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「”天”から受け取った言葉を紹介しています。少しでも、あなたのお役に立ちますように」

2016年9月25日日曜日

あなたは、理解されることが必ずしも重要ではないということを知りましょう。
この世界において重要なことは、成長の礎(いしずえ)となることです。
礎とは基礎(きそ)のことです。
成長の土台として存在することにこそ意義があるのです。
多くの人は他人からの理解を求めようとします。
それは、物質的な価値を集めることや、他人からの賞賛(しょうさん)を得ることには長けています。
しかしながら、多くの人から理解されるということは、多くの人の価値観の中に既に定着している価値観の提供でしかないのです。
多くの人は居心地の良さを求めています。
自分の価値観の中に共通するものがあれば受け入れるのです。
価値観の中に共通するものがなければ、それを受け入れることはできません。
価値観の中に共通するものがなければ、それを見ても映らず、聞いても理解することができないのです。
人生の目的は成長にあります。
もしも、あなたが既に理解していることの中から可能性を見出そうとしているのであれば、それは僅(わず)かな可能性を導くのみとなります。
それは、過去の改作(かいさく)に過ぎないからです。
現状の価値観の中から新たな可能性を導くことはできません。
同じ食材を使って、別の見た目の料理を作ることはできるかも知れません。
しかしながら、摂取(せっしゅ)することができる栄養の質はほとんど変わらないのです。
偏食は健康を損ねる可能性が高いのです。
偏った価値観は、人生の豊かさを損ねる可能性が高いということを知らなければならないのです。
あなたは、既存の価値観を過度に重要視することに注意する必要があるのです。
多くの人が受け入れるものは”安全”なものです。
多くの人は変化を嫌います。
これまでに安全であったものは善であり、未知のものには懐疑的(かいぎてき)です。
それは、大切な能力です。
あなたは物事に疑いを忘れず、それが自分にとってどのような影響を持つのかを精査しなければならないのです。
しかしながら、自らの価値観に対して、新たな可能性を導くことを忘れてはならないのです。
そして、他人の価値観に対しても、新たな可能性を導く必要があるのです。
必ずしも、他人に理解されることが重要ではありません。
あなたがより良い(本質的、合理的)方法を知っていたとしても、相手はそれを理解することがなかったり、拒絶するようなこともあるでしょう。
しかしながら、それが相手の(将来の)ためになると考えるのであれば、それを提示する必要があるのです。
現時点においては受け入れることをせず、拒絶するようなことがあったとしても、いつかは理解してくれる時が来る可能性があるのです。
理解してはくれなくても、価値観を広げる可能性に役立つ可能性があるのです。
この世界においては、本質は隠されています。
あなたの本音が相手に隠されているようにです。
この世界において、本質を見極めることは簡単なことではないのです。
そのため、多くの人に支持されているものが本当に良いものであるのかは分かりません。
この世界は完全を現しますが、社会は無知で未熟な人間が形成しているのです。
人間の無知で未熟な部分も完全な形として存在しているために、それを否定しているのではありません。
無知で未熟な部分は、それを改善するために与えられたものであるのです。
それを改善するという目的に対して、人間の不完全さが完全であるということなのです。
あなたがより良いものを提示したとしても、多くの人には理解されず、受け入れられることもありません。
多くの人はそこで悲しみ、挫折(ざせつ)することもあるのです。
しかしながら、あなたはそれを悲しみ、挫折する必要はありません。
将来を見据(みす)えれば良いのです。
半年後、一年後、十年後、三十年後、百年後、千年後・・・
あなたの提唱(ていしょう)する価値観が多くの人に対してどのような利益をもたらしているでしょうか?
それを考えれば良いのです。
将来的に利益をもたらさないと考えるのであれば、提唱し続けても価値がありません。
しかし、あなたが多くの利益をもたらすと考えているのであれば、提唱し続ければ良いのです。
世の中においては、より良い方法は後に理解され、受け入れられるのです。
本当に良いものが直様(すぐさま)受け入れられることはありません。
人は後になって気が付くのです。
そのためには、経験が必要だからです。
人が何かを経験するのには時間が必要です。
新たな価値観を理解し、受け入れるのにも時間が必要なのです。
そのため、人の理解が及ぶまで提唱し続けなければならないのです。
人の理解が追い付いた時には、その利益によって感謝されるでしょう。
人から感謝される時には、再び理解されることのない価値観を提唱していましょう。
そうやって、理解されることなく生存し、理解されることなく滅びましょう。
それが、礎としての生き方なのです。

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