このブログについて

「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年5月15日日曜日

飽き足りること

あなたは、魂の汚れである人格を取り除かなければなりません。
人格は、人に苦悩を導きます。
それは、人格が苦悩の原因であるからです。
人は、人格という自我を明け渡し、比我(ひが)に生きる必要があります。
人生はあなたのものですが、世界はあなたのものではありません。
あなたは人生に学び、世界を向上させなければならないのです。
自分勝手に生きることは、人の目的ではありません。
それは、人格を増すことになり、あなたに苦悩を導きます。
人格はあなたに自分勝手な行為を導くのです。
それを頼りにしてはなりません。
あなたは、自分勝手に生きるために存在しているのではないのです。
あなたは、人格である自我を取り除き、世界に貢献するため、世界をより良い場所にするために存在しているのです。
あなたは自我を手放さなければなりません。
しかしながら、自我を手放すことは、自我を否定することではありません。
自我を手放すためには、自我を認めなければならないのです。
それは、自我を解放するという表現の方が相応しいでしょう。
自我を解放するには、それを受け入れる必要があります。
自我とは、感情に過ぎません。
感情が強固になった状態が人格なのです。
感情は認められること、受け入れられることによって解消します。
怒りであろうと、悲しみであろうとも、それを認め、受け入れることが許されたのであれば、解消するのです。
あなたを愛する人の前では、怒りも悲しみも消え去るでしょう。
そして、あなたは愛する人に尽くすでしょう。
あなたがあなたを愛する人に対してそうするように、あなたの中の人格を解消するためには、それを愛する必要があるのです。
否定することは争うことであり、争いによって、物事は強く結び付きます。
愛することは解くことです。
それは、愛することが与えることであるからです。
愛が豊かであるほど、物事は解け離れるのです。
そこには、信頼と安心が存在しているからです。
愛に乏しければ、恐怖と疑心が存在するのです。
人は恐怖と疑心によって与えることも、それを手放すこともできなくなり、執着と所有が導かれるのです。
愛情に乏しい人ほど、人格を手放すことができません。
愛情に乏しいために、多くを欲しているのです。
それは、愛情に乏しい人を自分勝手な行為に駆(か)り立てます。
重要なのは認めること、許すことなのです。
あなたは欲求に従いましょう。
自我に対して、気が済むまで与えるのです。
満たされることによって、気が済みます。
満たされているものが、それ以上を求めることはありません。
否定して奪うのであれば、より不足することになり、却(かえ)って長引くことになるのです。
これは、甘やかすということではありません。
愛情によって満足させ、指導を与えるということなのです。
満たされていなければ、決して何かを受け入れることはありません。
満たされていないのであれば、満たされていないと叫び続けるからです。
欲している者は欲するのです。
欲している者が聞き入れるという施(ほどこ)しをすることはないのです。
腹が減っているのであれば、腹一杯食わせれば良いのです。
腹が張って苦しめば、それを悩むことになるからです。
一度で理解しなければ、二度三度と苦しんで悩めば良いのです。
それを繰り返すことによって、腹が減っているという問題に躓(つまず)くことはなくなるでしょう。
あなたは欲求が途切れるまで求め続けます。
それは、苦しみ続けるということです。
あなたは苦しみ続けなければなりません。
自我があるほど、苦しまなければなりません。
それを避けることはできません。
それを避ける必要はありません。
人生は人格という魂の汚れを取り除く場所です。
誰も、その目的を否定することはできないのです。
あなたは満足しましょう。
満足しても飽きるまで与え続けるのです。
飽きれば止めます。
飽き足りることによって、問題を解決しましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