どのような才能に恵まれようとも、意思がなければ役に立たないのです。
どのように優れた状況や環境を所有していようとも、それを活用しようとしなければ達成はないのです。
どれだけ強靭な意思を持っているのか?ということが重要なのです。
軟弱な意思であってはどのような道の達成も不可能なのです。
あなたは強い意思を持っていなければなりません。
どれだけの覚悟を以て事に当たるのか?ということが重要であるのです。
覚悟の無い者には達成は得られないのです。
それは、どの道を行っても、そこには必ず苦難が待ち構えているからです。
覚悟の無い者が苦難に会うと、怖じ気付いて逃げ出します。
諦める者が何を達成するというのでしょう?
諦めるのであるのだから、達成を得ることはできないのです。
どの道を行くにしても、達成を得るのは諦めない人であるのです。
あなたが本当に価値のあるものを得ようと考えているのであれば、どのような困難に会ったとしても諦めてはなりません。
必ず方法があるのです。
それを見付けなければならないのです。
その方法は自らの考えとは対極に存在しているかも知れません。
しかしながら、それが最善の方法であるのならば、あなたはそれをしなければならないのです。
自我によって得られる視野は狭いのです。
非我によって得ることができる視野が本物であるのです。
あなたが自らにとって本当に価値のあるものを得るためには、自我にこだわっていてはなりません。
その道を達成するという意思にこだわらなければならないのです。
その道を達成するという意思にこだわるのであれば、自らが未熟であるということを悟るでしょう。
自我によって進むことができるのは途中までです。
それ以上は非我によってのみ進むことができるのです。
あなたは強靭な意思を持たなければなりません。
しかし、あなたは素直にならなければなりません。
あなたは柔軟でなければならないのです。
どのような方法を用いても、その道を進み達成を得るという強い意思(覚悟)を持つのです。
草に負ける樹木は枯れます。
草が覆い被さったとしても、わずかな光を頼りに進む枝葉は自身を生かします。
上手くいかないことなど常にあるのです。
すべての条件が整うことなどありはしないのです。
あなたがどのような状況を得ようとも、道を達成するという意思を持っているのであれば、その困難を乗り越えて進むでしょう。
地に落ちた種が芽を出して大樹へと成長するように、あなたは小さなことを始めて大きなものを残しましょう。
そこには強靭な意思がなければなりません。

2014年3月18日火曜日

人間学

すべての存在は、自己を学ばなければなりません。
すべての存在が自分自身が何者であるのか?という答えに近付かなければならないのです。
あなたは人間です。
あなたは人間を学ばなければならないのです。
人間というものを知り、人間に近付き、人間として生きなければならないのです。
鳥が自らを鳥であると認識することなく、命を全うすることはできません。
樹木が自らを樹木であると理解することなく、生涯を意義のあるものにすることはできないのです。
人間は人間として生き、また、人間として死ななければならないのです。
生まれるも滅びるも、人間は人間としてでなければならないということを理解しましょう。
あなたは人間を追及しなければなりません。
人間が人間を知らずに生きることは、鳥がその翼を知らずに地を歩むことに同じです。
人間が人間としての価値を知ることがなければ、その人生からは豊かさと幸福が奪われるでしょう。
あなたが豊かな人生に幸福を求めているのであれば、人間としての価値ある生き方を発見しなければならないのです。
愚かに生きてはなりません。
愚かな人間になってはなりません。
あなたは賢明に生きなければならないのです。
鳥が空を行くことは賢明です。
食物を摂るにも、安全を守るにも、住居を築くにも、喜びを得るにも、鳥は空を行かなければならないのです。
人間がそれらを得るためには、人間としての価値を高める必要があります。
人間の最大の価値は知恵にあります。
人間の知恵こそが、鳥の翼のようなものであるのです。
そのため、人は知恵を深めなければならないのです。
あなたは堅固に思慮深く生きなければなりません。
目の前のそれがどのような結果をもたらすのかを考えられる範囲で想像しなければなりません。
完全な答えが出ることはないでしょうが、だいたいの道筋は想像がつくでしょう。
明らかに道を逸れていることを行うのであれば、確実にその報いが襲うのです。
考えることのない人は、その知恵が増すことはありません。
知恵の乏しい愚かな人は、翼の折れた鳥のようなものです。
翼の折れた鳥を尊(とうと)ぶ鳥はいないのです。
愚かな人を尊敬する人はいないのです。
人の価値は貢献することにあります。
貢献するほど価値を増し、貢献するほど求められます。
知恵の浅はかな愚か者が貢献することはできません。
そのような者は必要とされないのです。
それでは寂しいのです。
それでは充実しないのです。
あなたはより価値のある人間にならなければなりません。
あなたは人間を学び、その人格を高めなければならないのです。
人間を学ぶ意欲なく生きてはなりません。
人間を知ることなく死んではなりません。
あなたには常に人間関係という学びが与えられています。
あなたはそこから学ばなければなりません。
すべての状況があなたの心に語りかけます。
すべての状況に対して、あなたの心は反応します。
その反応によって自らを反省し、自らを高めなければならないのです。
人間を理解するのであれば、人間の世では尊ばれます。
人間を知らなければ、人間の世では疎(うと)まれるのです。
あなたは人間を学ばなければなりません。
人間であるにも関わらず、人間であることに熱意を失ってはなりません。
人間を嫌ってはなりません。
人間は素晴らしいものです。
あなたは自分自身を称(たた)えましょう。
他人を賞賛しましょう。
人間が人間であることを諦めてはなりません。
あなたは人間なのです。
生まれてから死ぬまで、あなたは人間なのです。
人間として生き、人間として死にましょう。

2014年3月17日月曜日

近くの泥

あなたは身近を大切にしなければなりません。
あなたにとって大切にすべきものは、あなたの近くにこそ存在しているのです。
あなたに近しい環境や状況や人物に親しまなければならないのです。
あなたは学んでいます。
人生のどのようなことも、あなたにとって必要であり、大切な意味を持ち、相応しいのです。
あなたはそれを学び、自らの汚れを除き、人格を高める修行をしているのです。
あなたは常に学びを身近に起きます。
あなたは自分自身でそれを意識してはいませんが、あなたの学びはあなたが触れることの中に存在しているのです。
人生はすべての瞬間が学びであるのです。
無駄は存在しません。
あなたが考えているよりも細かく、あなたが思っているよりも深く、人生の学びは存在しているのです。
あなたはそのことを覚えておかなければならないのです。
あなたが常に学んでいるということを知るなら、身近に存在しているものを蔑ろに扱うことはないでしょう。
身近に存在しているものを嫌う人がいます。
自らを生み育てた親兄弟、親族、近所の住人、職場の仲間、自らの生まれた土地、現在の生活・・・
自分自身の身近を嫌い、遠方に思いを馳せるのです。
身近を嫌っている人には、遠方にある景色が美しく見えています。
遠くに咲く花を見ては高揚しているのです。
しかしながら、遠方に見える景色も、身近に引き寄せれば同じことです。
遠くの花も、近くの花も同じものであるのです。
遠方に存在しているものはその粗(あら)が分からず、身近にあれば粗が見えるだけのことです。
近くの花も泥の中に咲いています。
近くの泥を嫌う人が遠方の花に憧れるのは、その時に泥が見えないからです。
遠くに瞬く星も、近くで見ればただの岩なのです。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
遠方のものは良いように見えます。
しかし、それを手にした時には、その幻想は打ち消されます。
遠方に思いを馳せて身近のものを軽んじてはなりません。
あなたにとって大切なものは、身近に存在しているということを理解しなければならないのです。
それが近くに存在しているほど、あなたにとっては重要なのです。
近いほど喜びは大きいのです。
近いほど楽しみは大きいのです。
近いほど怒りは大きいのです。
近いほど悲しみは大きいのです。
近いほど苦しみは大きいのです。
それは、近いものほど、あなたに対する影響力が大きいことを現しているのです。
感情が高まるほど重要なものであるということを知りましょう。
家族や恋人に遠慮がないのは、それが身近であるからです。
他人に感情をぶつけることができないのは、それが遠い間柄であるからなのです。
近いほど濃くなります。
あなたが充実した豊かな人生を望むのであれば、身近なものを大切にする必要があるのです。
あなたの所有する環境や状況や人間関係は、あなたにとっての大切な学びなのです。
そのことを理解しておかなければなりません。
あなたは身近なものに苦しみます。
しかしながら、学びとは自らにとって苦しいものなのです。
自らの汚れを取り除く作業であるのだから、苦しいのです。
あなたは病気の治療が苦しいものであると知っているでしょう?
あなたが心の汚れを除くことも、それと同じように苦しいものなのです。
そのことを理解しましょう。
苦しむことなく生きることができる人はいません。
すべての人は苦しみを経験するのです。
苦しみを乗り越えることができれば、そのことに関しては苦しまなくなります。
しかしながら、また苦しみが出てくるのです。
あなたにとっての苦しみは、あなたの身近から生じます。
そのため、身近に存在しているものを拒絶しようとしますが、逃げても無駄です。
逃げた先の身近によって、あなたは同じように苦しむからです。
身近に存在するものが自分自身にとって大切な学びであるということを理解し、それらを大切に扱ってみましょう。
大切に扱えば、見えてくる景色は変わってくるはずです。
その時、あなたは近くの泥も愛おしく思うでしょう。

