人は、所有する価値観の中に人生を築きます。
人は、価値観の中に選択肢を見出しているのです。
あなたにとって、価値観の外にあるものには選択肢がありません。
あなたには、それが見えない(正確には見えずらい)し、認識することができないのです。
あなたの価値観の中に存在しないものは、あなたの世界には存在しないようなものです。
あなたには知らないことがあります。
それは、価値観の中に存在しないために知らないのです。
価値観の中に存在しないために、これまでに選択肢として選ばなかったのです。
それは以前からこの世界に存在していました。
しかしながら、あなたの価値観の中には存在しなかったものなのです。
人は、視野の範囲のものしか受け入れません。
自分の視野が届く範囲のものしか認識することができないからです。
認識することができないものを受け入れることはできません。
あなたは、見えないものを他人に信じさせることができますか?
人は、価値観の中において認識することによって信じることができるのです。
目には見えないものであっても、価値観の中に存在すれば信じます。
例えば、”神”という存在を見ることはできません(正確には、すべての存在が”神”そのものである)が、価値観の中にその存在を許せば、”神”を信じるでしょう。
宗教においては、偶像を”神”として見せることによって、信者の価値観の中に認識を植え付けるのです。
そのため、宗教における信者は、石製(せきせい)や木製の像を”神”として信仰しているのです。
教典や寺院や社殿も同じようなものです。
宗教における信者の視野には、偶像としての”神”が映ります。
宗教における信者は、それを受け入れることによって”神”を信じているのです。
人は価値観の中に見えるものを信仰します。
そのため、あなたが豊かさを実現するためには、価値観の成長が必要であるということが分かります。
価値観によって人生が決まるようなものです。
あなたは、価値観によって人生を築いているということを理解しなければなりません。
偶像を”神”として信仰している者に、それが石や木の像であると告げても、それを理解することはできません。
なぜなら、価値観の中には、その像が”神”として認識されており、”石や木の像”とは認識されていないからです。
それがどのような選択であっても、価値観の中の認識を外れることはありません。
あなたがどれだけ良いものや方法を勧(すす)めても、相手の価値観の中に認識されなければ受け入れられることはないのです。
どのような働き掛けも無駄に終わります。
人にとって、本当に重要なものは、可能性を導く選択肢であるのです。
しかしながら、可能性を導く選択肢とは、価値観の外に存在する未知の選択肢であるのです。
受け入れ難いものの中にこそ、新たな可能性が存在しています。
既に受け入れている選択肢だけを使い、新たな可能性を導くことはできません。
価値観の中だけで選択しているのであれば、既存の可能性が導かれるだけなのです。
そのため、人が可能性を求めているのであれば、新たな挑戦を選択する必要があるのです。
未知に向き合うことをせずに、新たな可能性は導かれません。
人にとって本当に価値のあるものとは、理解できないものなのです。
あなたが理解することができないことの中にこそ、可能性という価値が眠っているのです。
例えば、あなたが普段ならば選ばないものを選んだ時、今までに無い刺激を受けることになるのです。
それが、自分にとって良いものであろうと、悪いものであろうとも構わないのです。
新しい刺激こそが、新しい可能性に繋がるからです。
人は理解することができないことを必要としなければなりません。
しかしながら、それは難しいのです。
それは、人が恐怖に根差した価値観を所有しているからです。
未知に可能性が存在していることを知ってはいますが、そこには同時に危険が存在しているということを知っているのです。
確かに危険は存在します。
しかしながら、それは、過去の自分に対する危険であり、未来の自分には安全でしかないのです。
本当に良いものは理解されません。
多くの人が必要としているものは、価値観の範囲内のものなのです。
しかしながら、あなたは理解されないことを恐れてはなりません。
人に理解されることがなくても、良いものを提供する必要があるのです。
理解は後から追い付きます。
今、役に立つものも大切ですが、後に役立つものも大切であるということを覚えておきましょう。
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