人が目指すべきは真実です。
	すべての人が真実を目指さなければなりません。
	それは、真実によって成長が実現し、真実によって真の喜びが得られるのです。
	偽りを目指しても、そこに成長はありません。
	成長がなければ、喜びもないのです。
	偽りの喜びを楽しむことはできますが、それはいつか破綻(はたん)するのです。
	人が喜びを得るためには、真実を目指す必要があるということを覚えておきましょう。
	真実とは、この世界の理(ことわり)です。
	この世界の理を理解しようと努めるのであれば、それは真実へと向かうのです。
	どのような道を選んでも構いません。
	どのような立場を取り、どのような思想体系であったとしても、理を追い求めるのであれば、その道は真実へと辿り着くのです。
	そのため、あなたが現在どこに立ち、どのような思想を抱いていたとしても、それが問題となることはありません。
	どこからでも、どのような方法によっても、人は理に向き合い、真実を得ることができるのです。
	言い訳は有益ではありません。
	できない理由があなたを真実に向かわせることはないのです。
	様々な状況を抱え、様々な問題を所有しているでしょうが、それを言い訳にしてはならないのです。
	どのような人も真実を求めるのです。
	条件が整うことなどないのです。
	人は何かが不足し、何かが溢れているのです。
	条件はいつも整いません。
	条件が整うことを待っているのであれば、あなたはいつまで経っても真実に辿り着くことはできないのです。
	あなたはこの瞬間にも真実へと向かうことができるのです。
	この言葉を読みながらも、理に触れ、真実へと向かって歩めるのです。
	あなたが誰で、どこで、何をしていようとも関係ありません。
	理はすべての状況に遍(あまね)く行き届いているからです。
	あなたは世界の理に取り囲まれているのです。
	重要なのはそれに気が付くことです。
	どのように大きなものであろうとも、どのような小さなものであろうとも、それは理に従っているのです。
	当たり前のことであろうとも、そうではないことであろうとも、それも理の表現であるのです。
	それを読み取ることが理を理解することに繋がります。
	理に対する理解を深めることによって、人は真実へと近付くことができるのです。
	立場はそれぞれに違います。
	しかし、目指している場所は一つです。
	真実は一つであるのです。
	そのことを理解しなければなりません。
	敵対する必要などないのです。
	真実への道のりが違うだけです。
	山頂に辿り着くのに、どの方角から登っても構わないのです。
	しかし、すべての道が山頂へと向かうのです。
	唯物論者であろうが、唯心論者であろうが構わないのです。
	ただ、それぞれの道が同じ真実へと向かうということさえ理解し、互いを尊重し合うことができれば良いのです。
	この世界には陰陽の仕組みが存在します。
	陰と陽の二つの性質は、それぞれが対極に位置しています。
	しかし、その二つの性質が合わさって一つとなるのです。
	片方であっては欠けています。
	それぞれが補い合っているのです。
	あなたと違う主張の持ち主は、あなたの敵ではありません。
	あなたのことを理解することがないからといって、それを否定してはなりません。
	すべてが真実へと向かっているということは、すべてを大切にしなければ真実に辿り着くことはできないのです。
	物事は多面的です。
	一つの面を完璧に理解したからといって、それが全体の理解には至りません。
	多くの面を持つこの世界の真実に至るためには、多くの面を学ぶ必要があるのです。
	すべての人が、様々な方法によって真実を目指しています。
	そのことを理解しましょう。
	互いに尊重し、補い合い、真実を目指しましょう。
	
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