2014年3月16日日曜日

油断大敵

あなたは自らの油断に注意しなければなりません。
油断は大敵です。
あなたは気を緩めてはならないのです。
何事に従事する時にも、あなたは気持ちを引き締めてそれに当たらなければならないのです。
あなたは自らが善人であるから守られると考えてはなりません。
あなたが善人という理由だけでは守られないのです。
善人も呼吸を止めれば死を得るのです。
善人という理由だけでは守られないのです。
あなたはそのことを覚えておかなければなりません。
安心することは大切です。
安心がなければ、それだけで人は苦しみます。
しかしながら、安心に浸り、それに溺れるのであれば、それは油断となり、あなたは災難に会うでしょう。
あなたは安心感と共に危機感を持っていなければなりません。
気の緩みが取り返しの付かない事故を引き起こしてしまうのです。
事故を得た後では遅いのです。
あなたが油断することがなければ避けられる事故があるのです。
避けられることは避けましょう。
どうしようもないことは仕方がありません。
しかしながら、詰まらない油断によって事故を起こすのであれば、その苦しみは増すでしょう。
できることができないのは問題なのです。
できないことは許されますが、できるのにやらないのであれば許されません。
気の緩みによってできることができないという状態。
気の緩みによって事故を得るということがあってはならないのです。
あなたは油断に注意しましょう。
油断は慣れによって生じます。
人は慣れによって横着になるということを覚えておきましょう。
慣れることによって怠けるということを知っておかなければならないのです。
油断とは怠けです。
やるべきことを疎かにしている状態が油断であるのです。
やるべきことを疎かにしている善人よりも、やるべきことを忠実にこなす悪人の方が守られるということを知りましょう。
怠惰な善人よりも、勤勉な悪人の方が結果を残せるのです。
あなたが善人であれば、それはとても素晴らしいことです。
しかしながら、善人であるだけではならないのです。
この世界は結果を残す者を優遇します。
一つも悪事を行ったことのない人であっても、怠惰で油断している人には苦しみがあります。
いくつもの悪事を行った人であっても、勤勉で注意深い人には喜びがあるでしょう。
それを不公平だと考えてはなりません。
あなたは油断してはなりません。
それが取るに足らないことであるにしても、それが自分自身よりも弱い存在であれ、油断している人は、その取るに足らないことや弱い存在によって痛み付けられるのです。
小さな生き物であると油断し、何の警戒もなく手を伸ばしたところを毒牙が襲うでしょう。
小さな生き物であっても、あなたの命を奪う力は十分に持っているのです。
油断は大敵です。
あなたは軽んじてはなりません。
どのようなものにも敬意を払いましょう。
何事も注意深く行わなければなりません。
気を緩めてはなりません。
見ていても見えていない時があります。
分かっていても分かっていないことがあるのです。
気の緩みがあなたの認識を遅らせ、歪めます。
何事にも気を張りましょう。
目の前のことに集中しましょう。
あなたは目的意識を保たなければなりません。
慣れによって麻痺した感覚に注意しましょう。
注意深く、思慮深く行うのです。

2014年3月15日土曜日

我慢

あなたは堪え忍ばなければなりません。
あなたは我慢しなければならないのです。
堪え忍ぶことを疎かにしてはなりません。
人は我慢しなければならないのです。
人生には勢いというものが必要です。
減り張りを用いなければなりません。
何をするにしても、鈍鈍(のろのろ)としていては結果を残すことはできません。
鈍鈍と小出しにしている分だけ力が分散してしまうのです。
欲しくもないものを大量に買って散財するよりも、貯金して本当に欲しいものを手に入れる方が多くの喜びがあるでしょう。
毎日が休日であるよりも、たまの休みに多くの喜びを感じるのです。
毎日が休日であるなら、あなたは不安と心配によって苦しむでしょう。
我慢して労働し、堪え忍んできたからこそ、休日は喜びを運ぶのです。
胃の中に食物がなければ、水の味にさえ感動するでしょう。
胃の中に食物が多く入っている状態では、どのような美味も苦痛なのです。
我慢することによって喜びは大きく膨れるということを覚えておきましょう。
何であれ、堪え忍ぶことによって溜まるのです。
嫌なことを我慢している人の心の中に、怒りが沸沸(ふつふつ)と湧き起るようにです。
あなたはこの理(ことわり)を喜びのために利用しなければなりません。
あなたは失敗します。
人生には理想通りに進まない状況が多々あるのです。
その時に、それが理想通りに進まないからといって我慢を忘れてはなりません。
理想通りに進まない状況は、あなたに勢いを付けるためにエネルギーが溜まっているのだと理解しましょう。
苦しいことを知らない人には、喜びは分かりません。
その苦しみが大きいほど、小さなことにまで喜びが及ぶのです。
苦しみを知らずにいる人は、小さなことに喜ぶことができません。
そのような人は理想ばかりが高くなり、不満と傲慢に溺れるのです。
怒りこそが苦しみであると知りましょう。
堪え忍ぶことを知らない人は怒ります。
我慢することは簡単なことではありません。
我慢することには努力が必要なのです。
努力する人は怒りに支配されないのです。
あなたが我慢しなければならない時、見えないところにはエネルギーが蓄積しているということを知りましょう。
そのエネルギーは建設的にも、破滅的にも利用することができます。
あなたが豊かな人生や幸福を求めているのであれば、そのエネルギーを建設的な方法によって利用しなければなりません。
我慢が苦しいと思い込んではなりません。
苦しみが蓄積していると思う人は、その力を破滅的な方法以外に変換することができないのです。
喜びが蓄積していると思う人は、その力を建設的な方法に変換することができるのです。
要は考えようです。
あなたがどのように捉えるのかが重要なのです。
人生には堪え忍ばなければならない時機、我慢しなければならない状況があります。
しかしながら、それも大切な学びであるのです。
我慢することなく生きるのは気楽です。
しかしながら、堪え忍ぶことができない人はその器量も乏しいということを知りましょう。
すぐに不満を抱え文句を言う人がいます。
そのような人が豊かな人生と幸福を得たでしょうか?
あなたの周りの成功者は不満や泣き言を言わないでしょう。
堪え忍ぶことを知らない者が成功することはできません。
忍耐の無い者には、どのような道も歩むことができないのです。
到達しなければ達成しません。
勢い良く飛び出せば、遠くにまで及びます。
勢いは我慢によって得られるのです。
あなたは必要な我慢を覚えましょう。
我慢しなければならない状況では我慢しましょう。
それを見極めなければなりません。
苦しんでいる人は苦しみましょう。
そうすれば、小さなことに対して喜びを得られるでしょう。
乾いた土地には、一滴の雨粒でさえ豊かさであるのです。
一滴の雨粒も蔑ろにしてはなりません。
一歩を疎かにしてはなりません。
苦しい状況においても、我慢して努めましょう。

