あなたは、魂の汚れである人格を取り除かなければなりません。
	人格は、人に苦悩を導きます。
	それは、人格が苦悩の原因であるからです。
	人は、人格という自我を明け渡し、比我(ひが)に生きる必要があります。
	人生はあなたのものですが、世界はあなたのものではありません。
	あなたは人生に学び、世界を向上させなければならないのです。
	自分勝手に生きることは、人の目的ではありません。
	それは、人格を増すことになり、あなたに苦悩を導きます。
	人格はあなたに自分勝手な行為を導くのです。
	それを頼りにしてはなりません。
	あなたは、自分勝手に生きるために存在しているのではないのです。
	あなたは、人格である自我を取り除き、世界に貢献するため、世界をより良い場所にするために存在しているのです。
	あなたは自我を手放さなければなりません。
	しかしながら、自我を手放すことは、自我を否定することではありません。
	自我を手放すためには、自我を認めなければならないのです。
	それは、自我を解放するという表現の方が相応しいでしょう。
	自我を解放するには、それを受け入れる必要があります。
	自我とは、感情に過ぎません。
	感情が強固になった状態が人格なのです。
	感情は認められること、受け入れられることによって解消します。
	怒りであろうと、悲しみであろうとも、それを認め、受け入れることが許されたのであれば、解消するのです。
	あなたを愛する人の前では、怒りも悲しみも消え去るでしょう。
	そして、あなたは愛する人に尽くすでしょう。
	あなたがあなたを愛する人に対してそうするように、あなたの中の人格を解消するためには、それを愛する必要があるのです。
	否定することは争うことであり、争いによって、物事は強く結び付きます。
	愛することは解くことです。
	それは、愛することが与えることであるからです。
	愛が豊かであるほど、物事は解け離れるのです。
	そこには、信頼と安心が存在しているからです。
	愛に乏しければ、恐怖と疑心が存在するのです。
	人は恐怖と疑心によって与えることも、それを手放すこともできなくなり、執着と所有が導かれるのです。
	愛情に乏しい人ほど、人格を手放すことができません。
	愛情に乏しいために、多くを欲しているのです。
	それは、愛情に乏しい人を自分勝手な行為に駆(か)り立てます。
	重要なのは認めること、許すことなのです。
	あなたは欲求に従いましょう。
	自我に対して、気が済むまで与えるのです。
	満たされることによって、気が済みます。
	満たされているものが、それ以上を求めることはありません。
	否定して奪うのであれば、より不足することになり、却(かえ)って長引くことになるのです。
	これは、甘やかすということではありません。
	愛情によって満足させ、指導を与えるということなのです。
	満たされていなければ、決して何かを受け入れることはありません。
	満たされていないのであれば、満たされていないと叫び続けるからです。
	欲している者は欲するのです。
	欲している者が聞き入れるという施(ほどこ)しをすることはないのです。
	腹が減っているのであれば、腹一杯食わせれば良いのです。
	腹が張って苦しめば、それを悩むことになるからです。
	一度で理解しなければ、二度三度と苦しんで悩めば良いのです。
	それを繰り返すことによって、腹が減っているという問題に躓(つまず)くことはなくなるでしょう。
	あなたは欲求が途切れるまで求め続けます。
	それは、苦しみ続けるということです。
	あなたは苦しみ続けなければなりません。
	自我があるほど、苦しまなければなりません。
	それを避けることはできません。
	それを避ける必要はありません。
	人生は人格という魂の汚れを取り除く場所です。
	誰も、その目的を否定することはできないのです。
	あなたは満足しましょう。
	満足しても飽きるまで与え続けるのです。
	飽きれば止めます。
	飽き足りることによって、問題を解決しましょう。
	
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