あなたは、期待することに注意しなければなりません。
多くの人は期待しています。
何かが良くなることを期待しているのです。
自力であろうが、他力であろうが、次の展開に対して何等かの期待を抱くのです。
期待を抱くことは、理想を実現したいという願望の現れです。
理想が実現することを、世間では良いことのように考えるでしょう。
しかしながら、未熟な者の理想は歪んでいるものなのです。
歪んだ状況が導かれるのであれば、そこから得られる結果も歪んだものとなるのです。
それは、苦悩を導くことになるのです。
本来ならば、理想は実現しない方が良いのです。
多くの人は、理想の実現を期待しているのです。
それが歪んだ行為であるということを知らなければならないのです。
多くの人は他人に期待します。
しかしながら、他人は理想通りには動きません。
他人が理想通りの結果を導くことなどないのです。
他人に期待するということは、他人からの行為が期待外れに終わるという認識を導きます。
他人に期待するということは、他人に対して失望するという結果を導くのです。
他人に失望することは歪んでいます。
なぜなら、他人は他人の仕事をしただけであって、その行為は世界に対して最善であったからです。
他人はあなたのために仕事をしているのではありません。
誰一人として、あなたのために生きてはいないのです。
他人に期待するのは間違っています。
あなたの期待は何一つとして叶えられません。
他人に期待する人は、人間関係に対して苦悩を抱くことになるでしょう。
多くの人は社会に期待します。
しかしながら、社会があなたの期待に応えることはないのです。
社会に対する期待は、見事に裏切られるでしょう。
それは当然のことなのです。
社会はあなたのためだけに形成された組織ではないのです。
社会は、社会構造のために形成されたからです。
仏神に期待する人がいます。
しかしながら、仏神があなたの祈りを受け入れることはありません。
仏神の存在を肯定(こうてい)している人は、仏神が超自然的な力によって、自分を救うと期待しています。
残念ながら、仏神があなたの理想を実現させることはありません。
なぜならば、仏神はあなたよりも優れた存在だからです。
あなたよりも優れた存在が、あなたを苦しめることはないのです。
抱擁(ほうよう)をねだる子どもに、体罰を与える親(体罰をする者は親という立場に無い)はいないのです。
仏神は、あなたの成長に最善の状況を導くことはあっても、あなたを甘やかし、苦しめるための状況を導くことはないのです。
仏神に期待するのは間違っています。
あなたの祈りは決して受け入れられません。
もしも、あなたの祈りが受け入れられたというのであれば、それは仏神では無いということを知りましょう。
それは、仏神ではなく、あなたを堕落させる”妄想”に過ぎないのです。
期待はあなたを歪めます。
多くの人が苦悩を抱えているのは、期待を抱えているからです。
多くの人は”棚から牡丹餅(ぼたもち)”を待っているのです。
この世界には因果の仕組みが存在しています。
原因もなく、結果を貪(むさぼ)るのであれば、借金をして分不相応の物を手にするようなものです。
借金をして分不相応の物を手にするのであれば、それによって苦悩するのは必至なのです。
期待するということは、資金もなく商品を欲するようなものなのです。
原因もなく結果を求めるのは歪んだ考えなのです。
あなたは、何かに期待する必要はありません。
原因を築けば、自ずと結果が導かれます。
結果を導くための根拠を揃(そろ)えれば良いだけなのです。
そうすれば、期待することはなくなります。
状況は当然のものとして導かれるからです。
期待は言い訳のようなものです。
期待は怠慢(たいまん)の現れです。
何かに対して期待する程に、あなたは乏しさを得るということを覚えておきましょう。
期待することなく、一つ一つの原因を積み重ねましょう。
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