2014年3月14日金曜日

初めに戻る

すべての人は「初め」に戻されます。
すべての人が初めからやり直させられるのです。
それは理解するためです。
あなたは理解しなければならないのです。
どのような道を進んでも、あなたは必ず初めに戻されるのです。
それを避けることはできません。
すべての人が、道を理解することが難しいということを知りましょう。
何度もやり直すことによって完成に近付けるのです。
一度で完成させることはできません。
それは、何事も一度では理解することができないからです。
しかしながら、これまで積み上げてきたことが無駄になることはありません。
これまで積み上げてきたことは、ここまでやってくるための必要であったからです。
そして、それはこれからに生かされるのです。
あなたはこれまでの経験をこれからに生かさなければなりません。
しかしながら、あなたは初めに戻されます。
これまでの経験を持ちつつ、初めから積み上げるのです。
途中まで築いたものは歪です。
それは、現状よりも未熟な方法によって築かれたものであるからです。
あなたは新たな方法を得ます。
あなたが新たな方法を得るのであれば、それを使って築かなければならないのです。
新たな方法と、これまでの方法とは相容れないものです。
新たな方法は新たな方法のみで機能するのです。
新しいものは新しいものと馴染み、古いものは古いものと馴染むのです。
あなたは初めに戻されます。
それは、あなたが新しいものに古いものを持ち込まないためです。
(ここで言う古いものとは、未熟な方法のことであり、良き古いもののことではない)
成功するための方法に失敗するための方法を持ち込んではならないのです。
古いものをいつまでも引き摺る人がいますが、あなたは初めに戻されたのです。
初めから始めようというのに、古い方法を用いるのは愚かなことであるのです。
初めから始めるのであれば、新しい方法を用いるのが賢いのです。
あなたは必ず失います。
その時には、「初め」に戻されたのだと理解しましょう。
その時には、あなたは自己を改めなければなりません。
あなたはリセットを得たのです。
それがチャンスであると考えましょう。
何かを失った時に苦しむ人がいます。
それは、失うこと(初めに戻ること)が悪いことだと考えているからです。
すべてはあなたにとって大切であり、必要であり、相応しいのです。
すべてがあなたにとって良いものなのです。
その事実を忘れている者、それを知らない者が苦しんでいるのです。
苦しむも喜ぶも、すべてはあなた次第なのです。
あなたは喜ばなければなりません。
あなたは幸福を得なければならないのです。
あなたは自らの人生を信じましょう。
すべての起ることが自分自身にとって重要であるということを忘れてはならないのです。
あなたはすべてをチャンスであると考えましょう。
初めからやり直せるということほど素晴らしいことはないのです。
やり直すことができなければ、あなたはより大きな苦しみを得ることになるでしょう。
やり直すことができるから喜べるのです。
あなたは失うことに苦しんではなりません。
上手くいかないこと、失敗を憎んではなりません。
あなたは初めに戻されます。
それは、あなたに与えられたチャンスなのです。
不貞腐れてはなりません。
初めに戻るから素晴らしいものが残せるのです。
人生を信じましょう。

2014年3月13日木曜日

何度も何度も

一度見ただけでは、あなたは理解しません。
二度見ただけでは、あなたは理解しません。
三度見ただけでは、あなたは理解しません。
四度見ただけでは、あなたは理解しません。
五度見ただけでは、あなたは理解しません。
六度見ただけでは、あなたは理解しません。
七度見ただけでは、あなたは理解しません。
八度見ただけでは、あなたは理解しません。
九度見ただけでは、あなたは理解しません。
十度見ただけでは、あなたは理解しません。
十度聞くだけでも、あなたは理解しません。
十度触れるだけでも、あなたは理解しません。
十度体験しても、あなたは理解しません。
十度手に入れても、あなたは理解しません。
あなたが理解する時、それは、あなたが苦しんだ時であると理解しましょう。
あなたは苦しまなければ理解することができないのです。
人は未熟です。
完全、完璧な人間は存在しません。
すべての人が人生に学び、自己を直しているのです。
あなたは何度も何度も学ばなければなりません。
あなたが自ら自己を直すまで、学びは続きます。
あなたはそれを理解するまで、何度も何度も苦しまなければならないのです。
あなたがそれを理解し、学びが終わる時に、その苦しみは去るのです。
あなたが理解し、自己を直すことがないのであれば、その苦しみが去ることはないと覚えておきましょう。
自己を直さない限りは、どのような喜びも得られないということを知りましょう。
自己を直さない者が得られる喜びはないのです。
喜びに見えるものは手にすることができますが、その中身は喜びに反しているのです。
綺麗な姿をした生き物に毒があるように、喜びに見えるものに喜んではなりません。
喜びに対しては喜ばなければなりませんが、喜びに見えるものには喜んではならないのです。
浅はかに生きてはなりません。
あなたは学んでいるのです。
自己を直すということは決して簡単なことではありません。
それは、あなたの態度に見て取れます。
あなたが苦しいと感じることを苦しいと感じなくなった後に、自己は直ります。
苦しいと感じるものが苦しいままであるのならば、自己が直ることはないのです。
それが苦しいと感じているままで喜びを得ることになれば、あなたは思慮深く注意していなければなりません。
自己を直すことなく得られる喜びは、喜びに見えるものであるということを知らなければならないのです。
自らが変わらなければ、世界が変わることはありません。
浅はかな者は、自分以外の誰かや何かが変わるという淡い期待に胸を弾ませます。
しかしながら、あなたの見ているこの世界というあなたの人生は、あなたが自らによって作り上げているものであるのです。
その事実を変えることは誰にもできないことであるのです。
誰かや何かが変わることで状況が変わるなどと考えてはなりません。
簡単なことに価値はないのです。
あなたにとって本当に価値のあるものは、あなたにとって難しいと知りましょう。
多くの浅はかな者は、楽を求めて簡単なことを目指します。
そのため、自分にとって本当に価値のあるものを得られずにいるのです。
他人にとって難しいことではありません。
自分にとっての難しいことなのです。
あなたはそれを十度見ても、聞いても、触れても、体験しても、手に入れても分かりません。
あなたにとって価値のあるものは、それほど難しいのです。
あなたはいつまでも分からないでしょう。
答えには辿り着けません。
人生を完成することができるなどと思い上がってはなりません。
あなたには足りません。
あなたには時間が足りないのです。
人は最期まで未熟であるということを知りましょう。
何度も何度も学び、何度も何度も苦しみましょう。
そうして、自己を直しましょう。

