人は自らを直さなければなりません。
すべての人が自らを直すために人生を生きているのです。
あなたは自らが未熟であり、学びの途中であるということを知りましょう。
自らが未熟であり、学びの途中であるということを理解し、受け入れる人には幸いがあるでしょう。
自らを賢い者だと思い、学ぶことなどないと思い上がる傲慢(ごうまん)な者には災いがあるのです。
あなたは自らを未熟であると理解しましょう。
人の子は、汚れによって自らを賢者だと思い込みます。
どれだけ歳を取っても、人は人である時点において学んでいるのです。
どれだけ長く生きようとも、人は人であるが故に未熟なのです。
あなたがどのように考えようとも、あなたは未熟であり、人生に学ぶことは多いのです。
学びを疎かにする人には苦しみが付き添います。
学びとは、より良く生きるための方法です。
人は学ぶほどに自らを高め、成長することができます。
成長することができた者は、これまで以上に良い方法を理解し、人生に生かすでしょう。
より豊かになり、より幸福になるのです。
学びを疎かにしている者が成長することはありません。
その人はいつまでも同じことを繰り返しているのです。
若い時の習慣を年老いてまで続けることはできません。
どのような人にも叶わないのです。
人は肉体の衰えと共に、それに相応しい精神を実現する必要があるのです。
肉体は衰え、顔には深い皺(しわ)を掴んでいる人が、若者のように無知で傲慢ではならないのです。
人は経験から自らを反省し、直すことによって知恵と非我によって世界に貢献しなければならないのです。
あなたは自らを直すための経験を得ます。
あなたは自らの未熟さ、傲慢さを直す経験をさせられるのです。
それは、あなたよりも優れた存在の願いなのです。
あなたを愛する存在が、あなたに成長して欲しいと願っているのです。
そのため、あなたは学びに会うのです。
あなたのことを本当に大切に思っている親は、あなたを甘やかしはしません。
あなたに自立する力を得させようと、様々な経験を本人に体験させようとするのです。
あなたのことよりも、自分自身を大切に思っている親は、あなたを溺愛し、甘やかします。
あなたが自立する力を得ることを拒み、甘やかすことによって経験を奪い去ってしまうのです。
他人を育てようとせず、他人の力を奪う人は不幸です。
そのような人に育てられた人は自立する力がないからです。
飛べない雛鳥は、地面に叩き付けられて死ぬか、飢えて死ぬか、他の捕食者の餌食になって死ぬのです。
雛鳥が生きるためには、天から与えられた翼を精一杯に羽ばたかせて空を行く他ありません。
鳥は飛ばなければ命を繋げないのです。
人は学ばなければなりません。
鳥が空を行くのと、人が成長するのは同じことです。
人は知恵を深める生き物であるのです。
あなたは知恵によって問題を解決し、豊かさと幸福を実現するのです。
あなたは必ず嫌いな人に会います。
あなたは敵と共にあります。
この世界で嫌いな人、敵に躓(つまず)かない人はいません。
家族でさえ、敵となるのです。
しかしながら、それはあなたにとって必要な経験であるということを理解しましょう。
敵と対峙する状況に豊かさや幸福を得るためには、知恵が必要です。
知恵の浅い者では豊かさや幸福を得ることはできません。
そのような者は敵を攻撃して乏しさと不幸を得るからです。
あなたが嫌いな人、敵と会うのは、あなたに自らの愚かさを教えるためです。
敵に対して謙虚であり、自らを反省することができる人は成長することができます。
成長する人は自らを直す人なのです。
思い上がってはなりません。
嫌いな人、敵を憎んではなりません。
すべての状況が自らに相応しいと理解しなければならないのです。
あなたはどこにいても嫌いな人、敵と会います。
逃れても同じです。
あなたが嫌いな人、敵を愛し受け入れるまで学びは続きます。
自らを賢者だと思い込んではなりません。
あなたは学びの途中なのです。
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