あなたは何のために人生を経験しているのですか?
	あなたは暢気(のんき)に生活するために人生に存在しているのでしょうか?
	安心の中に暮らし、決まり切った日常を繰り返し、誰かが決めた価値観の中に命を終えるのでしょうか?
	それは本当に幸福なのでしょうか?
	あなたは変哲もない人生に我慢することができるのでしょうか?
	人生には刺激が必要です。
	あなたは苦しまなければなりません。
	あなたは迷わなければなりません。
	あなたは悩まなければなりません。
	あなたは絶望しなければなりません。
	人生は、ただ死を待つ場所ではありません。
	自分勝手に決めた幸せを噛み締めながら生存を続ける場所でもないのです。
	あなたはそこで経験を重ねなければなりません。
	それも、今までに経験したことのない、未知の経験を重ねる必要があるのです。
	多くの人は恐れています。
	恐れは、人を安心の中に押し留めます。
	嵐の日には、人は外出しないのが”普通”です。
	身を守るためにはそれで良いのです。
	しかし、人生において身を守るあまり、部屋の中に閉じ籠(こも)っているのであれば、新たな経験を得ることができないのです。
	新たな経験を得ることができなければ、人が成長を実現することはできないのです。
	人生の目的は成長です。
	成長するためには、知らないことを知る必要があります。
	できなかったことができる必要があり、考え付かなかったことを考え付かなければならないのです。
	人生を切り開き、可能性を見ることが人生の目的であるのです。
	そのため、本来ならば、あなたは常に新たなことを始め、経験したことのない経験を自らに与え、その刺激によって成長する必要があるのです。
	既存の価値観の中に生きるのであれば、人生の可能性を見ることはできません。
	同じ思考による同じことの繰り返しは、何も変わらないのです。
	そのため、人生に暢気に生活することを求めている人には、何の変哲もない人生が与えられるのです。
	苦しみもなければ、迷いもなく。
	悩みもなければ絶望もない。
	このような刺激のない詰まらない人生に、何の価値があるというのでしょうか?
	あなたは、繰り返していくだけの人生に対して、本当に満足することができるのでしょうか?
	苦しみの中にいる時には、変哲もない人生に憧れを抱くでしょうが、そこには退屈という名の苦悩が待ち構えているのです。
	刺激を受けている時の苦悩は、問題とはなりません。
	それは、刺激によって成長することができるので、その苦悩はやがて解決するからです。
	しかし、退屈によって受ける苦悩には救いようがないないのです。
	それは、成長を止めている状態であるからです。
	成長を止めている状態では、事態を脱する術がありません。
	それは、水の中にあって、泳ぐのをやめるようなものです。
	泳ぐことをやめれば、身体は忽(たちま)ち水に飲まれてしまうのです。
	経験するということは、人生という川を泳ぐようなものです。
	新たな経験とは、新たな動作となります。
	手足を動かさなければ、人は簡単に溺(おぼ)れてしまうのです。
	あなたは人生に暢気な生活をするために生まれたのではありません。
	安心の中に閉じ籠って、変哲もない人生を生き長らえるためでもありません。
	あなたは経験するために生まれたのです。
	人生は実験場のようなものです。
	そこには成功も失敗もありません。
	あるのは、経験を重ねたという事実だけです。
	どのような結果を得ても構いません。
	それが必要な経験だからです。
	あなたはそのために生まれたのです。
	実験なのだから、気負わずに素早く行いましょう。
	とにかく経験する必要があるのです。
	恐れを抱き、経験を先延ばしにしてはなりません。
	思い付いたことの計画をすぐに練り、できる限り素早く行動に移しましょう。
	行動は早い方が良いのです。
	あなたは、自分が何のために人生に存在しているのかを考えましょう。
	
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