2014年3月12日水曜日

学びの途中

人は自らを直さなければなりません。
すべての人が自らを直すために人生を生きているのです。
あなたは自らが未熟であり、学びの途中であるということを知りましょう。
自らが未熟であり、学びの途中であるということを理解し、受け入れる人には幸いがあるでしょう。
自らを賢い者だと思い、学ぶことなどないと思い上がる傲慢(ごうまん)な者には災いがあるのです。
あなたは自らを未熟であると理解しましょう。
人の子は、汚れによって自らを賢者だと思い込みます。
どれだけ歳を取っても、人は人である時点において学んでいるのです。
どれだけ長く生きようとも、人は人であるが故に未熟なのです。
あなたがどのように考えようとも、あなたは未熟であり、人生に学ぶことは多いのです。
学びを疎かにする人には苦しみが付き添います。
学びとは、より良く生きるための方法です。
人は学ぶほどに自らを高め、成長することができます。
成長することができた者は、これまで以上に良い方法を理解し、人生に生かすでしょう。
より豊かになり、より幸福になるのです。
学びを疎かにしている者が成長することはありません。
その人はいつまでも同じことを繰り返しているのです。
若い時の習慣を年老いてまで続けることはできません。
どのような人にも叶わないのです。
人は肉体の衰えと共に、それに相応しい精神を実現する必要があるのです。
肉体は衰え、顔には深い皺(しわ)を掴んでいる人が、若者のように無知で傲慢ではならないのです。
人は経験から自らを反省し、直すことによって知恵と非我によって世界に貢献しなければならないのです。
あなたは自らを直すための経験を得ます。
あなたは自らの未熟さ、傲慢さを直す経験をさせられるのです。
それは、あなたよりも優れた存在の願いなのです。
あなたを愛する存在が、あなたに成長して欲しいと願っているのです。
そのため、あなたは学びに会うのです。
あなたのことを本当に大切に思っている親は、あなたを甘やかしはしません。
あなたに自立する力を得させようと、様々な経験を本人に体験させようとするのです。
あなたのことよりも、自分自身を大切に思っている親は、あなたを溺愛し、甘やかします。
あなたが自立する力を得ることを拒み、甘やかすことによって経験を奪い去ってしまうのです。
他人を育てようとせず、他人の力を奪う人は不幸です。
そのような人に育てられた人は自立する力がないからです。
飛べない雛鳥は、地面に叩き付けられて死ぬか、飢えて死ぬか、他の捕食者の餌食になって死ぬのです。
雛鳥が生きるためには、天から与えられた翼を精一杯に羽ばたかせて空を行く他ありません。
鳥は飛ばなければ命を繋げないのです。
人は学ばなければなりません。
鳥が空を行くのと、人が成長するのは同じことです。
人は知恵を深める生き物であるのです。
あなたは知恵によって問題を解決し、豊かさと幸福を実現するのです。
あなたは必ず嫌いな人に会います。
あなたは敵と共にあります。
この世界で嫌いな人、敵に躓(つまず)かない人はいません。
家族でさえ、敵となるのです。
しかしながら、それはあなたにとって必要な経験であるということを理解しましょう。
敵と対峙する状況に豊かさや幸福を得るためには、知恵が必要です。
知恵の浅い者では豊かさや幸福を得ることはできません。
そのような者は敵を攻撃して乏しさと不幸を得るからです。
あなたが嫌いな人、敵と会うのは、あなたに自らの愚かさを教えるためです。
敵に対して謙虚であり、自らを反省することができる人は成長することができます。
成長する人は自らを直す人なのです。
思い上がってはなりません。
嫌いな人、敵を憎んではなりません。
すべての状況が自らに相応しいと理解しなければならないのです。
あなたはどこにいても嫌いな人、敵と会います。
逃れても同じです。
あなたが嫌いな人、敵を愛し受け入れるまで学びは続きます。
自らを賢者だと思い込んではなりません。
あなたは学びの途中なのです。

2014年3月11日火曜日

美しい人

すべての人は人生に学んでいます。
すべての人は人生に謙虚さを学んでいるのです。
謙虚さとは愛の一種です。
愛とは謙虚さであるということを覚えておきましょう。
傲慢な態度によって愛を伝えることはできません。
傲慢な態度によっては、相手は気分を害するでしょう。
相手が気分を害しているのに、それが愛だと言えるのでしょうか?
愛とは、相手を思いやる気持ちです。
相手を思いやる時には、人は謙虚であるのです。
傲慢な者は相手を思いやってはいません。
傲慢な者は自我によって自らを思いやっているのです。
人は愛を学んでいます。
それは、人が人格を高めるためです。
愛によってのみ、人は高められます。
高尚な人というものは愛情深いということを知りましょう。
愛の高まりと共に、その人は高められます。
自我の高まりと共に、その人は下げられるのです。
あなたは謙虚さを忘れてはなりません。
人は未熟な存在です。
すべての人が汚れや弱さを抱えているのです。
人はそれを直し、より洗練された美しい人にならなければならないのです。
そのためには、自我を手放し、謙虚さによって愛を高めることが求められるのです。
己を最上とする時、人は最下に至るということを理解しましょう。
あなたは他人を最上と考えなければなりません。
他人がどのような価値観や考え方を用いようとも、あなたはそれに対して自我によって対抗してはなりません。
他人がどのような価値観や考え方を用いようとも、あなたはそれを許しましょう。
対抗することで争っていては、あなたが苦しむことになるのです。
争いは消耗を生むのです。
争いによって豊かさが生まれるなどと思い込んではなりません。
豊かさは、愛によって導かれるのです。
愛のある場所には豊かさが存在します。
争いのある場所には乏しさが存在するのです。
それ故、あなたは他人と争ってはなりません。
それがどのような相手であっても、あなたは自我を振りかざしてはならないのです。
どのような相手に対しても、あなたは愛を以て接しましょう。
愛を忘れることがなければ、あなたは高められます。
あなたは愛によってのみ、豊かさを実現するのです。
この世界の理(ことわり)を軽視してはなりません。
あなたは理に逆らうことはできません。
あなたは理によって管理されているのです。
この世界は愛によって成り立ちます。
そのため、愛を持つ人ほど豊かになるのです。
あなたは謙虚になりましょう。
思い高ぶってはなりません。
謙虚に生きましょう。
謙遜によって、あなたは相手からの協力を得ることができます。
あなたが傲慢によって自我を通す時には、相手はあなたに対する協力を出し惜しむでしょう。
あなたが相手に愛を与えることによって、愛を得ることができるのです。
人は人生に愛を学びます。
あなたは謙虚でなければなりません。
あなたが偉そうに他人を見下す時、あなたは自分よりも力のある人から叱られます。
あなたはそれに逆らうことはできません。
どのように思おうとも謙虚にありましょう。
すべての事柄に感謝しましょう。
相手を許し、自分を許しましょう。
傲慢な者は奪われ、謙虚な者は与えられるでしょう。

2014年3月10日月曜日

心が踊る状況

人は心を守らなければなりません。
心とは、人の本質であるということを理解しましょう。
人は心によって存在しているのです。
心によって喜び、心によって苦しむのです。
人は心を無視することはできません。
どのような人も、自らの内に心が存在しているということを否定することはできないのです。
すべての人には心が備わり、それがその人を現しているのです。
あなたは心を守らなければなりません。
心を大切に育まなければならないのです。
心をぞんざいに扱ってはなりません。
心を無視してはならないのです。
人生を豊かなものにするためには、心を豊かにする必要があります。
心が豊かではない人が、人生を豊かなものにすることはできません。
人は、人生に心を映すのです。
あなたの人生は、その心を映したものであるということを覚えておきましょう。
あなたが楽しい気分の時には、どのような状況も楽しいものとなるでしょう。
あなたが苦しい気分の時には、どのような状況も苦しいものとなるのです。
心を守るということは、心に良い気分を保つということです。
楽しみや喜びや思いやりや優しさなどの、良い気分を実現することが重要なのです。
あなたは自らの心が良い気分を得られるような選択をしなければならないのです。
あなたは自らが楽しいと感じることを選択しましょう。
あなたが楽しいと感じることは、どのような理由があれ、あなたにとっては大切なことであるのです。
人は人生に学んでいます。
その学びから、自らの未熟さを改善し、より成長することを求められているのです。
それがどのようなことであれ、あなたが楽しい(やりたい)と思うものは、選択しなければなりません。
本質的に楽しくもないことを選択してはなりません。
苦しみというものは、楽しいことの中にあるから乗り越えられるのです。
嫌なことの中にある苦しみを乗り越えることなどできないのです。
楽しいことをしても、嫌なことをしても、そこには必ず苦しみが存在しています。
嫌なことをしている中の苦しみは、あなたの気分を著しく害します。
しかしながら、同じ苦しみであったとしても、それが楽しいことをしている中のものであるのならば、あなたの気分は優れるのです。
救いは楽しさの中に存在しているのです。
あなたが救いを求めるのであれば、楽しいことを選択しなければならないのです。
楽しいことを選択していないにも関わらず、救いを求めたとしても救われないのです。
あなたは楽しいことを選択しましょう。
ドキドキ、ワクワクするような心が踊る状況に触れるのです。
あなたは心が求めているものに従って人生を築きましょう。
好きなことをやっていれば、苦しいことにあっても努力や工夫に努めるでしょう。
嫌なことをやっているのであれば、苦しいことにあっては言い訳や諦めに努めるのです。
苦しみを乗り越えることがなければ、人生に豊かさなど存在しません。
心が楽しみを抱くことがなければ、人生に豊かさなど有り得ないのです。
あなたは血湧き肉踊ることを選択するのです。
あなたが最も興奮するものは何ですか?
中でも最も熱中することができるものです。
誰かのようにではありません。
あなたの中で最も楽しいことは何なのか?ということです。
心を守るというのは、楽しみを守るということです。
楽しくないことをして楽しい人はいません。
人は他人を騙すことができても、自分自身を騙すことはできないのです。
心に背いているのであれば、あなたは苦しみを受け取ることになります。
あなたには楽しいと思えることがあるはずです。
それが他人にどう映ろうと気にする必要はありません。
他人の目を気にして、自分の人生を放棄するのは滑稽(こっけい)です。
あなたは、自分の楽しみがどこにあるのか?を考えましょう。
心に従いましょう。

