人生を築いているのは誰ですか?
	人生を築いているのはあなたです。
	あなたの選択によって人生は展開しているのです。
	それは、誰かや何かのせいではありません。
	決定権はあなたにあるのです。
	他人や環境などの外的要因は、状況を導くことは許されています。
	表面的に見ると、誰かや何かによって人生が築かれているように映ります。
	しかし、状況で人生が決まることはありません。
	人生とは、状況をどのように導くか?によって決まるのです。
	状況によって人生が決まるのであれば、あなたの選択や行為はすべてが無意味なものとなります。
	何を得ても関係ありません。
	それをどう捕らえ、どうするのか?ということが重要なのです。
	人は自然から与えられた食材を食す以外に方法はありません。
	自然から与えられた命をエネルギーに変えているのです。
	自然から与えられた状態では食べることができないものが多いのです。
	人はそれを調理という行為によって、エネルギーを摂取し易い形に加工します。
	どのように調理するかは自分の選択です。
	焼くにしても、煮るにしても、蒸すにしても、和えるにしても、干すにしても、漬けるにしても、発酵させるにしても良いのです。
	どのような命も、後の調理法によって人にとっての価値が決まるのです。
	人には、選択が許されているのです。
	あなたは、受け取った状況を自由にできるのです。
	それを喜びに加工しても、苦しみに加工しても良いのです。
	受け取った時点においては、何も決まってはいないのです。
	諦めを所有している人は、何の努力も工夫も辛抱もせずに決め付けます。
	思考停止に陥り、それ以上の価値を見出すことができないのです。
	そのため、人生は”誰かや何かのせい”なのです。
	そのような人は、食材を”生”で食っているようなものです。
	それは、”獣”のような生き方なのです。
	人生が”人のせい”だと思い込んでいる人には品性がありません。
	そのような人は”獣”のように何かに怯(おび)えており、小さな物音に飛び逃げます。
	その割に、自分が偉いと思い込んでおり、下らない地位を求めてすぐに争うのです。
	人生が”人のせい”だと思い込んでいる人には、我慢がないのです。
	自分の感情を優先し、欲望のままに生きているのです。
	自制がなく、自分勝手に生きているのです。
	生食は、毒を腹に収めるでしょう。
	状況をそのままの状態で飲み込めば、腹が痛むのです。
	腹が痛むのを食材のせいにするのです。
	大切なのは客観性を得ることです。
	人生が”人のせい”だと思い込んでいる人には、主観性しかないのです。
	そのため、人生が自己責任であるということ、すべてが身から出た錆(さび)であるということを知らないのです。
	悪気はないのです。
	ただ、無知なだけです。
	しかし、無知ではなりません。
	無知を放置するのであれば、人生の意味がないのです。
	あなたが人生を築いているのです。
	自覚しなければなりません。
	あなたは知恵を集めなければなりません。
	常に何かを学んでいましょう。
	何事も誰かや何かのせいにせず、それが喜びの形 となるまで工夫しましょう。
	人生を苦悩のままに生きてはならないのです。
	少しでも楽しく生きなければなりません。
	楽しく生きるためには、問題を解決しなければなりません。
	欲を言えば、問題が生じないように調理方法を学ばなければなりません。
	知恵とは、調理方法のことなのです。
	知恵のある人は、どのような命も喜びに変えるでしょう。
	知恵のない人は、どのような命も苦しみに変えるのです。
	どうすれば、美味しく食べられるのか?を考えましょう。
	知恵を集めなければなりません。
	人生を楽しく生きましょう。
	
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