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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年7月9日土曜日

強欲

人は、自分の感情を優先させてはなりません。
それは、自分勝手な行為に結び付きます。
人は全体性を失ってはならないのです。
すべての人が全体に所属しているのです。
誰一人として、全体から離れて存在している者はいないのです。
全体があるために、あなたが存在しているのです。
全体が存在しなければ、あなたが存在することはできないのです。
しかしながら、多くの人は自分が例外だと思い込んでいます。
多くの人が全体性を失っているのです。
人は自然界の一員です。
自然から離れて存在することのできる人間は存在しません。
すべての人間が、自然界に抱かれているのです。
しかし、多くの人間はそのことを理解しません。
自分が自然界に関わりがないと思い込んでいるのです。
全体性を失った人間は、自分勝手に振る舞います。
自然界において自分勝手に振る舞うことは、自然環境の破壊に貢献することになるのです。
自分勝手な振る舞いは、全体の破滅に貢献するのです。
多くの人が自分勝手に振る舞います。
そのため、多くを欲しているのです。
多くを欲するということは、全体性の消失です。
どのような資源も有限なのです。
多くを欲することによって、多くを取ることになるのです。
多くの人が多くを取れば、資源は減少していきます。
それは、資源の枯渇(こかつ)に結び付くのです。
果実には、種子が含まれています。
全体性の消失とは、種子まで食らう行為のことです。
種子は果実という資源の原因です。
それは、残しておかなければならないものなのです。
しかしながら、多くの人が種子までも腹に収めるのです。
それほどまでに多くを欲しているのです。
種子まで食らう必要があるのでしょうか?
多くを取り過ぎてはいませんか?
多くの人は恐怖を所有しています。
恐怖は様々な不安を呼びます。
不安に駆られた者は多くを欲するようになるのです。
多くの人は不安に駆られ、多くを欲しているのです。
満ち足りているのに足りないと思い込んでいるのです。
そのため、自分のことで精一杯となり、全体が見えなくなっているのです。
不安が全体性を失わせます。
人の世には不安が溢れています。
そのように不安を抱えなくても生きていけるのです。
あなたは何に怯(おび)えているのですか?
本当にそんなに必要なのですか?
人は多くを取り過ぎています。
それは、後に続かないのです。
可能性を狭める生き方が優れているのではありません。
多くの人は、何かを犠牲にして、自分だけが楽に生きることを喜んでいます。
何かを犠牲にしているということは、因果の仕組みによってその報(むく)いを受けなければならないということなのです。
それは優れた生き方ではありません。
種子まで食らう生き方は、果樹を損なうのです。
果樹が生きている時にはそれでも良いと考えるのです。
しかし、来年は実を付けないかもしれません。
嵐に倒されるかもしれません。
枯れてしまうかもしれないのです。
そうなれば、果実は手に入らないのです。
それで終わりです。
次の果樹が育っているのであれば、何の心配もないのです。
あなたは、種子を残しておきましょう。
そして、次の世のために蒔(ま)きましょう。
全体性を見失わずに、必要で我慢しましょう。

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