2014年3月9日日曜日

機嫌取り

あなたは自分の内に楽しみを見出さなければなりません。
あなたは自分の内に喜びを実現するのです。
自分自身というものが人生を決めます。
あなたは心が人生というものを決定しているということを知りましょう。
自らの心の状態である気分というものが、あなたの人生にとっては重要であるということを知らなければならないのです。
あなたは自らの心によって人生を生きているのです。
気分によって人生が決まるということを理解することができないかもしれません。
あなたが理解することができようができまいが、そんなことは関係ありません。
心臓が脈打ち、細胞が分裂し、食物を摂り、排泄し、睡眠を得るという生物の機能を理解して使っているでしょうか?
あなたが理解することがなくても、それらを用いて人生を築いているのです。
あなたが自らの気分が人生を決めるということを理解しようがするまいが、人生はあなたの気分に従って実現するのです。
あなたは理解しなくても構いません。
しかしながら、知っておかなければならないのです。
心を正しくコントロールする者だけが豊かな人生を生きることができるのだということを知らなければ、あなたは心のコントロールを失って乱れるでしょう。
操作を誤れば、どのような乗り物も地面に叩き付けられるのです。
あなたは心という乗り物に乗って、人生という道を前進しているということを知りましょう。
心の操作を誤れば、忽(たちま)ちのうちに心は地面に叩き付けられ、苦しみに至るでしょう。
あなたは心の操作を誤ってはならないのです。
心の操作とは気分の操作です。
気分を良く保つことが、あなたを豊かさという目的地に運ぶでしょう。
気分を害するのであれば、あなたは安全運転を失います。
スペードを出し過ぎていたり、操作を誤るのであれば、少しのミスによって事故を起こしてしまうのです。
あなたは心を落ち着けて、どのような状況に対しても上機嫌でいるように心掛けましょう。
良い気分で生きることが重要なのです。
良い気分で生きることで初めて、人は豊かさを得ることができるのです。
気分が良い人は、どのような状況を前にしても楽しいのです。
どこで、誰と、何をしていようとも、自分自身の気分が良いのであれば、それは楽しいのです。
どこで、誰と、何をしていようとも、自分自身の気分を害しているのであれば、それは苦しいのです。
場所や相手や状況などの、自分とは直接的に関係ないものが人生を決めている訳ではないのです。
あなたがどのような気分であるのかが重要なのです。
楽しい気分の人間は楽しいことを始めるでしょう。
優しい気分の人間は優しくすることができるでしょう。
退屈な気分の人間は退屈なことを始めるのです。
怒る気分の人間はどのようなことに関しても怒っているでしょう。
行動によって状況は実現します。
行動は意思によって導かれます。
気分が楽しい人は楽しむための行動をします。
気分が苦しい人は苦しむための行動をするのです。
人は自分自身の気分に従ってことを成すのです。
自分自身の機嫌を取り、良い気分でいることのできる人は幸いです。
そのような人は良い結果を得るのです。
良い気分によって生きているのであるから、物事を良いように捉え、良い未来を想像するのです。
そのようは人は幸福に生きることができるのです。
気分を害して生きているのであれば、物事を悪いように捉え、悪い未来を想像するのです。
あなたは気を付けなければなりません。
どのような状況においても心を乱してはなりません。
あなたは自分の内に喜びや楽しみを生み出さなければならないのです。
誰かや何かに機嫌を取らせてはなりません。
誰かや何かに頼ったところで、あなたの気分は晴れないのです。
どのように考えるのか?どのように捉えるのか?
それが重要です。
良い気分を得られるように物事を捉え、考えましょう。
良い気分を保ちましょう。
そのためには、他人を認め、許しましょう。
気分を害してはなりません。
自らの心をしっかりと操作し、豊かな人生に辿り着きましょう。

2014年3月8日土曜日

すべてはあなたのために

あなたは学んでいるのです。
あなたは学びから逃れることはできません。
人生は学びであるということを理解しましょう。
学ばない者は不幸を得るということを知りましょう。
この人生に生きている者は、この人生のルールを知っておかなければならないのです。
人は人生に学んでいます。
それは、自分自身の弱さ、未熟さ、間違った方法を改め、より良い人間になるためです。
人はより成長し、幸福を得るために生きているのです。
人は不幸を得てはならないのです。
すべての人が幸福を実現しなければならないということを知りましょう。
しかしながら、どのような人も苦しみから逃れることはできません。
すべての人が苦しみの先に幸福か不幸を得るのです。
苦しみが不幸ではないのです。
勘違いしてはなりません。
どの道にも苦しみは存在しているのです。
どのように正しい方法を用いても、何かしらの問題には出会します。
どのようにしても必ず困難という苦しみは生じるのです。
苦しみの存在しない道はありません。
問題や困難のない道はどこを探しても存在しないのです。
幸福を得る人も、苦しみを避けることはできません。
すべての人が苦しみに向かうのです。
あなたは学んでいるのです。
学んでいるということは、改善しなければならないということなのです。
改善するということは、悪いところを直すということです。
悪いことを直すのだから苦しいのです。
病気になった人は、その考え方、生活習慣や態度によって病気になりました。
そのような考え方、生活習慣や態度でなければ、そのような事態(病気)に陥ることはなかったのです。
病気は人に反省を促しているのです。
あなたの考え方、生活習慣や態度を直すようにと下るメッセージであるのです。
薬を飲んでも、手術をしても、病気は完治しません。
特定の病気を取り除くことができたとしても、自分自身が何も変わっていないのであれば、違う病気によって教えられるのです。
病気を治すこと、自らの考え方、生活習慣や態度を直すのは簡単なことではありません。
今までは、それを気に入って続けてきたからです。
しかしながら、それが間違っていたと教えられたのです。
結果がそう言っているのです。
苦しみに会った時に、人が自らを反省し、感謝の気持ちによって楽しんだり、喜んだりするのであれば、その苦しみは幸福へと向かいます。
苦しみに会った時に、人が自らを反省することなく、不満と心配によって怒ったり、悩んだりするのであれば、その苦しみは不幸へと向かうということを理解しましょう。
幸福を欲するのであれば、あなたは苦しみから逃れてはなりません。
否定的に捉えてしまうと反省には至らないのです。
苦しみを否定的に捉え、そこから逃れようとする人は、自らを反省する気がないのです。
自分が正しいと考えているから受け入れることができないのです。
あなたは苦しみが悪いものと考えてはなりません。
良薬は苦いのです。
甘いものを大量に食べたから病気になったのです。
あなたが克己(こっき)によって自制していたのであれば、苦しまずに済んだのです。
しかしながら、未熟なあなたは苦しまなければなりません。
人は苦しみから逃れることはできません。
悪いところ、未熟なところを直すために生きているのであるのだから、苦しみがなくなることは有り得ないのです。
苦しみを抱えているのが自然であると理解しましょう。
苦しみを乗り越えて幸福を掴むのだと知りましょう。
苦しみを否定している人は、その時点において不幸に向かうことが決まります。
苦しみは自らを直すためのものであるため、それを否定するのであれば、自らの反省点を直したくはないということなのです。
苦いからという理由で薬を飲まない人が病気を治すことはできないのです。
苦しみが自分自身のためであると受け入れ、自らを反省することができる人だけが、苦しみを乗り越えて幸福を実現するのです。
あなたは学んでいるということを忘れてはなりません。
すべてはあなたのためにあるのです。

