人は、人生において自らの抱える汚れを解消することを求めています。
	人の本質は魂です。
	それは、肉体でもなければ、人格でもないのです。
	人生の仕掛人は魂であるのです。
	肉体や人格は、それに従っているに過ぎません。
	簡単に言えば、魂という雇用主と、肉体や人格などの雇用者とに分かれるのです。
	経営は、雇用主である魂が決めます。
	肉体や人格などの雇用者は、その意図を汲(く)み取り、より良い仕事に努めなければなりません。
	魂の雇用主としての手腕が試されていますが、肉体や人格などの雇用者の協力がなければ、経営は成り立ちません。
	魂の訴えを退ける肉体や人格であっては、経営は苦しくなるのです。
	あなたは、人生が経営のようなものであると知りましょう。
	大抵の人は経済の中に人生を築いています。
	大抵の人が雇用主であり、雇用者です。
	そのため、この例えを想像することは可能でしょう。
	雇用主と雇用者の間には、大きな隔たりが存在するのが普通です。
	雇用主と雇用者の間には、目的の違いがあるのです。
	価値観の違いが、目的の違いを生みます。
	魂は、自らの抱える汚れを取り除くことを目的としています。
	肉体や人格はそれを守ることを目的としているのです。
	どちらかが正しく、どちらかが間違っているということではありません。
	それぞれに正しいのです。
	しかしながら、それぞれの主張はそれぞれの結果を生みます。
	魂に従えば、汚れを取り除く結果を得ます。
	それは、多くの問題との対峙であり、苦悩を受ける道です。
	肉体や人格に従えば、汚れを増す結果を得ます。
	それは、多くの問題との対峙であり、苦悩を受ける道です。
	どちらに従っても、過程は同じです。
	しかし、魂に従うことは豊かさへと繋がり、肉体や人格に従うことは乏しさへと繋がるのです。
	魂は厳しい要求を所有しています。
	肉体や人格は優しい要求を所有しているのです。
	魂に従うことは厳しく、肉体や人格に従うのは優しいのです。
	しかし、受ける結果はその逆となります。
	経済の世界において、経営を豊かにするのは簡単なことではありません。
	経営に携わるすべての人が、聡明(そうめい)であり、懸命でなければなりません。
	雇用主であろうと、雇用者であろうとも、誰もが努めなければならないのです。
	怠惰(たいだ)で厚かましく、思慮に欠ける者たちであっては、経営は成り立ちません。
	それは、遠くに見える嵐が、すぐに到達するようなものです。
	遠くに見える嵐でも、愚者に対しては何の準備も許しません。
	備えを怠っている者には、嵐は脅威となるのです。
	しかし、備えを整えている者には、嵐は益(えき)となるのです。
	あなたが現在、”自分”だと思っているものは肉体や人格です。
	あなたは雇用者の立場によって、人生に存在しているのです。
	多くの場合、雇用主は厳しさを求め、雇用者は楽を求めます。
	多くの場合、雇用者は楽をして多くを求めているのです。
	多くの報酬を得るためには、多くの働きが必要なのです。
	雇用主はそのことを知っています。
	そのために、厳しさへと向かうのです。
	雇用者であるあなたは、肉体や人格の欲求に従い、人生には楽を求めています。
	人格とは魂の汚れであり、肉体とはそれから生じた歪みです。
	そのため、魂の目的と、肉体や人格の目的とは違うのが普通なのです。
	雇用主は雇用者のようには考えられません。
	雇用者も雇用主のようには考えることができないのです。
	それは、立場によって思想(価値観)が違っているからです。
	あなたは、両者に従うことはできません。
	どちらに従うべきなのかを考える必要があるでしょう。
	(これは、同時に従うことができないという意味であり、時と場合によって切り替えることができる。選択は自由である)
	人生の目的を見失ってはなりません。
	人生の目的を見失うことがなければ、あなたは最善の選択を実現することができるでしょう。
	
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