あなたは、自らに与えられた役割を果たさなければなりません。
	すべての存在には、必要な役割が与えられています。
	すべての存在は、与えられた役割を果たすことによって、全体に貢献することが求められているのです。
	もちろん、全体に貢献するというのは結果としてのことです。
	あなたが目指すべきは、目の前の状況や他人に対する貢献なのです。
	その積み重ねが、やがては全体への貢献となるのです。
	すべての存在に必要な役割が与えられています。
	当然のことながら、あなたにも必要な役割が与えられているのです。
	しかしながら、多くの人は自らに与えられた役割を理解してはいません。
	そのため、満足してはいないのです。
	自らに与えられた役割を果たすこと、自らに与えられた役割に沿う生き方をすることによって、人は大なり小なりの満足を得ることができます。
	それは、心からの満足のことであり、例えば、何かを購入することによって得られる表面的な満足のことではありません。
	本質的な満足を得るためには、自らに与えられた役割に携わる必要があるということを覚えておきましょう。
	多くの人は自らに与えられた役割を知らずに生きています。
	与えられた役割があることさえ知らずに生きている人も多いのです。
	そのため、自らに与えられた役割から離れた生き方をする人が多いのです。
	自らに与えられた役割から離れた生き方をすることも許されていますが、そこでは本質的な満足を得ることはできません。
	それは、喉(のど)の渇きと同じように、すぐに不足し、満足することもありません。
	あなたが本質的に満足するためには、自らに与えられた役割を知る必要があるのです。
	あなたに与えられた役割とは、あなたの能力に関係しています。
	現在のあなたの能力こそが、あなたに与えられた役割であるのです。
	もちろん、あなたが成長し、能力を向上させることによって、役割の形も変化します。
	あなたが成長することによって、更なる役割が与えられるのです。
	あなたが更なる役割を得るということは、更なる満足を得るということです。
	更なる役割によって、あなたはより豊かに存在することができるのです。
	役割を果たすことがなければ、残念ながら豊かに存在することはできません。
	”働かざる者、食うべからず”
	ということなのです。
	この世界には因果の仕組みが存在し、それに逆らうことのできる者はいません。
	働きという原因が無ければ、食うという結果も無いのです。
	役割を果たすという原因が、豊かに存在するという結果を導きます。
	それ以外には、豊かに存在することはできません。
	例えば、自分を偽り、嫌なことを続けているのであれば、心からの満足を得ることはできません。
	自分の役割を放棄するということは、自らの幸福を放棄することに等しいということなのです。
	あなたは、自らに与えられた役割に沿う生き方をしなければなりません。
	能力に沿う生き方を目指すのです。
	人生には、無理をする必要などありません。
	強欲に生きれば、自分を偽り、無理を重ねる生き方をすることになるでしょう。
	現在の能力に沿い、能力の範囲において最善を尽くせば良いのです。
	能力の範囲外のことをする必要などありません。
	それは、自分を偽る行為であるからです。
	あなたには、能力以上の役割は求められていません。
	能力以上には成果を上げることができないからです。
	それは、新たな問題を引き起こすだけなのです。
	あなたの役割は、全体への貢献なのです。
	全体に対して問題を引き起こすことが目的ではないのです。
	強欲は、人に能力以上の働きを求めます。
	しかしながら、求めている以上の成果を導くことはありません。
	溺れている人を助けるためには、人の何倍も泳ぐ能力が必要です。
	自分自身が満足に泳ぐこともできず、人の何倍も泳ぐことができないのであれば、溺れている人を助けることなど不可能なのです。
	泳げない人が溺れている人を助けようという愚行は、強欲以外の何物でもなく、問題を大きくするだけなのです。
	人の何倍も泳ぐことができないのであれば、溺れている人を助けようとして泳いではならないのです。
	他人を助けるためには、先ずは自分自身がしっかりとしていなければならないのです。
	意欲ばかりが多く、自らに与えられた役割を蔑(ないがし)ろにしている者が多いのです。
	人生はあなたに特別なことを求めてはいません。
	自分の能力の範囲内での働きを求めているだけなのです。
	あなたは、自らの能力の範囲内で生きましょう。
	できないことは、今はしなくても良いのです。
	あなたが成長し、できるようになってから行いましょう。
	不安や焦りを手放し、現状において確実にできることだけを行うように努めるのです。
	
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