人は、義によって生きなければなりません。
	義とは人の歩むべき道です。
	それは義理であり、それは思いやりなのです。
	思いやりによって、人は豊かさを得ることができるのです。
	何事に関しても、思いやりを以て行えば、そこには豊かさが導かれるのです。
	しかし、思いやりに欠ける行為は、そこに乏しさを導くのです。
	人は、義によって生きなければなりません。
	あなたは、義を離れてはなりません。
	多くの人は簡単に義を離れてしまいます。
	それは、短絡的な思考によって行動しているからです。
	多くの人は目先のことのみを考えています。
	物事を考察することがなく、其(そ)の場凌(ばしの)ぎの方法を用います。
	それは、快楽に溺れる傾向にあるからです。
	そのような行為は、無知によって引き起こされる愚行です。
	多くの人は無知を生きていますが、短絡的に生きているのが現状です。
	快楽に溺れるのであれば、義に尽くす必要もありません。
	その時が良ければそれで満足するのです。
	そのような人は義を持たない”獣”に過ぎません。
	”獣”とは、野生動物のことではありません。
	彼等は、秩序の中に生きている賢者であるのです。
	”獣”とは、人が人であるための義を持たない愚者のことをいうのです。
	義を尽くさない者は”獣”です。
	それは、秩序を保ちません。
	秩序が保たれない世界には、混乱が導かれます。
	義人の住む世界には混乱は生じません。
	それは、互いが思いやりによって繋がっているからです。
	それぞれが、己の快楽を優先する”獣”の世界においては、混乱が蔓延(はびこ)るのです。
	そこには豊かさがないのです。
	互いが己の快楽を優先し、奪い合う世界に、どうして豊かさが存在するというのでしょう?
	そこには、必然的に乏しさが導かれるのです。
	互いが義によって結び付き、思いやりの溢れる世界でなければ、豊かさは導かれないのです。
	与え合う世界でなければ、豊かさを得ることはできないのです。
	義人によって、世界は豊かさを得るでしょう。
	しかし、”獣”によっては乏しさを得るのです。
	義人の数が増えることがなければ、世界に豊かさを導くことはできないのです。
	あなたが義人と成らなければ、人生に豊かさは実現しません。
	奪い合っている間は、乏しさが絡み付くのです。
	義を尽くす時に初めて、人は与えられるのです。
	義を尽くすまでは、人は奪われるということを覚えておきましょう。
	義によって得た富は、あなたを満たすでしょう。
	しかし、義に背いて得た富は、あなたを苦しめるのです。
	義によって得た富は、あなたのものです。
	誰も、それを疑いません。
	しかし、義に背いて得た富は、あなたのものにはなりません。
	誰も、それを認めはしないのです。
	働いて得た富はあなたのものですが、盗んで得た富はあなたのものではないのです。
	尊(とうと)い労働とは、思いやりによって導かれます。
	義を尽くして働くのであれば、あなたは義によって報酬を受けることができるのです。
	不当に取り立てることは、義に反しています。
	与えられないものを取ってはならないのです。
	あなたは義を尽くし、与えられる富によって満足しましょう。
	義を尽くしもしないのに、報酬を求めてはなりません。
	不当な富は、あなたを殺すということを覚えておかなければなりません。
	乏しさと共に死にたくなければ、義を生きましょう。
	あなたは義を尽くすことによって、豊かさと共に生きましょう。
	
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