多くの人は、この世界に理不尽が存在していると考えています。
多くの人は理不尽を感じています。
道理に反した状況が導かれていると考えているのです。
この世界には、理不尽が存在しているのでしょうか?
もしも、この世界に理不尽が存在しているのであれば、秩序(ちつじょ)が保たれることはありません。
あなたの過ごしている当たり前の日常も、脆(もろ)くも崩れ去ってしまうのです。
もしも、この世界に理不尽が存在しているのであれば、当たり前のことすら当たり前ではなくなってしまうのです。
残念ながら、この世界には理不尽は存在しません。
理不尽に思う幼い心があるだけなのです。
道理を理解していない者は、理不尽に苦悩するでしょう。
道理を理解していないために、道理に反した状況が導かれると考えるのです。
この世界には遍(あまね)く道理が行き届いています。
この世界には、道理に反することは存在しないのです。
しかしながら、そのようには理解することができない人が多いのです。
もしも、この世界に道理に反する状況が導かれるのであれば、過去は救いようがないのです。
しかしながら、人生を探求した時には、どのような過去であろうとも、それが最善であったということに気が付くことができるのです。
無駄な過去など存在しません。
その価値を理解することができない心があるだけなのです。
この世界には因果の仕組みが存在しているのです。
すべての結果には、それに相応しい原因が存在しているのです。
あなたが理不尽に感じることは結果です。
どうして、理不尽に感じる状況を受け取ったのでしょう?
どうして、それはあなたの目の前にあるのでしょうか?
それは、あなたの原因によって導かれた当然の結果であるからです。
原因はあなたにあるのです。
あなたがそのように選択したので、そのような結果が導かれたのです。
自らの選択がどうして理不尽なものなのでしょうか?
自分が選んだのです。
他人に選ばれた訳ではないのです。
自分で選んだにもかかわらず、それを理不尽と訴(うった)えるのは愚(ぐ)の骨頂(こっちょう)であると理解することができるでしょうか?
理不尽を感じている人は、自分が選んだ結果に文句を吐いているのに等しいのです。
それこそが理不尽な態度であることを知らなければならないのです。
道理に適(かな)った状況が導かれたのです。
それに文句を吐くことの方が十分に理不尽な態度であるということを知らなければならないのです。
自分の理不尽な態度を棚に上げて、人生に文句を吐いてはなりません。
何かに対して理不尽を訴えている間は、成長することはありません。
道理を拒絶しているような者には、成長が導かれることはないのです。
あなたは未熟です。
そのため、理不尽に思えることもあるでしょう。
それを拒絶するのであれば、学びは得られません。
大切なのは、学びを得て成長することなのです。
この世界のすべての瞬間に学びが存在しています。
自らの未熟さが理不尽として拒絶することによって、大切な学びを損なうのです。
あなたが豊かな人生を求めているのであれば、成長する以外に方法はありません。
成長するためには、現時点において理不尽に思えることを学ばなければならないのです。
すべての結果には、必ず原因が存在しているのです。
その原因が自分にあるために、すべての結果が道理に適っているのです。
あなたは誤解してはなりません。
理不尽を感じている者は、誰かや何かが原因によって道理に反した状況が導かれていると思い込んでいます。
自らの選択によって導いだ当然の結果を、誰かや何かのせいにしなければ、理不尽さを感じることはないのです。
何かに対して理不尽さを感じている時点において、歪んでいるということを理解しなければならないのです。
あなたが理不尽さを感じた時には、自らを顧(かえり)みなければなりません。
そうすれば、あなたは謙虚さを身に付けて、多くを学ぶことができるでしょう。
理不尽さに腹を立てているようであっては、何も学ぶことはできないでしょう。
泣き寝入りしろと言っているのではありません。
理不尽というものが存在しないのだから、被害者意識による現実逃避はやめようということなのです。
今すぐに理不尽さに苦しむのをやめ、大いに学びましょう。
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