この世界における現象は、霊的情報の具現です。
	すべての現象は霊的情報の具現化であるのです。
	現象は結果に過ぎません。
	結果には、それに相応しい原因が存在しています。
	この世界における現象の原因は、この世界(唯物世界)にはありません。
	それは、霊から出るものであって、別の次元(唯心世界)から生じるものであるのです。
	この世界の原因は、別の次元に存在しているのです。
	人の行為は、この世界における原因ではありません。
	人が行為する時には考えています。
	人の考えは思い(感情)によって導かれます。
	感情は心によって生じ、心は人格によって生じるのです。
	人格は霊から生じ、霊は魂から生じます。
	そして、魂は”神”から生じるのです。
	”神”の意思が魂を生じました。
	魂の意思が霊を生じました。
	霊の意思が人格を生じました。
	人格の意思が心を生じました。
	心の意思が思いを生じました。
	思いの意思が考えを生じました。
	考えの意思が行為を生じたのです。
	人の行為という現象は、その根源には”神”があります。
	”神”という呼び方を好まなければ、真理でも、知性でも構いません。
	呼び方など、何でも良いのです。
	考察すれば、この世界における現象が、この世界に原因を置くのではないということを知ることができるのです。
	あなたが自分だと思っているのは人格です。
	人格はあなたではありますが、あなたの本質ではありません。
	人格は魂の汚れであり、あなたの解消すべき課題なのです。
	あなた(人格)が選んでいるように思えますが、あなたが選んでいるのではありません。
	あなたの目の前に導かれる現象の原因は、もっと深いところに存在し、それは、あなたの理解を超えるのです。
	そのため、人は目の前の現象の意味(真意)を知ることができません。
	それが何のために目の前に存在しているのか?ということを知り得ないのです。
	それは、自分が人格だと思い、思考や感情が原因であると思っているからです。
	もちろん、思考や感情は原因となります。
	しかし、それは一部に過ぎないということなのです。
	思考や感情の更生は、状況に対する問題を解決します。
	思考や感情の歪みを取り除くことによって、人は煩(わずら)わしい問題から解放されるのです。
	しかし、それは苦悩を取り除いたことにはなりません。
	それは気楽を得ただけであり、後に気楽が苦悩となるからです。
	目の前の現象は、あなたが考えているよりも深い意味が込められています。
	それは、あなたに人生の意味と、自分自身の正体を教えるでしょう。
	あなたはその答えを手にすれば良いのです。
	そのためには、現象が霊的情報の具現であるということを理解しなければなりません。
	霊的情報(不思議なこと、信じられないこと)を理解するように努めるのです。
	常識や経験上の知識によって理解を求めてはなりません。
	それは、人格の段階の情報を読み取るに過ぎないからです。
	人格の段階の情報は、すでに”大きい”状態です。
	人格から心、心から思い、思いから考え、考えから行為という段階で、それは”大きく”なるのです。
	霊的情報の最も大きな形が現象であるのです。
	人格から霊、霊から魂、魂から”神”という段階で、それは”小さく”なるのです。
	小さい程に本質であり、原因です。
	最も大きな状態が結果であるのです。
	原因に到達する前の段階における判断であれば、その結果の意味を理解することはできません。
	多くの人は人格の段階(主観)で判断するため、現象の意味を理解することができないのです。
	人格の段階までは唯物論です。
	考えを主要としているのであれば、現象の意味を理解することはできません。
	あなたは決して、自分で考え、自分で判断して、自分で行っているのではありません。
	更に深い理由が存在しているということを知りましょう。
	現象を否定的に捕らえてはなりません。
	それは、人格までの段階での判断だからです。
	
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