あなたはとにかく学ばなければなりません。
人生とは学びです。
学びを得ることによって成長することが目的であるのです。
それ以外にはありません。
学びとは様々な経験によって導かれます。
学びの種類は多岐(たき)に渡りますが、学びから成長することは同じです。
どのような経験からでも、人は学ばなければなりません。
人は経験によって人生の理(ことわり)を学んでいます。
すべての経験は、真理を得るための機会です。
すべての経験の中には、真理が存在しているのです。
栗の果肉を味わうためには、殻斗(かくと)を取り除き、堅果(けんか)の果皮(かひ)を剥(は)がなければなりません。
栗の果肉を味わうためには、(調理を含めて)多くの苦労を必要とします。
殻斗のままでは食することはできません。
堅果のままでもなりません。
これと同じように、学びには多くの層が存在しているのです。
その本質を得るためには、壁となる層を取り除き、深みを得る必要があるのです。
物事を真正直に認識することは、学びを得ることにはなりません。
それは寧(むし)ろ、学びを歪めてしまうのです。
本質である真理は、決して表層には現れません。
どのような経験であっても、真理は隠されているのです。
経験をそのままの状態で受け取ることは、殻斗のままの栗を飲み込むようなものです。
それが如何(いか)に愚かな行為であるのかを、あなたは理解することができるでしょう。
誰も、栗を殻斗のまま飲み込みはしません。
そんなことをすれば、苦しみ悶(もだ)えることを知っているからです。
しかし、経験に対してはそのようには考えません。
思考が停止しているのです。
有りの儘(まま)とは、あなたの認める幻想です。
それは、決して真実ではありません。
素直に認識するということは、目の前の状況に対して未熟な見解を押し付けることに過ぎないのです。
残念ながら、人の見解は未熟です。
未熟な人の認識は、必ず未熟なものなのです。
素直に認識してはなりません。
それは、真理ではありません。
それは、人の傲慢(ごうまん)に過ぎないのです。
あなたは勝手に喜んだり、苦しんだりしているに過ぎないのです。
それは、真理が導く結果とは違うものなのです。
あなたの受け取る状況は、あなたの導く結果に過ぎません。
人生は学びであり、すべては必要であり、大切なものです。
しかし、そこに善悪を導いているのは、他ならないあなた自身なのです。
あなたが勝手にそうしているだけなのです。
真理に気付き、成長することができれば、あなたが受け取る結果は違うものになるのです。
しかし、真理を得たとしても、それだけでは成長することはできません。
熱意の無い者には、何も変えることができないのです。
あなたが真理を得たのであれば、それを人生に反映しなければなりません。
あなたは何事に対しても、より良い方法を見付けるはずです。
それは、あなたの人生を豊かにさせる材料です。
しかし、多くの人はそれを人生に反映させることはありません。
そこには諦めがあるからです。
目の前の状況、人生、自分は変わることがないと諦めているのです。
そのような者の状況、人生、自分が変わることはありません。
自分が信じていないのだから、当然の結果なのです。
あなたが人生を豊かなものにしたいと考えているのであれば、すべてが変わることを信じなければなりません。
それは、自分の力によって変わるのです。
あなたはとにかく学ばなければなりません。
少しでも、深く思考しなければなりません。
表層ではなく、深層を得るのです。
真理に気付き、それを人生に反映させましょう。
行動しなければなりません。
懸命に生きましょう。
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