すべての人は欲求を持ちます。
	すべての人は必要を欲しなければならないのです。
	すべての人は必要を満たそうと努めています。
	意識的にも、無意識的にも、必要に対する欲求を持っているのです。
	すべての人は欲求に従って行為します。
	欲求に従って考え、欲求に従って行い、欲求に従って得るのです。
	欲求とは、人に必要な学びを導く材料です。
	欲求を持つことは悪いことではありません。
	すべての人が欲求を持たなければなりません。
	欲求を持たなければ、学びを得ることができないのです。
	あなたは欲求に従います。
	欲求を否定することはできません。
	なぜなら、それは学ばなければならないことだからです。
	欲求を否定しても、それに従わなければなりません。
	あなたが否定することができるとすれば、欲求を満たす方法だけでしょう。
	様々な方法によって欲求を満たすことができます。
	その方法は多くあるのです。
	方法によって、幾らか心境に変化は生まれるでしょう。
	あなたは様々な方法の中から選べば良いでしょう。
	そうすることによって、必要な学びを快(こころよ)く受けることができるのです。
	しかし、どのような方法によっても避けられないことがあります。
	それは、因果の仕組みです。
	原因には必ず結果が伴います。
	同じように、結果にも必ず原因が伴っているのです。
	人は、何かを得る時には、何かを手放さなければなりません。
	人は、その掌(てのひら)に掴むことができるものを所有することはできますが、それ以外は所有することができないのです。
	掌からこぼれ落ちたものは、あなたの所有ではないのです。
	新たなものを所有するのであれば、これまでのものを手放さなければなりません。
	これまでのものを手放したくなければ、新たなものを所有することができなくなります。
	しかし、人は成長という目的のために存在しているため、新たなものを所有しなければなりません。
	その時には、必ずこれまでのものを手放さなければならないのです。
	多くの人はこの覚悟をしてはいません。
	これまでのものを所有したまま、新たなものを所有することができると考えているのです。
	新たなものを前にして、これまでのものを手放すことができません。
	それは強欲、もしくは恐怖が心に蔓延(はびこ)っているからです。
	あなたは掌以上のものを所有することはできません。
	新たなものを得る時には、これまでのものを手放さなければならないのです。
	あなたは覚悟しなければなりません。
	失うことは避けられません。
	あなたは受けたのだから。
	受けたにもかかわらず、失いたくないと意地を張るのであれば、それは、商品を受け取りながら代金を支払わない盗人と同じ扱いとなるのです。
	”神”は不義(ふぎ)を許しません。
	受けたにもかかわらず、手放さない強欲な者には、強制的な取り立てが行われることになります。
	自ら差し出したのであれば、感謝を得ることができます。
	しかし、受けたのに差し出さないというのであれば、罪の報(むく)いがその身に至るでしょう。
	差し出すことを前提にして受けなければなりません。
	受ければ差し出すことは自然なことなのです。
	強欲、もしくは恐怖が不自然を導いています。
	欲求の結果は損失です。
	あなたが求めた時、何かを失うでしょう。
	これは避けられませんが、あなたが自ら差し出したのであれば、受けるものはそれを超えるでしょう。
	しかし、あなたが取り立てられたのであれば、受けるものはそれを下回るでしょう。
	取り立てられる者は、乏しさを得るでしょう。
	差し出す者は、豊かさを得るでしょう。
	何かを得るためには、何かを失わなければならないことを受け入れましょう。
	都合の良い話はありません。
	商品を選ぶ時には、値札を確認する必要があるように、受けるものの代償を考える必要があるということを覚えておきましょう。
	
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