人生を豊かなものにするためには、美学を持たなければなりません。
	何をするにも、それを豊かなものとするためには美学が必要なのです。
	多くの人は美学を持ちません。
	美学とは、美しく仕上げるためのルールです。
	それが美しく仕上がるためにやらなければならないこと、やってはいけないことがあるのです。
	そのルールを守らなければ、美しく仕上げることはできません。
	美しさとは豊かさです。
	感性はそれぞれに異なります。
	そのため、美しさを美的感覚で計ることはできません。
	例えば、自然界に存在するすべての存在は調和しています。
	すべてが共存し、共栄しているのです。
	そこには何の無駄もありません。
	それは豊かさを導きます。
	それが美しさなのです。
	個人的な感覚による美醜(びしゅう)によって分けられるものではないのです。
	あなたが醜(みにく)いと思うものであっても、調和の中にあれば美しいのです。
	蜘蛛(くも)を嫌う人がいます。
	蜘蛛の姿形(すがたかたち)や動きを嫌うのです。
	しかし、蜘蛛は美しい存在です。
	それは、蜘蛛を嫌っている人よりも、十分に自然界に貢献しているからです。
	その生き方は美しいのです。
	生き方が美しいことを認識すれば、その姿形や動きの美しさに気が付くこともできるでしょう。
	美しさを理解することができないのは、無知を所有しているからなのです。
	必要な存在は美しいのです。
	この世界に存在するもので不要なものがあるでしょうか?
	残念ながら、そのようなものは存在しません。
	あなたが嫌悪している苦悩や敵なども、そのすべてが必要であるのです。
	それは、すべてが美しいということなのです。
	美しいものを嫌う生き方に、美学があるでしょうか?
	多くの人は信念は持っています。
	しかし、美学は持たないのです。
	例えば、嘘を吐いてでも結果を残そうとします。
	そこには信念が存在するでしょうが、美学は存在しません。
	自然界は正直です。
	生存するために擬態(ぎたい)を用いますが、嘘を吐いている訳ではありません。
	そこには生存という単純な目的しかありません。
	それは、美学であるからです。
	嘘とは、目的を隠すことです。
	人は嘘を用いることが許されています。
	そのため、美学を持たずに生きることも許されているのです。
	相手のため、社会のため、世界のために貢献するかどうかは、自分の意思によって決めることができるのです。
	人が美しく生きるということは、貢献して生きるということです。
	何かに対して貢献する生き方こそが、美しいのです。
	多くの人は自分勝手に生きています。
	自分の感情や事情を優先し、主観を主体として生きているのです。
	そこには美学はありません。
	自分勝手な者が美しく仕上げようとは思いません。
	何かを美しく仕上げるためには、それを受け取る相手が必要なのです。
	プロフェッショナルの仕事が美しいのは、顧客のために生産しているからです。
	自分のためのアマチュアの仕事は、美しさに欠けるのです。
	それは、自分のための仕事であるために妥協(だきょう)を許してしまうからです。
	貢献することが美しさの原因なのです。
	信念を持って生きることは大切なことです。
	しかし、それだけでは十分ではありません。
	信念の上に美学を持って生きなければならないのです。
	あなたは人生という仕事をしているのです。
	美しく生きなければなりません。
	心が汚れないように注意しましょう。
	美しい人生に仕上げましょう。
	顧客である全人類、全生命体のために、美しい人生を遺しましょう。
	
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