この世界において、陰陽は表裏一体です。
	この世界には陰陽の対極するエネルギーが存在していますが、それ等は拮抗(きっこう)しているのです。
	陰陽のエネルギーは、互いに補い合い、互いの存在を支えているのです。
	そのため、この世界においては、陰陽の境界は目の前に存在しているのです。
	あなたは簡単に陰陽の境界を超えることができるのです。
	簡単に陰の領域に立ち入ることができます。
	それと同じように、簡単に陽の領域に立ち入ることができるのです。
	出入りは自由です。
	あなたはいつでも好きな領域に向かうことができるのです。
	陰陽の領域は、どちらも大切なものです。
	どちらかを蔑(ないがし)ろにするのであれば、エネルギーのバランスが崩れてしまいます。
	それは、歪んだ状況として反映されるのです。
	歪んだ状況は、人の心には苦悩として映るのです。
	人は、陰陽のエネルギーのバランスを崩すことによって、人生に苦悩を導いているのです。
	大切なのは陰陽のエネルギーのバランスを健全化することです。
	陰陽のエネルギーのバランスが健全化すれば、素直な状況が導かれます。
	それは心にとって違和感やストレスの無い(心地好い違和感やストレスはある)素敵な状況なのです。
	素直な状況は、人生に至福を導くのです。
	すべての人が人生に至福を得ることが許されています。
	どのような人物であろうとも、豊かな人生を生きることができるのです。
	しかしながら、陰陽のエネルギーのバランスが崩れているために、苦悩を抱えながら生きているのが現状なのです。
	陰陽の領域は繊細(せんさい)です。
	それは心によって感知する以外に知る術がありません。
	基本的に、苦悩を感じればバランスが崩れており、至福を感じればバランスが保たれているのです。
	曖昧(あいまい)な判断基準によって知る必要があります。
	些細(ささい)なことで陰陽のエネルギーのバランスは崩れてしまいます。
	それは、絶妙なバランスで積み上げられた玉のようなものなのです。
	人が苦悩を生きているのは、簡単にバランスが崩れてしまうからです。
	繊細な扱いが求められるのです。
	例えば、人に何かを”頼む”ことは楽しみを導きます。
	それは、人に頼むという行為は、信頼によって任せるからです。
	信頼によって何かを任された人は、それを名誉に感じて喜ぶのです。
	人を喜ばせるということは、自分にとっての楽しみとなるのです。
	似てはいますが、結果は対極にあるものがあります。
	それは、人に”頼る”ということです。
	”頼む”と”頼る”は似ています。
	文字通り、送り仮名ほどの違いしかありません。
	頼むことも、頼ることも、相手の力を借りる行為です。
	しかしながら、頼るというのは、依存によって縋(すが)ることになるのです。
	縋られた相手は、その重みによって自由を失います。
	頼られた相手は苦しんでしまうのです。
	人に頼むことは楽しみという結果を導き、人に頼るということは苦しみという結果を導くのです。
	陰陽の境界とは、このように繊細なものであるのです。
	多くの人は弱い心によって誰かに頼ることを優先します。
	それは、知らず識(し)らずの内に依存関係を要求する行為となっているのです。
	依存関係はあなたの力を奪います。
	そして、相手の力をも奪ってしまうのです。
	依存関係を結べば、互いに衰弱していくということを理解しなければならないのです。
	人の基本は弱い心です。
	あなたはそれに対極する選択によって陰陽のバランスを保たなければならないのです。
	それは、強い心に従うということです。
	あなたは依存関係を導くために誰かに頼ってはなりません。
	あなたは誰かに頼むことによって、対等な関係を結びましょう。
	他人と対等な立場を築くためには、努力が必要です。
	努力しない者が、他人と対等な立場に付くことなどできないのです。
	頼むという行為は、相手に与える行為です。
	それは、与えることが前提の行為であるのです。
	頼るという行為は、相手から奪う行為です。
	それは、奪うことが前提の行為であるということを知りましょう。
	少しの違いが境界を跨(また)ぎます。
	他人に頼らない強い心を育みましょう。
	相手の協力を得たい時には、対等な立場で頼みましょう。
	
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