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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年7月10日日曜日

本道

道は、意欲によって始まります。
道があるのではないのです。
道は、意欲によって築くものなのです。
人は理解を求めています。
理解とは本質を得る行為です。
理解を得るためには、本質へと向かう必要があります。
本質へ向かうためには、道を進まなければならないのです。
道とは理解なのです。
人が理解を深めることを、道を行くというのです。
理解を深めるには、意欲が必要です。
誰かがあなたに理解を導くことはできません。
理解というものは、自分自身によって深める必要があるのです。
誰かに強制されることによっては、道を進めることはできません。
多くの人は”やらされている”のです。
与えられた作業をこなすことでは、道を進み、本質へ近付くことはできないのです。
”やらされている”のであれば、道程に立ちはだかる”関門(かんもん)”を通ることはできないのです。
すべての道には”関門”が設けられています。
それは、資格を有する者を見極めるのです。
資格を有しない者は通ることができません。
それ以上の深みへと進むことは叶わないのです。
資格とは、自主性です。
どのような道を進むにしても、自主性を有しない者は第一の関門によって足止めを食らうのです。
”やらされている”者が進むことのできる道はありません。
それは、意欲を持たないからです。
意欲が道を築くのです。
それを持たない者には、道を進む必要がないのです。
多くの人は意欲を持たずに道を進もうとします。
それは、矛盾している行為なのです。
進みたくない道を進もうとするのは、楽しいことではないのです。
楽しいと感じることに意欲が生じるのです。
どのような道を進むにしても、楽しいと感じることがなければ、決して進むことはできないのです。
多くの人が恐怖(不安、怒り、悲しみなど)を原動力として道を進もうとします。
その道は人の力を奪う道です。
ある程度の所までは進むこともできますが、それ以上は力が足りないのです。
恐怖を原動力として道を行く者は、苦行をしているようなものなのです。
それは、途中で行き倒れるのです。
景色を楽しみながら、多くのことを学びながら、不要を手放し、必要を得ることによって、可能性を手にすることができるのです。
意欲のある者は、創意工夫(そういくふう)によって道を開拓(かいたく)することができるのです。
”やらされている”者には、創意工夫ができないのです。
それは、本質を求めてはいないからです。
あなたは、自分の人生を受け入れなければなりません。
目の前の状況こそが人生なのです。
それが理想とは懸(か)け離れているとしても関係ありません。
あなたが進んでいる道が現実なのです。
文句を吐いても始まりません。
理想的な道を歩みたければ、その道まで達する必要があるのです。
今、歩んでいる道を進まなければ、別の道には辿り着けないのです。
どのような道を進んでいるにしても、それを進んでいるのであれば意欲を持つように努めましょう。
現実逃避によっては、理想の道を得ることはできないのです。
道に迷ったとしても、その道から本道(ほんどう)へと向かわなければならないのです。
すべての道は繋がっています。
現状から理想を得ることができるのです。
そのためには、関門を通らなければなりません。
そのためには、自主性を有しなければなりません。
文句を吐かずに学びましょう。
どのような道においても、学ぶべきことがあるのです。
大切な学びを蔑(ないがし)ろにしてはならないのです。
意欲を以て道を進みましょう。
そうすれば、いつか本道へと合流することができるのです。

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