2014年3月7日金曜日

人生からの教え

あなたは人生が学びの場所であるということを理解しましょう。
人生が学びの場所であるという前提を持っていなければ、あなたにとって人生は苦しみ以外の何物でもないでしょう。
人生は学びの場所であって、苦しい場所ではありません。
あなたは人生を勘違いしてはいませんか?
人生は学びの場所であるため、より喜びが膨らむのが自然なのです。
人生が苦しみを増すというのであれば、それはあなたが人生というものを間違って解釈しているということが言えるでしょう。
すべての人が人生に学んでいます。
人は学べば成長するのです。
成長するということは、以前に比べて上達するということです。
それによって人は、より良く人生を生きることができるということが言えるでしょう。
成長するほど、人生は豊かなものとなるのです。
年齢を重ねるほど、時間が経過するほど、人生が豊かなものになるというのが正解なのです。
苦しみが増す、より貧しくなるというのは、間違った方法(考え方、生き方)によって人生を選択しているということなのです。
正しい方法によって苦しむことなどないのです。
苦しいのは、間違っているからに他ならないのです。
あなたはそのことに気が付かなければなりません。
あなたが苦しいのは、誰かや何かのせいではありません。
あなたが苦しいというのであれば、それはあなたのせいであるのです。
あなたの方法が間違っているのです。
そのことを覚えておかなければなりません。
しかしながら、多くの人はその事実に気が付きません。
その事実を受け入れたくないために、自らを正当化して誰かや何かに責任転嫁するのです。
そして、更なる苦しみを導くのです。
あなたはすべての問題、すべての苦しみが、自分自身を反省するためのものであるということを知りましょう。
あなたの目的は成長にあるため、「間違っているのだから正しなさい」という人生からのメッセージであるということに気が付かなければならないのです。
あなたの方法が間違っていたから苦しみが導かれるのです。
あなたが毒を食べたから腹を下すのです。
あなたが不健康な生活態度であったから病気になったのです。
あなたが誰かの悪口や陰口を言ったから、誰かに攻撃されるのです。
あなたは知らないというでしょう。
自らを正当化し、その罪を認めないでしょう。
認めるも認めないのもあなたの自由です。
これは強制ではないのです。
苦しみたい者は苦しめば良いのです。
誰も止めません。
しかしながら、あなたが自らの罪を認め、反省して改善しようと努めるのであれば、問題があなたを苦しめることはなくなるのです。
成長すればその苦しみは解消されます。
すべてはあなたにとって必要であり、大切な意味を持ち、相応しいのです。
あなたがその問題、その苦しみに相応しくなければ、あなたはそれによって苦しむことはないのです。
このことを理解しましょう。
反省しなければならないのに、腹を立ててはなりません。
成長しなければならないのに、破滅的な感情によって自らを汚してはなりません。
怒るということは、反省していないということです。
怒るということは、自分が正しいと考えているということです。
怒るということは、誰かや何かが悪いと思っているということなのです。
そのような方法では、人生を豊かなものにすることはできません。
現状は、過去のあなたが自分自身で選んだ未来なのです。
至らないから苦しむのです。
正しい方法を実行している人が罪に問われることはないのです。
法律を厳守している人が、法律によって裁かれることなどないのです。
法律によって裁かれるのは、法律を犯した人であるのです。
あなたはすべての問題、苦しみが自らに反省を促しているということを理解しましょう。
決して忘れてはなりません。
すべては自分の責任なのです。
誰かや何かの責任ではないのです。
あなたは学んでいるのです。
自らが未熟であるということを忘れてはなりません。
付上ってはなりません。
人生からの大切な教えを真摯に聞きましょう。
それを怒りによって否定しているようではなりません。

2014年3月6日木曜日

人生を豊かなものにするためには、愛を理解する必要があります。
あなたは愛を学んでいるのです。
愛によってあなたは成長し、愛によって人生に豊かさを、心に幸福を実現するのです。
愛がなければ成長も、豊かさも、幸福もないということを理解しなければならないでしょう。
あなたは人生に愛を学んでいます。
良い仕事、良い人間関係、良い人生を得るためには、愛の土台が必要なのです。
愛の無い場所に良い仕事、良い人間関係、良い人生は存在しないということを覚えておきましょう。
それがどのような仕事であれ、その仕事に愛を用いるのであれば、それは良い仕事になるのです。
それがどのような人間関係であれ、その人間関係に愛を用いるのであれば、それは良い人間関係になります。
それがどのような人生であれ、その人生に愛を用いるのであれば、それは良い人生となるのです。
あなたがどこで、誰と、何をしているのかは関係ありません。
あなたの心の中、頭の中に愛が存在していることが重要なのです。
どこで、誰と、何をしていても、あなたの中に愛が存在しなければ、すべてが苦しみとなるでしょう。
あなたは愛を考え、愛を求め、愛を理解し、愛を与えなければなりません。
愛することによって、すべてが豊かさを得るということを知りましょう。
愛することがなければすべては貧しさを得るのです。
貧しい場所に幸福はないのです。
それがどのような状況であろうとも、そこに愛を感じることができるのであれば、その状況はあなたの幸福となるのです。
愛とは、思いやりです。
愛とは、許しです。
愛とは、容認です。
愛とは、接着剤であるのです。
愛はあなたとすべての存在を結び付けます。
愛によって、あなたはすべてとひとつになるということを理解しましょう。
あなたはすべてとひとつにならなければなりません。
それは、あなたの目の前に存在するすべてのことが、あなたにとって必要であり、大切な意味を持ち、相応しいからです。
あなたの目の前のことを否定したり、拒絶するということは、自らにとっての必要性と大切な意味、そして、相応しい学びを失うことになるのです。
愛は、あなたが自らの学びを正しく学ぶことができるように働き掛けます。
あなたに学ばせるために愛という接着剤が必要なのです。
愛とは、好きなものに対して生じるのではありません。
愛とは、既に理解し合っている者の間に生まれるのではありません。
愛とは、敵との間にこそ生じるのです。
上手くいかないものを結び付けるために愛があるのです。
相反するものを接着するのが愛の仕事であるのです。
既に結び付いているものの間には、愛以外の要素が生じているのです。
例えば、それは信頼や安心といったものです。
男女の愛が冷めるのはそのためです。
すでに結び付いているのだから、愛ではなく、信頼や安心感によって結び付いているのです。
敵のために愛があるのです。
仲間のために愛があるのではないのです。
愛を必要としているのはあなたの敵です。
あなたは敵を愛するのです。
仲間を愛しはしません。
あなたが愛を理解するためには、仲間を愛していてはなりません。
あなたが愛を理解したいと考えるのであれば、敵を愛しましょう。
敵を愛してこそ愛に触れ、愛の意味を理解することができるでしょう。
好きなものを愛するのは自我によるえこひいきです。
そんなものは愛ではないのです。
愛はすべての存在に平等であるのです。
すべての存在に届くものなのです。
あなたが愛していると考えている時には、敵に対しても同じように思っているのかを考えましょう。
敵を愛していないのであれば、仲間をも愛してはいないのです。
愛を知らずに愛を理解したつもりではなりません。
愛が持つ、本当の意味を忘れてはなりません。
それは、あなたと敵を結び付ける力なのです。


