多くの人は、他人の意見を気にしています。
	他人がどう考えているのかを気に掛けているのです。
	多くの人は、他人の意見によって、自己の在り方を定めようとします。
	他人に好かれる自分になろうとしているのです。
	誰もが他人に嫌われることを恐れています。
	そのため、他人に対する自己の形成に努めるようになります。
	他人にために尽力することは良いことです。
	しかしながら、他人に対して本当に役立つ形によって助力しなければ価値がありません。
	相手にとっての最善は何か?ということが前提になければ、他人の役に立つことはできないのです。
	あなたが他人の役に立つためには、自分の役割を果たすことができる自己でなければなりません。
	自分の役割を果たすことさえできない者が、どうして他人の役に立つことができるのでしょうか?
	泳げない者が溺れている者を救うことはできないのです。
	十分に泳げたとしても、溺れている人を救うことは簡単ではないのです。
	他人の意見を気にして、他人に合わせて自己を形成する人は、泳げないようなものなのです。
	溺れている人の真似をしてはなりません。
	それは、溺れていることに等しいのです。
	泳げない者、溺れている者が、どうして溺れている人を救うことができるのでしょう?
	それは無理であるのです。
	溺れている人を救うためには、十分に泳げることが最低限の条件なのです。
	自己を確立させることができていない者が、他人を救うことなどできません。
	他人の意見を気にして、他人に合わせて自己を形成している者には、誰も救うことができないのです。
	あなたは、”あなた”である必要があります。
	”あなた”とは、自らの役割を果たすことができる状態のことです。
	他人の意見を気にして、他人に合わせて自己を形成してはなりません。
	あなたにはやらなければならないことがあるのです。
	あなたは自らの役割を果たすことのできる自己を形成しなければならないのです。
	残念ながら、他人の意見は(基本的に)役に立ちません。
	なぜなら、他人は違う役割を担っているからです。
	違う役割を担っているのであれば、意見が分かれるのが自然です。
	他人は、(多くの場合)自分の立場からあなたを判断しているのです。
	そのため、他人の意見を信用してはならないのです。
	多くの人がこの世界に溺れている状態です。
	溺れている人の意見など、役に立たないのです。
	この世界を十分に泳いでいる人の意見は、あなたをより良く泳がせるでしょう。
	多くの人が他人からの批判を恐れています。
	しかしながら、あなたは他人からの批判を恐れる必要はありません。
	なぜなら、あなたに対して批判的な意見を投げ付けるのは、溺れている人であるからです。
	溺れている人は、声を荒げます。
	助けようとしている者に対しても罵(ののし)るでしょう。
	溺れているために余裕が無いのです。
	余裕が無いために溺れるはめになったのです。
	溺れている人の意見を受け入れていれば、あなたは溺れている人を救うことはできません。
	批判的な意見というものは、歪んだ感情から生じます。
	そのような言葉を所有する者の心は歪んでいるのです。
	歪んだ心を所有する者の意見は、あなたの役には立たないのです。
	ただし、あなたに注意を促(うなが)し、別(反対)の意見を言う人がいます。
	そこにはしっかりとした意図が込められています。
	多くの人は批判と注意の区別が出来ません。
	そのため、育たないのです。
	あなたは批判と注意の違いを見極めましょう。
	あなたに対してネガティブに批判する人の意見を気にする必要はありません。
	あなたに対してポジティブに注意をする人の意見を気にしましょう。
	他人の意見を主体としてはなりません。
	あなたには果たさなければならない独自の役割があるのです。
	思うままに進みましょう。
	思うままに生きてみましょう。
	他人に合わせる必要はありません。
	自己を確立した状態によって、他人と協力するのです。
	自己を確立しない状態では、他人と依存するようになるということを覚えておきましょう。
	
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