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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年5月8日日曜日

”神”の言葉

人生におけるすべての問題は、理解不足に起源しています。
理解不足が問題を引き起こしているのです。
それ以外の原因によって、問題が生じることはありません。
なぜなら、理解していれば、それは問題とはならないからです。
人生とは、理解を深めるための場所です。
人は様々なことを知らなければなりません。
知識を得ることによって、目の前のそれが何であるのかを知るのです。
目の前のそれを知る理由は、”神”の言葉を理解するためです。
あなたは何のために人生に存在しているのでしょうか?
そもそも、あなたは何者なのでしょうか?
この問いに答えを出さずに、どうして満足することができるのでしょう?
自分が何者であり、何をしているのかも分からない者が、どうして幸福なのでしょうか?
残念ながら、多くの人は何も知らずに幸福を覚えています。
幸福であると自分勝手に思い込んでいるのです。
しかしながら、それは虚像に過ぎません。
人生や自分が何者であるのかすら知らない者が、どうして幸福が何であるのかを知っているのでしょう?
決して理解してはいないのです。
すべての人は幸福を求めています。
しかしながら、それが何であるのかを知りません。
幸福が何であるのかを知らないにもかかわらず、それを探そうとはしません。
目の前の虚像、漸(ようや)く手に入れた歪んだ快楽をそれと思い込みたいのです。
それは、現実逃避なのです。
目の前の虚像を幸福であると思い込むことによって、人は考えることをやめます。
それは、可能性の放棄となり、人はそれ以上のものを手にすることができないのです。
多くの人は自分が納得する何かを手に入れた途端に、それを守ろうと努めるようになります。
それが古くなり、使い物にならなくなっても、それを守り続けるのです。
しかし、それは使い物にならない廃品です。
それを大事に抱えていたとしても、残念ながら幸福を得ることはできないのです。
状況は常に移り変わります。
それは、一瞬も止まることをしません。
状況の変化の蓄積が時代を築きます。
そのため、時代も変化し続けているのです。
時代遅れの考えは、豊かさをもたらしません。
そのため、人は死を与えられ、全体の若返りが求められているのです。
古い人は去らなければなりません。
それは、理解に乏しいからです。
理解に乏しいために、古いのです。
老人であっても、新しい人はいます。
常に理解を深めることに努め、知恵を育む人は豊かに生きているのです。
それは、煩(わずら)わしい問題に引き摺(ず)られることがないからです。
理解を深めることに努めず、戯(たわむ)れを好む者は、無知によって更なる問題を抱えることになるでしょう。
理解に乏しい者には、それがなぜ問題となるのかを理解することができないのです。
知恵のある者にとって、それをわざわざ問題に発展させる必要はないのです。
その選択の違いがあるだけであって、運命や幸運などといった”不確定”なものに原因がある訳ではないのです。
人は、人生を自分の力によって獲得しています。
その問題はあなたが受け取る必要があるのであって、他人が受け取る必要はないのです。
自分だけが苦悩していると勘違いしてはなりません。
すべての人が、その無知に相応しい問題に会うのです。
あなたは勉強しなければなりません。
努力しない者はそれまでです。
理解が不足しているのであれば、決して問題は解決しません。
どこで、誰(に)と、何をして(もらって)も、決して問題は解決しないのです。
最後は自分の力でやるのです。
”神”の言葉を聞けば良いだけです。
それは、状況の中にあって、あなたに語り続けています。
すべての状況が”神”の言葉であるということを理解しましょう。
理解を深め続けなければなりません。
死ぬまで勉強をやめてはなりません。

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