2014年3月5日水曜日

楽しく死ぬ人

豊かな人生を生きるためには、他人の存在が重要です。
他人を無視して豊かな人生を生きることはできません。
どのような人物も他人と関わり合って生きているのです。
人は人と共に生きなければならないのです。
そのような学びがあるのです。
人は人を学ばなければなりません。
他人を学ぶということは、自分自身を学ぶことであるということを覚えておきましょう。
あなたは他人によって己を知るのです。
人が自分自身のことを理解すれば、それは即ち幸福です。
自分が何を得意とし、何によって満足し、何によって死ぬのか?
それを知っている人は幸福なのです。
自分が何を得意としているのか分からない。
何によって心が満たされるのかも分からない。
何のために死ぬのかも分からない。
自分を知らないというのは、それだけで不幸なことなのです。
豊かな人生を生きるためには、自分自身を理解するということが必要不可欠であるのです。
あなたは豊かな人生を生きて、幸福を得なければなりません。
そして、死を迎える時には喜ばなければならないのです。
死を苦しむような生き方をしてはならないのです。
他人を理解しようとせず、傲慢で愚かな人間は、自分を理解することもなく、乏しい人生を生きなければなりません。
乏しい人生を生きた人の感想は「人生は苦しい」ということです。
問題に対して苦悩し、不満や心配に付きまとわれて苦しむのです。
そのような心境の人は死をも苦しいと感じるのです。
死を喜ぶためには、充実した人生を送らなければなりません。
楽しく生きた人は、楽しく死ぬのです。
あなたは楽しく死ねる人にならなければならないのです。
楽しいことが正解です。
どのようなことも楽しくしなければならないのです。
人間関係に悩む人がいます。
悩んでいる人は苦しんでいるのです。
人間関係に苦しむ人は、他人を無視しているということに気が付かなければなりません。
相手に対する理解、許し、思いやり。
これらを無視して人間関係が上手く進むはずがないのです。
あなたは他人から自分自身を学んでいるのです。
他人を学んでいる訳ではありません。
あなたがその人間関係から逃れても、あなたが自分自身を学ぶことによって成長することがなければ、別の人間関係の中でこれまでと同じ問題(自分自身)を学ばなければならないのです。
問題から逃れたところでそれが解決することはありません。
錆(さび)が浮き始めた鉄を放置しても、錆が消えることはないのです。
錆を落とさなければ、鉄はやがて朽ちてしまうのです。
問題とはいつか向き合わなければなりません。
あなたは逃れられないのです。
問題は自分自身の中にこそ存在しているということを理解しましょう。
どのような方法を用いようとも、決して逃げ切れないのです。
覚悟を決めましょう。
あなたは他人を大切にしましょう。
他人を自分自身のように扱いましょう。
自分がされて嬉しいことを他人にしましょう。
自分がされて嫌なことを他人にしてはなりません。
他人との関係を上手く進めるためには、自分自身が変わる必要があります。
あなたは他人を変えることはできません。
自力によって苦しみを喜びに変えましょう。
そのためには、自分の態度が良くなる必要があるのです。
他人を大切にしなければなりません。
それがどのような相手であっても、その人に優しくするのがあなたの学びです。
ただし、我慢して誰かと付き合い続けろと言っているのではありません。
嫌なら離れれば良いのです。
しかしながら、学びは継続されているということを忘れないようにしなければなりません。
自分に合った方法によって、他人に優しくしましょう。

2014年3月4日火曜日

知らないこと、知っていること

人生は学びの場所です。
あなたは常に学んでいるのです。
あなたは自分が知らないことを学んでいるのです。
知らないことを知り、それを理解するから学びであるのです。
あなたは知らないことを知らなければなりません。
知らないことを知ることによって、未熟な自分を成長させなければならないのです。
知らないことを知るということは、あなたの人生にとってとても重要であるということを覚えておきましょう。
知らないことを知るということは、より良い方法を知るということなのです。
知っていることが多い方が、可能性としては広がります。
一つのことを知っているのであれば、一つの方法が使えます。
二つのことを知っているのであれば、二つ以上の方法が選択肢となるのです。
知っていることが多いほど、あなたはより良い方法を見付けるのだと理解しましょう。
あなたは豊かな人生を生きなければなりません。
幸福に生きることがあなたの仕事です。
豊かな人生とは、そのようにコントロールしなければ実現することはありません。
幸福も自分自身の考え方や生き方をそのようにしなければ得られないのです。
豊かになるためには、豊かになるための方法が必要です。
幸福になるためは、幸福になるための方法が必要なのです。
勝手に豊かな人生や幸福が舞い込むことはありません。
自分自身がそのようにしなければならないのです。
自分自身がそのようにするためには、そうするための方法を知っている必要があります。
方法を知らずにそれを実現することはできないのです。
あなたは学ばなければなりません。
知らないことを知るように努めるのです。
人生は勉強なのです。
あなたは勤勉でなければならないのです。
目の前の状況や他人から学びましょう。
あなたが対峙するすべての事柄の中に学びが存在しているのです。
取るに足らないことにさえ、大切な学びが存在しているということを理解しなければならないのです。
あなたは知っていると思い込んではなりません。
あなたが知っていると思い込んでいたとしても、実際には知らないのです。
歴史という人類の財産を費やしても、自然の中には人類に理解することができない謎が多いのです。
長い年月と人材を投じても、理解していないことの方が多いということを知りましょう。
一つのことを理解するために生涯を費やしている人でさえ、誰一人すべてを理解することはできませんでした。
どのように優れた人も、知らないことばかりであったのです。
歴史を振り返れば分かることです。
人類の英知を費やしても、分からないことが多いのに、あなたが分かった気でいてはならないのです。
人は未熟です。
あなたには学ぶべきことが多くあるのです。
知らないことを学びましょう。
そして、知っていることは他人に教えましょう。
あなたと同じように、すべての人が知らないことを知ろうとしてこの世界に学んでいるのです。
あなたが知っていることが、誰かにとっては可能性を広げる方法となるかもしれないのです。
一つでも多くの方法を知っている方が良いのです。
知っていることを溜め込んでいてはなりません。
他人のためになることは、あなたのためになるのです。
あなたが誰かを助けたのならば、誰かがあなたを助けるでしょう。
直接的に助けを得ることができなくても、間接的には必ずその報酬を得ることができるのです。
誰かのために知っていることを教えるのであれば、誰かがあなたの知らないことを教えてくれるでしょう。
より良い方法によって、人生は豊かさを、心は幸福を増します。
より良い方法が必要なのです。
あなたは学びに対して意欲的でなければなりません。
すべての状況があなたの学びです。
それがどのような状況であったとしても、そこから学び取れることを探し、知恵を深めましょう。
知恵によってあなたは喜ぶでしょう。
知恵の不足が人生を乏しくするのです。
人生が学びの場所であるということを忘れてはなりません。

2014年3月3日月曜日

怒らない人

これはあなたの学びであると理解しましょう。
あなたはこの人生に学んでいるのです。
すべての状況があなたにとって大切な意味があり、相応しいのです。
あなたにとって無意味なものは存在しません。
相応しくないものも存在しないのです。
すべてはあなたのために存在しているということを理解することなく、人生が学びとなることはないでしょう。
学ぶということは苦しいことです。
それは、自らの弱さに向き合わなければならないということだからです。
どのような人も、自らの弱さと向き合うのは辛いことです。
どのような人もそれと向き合わずに生きていたいと願っています。
しかしながら、人生とは学びの場所であるのです。
どのような人も自分自身の学びからは逃れられません。
すべての人が自らの弱さと向き合い、それを改善しなければならないのです。
自らの弱さと向き合うということは、苦しみに会うということです。
人は苦しい時、心を乱して怒りを覚えます。
あなたは苦しい状況に対して不満を覚え、文句や誹謗(ひぼう)をした覚えがあるでしょう。
寧ろ、普段からそのように振る舞っていることでしょう。
多くの人が苦しみに対して怒りをぶつけています。
弱さを抱える人は怒りによってのみ、自分自身を正当化することができるのです。
弱い人は怒ります。
それ以外に方法を知らないのです。
怒りとは、感情の中で最も強烈な力です。
そのため、心の中で目立つのです。
それはすぐに取り出せ、すぐに使うことが可能であるのです。
努力する人は怒りを静めます。
怒りに頼ることなく活路を探します。
怒りに任せて行う人には努力がありません。
苦しみに対する方法において最も幼稚で、最も簡単な方法が怒るということなのです。
怒る人は考えてはいません。
怒る人は短絡的にしか人生というものが見えていないのです。
自分では優れていると思い込んでいますが、残念ながら劣っているのです。
あなたは学んでいるということを覚えておきましょう。
自らの弱さを改善するのです。
あなたが怒らない時、その学びは完成するでしょう。
あなたが怒らない時、あなたは成長するのです。
怒ることなく状況を喜んだり、楽しんだりすることができれば、抱えている学び(問題)は終わります。
抱えている問題や苦しみを遠ざける唯一の方法が怒らないということを理解しましょう。
多くの人は怒ることが正しいと考えています。
怒りによって自分を正当化し、主張することが良いことだと思い込んでいるのです。
自我や我欲によって人生を築く者は、それ故に更なる苦しみを得るでしょう。
愛情や利他によって人生を築く者は、それ故に更なる喜びを得るのです。
多くの人からの支持を得ることが大切です。
誰からも相手にされず、誰からも好かれないのであれば、あなたの人生が豊かさを得ることなど有り得ないのです。
自分独りの力によっては、どのような豊かさも幸福も実現することはないのです。
あなたは人に好かれなければならないのです。
いつも怒りを抱え、不満や文句を吐いている人を誰が好くのでしょう?
多くの人は、いつも喜びによって楽しそうであり、満足や感謝を吐く人を好くのです。
人は光を求めます。
本来、人は優しく、愛情深く、努める生き物なのです。
あなたは人が愛という光を求めている存在であることを理解しましょう。
あなたが愛情深ければ、あなたの大切な人たちから好かれるでしょう。
あなたが怒りを好んでいるのであれば、あなたの大切な人たちから敬遠(けいえん)されるでしょう。
これは学びであるのです。
そのことを忘れないようにしておきましょう。

