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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2015年7月17日金曜日

過去の遺物

過去に価値を見出すことは、未来に価値を見出さないということです。
人は後ろを振り返りながら真っ直ぐに歩むことはできません。
真っ直ぐ前進したいのであれば、前方を見つめ、次の一歩をどこに置くのかを決めなければならないのです。
後ろを振り返りながらでは、次の一歩を踏み出すことすら、恐ろしくて叶わないでしょう。
後ろを振り返りながら前進するということは、矛盾している行為であるのです。
すべての人が幸福を求めています。
幸福の形はそれぞれに違いますが、それは満足感によってもたらされるのは共通しています。
それは、満足感によって成長することができるからです。
幸福とは、成長の結果であるのです。
人が成長するためには、向上しなければなりません。
向上するためには立ち止まっていてはなりません。
一歩でも前進することによって、人は成長を実現することができるのです。
前進するためには、未知を求めなければなりません。
無知を埋めていくことが、成長に繋がるのです。
ただ歳をとって老いるだけでは、幸福は得られません。
それは、正しい道のりではないのです。
無知な老人ほど扱いに困るものはないのです。
人が老いれば、それに伴って知恵が増すことが求められます。
無知を放置すれば、幸福は実現しないのです。
過去に価値を見出す人は、無知を気に掛けません。
無知であるが故に、過去に価値を見出すのです。
多くの人は過去に憧れを抱いています。
昔は良かったと賛美(さんび)しますが、それは同時に現状と未来を否定しているということなのです。
人が生きることができるのは現状と未来です。
過去に生きることはありません。
自らの生きる現状と未来を否定するのだから、無知に違いないのです。
自らの足場を崩して幸福を得ることができるのでしょうか?
現状と未来を否定して、どうして満足感が得られるのでしょうか?
そのような浅はかな考えの人は、否定している現状が過去になった時には、それを賛美するのです。
過去の回想の中に生きることによって、その繰り返しから抜け出せないでいるのです。
大切なのは現状と未来を生きるということです。
残念ながら、過去には価値がありません。
人は新たな可能性(考え方、価値観、生き方・・・)を求めて生きなければならないのです。
過去に執着する人は、可能性を得ることができません。
既成概念の中に取り残され、更なる苦悩を引き込むようになるのです。
過去の幸福な記憶は幻想です。
それは現実ではないのです。
幻想を掴むことはできません。
どう足掻(あが)いても、過去を取り戻すことはできないのです。
それは、価値がないからです。
過去を回想するよりも、未来に期待しましょう。
未来に可能性を得るために、多くのことに興味を持ち、多くのことを学ぶのです。
世界には、毎日新たな発想が生まれています。
それが非常識であろうとも、その可能性を否定してはならないのです。
非常識であるということは、新しいということです。
それが正しいかどうか?ということは問題ではないのです。
仮説であろうとも、可能性であるということを理解する必要があるのです。
新説というものは信じ難い側面を持ちます。
しかし、それが常識となった時に受けれたのでは遅過ぎるのです。
その時には、その考えは過去の遺物となっているのです。
それでは、再び過去に生きることになるでしょう。
未知に向かうことには勇気が必要です。
しかし、後ろを振り返りながら歩くことに比べれば簡単です。
過去に価値を見出すことによって、現状と未来の可能性を潰すことに注意しましょう。
前を見て、真っ直ぐに歩みましょう。

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