2014年3月2日日曜日

美しい心

美しさとは人為的なものです。
美しさは、あなたが自ら成さない限り実現しないものなのです。
美しい人生は美しい人格(心)によって築かれます。
美しい人格なしに、美しい人生は存在しません。
美しい人生とは豊かな人生のことです。
それは幸福に満ちたものであるということを知りましょう。
人は幸福を得なければなりません。
人は豊かな人生を生きるために、この世界に学んでいるのです。
あなたが目指すべきは美しさです。
それがどのような事柄であっても、美しい方が優れているということを理解しましょう。
汚れた水よりも、美しい水の方が優れています。
醜い造形よりも、美しい造形の方が優れています。
汚れによって歪んだ心よりも、純粋さによって真っ直ぐな心の方が美しく、優れているのです。
美しいということが優れているということを理解しましょう。
あなたは美しさを求めなければなりません。
外面も内面も美しいほど良いのです。
外面ばかりを磨いて内面を疎かにしてはなりません。
内面ばかりを磨いて外面を疎かにしてはなりません。
あなたは外面と内面、そのどちらも美しく磨かなければならないのです。
人生とは心の結果です。
あなたの思考こそが、あなたの状況を導きます。
あなたは自らが思考したことを行動し、その行動によって状況を築くのです。
その状況の積み重ねが人生となるのです。
あなたは美しさが己によって生み出されるということを知りましょう。
あなたは人格を磨かなければなりません。
人格とは価値観です。
それは考え方によって成り立ちます。
樹木は様々な場所から、様々な方向へと枝を伸ばします。
しかしながら、ただ枝を伸ばすだけでは美しさを得ることはできません。
美しい造形に相応しい枝によって美しさを実現するのです。
美しさを実現しない場所に枝を伸ばせば、その枝によって美しさが損なわれます。
樹木が美しさを得るためには、美しい造形に相応しくない枝を落とさなければならないのです。
美しくない枝をどれだけ丁寧に育てても、美しくないものは美しくないのです。
そのような枝を育てたところで良いことはないのです。
人の心が美しくあるためには、思いやりや優しさなどの建設的な思考が育たなければなりません。
怒りや心配などという破滅的な思考は、心の美しさを損なうものです。
そのような思考をどれだけ大切に育てても、心が美しくなることはないのです。
あなたは、美しい心というものがどのような思考によって形成されているのか?を考えましょう。
あなたが美しい心を想像した時に、それに相応しくない思考はできるだけ素早く切り捨てましょう。
だめなものはだめなのです。
決断しなければなりません。
ネガティブなことを考えている人が幸福を得ることなどできないのです。
不幸を考えている人は幸福を台無しにしてしまいます。
そのような人の心が美しいということはありません。
そして、そのような人の人生が美しいということもないのです。
あなたが不足(貧困)を感じているのであれば、あなたの人格が不足しているということを理解しましょう。
不足しているのは美しさです。
あなたが美しくあろうと努めるのであれば、あなたは美しくあります。
美しい人の人生は必ず美しいものであるのです。
汚い思考を育んではなりません。
汚い言葉を吐いてはなりません。
汚い行動を起こしてはなりません。
汚い人生を生きてはなりません。
汚い人であってはなりません。
あなたは美しくあろうと心掛けましょう。
美しいものは美しいものを生み出し、醜いものは醜いものを生み出します。
これは、この世界の理(ことわり)です。
覚えておきましょう。

2014年3月1日土曜日

楽しく生きる

あなたはこの世界のすべての事柄に意味が存在しているということを理解しなければなりません。
すべては大切なことなのです。
それがどのようなことであっても、その一つ一つに極めて重要な意味があるのです。
あなたは、それがどのようなものであっても、あなたの目の前に存在している事柄であるのならば、それを大切に扱わなければなりません。
自分自身に関するすべての事柄を、より良くする必要があるのです。
あなたに関することは、あなたにとって重要な意味を持っているものです。
あなたに関することは、あなたにとっての学びであるのです。
あなたはそれをより良くする使命を以て生まれるのです。
あなたはそれを蔑(ないがし)ろに扱ってはならないのです。
どのようなことも大切なものです。
それが今後必要ないと確信しているものであっても、それをその辺に無造作に放り投げてはなりません。
それがどのようなものであっても、あなたのこれまでを支えてくれたものであるのだから、手放す時にも感謝の気持ちによって、それを丁重に葬(ほうむ)るのです。
入ってくるものは有利に働くと思い込んでいるため、大抵の人はそれに感謝することができます。
しかしながら、自分から出ていくもの、自分から離れていくものに対して感謝する人よりも、それに対して無関心であるか、恨み言によって放ち追い討ちをかける人の方が多いのです。
使い物にならないものが使い物にならないという考えを捨てましょう。
手放す時に良い気分であるのならば、それを手放した後も心地好いのです。
手放す時に悪い気分であるのならば、それを手放した後も不快なのです。
物によってあなたの人生は決まりません。
人生が物によって決まるのであれば、夢も希望もないのです。
しかしながら、どれだけ高価な物を所有していても不幸な人はいるのです。
あなたは人生が気分によって決まるということを理解しましょう。
あなたの気分は、あなたの人格を現しています。
あなたの人格に従って気分が導かれるのです。
人格という原因によって、気分という結果が生じるのです。
あなたの人格が豊かなものであるのなら、豊かな気分が導かれるでしょう。
豊かな気分とは、良い気分のことです。
良い気分とは、思いやりや優しさなどの建設的な心の状態なのです。
人格に乏しい人からは、乏しい気分が生じます。
乏しい気分を所有している人からは、不満や不安などの破滅的な意思が生じるのです。
破滅的な意思によって豊かな人生を築くことはできません。
人格の乏しい人には、幸福な人生は有り得ないのです。
何に対しても不満や不安を並べ、自ら幸福を壊しているような人が、豊かな人生を生きることなどできるはずがないのです。
すべての状況が自分自身にとって相応しいのです。
すべては自分に相応しいことであるため、あなたの得ている状況はあなたという存在を如実(にょじつ)に現しているものであるのです。
あなたが不幸を感じるのは、あなたの気分が不幸な状態であるからです。
あなたが人生を苦しいと感じているのならば、その気分が苦しいのです。
すべてはあなたにとってただ相応しいのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、その状況に対して自分という存在が相応しいのかどうかを考えましょう。
宝の持ち腐れという言葉があるのです。
どのような力や状況も、あなたの状態がそれに相応しくなければその力や状況を生かすことはできません。
どのような宝を持っていても、その宝が蔵の奥にしまってあるだけなら、何の価値も生み出さないのです。
あなたの目の前に存在しているすべての事柄は、あなたにとって相応しいものです。
あなたがより良いものを求めているのであれば、自分という存在がその理想的な状況に相応しいのかを考えなければなりません。
自分という存在があって、その次に自分以外の存在があるのです。
この順番を間違えてはなりません。
あなたは自分自身を磨かなければなりません。
環境や他人のせいにしてはなりません。
同じ環境や同じ人に関わっていても、豊かに生きている人はいるのです。
環境や他人があなたを幸福にすることはありません。
残念ながら、あなたを不幸にすることもありません。
あなたを幸福にしているのも、不幸にしているのも、すべてはあなたの気分の問題であるのです。
あなたは自己を省みなければならないのです。
すべてはあなたの責任であるのです。
すべてのことが自分に相応しいという事実を理解して受け入れ、それをより良くしようと努めなければなりません。
良い気分によって生きることが重要であるのです。
楽しく生きましょう。